和夫は気づけば、その日に集金した金は、残りが1万円札1枚になっていた。
愚かにも自ら地獄へ落ちたのである。
高利貸の街金融の100万円の利子も払えなくなる。
当時の街金融の金利は年率48%であったのだ。
背後には暴力団も居るような怪しげで、人相の悪い男3人で経営する裏路地の店であった。
帰りのモノレールの中で、「何処かへ逃げるほかない」との想念も浮かぶ。
だが、「返済は当然、家族にも及ぶだろう、逃げるわけにはいかない」と思い直す。
愛人の尚子とは午後6時に渋谷のハチ公の銅像前で会い食事をする約束だったが、まず、新宿南口に近い農協ビルへ戻るほかなかった。
その日、社長は風邪をこじらせ休んでいた。
和夫は仕方がなく、経理担当の梅野君江に対して「今日は集金できなかった」と嘘をつく。
君江は一瞬、怪訝な表情を浮かべたが「そうですか」と受け止める。
和夫は営業課長の立場で販売と集金業務をしていた。
愛人の尚子とは営業先で出会い、親しくなった人だった。
勝気な妻に頭が上がらなかった和夫は、心の優しい尚子に惹かれ恋愛感情を抱く。
桜咲く京都への旅行に誘ったら「楽しみだわ」と応じてくれたので、和夫は若者ように心が舞い上がる。
ほとんど恋愛経験がないまま、妻とは見合い結婚をしていた。
和夫35歳、21歳尚子との旅立ちであった。
「私、高校時代は遊んでいたの」尚子が新幹線のなかで明かした。
「彼女には、男性経験があるんだ」と和夫は思い込み内心その気となる。
並んで座る尚子の横顔を見つめながら手を握ると微笑んだ尚子握り返してきた。
「これが恋愛の味」と和夫は歓喜する。
新幹線から観る富士山は二人の旅を祝福するように映じた。
「こんなに綺麗に観える富士山は初めてだわ」尚子は頭を窓に密着させた。