9/16(水) 11:01配信
文春オンライン
「生みの親」菅官房長官
菅義偉氏が自民党新総裁に選出された。岸田文雄氏89票、石破茂氏68票に対して、377票という圧勝。9月16日からの臨時国会での首班指名選挙を経て、菅氏は第99代内閣総理大臣に就任する。
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菅氏が実績としてアピールしたのが、「ふるさと納税制度」の導入だ。総務相時代の2007年に制度の創設を表明。2012年に官房長官に就任してからは控除の限度額を倍増させたが、自治体間の返礼品競争を招くとともに、高所得者ほど節税効果が高まるこの制度には、批判の声も多い。
そんな「ふるさと納税制度」の問題点を指摘し、菅氏に意見した末に“左遷”された総務省自治税務局長(当時)が「週刊文春」に実名告発した記事を、全文公開する。
(出典:「週刊文春」2020年1月2・9日号 文:森功)
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制度開始から11年、5000億円市場に成長した「ふるさと納税」。だが、高額返礼品を巡っては批判噴出、一部自治体と国で訴訟にもなっている。5年前、制度の生みの親に直言した官僚は、その後、干された。彼は言う。「何があったのか、明らかにしておく義務がある」。
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その日の内閣官房長官執務室は、いつにも増して淀んだ空気が流れていた。菅義偉の待つ部屋に、総務省自治税務局長(当時)の平嶋彰英が入る。平嶋のお供で入室した総務省市町村税課長(同)の川窪俊広はもとより、同席した官房長官秘書官の矢野康治(現財務省主税局長)や内閣官房内閣審議官の黒田武一郎(現総務省事務次官)らも、二人の会話に口を挟むことができず、ただ見守っていた。
2014年12月5日のことだ。会議の議題はふるさと納税である。制度の生みの親を自任する菅は、ふるさと納税を広める手段を総務省に命じていた。その一つが、寄付控除の上限の倍増である。ふるさと納税は自己負担の2000円を除き、寄付した分だけ事前に納めた税金がそっくり戻って来る(控除される)制度である。その控除の上限を2倍にしようというのだ。
「寄付控除の拡充に合わせて、(返礼品の)制限を検討しています。ただ、法律に書くことについては、内閣法制局から難しいと反応をもらっています。そこを踏まえ、通知で自粛を要請しているところでございます」
平嶋に対し、語気を強めていく菅
文字どおり苦虫を噛み潰したような表情の菅に、平嶋が恐る恐る切り出した。すると菅が口を開いた。
「(制限は)通知だけでいいんじゃないの? 総務省が通知を出せば、みんな言うことを聞くだろう」
平嶋は反論した。
「そうでないところもあります。根拠は何だ、と聞いてくるようなところも」
ふるさと納税は「納税」といいながら、新たな税が発生するわけではない。住んでいる自治体から別の自治体に税金を移動させる仕組みだ。しかも寄付する側には、漏れなく高額の返礼品がついてくる。納税とは名ばかりで、2000円で各地の高額な返礼品を買うような感覚になるから、自治体間で激しい高額返礼品競争が起きるのは無理もない。
総務省では5年前のこの時からすでに返礼品を問題視し、何らかの制限をすべきだ、と平嶋は主張した。しかし菅には、制限など眼中にない。それよりふるさと納税全体の金額を増やせ、とばかりに控除の上限を2倍にしろという。上限を引き上げれば、当然返礼品競争がエスカレートする。議論は平行線をたどる以外にない。平嶋に対し、菅は語気を強めていく。
「これだけ(ふるさと納税のムードが)盛り上がっている中で、(冷)水をかけるようなのは駄目だ。1万5000円でメロン1個の夕張市のような成功事例も出てきているじゃないか」
高額返礼品問題について、平嶋は菅の顔を立てながら、なおもこう指摘した。
「(寄付金に対する返礼品の価値は)知事会などでも、2~3割ならよいという感じでしょうか。夕張がちょうどそのぐらいです。ただ、そういう表示をしても、モノで(寄付を)釣るようなものですから、我々としましては問題意識を持っております」
官邸による典型的な“恐怖人事”
すると、菅は話をそらす。
「手数料2000円を取っているだろう」
厳密にいえば、2000円は手数料ではない。10万円を超える支払い分が控除対象となる医療費控除のそれに近い。医療費の10万円がふるさと納税では2000円だ。菅は、その2000円の支払いまでやめろと迫った。
「すると、寄付金制度全体を見直さなければなりません。難しいです」
平嶋は辛うじてそこは踏ん張った。菅の要求は寄付控除の上限倍増ともう一つ、税金の還付手続きで確定申告を不要とする「ワンストップ特例」の創設もあった。渋々ながら総務省もそれらを進めることになり、菅も納得したかに思えた。
だが、そうではなかった。年が明けた15年7月、平嶋はいきなり自治大学校校長に異動となる。ふるさと納税に異議を唱えてきた役人に対する意趣返しの“左遷人事”――。平嶋本人だけでなく、霞が関から「官邸による典型的な恐怖人事だ」と今も恐れられている。
平嶋はかつて総務事務次官候補とされたエリート官僚だった。だが、自治大学校の校長を最後に退官し、地方職員共済組合理事長を経て現在は立教大学経済学部特任教授として活動している。平嶋本人に話を聞いた。
制度そのものに問題がある「ふるさと納税」
「菅さんはふるさと納税がかわいくて仕方ないんです。第一次安倍政権で総務大臣に就任し、ご自分が制度をつくったという自負がある。一つの手柄です。ただ、実は制度そのものに問題がある。菅さんに意見して不遇な目に遭ったのは、私だけではありません。私の税務局における先輩で、私などより次官確実といわれていた河野栄さんも、菅さんに相当抵抗して飛ばされてしまいました」
ふるさと納税は07年6月、総務大臣だった菅が省内に「ふるさと納税研究会」を立ち上げて制度の根幹をつくり、翌08年4月、改正地方税法が成立した。秋田生まれで地方思いの菅ならではの政策だと持ちあげられてきた。
しかしその実、高額返礼品を巡っては何度も問題になってきた。17年には寄付額に対する返礼割合を3割以下にするよう、全国の自治体に通知。大阪府泉佐野市のようにそれを無視し続ける自治体も出た。そこで総務省はついに今年6月、改正地方税法施行で「返礼品は寄付額の3割以下の地場産品」と基準を設け、それを満たさない同市を除外した。すると泉佐野市は国を訴え、来年一月に大阪高裁での判決を迎える。まさに平嶋が危惧した通りの事態になっている。
しかも高額返礼品をめぐる議論は制度創設のときからあった。それが封じ込められてきただけなのである。
役人から理屈を説明されるのが嫌い
「07年当時、税務局長だった河野さんは菅さんに指示され、やむなく寄付金税制を使う方法を考えたのですが、研究会の報告書ではすでに“お土産問題”のおかしさを指摘しています。さすがにあの時点では法で規制する問題ではないという判断でしたが、目に余る場合は法で規制することもありうべし、ともされた。それで菅さんは河野さんがずっと抵抗し続けたと思ってきたのでしょう」
1975年に東大法学部を卒業して旧自治省入りした河野は06年7月、官房審議官から自治税務局長に就任。ふるさと納税の創設を指示されたが、そこで菅とぶつかった。平嶋が続ける。
「本来、議会制民主主義では、有権者が選挙で選ばれた議員の決定に従うことが基本です。納税者が自分勝手に税金の使い道を決めれば、利益を受けられる部分だけに税を納める事態になりかねない。それは税制として間違っていると河野さんは指摘したわけです。で、苦肉の策として税制そのものではなく、寄付金制度をいじればできるんじゃないか、と考えた。でも菅さんは納税という言葉にこだわり、そこからずっと河野嫌いになった。役人から『理屈はこうなっている』と説明されるのが嫌いな人なんです。
河野さんはすごく優秀な方で、しかも閨閥もある。旧自治事務次官、鹿児島県知事から参議院議員に転出した鎌田要人(かなめ)さんの娘婿で、河野さんは次の人事で自治財政局長、さらに次官と駆け上るはずだった。ところが財政局長になれず、結局消防庁長官で終わってしまった。これも菅さんの人事だといわれています」
自治財政局長は事務次官の登竜門とされる重要ポストだ。07年7月人事で代ってそこに就いたのが、菅のお気に入りの統括審議官、久保信保だった。菅は河野と同期入省の久保をことのほか買ってきたという。
「自治省から広島県へ出向した期間がものすごく長い久保さんは、広島選出の中川秀直代議士と親しくなった。で、菅さんが総務大臣になったとき、中川さんが『困ったことがあったら久保君に相談したらいい』と推薦したそうです。以来、久保さんは菅さんの相談に乗ってきた。その関係から河野さんを外し、久保さんを財政局長に差し替えたと言われています。もともと久保さんは交付税などおカネを扱う財政局の仕事をやったことがない。逆に菅さんは、ありえないような人事をおこなえば、皆が俺の言うことを聞く、と考えたのではないでしょうか」
河野自身に会うと、やはり口が重い。
「たしかにいろいろありましたけど、もう引退したから、何も言いません。現役に迷惑をかけてもいけないから」
ふるさと納税はまさに大臣の看板政策として08年にスタートした。が、しばらくはさっぱり振るわなかった。皮肉にも寄付が増え始めたきっかけが11年の東日本大震災だ。震災復興支援の地元産品に人気が出て、そこに便乗した全国の自治体が高額返礼品をPRし始めた。すると、10年に67億円だった寄付金総額が、一挙に650億円近くに跳ね上がったのである。