創作欄 過去・現在・未来 3)

2023年03月26日 21時41分44秒 | 創作欄

和夫は気づけば、その日に集金した金は、残りが1万円札1枚になっていた。

愚かにも自ら地獄へ落ちたのである。

高利貸の街金融の100万円の利子も払えなくなる。

当時の街金融の金利は年率48%であったのだ。

背後には暴力団も居るような怪しげで、人相の悪い男3人で経営する裏路地の店であった。

帰りのモノレールの中で、「何処かへ逃げるほかない」との想念も浮かぶ。

だが、「返済は当然、家族にも及ぶだろう、逃げるわけにはいかない」と思い直す。

愛人の尚子とは午後6時に渋谷のハチ公の銅像前で会い食事をする約束だったが、まず、新宿南口に近い農協ビルへ戻るほかなかった。

その日、社長は風邪をこじらせ休んでいた。

和夫は仕方がなく、経理担当の梅野君江に対して「今日は集金できなかった」と嘘をつく。

君江は一瞬、怪訝な表情を浮かべたが「そうですか」と受け止める。

和夫は営業課長の立場で販売と集金業務をしていた。

愛人の尚子とは営業先で出会い、親しくなった人だった。

勝気な妻に頭が上がらなかった和夫は、心の優しい尚子に惹かれ恋愛感情を抱く。

桜咲く京都への旅行に誘ったら「楽しみだわ」と応じてくれたので、和夫は若者ように心が舞い上がる。

ほとんど恋愛経験がないまま、妻とは見合い結婚をしていた。

和夫35歳、21歳尚子との旅立ちであった。

「私、高校時代は遊んでいたの」尚子が新幹線のなかで明かした。

「彼女には、男性経験があるんだ」と和夫は思い込み内心その気となる。

並んで座る尚子の横顔を見つめながら手を握ると微笑んだ尚子握り返してきた。

「これが恋愛の味」と和夫は歓喜する。

新幹線から観る富士山は二人の旅を祝福するように映じた。

「こんなに綺麗に観える富士山は初めてだわ」尚子は頭を窓に密着させた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


鈴木さんの3月の絵手紙

2023年03月26日 21時41分44秒 | 日記・断片

「そろそろ、来るころだろと思った。元気?」鈴木さんは絵手紙を取り出す。

「花の名は、どうして調べているのですか?」と聞いてみた。

「妻が生きていた時は、花の名を調べる必要がなかったけれど、3月黄色の花で検索してレンギョウと分かった」と鈴木井さん言う。

午前5時はまだ暗いので、毎日の早朝散歩は止めていた。

5時20分ころになると明るくなってきた。

毎日、温度を手帳にメモしている西田さんは、「今朝は9度」と教えてくれた。

約5000歩の散歩。

鈴木さんは自宅マンションから自転車できて、帰りも自転車で帰って行く。

「来るときはライトで自転車が重いけど、帰りはライト付けないので軽い」と笑顔になる。

「毎日、7000歩歩いているので、ゴルフも楽になった」

「それに、鈴木さんは毎日、体操をしていますから、体にいいですね」と言いながら当方は敢闘会での健康体操(太極拳)を頭に浮かべた。

また、体操教師を目指していた頃の若き日の体育館での日々のことも、思い出されたのだ。

 

 


利根輪太郎の競輪人間学 負けた悔しさをバネに! 

2023年03月26日 10時06分42秒 | 未来予測研究会の掲示板

利根輪太郎は3月24日、松戸競輪ナイターの11レースで勝負した車券を外し悔しい思いをした。

勝負したのは、4-7=12356の3連単。

並び予想 1-6-3 2-4-7 5(単騎)

1番人気 4-7(4・0倍)

レース評

岡田は仕掛けに迷いがない新鋭。ドカンと飛び出し幸田−吉田で抜け出しを決める。地元の金野にも意地があるし必死に抵抗。

結果

5-1 5,060円(22番人気)

5-1-6 2万2,340円(78番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 5 角 令央奈   9.9 B  
× 2 1 金野 俊秋 7車身 10.2 S  
3 6 日当 泰之 1車身1/2 10.3      
4 2 岡田 亮太 1/2車身 10.4      
5 7 吉田 勇人 1/2車身 10.4      
  6 3 小橋 明紀 1車身1/2 10.4      
7 4 幸田 望夢 3車身 10.4

 

 

そこで、翌日の小田原競輪に挑む。

FⅠ 小田原競輪 スポニチ杯争奪戦

3月25日(2日目)

だが、7レース、8レースも連続で負ける。

そして9レース

並び予想 2-5 4-1-7 6-3

レース評

おそらく染谷の逃げだ。ある程度のペース駆けも望める。でも保科なら最後は抜くか。トリッキーな小川も展開を動かす。

1番人気 1-4(3・0倍)

利根輪太郎は」1-4の3連単の車券のほかに、昨日の松戸ナイターの車券を思いだいて、4-7からの3連単も買う。

利根輪太郎独自の意地車券<負けた車券を追いかけろ!>の実践なのなのだ!

結果として、久しぶりに5万円車券をゲット!

勝負は<淡泊ではだめだ> 負けた悔しさをバネにするのである。

 

4-7 3,350円(12番人気)

4-7-5 5万4,150円(110番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 4 染谷 幸喜   10.1 B  
2 7 紺野 哲也 3/4車身 10.0    
3 5 紫原 政文 1車身 9.9      
4 1 保科 千春 3/4車輪 10.2      
× 5 2 小川 賢人 1/4車輪 10.2      
6 3 朝倉 佳弘 1/2車身 10.2      
  7 6 野中 祐志 5車身 10.5

 

 

 

 


SAKE MEETING 2023春~茨城の酒と出会う~

2023年03月26日 10時06分42秒 | 【お知らせ】
SAKE MEETING 2023春~茨城の酒と出会う~
@sakemeetingatre
 
常磐線取手駅ビル「アトレ取手」を会場に、いま伸び盛りの茨城の地酒を楽しむイベント【SAKE MEETING 2023春~茨城の酒と出会う~】を2023年4月8日(土曜)に開催予定です。
詳細は順次お知らせしていきますので、ぜひこのアカウントをチェックしてみてくださいね~。
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文学に描かれた「橋」

2023年03月26日 09時29分29秒 | その気になる言葉

文学に描かれた「橋」 (平凡社新書0922) by [磯辺 勝]

 磯辺 勝 (著) 

これまでに著者が読んできた詩歌、小説、随筆、折にふれて見てきた絵画などを通じて、「橋」の記憶を掘り起こしつつ、人々にとって「橋」とはどのようなものだったのかを描く。

内容(「BOOK」データベースより)

文学に描かれた「橋」とは、渡るためのものではなく、人々の心を捉えるために存在するものである。
小説の舞台として巧みに利用することで、橋を渡る兵士たちの軍靴の足音が戦争の恐怖を伝え、橋が過去と現在をつなぐ役割を果たすことで、過ぎし日と、いまを見つめる登場人物の心の葛藤が深く投影される。
「橋」の世界が両岸を分けつなぐとき、文学はいきいきと動き出す。 

著者について

1944年福島県生まれ。法政大学卒業。文学座、劇団雲に研究生として所属。
その後、美術雑誌『求美』、読売新聞出版局などの編集者を経て、エッセイスト、俳人に。
俳号・磯辺まさる。99年第4回藍生賞受賞。
俳誌『ににん』創刊に参加する。著書に『描かれた食卓――名画を食べるように読む』(生活人新書)、『江戸俳画紀行――蕪村の花見、一茶の正月』(中公新書)、『巨人たちの俳句――源内から荷風まで』『昭和なつかし 食の人物誌』(ともに平凡社新書)がある。 
 
「橋」とは、渡るためのものではなく、人々の心を捉えるために存在するものである。
 
 
 

詩の礫 明けない夜はない 

2023年03月26日 09時17分57秒 | その気になる言葉

和合亮一 (著)

「詩の礫」は、福島在住の詩人・和合亮一氏が被災6日目から「ツイッター」で発表を開始した新たな形式の詩です。
140字という独特な制限の中で記された言葉は、迫真性と臨場感にあふれ、圧倒的な言葉の力は、極めて短期間で1万人を軽く超える読者の支持を得ました。
湧出する感情のまま、まさに礫のごとく向かってくる詩の数々は、故郷・福島への愛しさ、肉親、子、友、自然への慟哭、震災への行き場なき怒り、絶対という概念を失った世界の不条理を描き、読者の心の深い部分を痛いほど衝いてきます。(以下、本書より)

<今、これを書いている時に、まだ地鳴りがしました。揺れました。息を殺して、中腰になって、揺れを睨みつけてやりました。命のかけひきをしています。放射能の雨の中で、たった一人です。>

<どんな理由があって命は生まれ、死にに行くのか。何の権利があって、誕生と死滅はあるのか。破壊と再生はもたらされるのか。>

<避難所で二十代の若い青年が、画面を睨みつけて、泣き出しながら言いました。「南相馬市を見捨てないで下さい」。あなたの故郷はどんな表情をしていますか。私たちの故郷は、あまりにも歪んだ泣き顔です。>

<命を賭けるということ。私たちの故郷に、命を賭けるということ。あなたの命も私の命も、決して奪われるためにあるのではないということ。>

<誰もいない 福島 静かな雨の夜 静かな涙は誰が流しているの この世を去ったその人を想いながら 想うしかない まぶたの中で目覚めるのは海>

テレビ、新聞、雑誌、ラジオなど、「詩の礫」は多くのメディアに取り上げられました。
修羅のごとく言葉をつむぐ姿は、読者を大いに共感、驚嘆させること必至です。ぜひご一読を。
 

出版社からのコメント

東日本大震災によって壊滅的な打撃を受けた東北地方。大津波、原発被害で失われた日本の原風景たる世界を憂う詩人の言葉の力。

内容(「BOOK」データベースより)

ツイッターで放つ言葉の力、福島在住詩人の咆哮。3月16日午前4時23分の被災後最初の詩作から、5月25日の決着まで、「詩の礫」全文掲載―。

著者について

和合/亮一(わごう・りょういち )1968年福島県生まれ。
1999年第一詩集『AFTER』で第4回中原中也賞、2006年第四詩集『地球頭脳詩篇』で第47回晩翠賞を受賞。
2011年に東日本大震災で被災した中からツイッターに投稿を続け、詩集『詩の礫』として書籍化されたほか、一連の活動が高く評価され、第30回NHK東北放送文化賞、第22回みんゆう県民大賞芸術文化賞を受賞。
『詩の礫』はフランス語訳され、2017年に第1回ニュンク・レビュー・ポエトリー賞を受賞。
最新詩集に『昨日ヨリモ優シクナリタイ』ほか。エッセイ集に『心に湯気をたてて』ほか。共著に『往復書簡 悲しみが言葉をつむぐとき』(若松英輔氏と)ほか。
ラジオ福島、KBS京都、HBC北海道放送などで「詩人のラヂオ 和合亮一のアクションポエジィー」のパーソナリティを務める。ツイッターアカウントは「@wago2828」。
 
 
 
忘れてはいけない、東日本大震災と更に福島原発災害のこと。その直後3/16にツィッターで発信された詩・詞の言葉は今も心を打ちます。
合唱や歌をやっている人は知っていると思いますが、新実徳英さんの合唱曲「つぶて ソング」シリーズはこの詩・詞集からそのままとられているので有名です。
私が好きなのは「あなたはどこに」「誰もいない福島」「重なり合う手と手」「フルサト」などです。YOUTUBEにもアップされているのでご覧下さい。その他には上田益さん作曲で「黙礼」と言う合唱組曲がこの詞集を元に作られています。更に言えば、2019年1月14日に合唱団いちばん星26回コンサートでこの「黙礼」から「祈る」「生きる」を歌います。
 
 
東日本大震災当時、発進し続けた、詩人の、大震災の恐怖と同時進行の、刻々の、瞬間の、言葉の力。圧倒されました。
 
 
何かツイッターみたいだけれど、作者の震災には負けないと言う意思を感じた。阪神大震災を経験した者としては自分が恥ずかしい思いをしたようだ。
 
 
こんなに長い間余震があったなんて知りませんでした。本当に、「俺たちがいったい何をしたと言うんだ!」恐怖・絶叫・暗夜、復興するまでに時間がかかり過ぎます。
 
 
 
その近くにすんでいらした方々の ため息が聞こえてきます。
心に突き刺さる本です。
 
 
3月11日直後、テレビ・新聞の情報を信じていた私は、東北地方の惨状を知りながら友人宅にいた。「原発事故」を知ったのは平和な午後のひと時のことだった。海外の友人からは、「早く脱出しろ」とのメールが寄せられた。その頃、どうしようもない怒りと不安をかかえ和合氏は、瞬間のひらめきの言の葉の嵐をツイッターで発信していた・・・そして、たくさんの人々が彼と共にいた。必然的に作られた「本」である。それは、一年の時を経て少し役割を変えている。暴力的な爆発する言の葉は、永遠の言葉の力をもつようになった。 今でも福島人として和合氏は礫を投げ続けている。礫を受け止めた読者である私は、何をすべきなのか・・・考え続けている。  
 

戦い続けた人が勝利者となる

2023年03月26日 08時39分14秒 | その気になる言葉

▼いろいろな人から刺激を受けて成長できる。

そのような場があることは幸いである。

▼最後まで「あと一歩」と踏み出し、一人一人が執念の戦いを貫く。

その先に「勝利」がある。

▼<もうだめだ>と、くじけそうになることや、<これくらいでいいだろう>と妥協に陥ることもあるだろう。

だが、途中で歩みを止めてしまえば、それまでの努力や苦労は全て水の泡になる。

▼歩き続けた人は、最も遠くまで行く人だ。

戦い続けた人が勝利者となる。

 


アメリカの東洋文学者・バートン・ワトソンは

2023年03月26日 07時43分25秒 | 社会・文化・政治・経済

バートン・ワトソンBurton Watson1925年6月13日 - 2017年4月1日)は、アメリカ合衆国東洋文学者

人物

1925年、ニューヨーク生まれ。太平洋戦争に従軍しマーシャル諸島での戦闘に参加、日本の降伏にともない日本を訪れる。1946年に帰国しコロンビア大学中国語中国文学を学ぶ。

1951年に修士号を取得するが、中華人民共和国が成立し米国人は入れなかったため、日本へ渡り同志社大学の英語教師、京都大学吉川幸次郎の研究助手となる。

1954年にドナルド・キーンが編纂した日本文学選に、日本人漢詩を英訳した。

のち京都に住んでいたゲイリー・スナイダーと友人となる。

1956年、司馬遷の研究でコロンビア大学から博士号を取得する。1961年コロンビア大学に戻り教授として中国文学を教え、スタンフォード大学でも教え、仏典の翻訳に従事する。

1973年に日本に渡り生涯を過し、多くの日本文学を英訳した。生涯結婚せずハヤシ・ノリオをパートナーとした。創価学会の翻訳も行った。1983年初めて中国を訪れた。

法華経を翻訳。

法華経は「明るい。全編の明るい躍動感がみなぎっている。

ストーリーの「壮大さ」に圧倒される思いであった。

時間と空間の表現も、「永遠性」と「無限大」をはらんだ大いなるスケールをもって展開されている。