平成30年9月14日
昨今,ウクライナ正教会独立問題が話題となっていますが,なかなか日本語の良い解説がないので,私なりにこの問題をまとめて紹介したいと思います。
8月31日から9月4日までコンスタンティノープル(イスタンブール)において,正教会主教会議(シノド)という重要な会議が行われましたが,そこでバルトロメオ一世・コンスタンティノープル正教会総主教は,ウクライナに2人のコンスタンティノープル総主教代理(エクザルフ)を派遣する重要な決定(トモス)を行いました。
これは,ウクライナ正教会の独立に向けた大きな進展であります。
現在,ウクライナにおいて正教会は,大きくいうとモスクワ系とキエフ系に分かれていますが,これを統一して独立した正教会を作りたいという動きは,1991年のウクライナ独立の時からありました。
歴史を遡ってみますと,988年に当時のキエフを支配していたウラジーミル大公がビザンチンから派遣された司祭によって洗礼を受けて以来,キエフ府主教庁(メトロポリス)はコンスタンティノープルの管轄下に置かれるとともに,現在のモスクワを含む東スラブを代表する大主教座でありました。
その後,12世紀にタタールの侵略を受け,東スラブにおける正教会の拠点は,キエフからウラジーミルを経てモスクワに徐々に移っていきましたが,例えば,15世紀(1438年)にフィレンツェにて開催されたカトリックと正教会の合同に関する公会議に出席したのは,モスクワの大主教ではなくキエフの大主教であり,この時点においても東スラブの代表はモスクワではなくキエフにあると考えられていました。
最終的には,17世紀後半(1686年)に,ロシア正教会はウクライナ正教会をモスクワ聖庁の下に置くとの決定をコンスタンティノープル総主教に認めさせたとしていますが,今回の教会法上の争点は,この決定をコンスタンティノープル総主教(注:1453年のコンスタンティノープル陥落によりビザンチン帝国は消滅し,実質的な権限は失われていましたが,その後もコンスタンティープル総主教が各国の正教会の首位を占めるとの認識は正教内において共有されてきました)がどこまで認めたかにあります。
1991年にウクライナが独立した際,ウクライナの正教会の中には,モスクワから独立して独自の正教会を設立するとの動きがありました。モスクワは,そのような独自の正教会を宣言した聖職者を破門にし(キエフ聖庁独立問題),その他の国の正教会にも,この動きを認めないよう要請しました。
モスクワによるウクライナ正教会の管轄権をコンスタンティープル総主教が認めていなかったとすれば,コンスタンティープル正教会が,引き続きウクライナ正教会に関する管轄権を有しているということになり,モスクワが行った破門もそもそも無効ということになります。
これまでロシア正教会は,正教会の中における最大の勢力として,モスクワは第3のローマであるという立場を公にしてきており,例えば,2016年クレタにおいて開催された正教会公会議(ソボール)においても,ウクライナ正教会問題を議論することを不満であるとしこれをボイコットするなど,コンスタンティノープル総主教の権威にチャレンジする行動をとっていました。
これに関し,バルトロメオ1世・コンスタンティープル総主教は,これを好ましく思っておらず,このような両総主教座の確執が今回の総主教代理の派遣決定の一つの要因であると考えられます。
今回派遣される2人の総主教代理(ダニエル大主教(米国),ヒラリオン主教(カナダ))は,ウクライナ正教会独立の地位(アウトケファリア)の付与に向けて派遣される特別代表であり,ウクライナ正教会の統一に向けた議論の状況をコンスタンティノープルに報告したり,ウクライナ正教会からの相談に応じたりするのがその役割です。
総主教代理派遣の決定は,ウクライナ正教会独立の決定(トモス)に大きな道が開かれたことを意味しています。
現在,ウクライナ正教会はモスクワ聖庁,キエフ聖庁及び自治独立系の三教会に分かれていますが,コンスタンティノープル総主教がウクライナ正教会の独立を認めれば,ウクライナにおいて,モスクワ聖庁の下ではなくキエフを中心としたロシアと対等な正教会がウクライナに誕生することを,教会法上コンスタンティノープル総主教が認めることになるのです。
ロシア正教会にとって,ウクライナ正教会を失うことは,正教会最大の勢力であるという立場を失う可能性があり,ロシア正教会がキリストの使徒である聖アンドレアによって設立された使徒教会である(注:ウクライナ正教会は,その起源を10世紀のウラジーミル大公の洗礼ではなく,聖アンドレアのキエフ訪問にさかのぼるとしています)との点を失うことを意味します。
こうしたことから,ロシア正教会はこのような動きに反対の立場を取っています。8月31日には,キリル・ロシア正教会総主教がコンスタンティノープル(イスタンブール)に赴き,そのような反対の立場をバルトロメオ1世・コンスタンティノープル正教会総主教に伝えたことは,ロシア正教会としてウクライナ正教会を失うことに対する危機感がいかに大きいかを表しています。
ロシア及びウクライナにおいて,正教会は政治的にも強い影響力を有しているので,このウクライナ正教会の独立(アウトケファリア)は,教会内部の問題に留まらず,大きな政治的意義を持つ問題なのです。
古来の儀式を守るウクライナ正教会
ウクライナ正教会、古来の儀式を守る
古代から伝わる正教会の聖体礼儀や図像は、ウクライナとロシア双方の歴史とアイデンティティにとって不可欠だ。 ロシア正教会から、ウクライナ正教会が独立する見通しだ。
ロシア正教会は、2億6000万人強の信者を擁するキリスト教東方正教会のなかの最大派閥。
先日、東方正教会幹部によって明らかにされたこの決定は、300年以上前に確立された教会の基盤を揺るがすほど大きな意味を持っている。
コンスタンチノープル総主教のバルトロメオ1世(正教会高位聖職者の位階制において「平等の中の首位者」とされる)が招集したシノド(主教会議)は、1686年以来モスクワの宗教当局者の管轄下にあったウクライナ正教会に対し、独立する権利を承認した。
ウクライナ正教会は、26年前のソ連崩壊後に設立されて以来、これまで正式な承認を得られずにいたが、今回のシノドにおいて、ウクライナ正教会キエフ総主教庁の正統性が正式に認められた。
シノドではまた、キエフ総主教庁の創設者でリーダーのフィラレート総主教(94歳)の主教としての地位と権限も認められ、さらにはウクライナ正教会をロシア正教会の管轄下に組み込んだ1686年の決定も無効とされた。