「信」とは、いわゆる妄信では断じてない

2023年03月11日 11時48分31秒 | その気になる言葉

▼強い人生を生き抜くことだ。

そのために、精神を鍛練する。

精神を向上させる。

▼太陽をよろこぶところ

どのような憂いもない

われらが世界に散らばるように

そのためにこそ世界はこんなにも広いのだ

ゲーテ

▼人生の幸福を開くのは、生きる喜びである。

その生命の底からの歓喜と感激を自在に探し出し、湧き出す智慧に勝る宝はない。

▼人の悩みにじっと耳を傾け、悩みを受け止める。寄り添うことで、相手自身の本来の力を発動させる。

それ自体が慈悲の発露である。

▼「信」とは、いわゆる妄信では断じてない。

妄信は人の思考や理性を停止させ、人間を弱く、脆くしてしまう。

「信」とは、どこまでも理性を重んじ、知性によって深められるものだ。

▼「信」がさきで、行動と学びがあり、その繰り返しで「信」を深化させていくことで、自身の人生を最高の智慧と創造性を輝かせることができる。

▼各人が自他共の尊厳と限りない可能性を確信する。

 

 


東北の<負けない心>を未来につなぎたい

2023年03月11日 11時18分50秒 | その気になる言葉

▼3月11日は過ぎておらず、日常の中にあると感じました。

暮らしの中に、悲しみも苦しみもあります。

「共苦」するためには、「共に暮らす」ことから始めなければ、私は聴き手になれない。

そう思って、息子と一緒に15年に、神奈川から南相馬に引っ越しましたー劇作家・小説家の柳美里さん

▼東日本大震災から12年。

あの日、ある人は生き延び、ある人は犠牲になった。

生かされた人々は懸命に支え合い、前を向いた。

▼「悲哀」を「勇気」に変えるのだ。

「宿命」を「使命」の転じるのだ。

暁闇を破り、わが生命に旭日を昇らせゆくのだ!

▼東北の<負けない心>を未来につなぎたい。

それが、戦禍や災害が打ち続く時代にあって、人々が生き抜く力を、強く、深く、大きく育んでいくことになるから。

▼12年という歳月が過ぎたが、心の傷が癒えたわけではない。

「心の復興」そして「人間の復興」具現化すつために、子どものケアや住民の孤立・孤絶・孤独対策、被災者の個別の対策に寄り添い支援する「災害ケースマネージメント」に普及が期待される。


現実社会で苦労しながら人格を磨き

2023年03月11日 10時45分30秒 | その気になる言葉

▼たとえ相手の名前を忘れても、生命の波動はつながっている。

▼実は迂闊にも親友であった人の名前が思い出せない。

名前は息子と同じなのに、苗字がどうしも思いつかない。

好きな競馬のネットをやっていた。

そして、ネットのアクセス名(表題)を何とか思い出したのだ。

▼本来、宗教は心の安らぎのみを求めるものではない。

現実社会をより良くするのが、真の宗教であり、そのために信仰者は努力をする。

「今、これだけ時代が変わり、目に見えにくい貧困や差別、格差といった課題が生まれているからこそ、社会が抱える課題に向き合い、解決していくような、エネルギーに満ちた宗教が求められる―日本総合研究所の寺山次郎会長

▼現実社会で苦労しながら人格を磨き、「自他共の幸福」を目指す。

 


世界を舞台に活躍できる人(世界市民)に成長する

2023年03月11日 10時29分15秒 | その気になる言葉

▼全ての問題の根源は、利己的で、自分中心的な思考により生み出されている。

▼<困難を抱える人々>に手を差し伸べる。

▼互いの良さを引き出し合いながら、平和を根ざして進んでいく。

▼SDGs(持続可能な開発目標)の理念を共有することが、人間性を勲発し、危機を新たな好機に転じる力になる。

▼人間教育の力で未来を拓く。

他者に手を差し伸べる平和の人材を育成する。

▼皆が将来、世界を舞台に活躍できる人(世界市民)に成長する。

 


映画 ペーパーシティ 東京大空襲の記憶

2023年03月11日 09時59分26秒 | その気になる言葉

劇場公開日:2023年2月25日

 

解説

東京を拠点に活動するオーストラリア出身の映画監督エイドリアン・フランシスが、東京大空襲の生存者たちを取材したドキュメンタリー。

1945年3月10日午前0時過ぎ、アメリカ軍の爆撃機が東京を襲撃し、死者10万人以上、東京の4分の1が焼失する史上最大の空襲となった。

その悲劇を生き延びた星野弘さん、清岡美知子さん、築山実さんら3人は長年にわたり、公的な慰霊碑や博物館の建設、市民への補償を求めて活動を続けてきた。

日本人から戦争や空襲の記憶が失われつつある今、悲劇の体験を後世に残すため戦ってきた生存者たちの最後の運動を、彼らの悲痛な証言や映像資料を交えながら映し出す。

東京ドキュメンタリー映画祭2022で観客賞を受賞。

2021年製作/80分/オーストラリア
原題:Paper City
配給:フェザーフィルムス

 

スタッフ・キャスト

  • 清岡美知子

    清岡美知子

  • 星野弘

    星野弘


雲の都 〈第1部〉広場

2023年03月11日 08時52分48秒 | 社会・文化・政治・経済

加賀 乙彦  (著)

内容(「BOOK」データベースより)

昭和27年、一代で三田に外科病院を築いた祖父時田利平はすでに亡く、一族の長老、政治家の風間振一郎も急死した。
東大の医学生悠太はセツルメントに関わっており、後に“血のメーデー”と呼ばれるデモに参加して負傷する。
妹央子はヴァイオリンの才能を認められパリに滞在している。占領が解かれ、混乱しつつ復興する東京を舞台に、外科病院一族の戦後を描く、待望の『雲の都』第一部。

内容(「MARC」データベースより)

昭和27年、医学生悠太は「血のメーデー」のデモ隊の中にいた。混乱しつつ復興する東京を舞台に、「永遠の都」の外科病院一族の戦後の運命を描く自伝的大河小説。
 
 

全5巻のうちの第1巻。第1巻だけで450ページほどある。長編小説。この巻では、セツルメント活動をしている悠太(著者の分身ではなかろうか)の家族、そして、時田家とその親戚である風間家との関わり、そして亀有にある引揚者寮でのセツルメントの仲間たちと活動の様子が描かれている。時代は、朝鮮動乱が勃発してあまり時間がたっていないこと、皇居前でのメーデー時間がしっかり描かれているから、1952年ごろの設定である。
 
セツルメントは資本主義が生み出す貧困に対して、宗教家や学生が都市の貧困地区に自ら居住して宿泊所、託児所、教育、医療活動などの社会事業を行う活動で、19世紀にイギリスで始まっている。 

  登場人物がしっかり描写されている。時田家の利平にはふたりの娘がいて、長女初江は安田生命に勤務している小暮悠次の妻となっていて、小説では重要な位置にいる。
この初江夫婦に子どもが4人、3人の男の子(みな東大生)と央子といて彼女(ヴァイオリニスト)はフランスに留学中。悠太は長男で医学部生、大変な読書家であるうえ、セツルメント活動にのめり込み、ほとんど家に帰っていない。次男の駿次は法学部生でどちらかというと体育系、三男の研三は教養学部理科生で化石採採集というかわった趣味をもっている。時田利平の次女、夏江(初江の妹)の夫は菊池透という弁護士。この夫婦には火之子という変わった名前の子どもがいる。
夏江は医者になるべく医大で学んでいるので、火之子を初江のところにあづけ、面倒を見てもらっている。初江には間島五郎という画家と異母兄弟の関係にあったが、五郎は自殺してしまった。五郎が遺した画は、悠太が貰い受けた形になっていて、その絵が人気を呼び始めている。

 一方、風間家は振一郎(妻は藤江)に4人の娘がいて、上から順に百合子、松子、梅子、桜子。それぞれ改進党の代議士脇啓介(百合子)、自由党の大河内秀雄(松子)、建築会社の速水正蔵(梅子)、造船会社社長の野本武太郎(桜子)に嫁いでいる。桜子はピアノの教師で、行動的女性。野本と結婚しているが、年齢は30歳も離れ、夫婦関係はない。この桜子は敬介の弟、晋介(フランス文学)にかつて恋愛感情があったが、亡くなってしまっている。

  さらに亀有セツルメントの人間関係も複雑で阿古麟吉(セツル委員長)、彦根角平(法律相談部)、風沢基(診療部;東大医学部で悠太の一年先輩)、山折剛太郎(東大文学部生)、久保高済(東大文学部生)、一色美香(女子医大生)、玉先悦子(女子医大生)が仲間、診療所には為藤医師と剣持看護婦がいる。他に大原奈々子、浦沢明夫などが重要人物として出てくる。

  このように人間関係が複雑で、この巻ではかれらの関係を紹介しつつ、セツル活動の難問(引揚寮から立ち退きを迫られるなかで診療所をどのように維持していくか)、セツル活動でのセクト争い、メーデー事件の様子、悠太と奈々子、桜子との男女関係など、いくつもの話題がとりあげられている。とくにメーデー事件でのデモ隊と警官隊との衝突、警察の側の挑発と謀略の描写は凄まじい。構成は、「水辺の街」「広場」の2章からなる。
 
 

『永遠の都』に続く、自伝的大河小説の第1巻。

約450ページほどあるが、『永遠の都』より読みやすい。本書は著者の分身でもある悠太をメインにした教養小説のような趣もある。
ただ、登場人物が多いこと、それぞれの関係など『永遠の都』を読んでいないと、やや分かり難いと思われる。

東大医学部に進学した悠太、『永遠の都』ではあまり目立たなかった桜子、菊池透と再び一緒に生活しだした夏江、さらには悠太の高校時代の友人だけでなく、セツルメントで知りあった人々などに関する記述が多くなり、初江はやや後景に退いた感じがする。
本書では、サンフランシスコ講和条約成立前後で、ようやく落ち着きを取り戻しつつも、戦前の価値観などを受け継ぐ人々と、新しい時代を目指す人々の対立が鮮やかに描かれている。特にいわゆる“血のメーデー事件”の部分は印象的。この事件については、様々な見解があるようだが、著者は、権力者サイドの謀略説によるものとして描いている。
 
 
本書は
加賀乙彦氏(1929-)による自伝的長編小説『雲の都』の第一部「広場」です。
2章から成り
第一章 水辺の街
第二章 広場です。
時代的背景としては1952年2月頃から同年8月頃までをカバーしています。
中でもvividに記述されているのが同年5月1日の「血のメーデー」です。
従って章題・部題の「広場」は皇居前広場を意味あるいは象徴しています。
本書の主人公・小暮悠太も予期しない形で「血のメーデー」に巻き込まれていきます。
‥詳細は本書をお読みになっていただけると誠に幸いです。
小説の内容をくどく説明するのは野暮というものですから。

さて
『雲の都』は『永遠の都』の続編です。
『永遠の都』をお読みになってから『雲の都』をお読みになるといっそう理解が深まることでしょう。
しかし『永遠の都』を読まずに『雲の都』から読み始めてもなぜなら『永遠の都』においては主人公は小暮悠太の母方の祖父時田利平であり時田利平が死ぬところまでが『永遠の都』のお話だからです。
また重要な登場人物である脇晋助も復員後しばらくして亡くなります。
『雲の都』において小暮悠太が真の主人公になるわけです。

「自伝的な」という意味について説明いたします。
主人公・小暮悠太は作者と同一の生年月日を与えられています。
その意味で作者の分身的存在です。
戦前には陸軍幼年学校に行く点や戦後は医学部を出て医師となる点など経歴においても作者の経歴をなぞって行きます。
そもそも『永遠の都』が「2.26事件」から始まるのには理由があって作者の記憶が始まるのが「2.26事件」からという由です。小説においても小暮悠太の2歳年下の駿次は「2.26事件」も覚えていないし軍隊は経験していません。
兄に悠太は陸軍幼年学校という形で陸軍を経験しています。
わずか2歳という年齢差で共感できる歴史的背景が全く異なりなす。
そういう差異を大切に描いたことからも「自伝的な」長編小説と言えると思います。

一方『永遠の都』と『雲の都』を「大河小説」と呼ぶ人もいますが私はこの呼称には反対です。
可能な限り「大河小説」という語は使いません。
理由は多々あります。

①定義が不明確。
‥大河小説はフランス語 roman-fleuve の翻訳と見られます。もともとロマン・ロラン(1866-1944)が自分の小説『ジャン・クリストフ』を大河に例えたことに始まるとされアンドレ・モーロワ(1885-1967)が
使用しました。
しかしアルベール・チボーデ(1874-1936)はそれでは不十分だとして連鎖小説 roman-cycle を提唱したとされます。
ロランもモーロワもチボーデも私は原典を見たことがありません。
おそらく大河小説とは「ある個人・家族・一群の人を中心に一時代の社会を広範に描いたきわめて長い小説」くらいの意味です。
『ジャン・クリストフ』以外には『チボー家の人々』くらいしかありません。
マルセル・プルースト(1871-1922)の『失われた時を求めて』を大河小説として挙げる人もいますが
的外れであろうと思います。
むしろ「意識の流れ」を詳細に追った小説としての方が本質をついています。
マドレーヌを紅茶にひたしたところ「記憶」が一気によみがえった‥という冒頭が世界的に有名な通り
「意識」や「記憶」が大切なキーワードです。
要するに「大河小説」とは1920年代頃のフランス文学の概念に過ぎずあまり成功した作品はありません。
ロシアのトルストイ(1817-1875)の『戦争の平和』やドイツのトーマス・マン(1875-1955)の
『ブッデンブローグ家の人々』は決して「大河小説」とは呼ばれません。
むしろ『戦争と平和』や『ブッデンブローグ家の人々』の方が『永遠の都』『雲の都』に近いと思います。

②作者自身が使っていない
‥例えば『加賀乙彦自伝』(集英社 2013)の「あとがき」において「最近、『永遠の都』と『雲の都』という自伝的長編小説を上梓したが、この二つの作品は、自伝ではなく、あくまでフィクションに力点を置いた
小説である。」(同書 P.274)と書いています。
この自伝はインタビューに対する「語り」がそのまま文字になっていますが少なくとも作者本人は「大河小説」と言っていません。
インタビュー及び構成を担当した人が書き込みを行ったところで安易に「大河小説の完結」などの小見出しをつけているのが実態です。
『永遠の都』と『雲の都』の版元である新潮社も最初のうちは決して「大河小説」とは呼んでいませんでした。
しかし手元にある
『雲の都』第五部「鎮魂の海」(新潮社 2012 )の奥付のさらに後ろの広告のページで「雲の都(全五巻)」の紹介文の中で「自伝的大河小説」という語を使っています。
出版社の編集者の思いつきなのでしょうがたいへんな違和感があります。

③テレビドラマの印象が強過ぎる‥日曜日の夜に公営放送がやっているドラマが今では大河ドラマと呼ばれています。
もともと公営放送は大河ドラマとは自称していませんでした。
「大型時代劇」と正確に名乗っていました。
全国紙であるZ新聞(仮称)が「大河ドラマ」という呼称を使ったのが始まりとされます。
それが公営放送に逆輸入されて後に「大河ドラマ」と名乗るようになりそれがすっかり定着して現在に至ります。
呼称はともかく内容は「大型時代劇」です。
娯楽作品であって決して歴史ではありません。
以前は娯楽であってもよくできた水準のものがありました。
もちろん年度にもよりますが近年は娯楽作品としても荒唐無稽なものも含まれます。
(時代劇が好きで『花の生涯』『赤穂浪士』以来「大型時代劇」をよく見ていた祖母は2011年以来「気持ち悪い」と言って見なくなりました。)
従って『永遠の都』や『雲の都』のような優れた文学作品を「大河小説」と呼ぶのは適切でないと私は考えています。
冒瀆と言ったら表現が強いかもしれませんが大衆迎合というそしりは免れません。
「自伝的長編小説」(作者自身の表現)がいちばん適切な表現と思われます。
版元や編集者の方々は安易な「大河小説」(定義が不明・不適切)という用語の使用について
よく考えてみる必要があると老婆心ながら提言申し上げます。

作曲家で、一連の随筆
『パイプのけむり』で知られる團伊玖磨(1924-2001)はまさにその随筆の中で次のようなことを書いています。
‥日曜の夜
三波伸介(1930-1982)が司会の「減点パパ」
は好きでよく見ていた。
8時になると家族全員でいっせいに『テレビを消せー』と叫んでテレビを消しそれぞれ自室で読書にふけった」という内容です。この時は『勝海舟』(1974)でした。
なみに同年、加賀乙彦氏は『頭医者』の連載を開始し前年『帰らざる夏』で谷崎潤一郎賞を受賞されています。

以上
『永遠の都』『雲の都』が自伝的長編小説であって大河小説ではない理由を述べました。

最後に『永遠の都』『雲の都』とあわせて読むと理解が深まる本を挙げておきます。
ひとつは上述の自伝『加賀乙彦自伝』(発行ホーム社 発売集英社 2013)です。もうひとつは加賀乙彦・岳真也(による対談)
『「永遠の都』は何処に?』(牧野出版 2017です。
特に後者においては『永遠の都』創作の秘密の一端を知ることができます。
例えば『永遠の都』執筆で真似をしたあるいは目指した本を3冊挙げるならば
①紫式部『源氏物語』
②カール・マルクス『資本論』
③トルストイ『戦争と平和』になるというお話です。
その真意はご自分でお読みになっていただけると誠に幸いです。

ナラティブ narrative つまり
「一人称による語り」
という手法を駆使した『永遠の都』と『雲の都』を同時代を生きた方々にお勧めいたします。
 

永遠の都

2023年03月11日 08時44分47秒 | その気になる言葉

加賀 乙彦  (著)

日本版「戦争と平和」であり、昭和史の克明な記録でもある、自伝的大河小説。

貧しい家から身を起こして海軍軍医になり、やがて一代にして東京三田に大外科病院を作りあげた外科医時田利平。

昭和10年代から太平洋戦争をへて戦後の復興の時期にわたる時代、一時は炎都となった東京を舞台に、彼とその一族三代それぞれの波瀾の生涯をドラマチックに描く長編。

著者のライフワークを、全七冊セット函で。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)

加賀/乙彦
1929(昭和4)年、東京生まれ。東京大学医学部卒業。
1957年から60年にかけてフランスに留学、パリ大学サンタンヌ病院と北仏サンヴナン病院に勤務した。
犯罪心理学・精神医学の権威でもある。
著書に『帰らざる夏』(谷崎潤一郎賞)、『宣告』(日本文学大賞)、『湿原』(大佛次郎賞)など多数。『永遠の都』で芸術選奨文部大臣賞を受賞、続編である『雲の都』で毎日出版文化賞特別賞を受賞した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
 
 
 
 
素晴らしい作品です、本物の文学作品です、私も東京で医療関係の仕事をしていたので、夢中で読まさせていただき、ありがとうございます。
 
 
外科医の家族を中心にして、戦前の上流階級の生活が描写されていて、興味深い。
日本語の美しさに改めて感動している、一巻から二巻に読み進んだところだが、日本が満洲へ侵略していく過程がよくわかった。全七巻だがハラハラワクワクしながらよんでいる。