人生の根本基準 人は何のために生きるのか

2023年03月18日 11時13分44秒 | その気になる言葉

「人は何のために生きるのか」愛媛市民フォーラム(2014年8月6日)

因果の法則に従うことで好転した私の人生

稲盛は、京セラをはじめとするさまざまな会社を経営をする中で、常々「人は何のために生きるのか」を考え、自らに問い続けてきました。

このページでは、2014年8月に開催された愛媛県での市民フォーラムにおいて、稲盛が「人は何のために生きるのか」をテーマに話した内容をご紹介いたします。

※市民フォーラム…盛和塾生だけではなく一般の方々にも、よりよい人生を歩んでいただきたいという稲盛の思いから、2002年より2016年にかけて、稲盛が自身の人生哲学を話した活動です。日本を中心に海外でも実施され、累計10万名を超える方々が聴講しました。本フォーラムの講演は、愛媛市民の方を中心に、約3,000名の方に稲盛が語ったものです。

自然というものは、我々が生きていく中で試練を与えます。

それは時には災難であったり、時には幸運であったりします。試練に出会った時にどう対応するかによって、その後の人生が決まります。私は、どのような災難に遭おうとも、それを試練として受け止め、ただ前向きに、ひらすら明るく努力を続けていく生き方をしていこうと思ってきました。

考えてみれば、大学を卒業し、松風工業で研究に没頭するまでの私の人生は災難続きでした。

旧制中学を2回もすべり、死ぬような結核にかかり、希望した大学にも受からず、一流会社の就職試験にも採用されず、やっと入ったところもボロ会社で、今にも潰れそうな会社です。

このような降りかかる災難を恨み、妬み、愚痴と不平をこぼしていた私が、それらを振り払うようにファインセラミックスの研究に没頭し始めてから、みんなが喜んでくれるようなすばらしい研究の成果が出るようになりました。このときから、私の運命は好転し始めていきました。そして、その後創業した京セラやKDDIは、順調に成長発展していきました。

因果の法則に従って生きてきた人生が、そのようなものをつくりあげてきたのだと私は固く信じています。

稲盛和夫さんが講演で述べた言葉を、一部ご紹介いたします。

運命という縦糸があり、因果の法則という横糸がある。この2つの糸で織られていったものがそれぞれの人の人生を形づくっている。私は、そのように考えてまいりました。

森羅万象あらゆるものをよい方向へよい方向へと、幸せに生きていけるようにと推し進めている宇宙のなかに住んでいるのが我々人間なのですから、この宇宙と同じような善き思いを抱き、実行したときには、必ずその人の運命はよい方向へと変化していくはずです。

幸不幸いずれの試練に出会ったときも、どのように対応するのかによって、その後の人生が変わっていくと思っていた私は、「災難に遭おうとも、幸運に恵まれようとも、どんな試練であろうとも、それを感謝の心で受け入れていこう」と考えてまいりました。

日本航空が劇的な再建を果たした真の要因は、「善きこと」をなそうという純粋な私の心にあったからではないだろうかと、昨今思えるようになってきました。

人生という道場の中で、善きことを思い、善きことを行うよう努めていただきたいと思います。そのことによって、皆さんの魂、心は磨かれていきますし、そうして磨きあげられた美しい心で描いた思いは、自分の人生を必ず素晴らしいものへと変えていくはずです。

因果の法則に従って生きてきた人生が、そのようなものをつくりあげてきたのだと私は固く信じています。

私は必死に経営する中で、「人生とはどうなっているのか」ということを考え続けてきました。私たちは定められた運命という縦糸を伝って人生を生きていく。同時に、その人生の中で善きことを思い、善きことを行えば、よい結果が生まれ、悪いことを思い、悪いことを行えば、悪い結果が生まれるという「因果の法則」が横糸として走っているのではないかと考えるようになりました。

私が「因果の法則」を信じるようになったのは、安岡正篤さんの『運命と立命』という本との出合いがきっかけでした。

その本には、中国明代の袁了凡という人が書いた『陰隲録』の内容が紹介されています。袁了凡さんはまだ袁学海という名前だった幼い頃、易を極めたある白髪の老人から、将来科挙の試験に合格し、若くして地方の長官になること、結婚はするが子供は生まれず、53歳で天寿を全うする運命になっていることを教えられます。

そして、何歳の時に何の試験を受けて何人中何番で受かるかということまで含めて、老人が話した通りの人生を辿っていきます。

その後、長官として地方に赴任した学海さんは、有名な雲谷禅師の禅寺を訪ねます。運命の命ずるままに淡々と人生をまっとうしようとしている学海さんを、雲谷禅師は厳しく叱り、運命は変えられるということ、つまり善きことを思い、善きことを行えば、運命はよき方向へと変わっていくということを説きます。素直だった学海さんは、その後、妻と共に少しでも善いことを思い、善いことをしようと決意します。

その結果、生まれてこないと言われていた息子が生まれ、53歳が寿命だと言われていたにもかかわらず、70歳を過ぎても元気に生きていました。

一寸先が見えない人生を、どうして渡っていけばよいのか悩んでいたときにこの本に出合った私は、善いことを思い、善いことを実行するような人生を送っていこうと思うようになりました。

しかし、そうは思ってみても、理工系の大学を出て技術屋としてセラミックスの研究開発を行ってきた、合理的で理屈っぽい私は、なかなか因果の法則を信じ切ることができませんでした。そのような時に、天文物理学の先生から宇宙生成の理論を聞きました。

元々は素粒子のかたまりでしかなかった宇宙は、一瞬たりともとどまることなく生成発展を続け、137億年をかけて、ついには我々人類のような高等生物までを生み出してくれた。私はこの宇宙生成の話を聞いて、因果の法則の存在を信じられるようになりました。

すべてのものを慈しみ、優しく育てていく愛が充満している。また言葉を換えて言いますと、この宇宙にはすべてのものを慈しみ、よい方向へと育てていこうという「宇宙の意志」があると言ってもよいのかもしれません。森羅万象あらゆるものをよい方向へよい方向へと、幸せに生きていけるようにと推し進めている宇宙のなかに住んでいる我々人間も、この宇宙と同じような善き思いを抱き、実行したときには、必ずその人の運命はよい方向へと変化していくはずです。

 因果の法則に従って生きてきた人生が、そのようなものをつくりあげてきたのだと私は固く信じています。

もう一つ例があります。私が携わった日本航空の再建においては、「他に善かれかし」と願う純粋で一途な思いが強大なパワーを発揮して、破綻した企業を救ったばかりか、高収益企業へと変貌させました。日本航空の再建も、善きことを思い、善きことに努めてきた結果であるように思えてなりません。

私は会長に就任してすぐに、「新生日本航空の経営の目的は、全社員の物心両面の幸福を追求することにある」と全社員に宣言し、これを繰り返し訴えていきました。「日本航空という企業は、今後は株主のためではなく、ましてや経営者自身の私利私欲のためではなく、そこに集う全社員が幸福になるために存在するのだ」という私の確固たる信念を社員に伝え、この私の信念、経営哲学を新生日本航空の経営理念に謳ったのです。その上で、私は自分の人生哲学、経営哲学である「京セラフィロソフィ」という考え方を、日本航空の幹部や社員たちにも説いていきました。

また、日本航空に定着していた官僚主義を打破するために、責任体制を明確にするような組織改革に努めました。そして、採算意識の向上をはかるために、管理会計の仕組みも構築しました。

そうした様々な改革が、再建に大きく寄与したことは確かです。しかし、日本航空が劇的な再建を果たした真の要因は、「善きこと」をなそうという純粋な私の心にあったからではないだろうかと思います。日本経済の再興のため、残った日本航空の社員たちの雇用を守るために、さらには日本国民のために、老骨にむち打って、無報酬で日本航空の再建に取り組み、社員たちも、同じ思いになってくれ、再建に向けて懸命に取り組んでくれました。そのような「利他の心」だけで懸命な努力を続けている私を見て、神様、あるいは天が哀れに思い、手を差し伸べてくれたのではないだろうか。

因果の法則ではありませんが、宇宙の愛が我々を助けてくれたのではないかと思えてなりません。そうした「神のご加護」なくしては、あのような奇跡的な回復などできるはずはないと思います。

私たちは、自分の意志とは無関係に人生を生き、運命と因果の法則が織りなす人生の布を伝いながら、今日まで生きています。その人生において、自分自身の魂を磨き、美しい心、美しい魂を作り上げていくことが、人生の目的ではないかと思うのです。

心を磨くとは、魂を磨くことです。言葉を換えれば、人格を高めるということです。人間性を豊かにし、美しい人間性をつくっていくということです。死にゆくとき、生まれたときよりも少しでもましな美しい魂に、またやさしい思いやりに満ちた美しい心を持った魂にしていたいと思います。

そのように心を磨こうと思っても、実際にはなかなかうまくいかないのが人間です。しかし私は、人格を高めていこう、自分の心、魂を立派なものにしていこうと、繰り返し繰り返し努力をしていく、その行為そのものが尊いのではないかと思っています。

稲盛が講演で述べた言葉を、一部ご紹介いたします。

運命という縦糸があり、因果の法則という横糸がある。この2つの糸で織られていったものがそれぞれの人の人生を形づくっている。私は、そのように考えてまいりました。

森羅万象あらゆるものをよい方向へよい方向へと、幸せに生きていけるようにと推し進めている宇宙のなかに住んでいるのが我々人間なのですから、この宇宙と同じような善き思いを抱き、実行したときには、必ずその人の運命はよい方向へと変化していくはずです。

幸不幸いずれの試練に出会ったときも、どのように対応するのかによって、その後の人生が変わっていくと思っていた私は、「災難に遭おうとも、幸運に恵まれようとも、どんな試練であろうとも、それを感謝の心で受け入れていこう」と考えてまいりました。

日本航空が劇的な再建を果たした真の要因は、「善きこと」をなそうという純粋な私の心にあったからではないだろうかと、昨今思えるようになってきました。

人生という道場の中で、善きことを思い、善きことを行うよう努めていただきたいと思います。そのことによって、皆さんの魂、心は磨かれていきますし、そうして磨きあげられた美しい心で描いた思いは、自分の人生を必ず素晴らしいものへと変えていくはずです。


犯罪心理学

2023年03月18日 10時54分58秒 | 事件・事故

人間社会には、さまざまな理由で罪を犯してしまう「犯罪者」が存在します。

彼らの再犯や模倣犯の発生を防ぐためには、それぞれの犯罪者が抱えている課題や、罪を犯すに至った心理的要因について研究しなければいけません。

そのための学問が「犯罪心理学」です。
今回は犯罪心理学について解説します。

殺人事件から家庭内紛争まで。あらゆる社会問題に取り組む「犯罪心理学」

悲しいことですが、殺人、暴力、窃盗、脅迫、詐欺、DV(家庭内暴力)など、人間社会にはさまざまな犯罪が横行しています。

人は、昔から法律でやってはいけない犯罪行為を定め、その禁を破ったものを監獄に収容するといった刑罰により、犯罪をなくそうとしてきました。

しかし、それだけでは犯罪を未然に防ぐことはできないことは歴史が証明しています。

ではどうすれば、犯罪をなくせるのでしょうか。

そういう研究のひとつが、犯罪者の心理を探る「犯罪心理学」です。

罪を犯した者の心理を探ることで、悪い行いをしないようにすること、あるいは再犯を防止することなどを防ごうという研究です。

<甲南女子大学 心理学科 | 体験授業「犯罪心理学入門」>

「頼むから僕を止めてくれ」と書き残した犯罪者の心理は?

1950年代ごろにアメリカを騒がせた連続殺人犯のウィリアム・ハイレンズ。

彼は、ある殺人現場から立ち去る際、被害者の口紅を使って、以下のメッセージを残しています。

「For heavens Sake catch me Before I kill more I cannot control myself(これ以上だれかを手にかける前に、頼むから僕を捕まえてくれ。もう自分をコントロールできないんだ)」

このように自身でも抑えることのできない強烈な欲望と、簡単に説明することのできない複雑な動機を抱えている犯罪者もいます。

そういう心理を解き明かすためには、何が必要なのでしょうか。

犯罪心理学を理解するための、三つのアプローチ

犯罪心理学の取り組みとしては、司法の場での心理鑑定だけでなく、捜査への協力や非行少年の矯正、虐待の抑止、被害者と加害者への支援などなど、さまざまなものが挙げられます。

しかし、それらの活動の効果や意義を把握するためには、人間の心や感情を研究する「心理学」の観点だけでは足りないのです。

犯罪事件の根本的解決を目的とする「犯罪心理学」を理解するためには、「生物学」「心理学」「社会学」という三つのアプローチが必要になります。

犯罪者に顕著な特徴や生活習慣について研究する「生物学的アプローチ」

犯罪心理学は、犯罪学から派生した学問分野であるとされています。

もとになった犯罪学を生み出した人物が、19世紀に活躍してイタリアの精神科医であるチェーザレ・ロンブローゾ氏です。

彼は、医師としての従軍経験や、精神科病院、刑務所での勤務経験をもとに、ある仮説を立てました。

それは「犯罪者には、一般人とは異なる、特別な身体的、精神的特徴があるのではないか」というものでした。

このように、犯罪者特有の身体的、精神的な特徴をもとに、事件発生の要因を探ることを、「生物学的アプローチ」と呼びます。

そして、ロンブローゾ氏は、逮捕された罪人と健全な一般市民の身体や精神を比較検証することで、「犯罪者に顕著にみられる身体的、精神的特徴」を研究していきました。

しかし、それらの特徴を有する人物が犯罪者になると断言できるわけではありません。

もしも「あなたは腕が長いから罪を犯しやすい」「耳が大きいから犯罪者になりやすい」などと指摘されたとしても、困りますよね。それはただの差別、偏見にすぎません。

そこで近年の生物学的アプローチでは、「身体的特徴の差」のみを調べるのではなく、人を攻撃的にさせる「環境」や「生活習慣」、「ホルモンの活動」について研究することで、凶悪犯罪の抑制に取り組んでいます。

犯罪に至るまでの心の動きを追う「心理学的アプローチ」

仮に、嫌いな人物や不快な状況と遭遇したとしても、人々の多くは暴力的な行動をとりません。

しかし、長期間にわたってネガティブな思考にとらわれてしまった人の場合は、そうともいえないのです。

例えば、「認知バイアス」のひとつに「敵意帰属バイアス」があります。

これは、人々の行動や発言内容を、自らに対する攻撃的なアクションと捉えてしまう心理的傾向を指します。

同級生や教師と話しているときに、会話が途切れたとします。

普通の心理状況であれば、「よくあることだ」と気にも留めないことでしょう。

しかし、「敵意帰属バイアス」を強く持つ人の場合、会話が途切れた相手に対して、「いきなり黙って、俺のことを馬鹿にしているんじゃないのか?」「話すに値しない相手だと見くびっているんじゃないか?」というような攻撃的な思考に陥ってしまうのです。

このようにネガティブな心理状況が悪化してしまうと、他人のささいな行動を、敵対行為として判断し、何らかの傷害事件につながることもあります。

こうした心の活動を研究することで、犯罪行動のきっかけや動機を探っているのが、「心理学的アプローチ」です。

心理学的アプローチでは、自らの欲望を抑え付ける「セルフコントロール」についての研究や、パーソナリティー障害のひとつであり、ともすれば反社会的な行動をとってしまいがちな「サイコパス」の傾向などを調査することで、犯罪の動機解明や、再犯の防止などに取り組んでいます。

社会が犯罪者に与えた影響を探る「社会学的アプローチ」

「お金持ちになりたい」「漫画家になりたい」「スポーツ選手になりたい」などなど、多くの人々は自らが所属する社会の中で達成可能な「夢(文化的目標)」を持っています。

そのうえで自身の持つ夢をかなえるために、資格取得に挑戦したり、トレーニングをしたりと、さまざまな「努力(制度的手段)」を行っているわけです。

しかし、どれだけ努力を積み重ねたとしても、夢が実現できなかった場合、どうなるのでしょうか。

一部の人は「仕方がない」とあきらめて、別の道に進むこともできるでしょう。しかし、中には抑えきれない不満や、社会に対する怒りを抱えてしまう人もいます。

このように、社会の中で目的が達成できず、理想と現実のギャップに苦しむ状態を、「アノミー」と呼びます。このアノミーが悪化した場合、窃盗や傷害、薬物乱用によって自らを慰めるために反社会的行動に出てしまう可能性もあります。

社会学的アプローチでは、アノミーのような「社会に適合できない苦しみ」を研究することで、「社会が犯罪者に与えた影響」を調査しています。

犯罪心理学にできる社会への貢献とは

加害者の心理を理解することで、事件の調査やいじめ問題の解決に協力してきた犯罪心理学。しかし、犯罪心理学はそれ以外の形でも社会に貢献できるのです。

真実を導き出すための「心理鑑定」と「調査面接」

世の中には、重大な罪を犯さないで一生を終える善良な人が大多数です。

しかし、善良な人であっても、悪意ある人物に精神をコントロールされる、あるいは意識を失った状態になっているなど、心神喪失の状態で犯罪行為に加担してしまう可能性はあるのです。

日本国憲法では「事件に巻き込まれてしまった心神喪失者」を罰することはできません。

そのため、罪の重さを決める際に加害者の精神状態を鑑定することがあります。

しかし、「被告人は本当に心神喪失者なのか」「紳士喪失のふりをして重要な情報を隠していないか」といったことを判断するのは、非常に困難です。そこで求められるのが、犯罪心理学者などによる「心理鑑定」です。

心理鑑定では、被告人の性格や犯罪歴、成育環境に加えて、犯行時の精神状態など、さまざまな情報を調査していきます。また、調査の際には被告人への面接だけでなく、その家族や参考人に対しても了解を得たうえで面接しなければいけないこともあります。

そのため、犯罪心理学では心理だけでなく、面接の技術も学ぶ必要があるのです。その際、扱う事件が殺人などの凶悪犯罪であれば、被害者や関係者に配慮しながら事件の全容解明に取り組むことで、適切な量刑を導き出さなければいけません。

少年犯罪をなくすためにできる取り組みとは

罪を犯すのは大人だけとは限りません。社会の縮図ともいえる学校で過ごす子供たちの中には、集団になじむことができず、非行に走ってしまう人もいます。

とはいえ、非行傾向が見受けられるすべての少年が事件を起こすわけではありません。

彼らの多くは、通常は法律に従っていますし、年齢を重ねるたびに社会への順応を深めていきます。このように法の順守と非行行為との間を行ったり来たりする状況を、「漂流(ドリフト)理論」と呼びます。

また、健全な青少年であっても、生まれつきの髪色が周囲と異なるなどの理由で、「あいつは不良だ」とラベリングされ、非行に走ってしまうケースもあります。このような状況を、「ラベリング理論」と呼びます。

彼らのような非行少年の状況を調査しつつ、家庭環境や生活環境を改善することによって矯正し、社会復帰を促すことも、犯罪心理学に求められる役割のひとつです。

「犯罪心理学」について学ぶ大学の学部や学科
犯罪心理学を学べる学部としては、心理学部などが挙げられます。

例えば、関西国際大学心理学部心理学科の犯罪心理学専攻では、犯罪の発生原因と抑止手段について学びつつ、犯罪者や非行少年の社会復帰を支援する方法や、犯罪被害者のケアについて研究を進めています。

駿河台大学 心理学部の犯罪の心理コースでは、犯罪心理学や法⼼理学を専門とする教員のもとで、複雑化、多様化する現代の犯罪状況について学びながら、凶悪犯罪者や薬物中毒者の心理について研究しています。

また、駿河台大学には犯罪⼼理学の⼤学院もありますので、犯罪心理学に対する長期的な学習が可能になっています。

『犯罪心理学』の活用が期待できる分野
警察、警備、司法、犯罪抑制、メンタルヘルス、アンガーマネジメント

【参考文献】
司法矯正・犯罪心理学特論-司法・犯罪分野に関する理論と支援の展開- (放送大学大学院教材) 橋本 和明 (著)


人は人によってしか磨かれるない

2023年03月18日 09時53分20秒 | その気になる言葉

▼期待されること自体、うれしいことだ。

加えて、<キャッチボール>があることによって、自分の可能性を開花させることができる。

たいていの場合、人は、自分の能力の限界を低く見積もってしまい、ちょっと頑張れば、手が届きそうなレベルの目標をつくってしまいがちになる。

▼でも、期待してくれる人の思いに必死に応えようとすると、周囲と比べることがなくなるものだ。

気づけば高い目標を掲げ挑戦できるようになり、思ってもみない能力を発揮することができるものだ。

人は人によってしか磨かれるない。

▼愛とはお互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである―サン・テグジュペリ(フランスの小説家)

さんざまな困難を乗り越えるには、当事者たちが同じ方向を向いて協力し合うことが大切だ。

▼笑いには、人々を調和させる力がある―道化師・大棟耕介さん

 


劣化する日本人

2023年03月18日 09時16分02秒 | その気になる言葉
 
香山 リカ  (著)
 
 出版社からのコメント日本人の美徳が壊れていく科学界の頂点に位置する『ネイチャー』誌に発表されたSTAP細胞論文は「ねつ造」と認定され、取り下げの見込みだ。
“感動の実録ストーリー“――現代のベートーベンは一から十まで詐欺だった。
「すわ、冤罪か」と集まった支援者を裏切るように、片山祐輔被告は「真犯人は自分」と自白した。
これらは数例の事例が偶然重なっただけだろうか。
いや、明らかに日本人は「劣化」しているのではないだろうか。半世紀前の私たちは、こんな事件を短時日に立て続けに起こしたりはしなかった。生真面目で慎重、誠実といった日本人の美徳が壊れていく。

内容(「BOOK」データベースより)

万能のSTAP細胞、現代のベートーベン、PC遠隔操作は誤認逮捕etc.―これらは数例の事例が偶然重なっただけだろうか。
いや、明らかに日本人は「劣化」しているのではないだろうか。
半世紀前の私たちは、こんな事件を短時日に立て続けに起こしたりはしなかった。
生真面目で慎重、誠実といった日本人の美徳が音を立てて壊れていく。
 
「ねつ造」と認定されたSTAP細胞論文、一から十まで詐欺だった「現代のベートベン」、「真犯人はやっぱり自分」と自白したPC遠隔操作事件の片山被告、これらは数例の事例が偶然重なっただけだろうか。いや、明らかに日本人は劣化している。
生真面目で慎重、誠実といった、日本人の美徳が音を立てて壊れていく。

《章目次》
プロローグ――二〇一四年はこれまでと違う時代の始まり
第1章 STAP細胞問題――綺麗な“リケジョ"の強すぎた自己愛
第2章 偽ベートーベン問題――“感動したい、もっと売りたい、目立ちたい"
第3章 パソコン遠隔操作事件――社会への恨みと自己愛の狭間で
第4章 止まらないヘイト・スピーチ――公道で「死ね! 」「殺せ! 」と叫ぶ人たち
第5章 劣化する政治家たち――その発言、公人としてアウトでしょ!
第6章 SNSが日本を滅ぼす!?――性犯罪・いじめ・自殺と“つながる"ネット社会
第7章 知性の劣化と言論の危機――反知性主義と市場の徹底化はパラレルに進む
 
著者について

香山リカ(かやま りか)
1960年、北海道生まれ。東京医科大学卒業。精神科医。立教大学現代心理学部教授。
豊富な臨床経験を活かし、現代人の心の問題のほか、政治・社会評論、サブカルチャー批評など幅広いジャンルで活躍する。

『知らずに他人を傷つける人たち』『悪いのは私じゃない症候群』『私は若者が嫌いだ』『おとなの男の心理学』『3・11後の心を立て直す』『人生の法則』『職場で他人を傷つける人たち』(以上、ベスト新書)、『ソーシャルメディアの何が気持ち悪いのか』(朝日新書)、『弱者はもう救われないのか』『しがみつかない生き方』(以上、幻冬舎新書)、『気にしない技術』『「私はうつ」と言いたがる人たち』(以上、PHP新書)、『比べずにはいられない症候群』(すばる舎)ほか著書多数。
 
 
 
 
「劣化する日本人」の3大事例として列挙された人たちはまさに「日本人」。
著書の含蓄(調査力)にふんふんと頷きました。
現代の日本社会が産みだしたモンスターという意味ではこの3人は意義深い。

創造性がなくってまるまるのコピーじゃなくってどこかに隠し味をいれて
自分のものとして自己顕示する。ウソを自分のなかで偽っていつのまにか
それが本当のものとして錯覚してしまう。自分にもウソをついてしまう。

安倍首相を初め、辞任せざるをえなくなった2閣僚も実力が備わっていないのに
そのことを自覚していながら、自分にウソをついてしまう。
自分は ”劣化している” のではないのだと。

最近の事象もこの例ではないでしょうか。
この本は、現代時評の名著と言っても過言ではないでしょうか。
今の日本人みんなに読んで欲しいものである。
 
 
 身近な事件や話題になった事柄を捉えていても、必ず多面的に解説をして、「あー、そうなんだ」と思わせる筆致が
 安心して読める。香山さんの書くテンポが好きです。
 
 
高齢者のみならず、若者の思考能力が衰えでいるようで心配をしています。今後どうなるのでしょうか

希望の一滴 中村哲、アフガン最期の言葉

2023年03月18日 08時47分17秒 | 社会・文化・政治・経済
 
中村哲  (著)
 
平和には
戦争以上の力がある
 
全国学校図書館協議会 2021年 第54回「夏休みの本(緑陰図書)」選定。※中学校向け

銃撃から一年。追悼、中村哲。

飽食、不寛容、温暖化・・・この世界に生かされている私たちが読むべき1冊

2019年12月にアフガニスタンで凶弾に倒れた中村哲医師の寄稿を再編集した本です。
亡くなる直前の同月2日に西日本新聞朝刊に掲載された原稿を含め、2009年から10年にわたって書き続けた連載を一冊にまとめました。

砂漠化した土地に水を導き、多くの人々の命を救った中村医師。泥にまみれ、宗教や慣習の違いを受け入れ、命の危険さえ感じながらも活動を続けてきた著者の言葉は、何が虚構で何が真実かを見極める目を養えと、今を生かされている私たちに訴えます。

著者の活動を支援してきた福岡市のNGOペシャワール会の協力のもと、 本人やスタッフが撮影した数々の写真を収載したのが本著の特徴です。
芥川賞作家火野葦平を伯父にもつ中村医師は、書いて訴える「言葉の人」でした。

本著は、10冊近くある既刊書とは趣を異にし、オールカラー写真で見るアフガンの風景や人々の表情が著者の文章を裏打ちします。
いわゆる写真家が撮影した写真ではありませんが、 映し出された人々の表情は、長年にわたり現地で人々に寄り添ったからこそ撮れる、偽りのないものです。
本紙への寄稿原稿は、中村医師の事業報告であり、時事評論や随想でもあります。一冊の本にするにあたり、 本文に出てくる用語などには、出版元の責任で脚注を追加し、読者が当時の社会情勢を振り返りやすくしています。
米同時多発テロをリアルタイムで知らない若い世代にも手に取ってほしいと願うからです。

中村哲という人物の功績をたたえるだけにとどまらず、彼が抱き続けた世の不条理への怒りや自然への敬意を感じながら、温暖化や自国第一主義がまん延する今の世界を、どう生きるべきか読者が考える材料となることを期待しています。
内容(「BOOK」データベースより)
「もう銃を持たなくていい」食い詰めて兵士となった経験があるアフガン人男性は畑でほほえんだ。
戦乱と干ばつ、そして飢餓。
治療よりも水と食料が必要だと医師中村哲は1,600本の井戸を掘り5万人の命を支える用水路を建設した。
砂漠化した大地に緑がよみがえり家族があたたかな食卓を囲む人間の暮らしが戻った。
「平和には戦争以上の力がある―」
2019年12月4日アフガンで凶弾に倒れた彼の活動を言葉と数々の写真で振り返る。
 
著者について
中村哲(なかむらてつ)
1946年福岡生まれ。九州大学医学部卒業。
国内の病院勤務を経て、1984年パキスタン北西辺境州の州都ペシャワールのミッション病院ハンセン病棟に赴任しパキスタン人やアフガン難民のハンセン病治療を始める。
その傍ら難民キャンプでアフガン難民の一般診療に携わる。
1989年よりアフガニスタン国内へ活動を拡げ、山岳部医療過疎地でハンセン病や結核など貧困層に多い疾患の診療を開始。
2000年から、干ばつが厳しくなったアフガニスタンで飲料水・灌漑用井戸事業を始め、2003年から農村復興のため大がかりな灌漑事業に携わる。
同年、「アジアのノーベル賞」と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞。2019年にはアフガン政府から名誉市民権を授与された。
同年12月4日、アフガニスタン・ジャララバードで武装集団に銃撃され、73歳で命を落とす。
 
 
 
中村さんは無医村の医師になろうと医学部に進学、諸事情で一年休学するが、復学して卒業

アフガニスタンでへき地の医療にかかわるが、大干ばつで多くの部落が壊滅して餓死者がでていることに
ショックを受け、1日3回の食事がとれること、家族一緒に故郷で暮らせること、などを理由に2003年に用水路建設に着手。

用水路は住民自身の手で維持可能なものにするため日本の筑後川の山田堰を参考にする。

2019年には、65万人が暮らせる農地が回復

中村さん自身も作業に加わった。
 
アフガンの地で、医者でありながら、その職にこだわらず、今必要なこと(砂漠化した土地の灌漑)を経験もないのに行おうとし、成し遂げた意志と行動力が素晴らしい。
 

中村哲さんが生前に書かれた本文は★5以上の必読書。
正解は一つではない。地球の各地で様々な文化・宗教が現地の自然環境にあわせて誕生し、最適解は自然環境にあわせて存在する。真の多様性を教えてくれる。単にアフガニスタンの話に限らず、日常に対して教えてくれるものがある。

一方で脚注が気になって仕方ない。ひたすら安倍政権批判に徹していて「これ本文と何の関係があるの?」「本文と矛盾してない?」という脚注が並ぶと、本文の感動が薄れてしまう。変だなと思って説明を見ると「出版元の責任で脚注を追加」とあった。
脚注を無視して中村哲さんの言葉から多くを学ぶこともできる。脚注を読んで、中村哲さんの名声を利用して反安倍書籍を作ろうとするマスコミを学ぶこともできる。

注釈をつけるなら、本文だけでは分かりにくい取水口の構造等を解説して欲しかった。これについては、ペシャワール会PMSのサイトでカマ堰と山田堰の比較をみることができる。
 
 
著者はキリスト教プロテスタントの西南学院中学で洗礼を受けたという。しかし、彼はキリスト教を広めようとすることはまったくない。むしろ、イスラム教や人間の宗教心一般を尊重する。

 それにもかかわらず、この本には、モーセも登場する旧約聖書の精神、ヴィジョン(幻、展望)、そして、イエスのこころに満ちている。

 中村哲は、モーセやイエスを語ることなく、モーセやイエスのこころで生きたのだ。しかも、それによって、聖書を伝えようなどという下心は全くない。

 荒れ野が潤い、花が咲く。穀物が実る。旧約聖書のもっとも美しい光景である。自然と闘わず、自然に人知を超えたものを見る。イエスのこころである。著者とその何十万人もの友たちは、このこころで水を治めた。

 「過酷な自然は、あまりに非力な人間の分限をわきまえさせ、同時に恵みも準備する。人は自分の力で生きているのではない。恩恵によって特別に生かされているのだ」(p.92)。

 モーセもイエスも文字通りの荒れ野に生き、そこで自分を生かす神と出会った。

 「命を軽んじて天意から離れ、人の分を超えた思い上がりや虚飾は、滅亡に至る道である。与えられた恵みを忘れ、殺戮に狂奔する姿は、哀れである。今、砂漠で田植えを行い、死の谷が命の緑野に変ぼうするさまを見るとき、確たる恵みの実感・・・」(p.109)。

 「天意」も「恵み」も「死の谷が命の緑野に変ぼう」も、聖書のモチーフでもあるが、著者が語ると、一宗教に限定されない普遍性を強く放つ。

 「自然は人を欺かない。驕慢を打ち砕き、恩寵を垂れる。それを見いだすか否かは、人の側の問題である」(p.147)。

 自然災害の被害者が傲慢であったというのではない。砂漠に水を流そうとする事業の中は人間は自然を支配できるという思い上がりがつねに忍び込むこと、それにもかかわらず、自然と調和した治水において、自然は、そして、神は、人に恵みをもたらすというのだ。

 「だが、絶望はしない。希望はある。それは温かく人を見守る自然のまなざしの中にある。眼前に広がる鮮やかな麦の緑がその実証だ」(p.151)。

 二千年の昔、パレスチナのガリラヤ地方を巡回したイエスの姿を思い浮かべる人がいるだろう。

 中村哲は神でもキリストでもない。ただ、旧約聖書の預言者たちやイエスに通じるヴィジョンを持った一人の人間だった。

 著者の地元の新聞社の出版のせいか、いきいきとしたカラー写真が織り交ぜられている。心身ともに美しい一冊だ。
 
 
中村先生の芯のある考え方 アフガンには医療の前に水が必要であり、武器弾薬では平和はない
今執筆及び逝去以降最悪の事態が訪れてしまっている事を天国でどう思われているでしょうか?
ロシア。アメリカなど武器を輸出し、戦争をやめさせようとしてもアフガンの彼らには彼らなりの思想があり文化がある事をまず理解するべきではないでしょうか5.0 out of 5 stars アフガニスタンとは何か?

米国の撤退、タリバンの支配
この国でいったい何が起きたのか?なぜこうなったのか?
そんな事より罪もなき国民が必死に生きている
その生きる事に糧を与える日本人の物語
半分読んだところで涙がでてきてしまう、
いかに日本に住めるという環境が幸せで
いかに自分達が平和ボケをしているか
それすらも気が付けない人に読んで欲しい
アフガンがマスコミの注目を浴びている今だからこそ
この著書を大々的に紹介して欲しい
国は人
 
子供の頃、母親に教えられました。人は、他の人が幸せにならないと、自分も幸せになれないと。日本人もアフガニスタン人が幸せにならないと、自分も幸せになれない。各国人が、自分だけ幸せになろうとすると、他国人を排除するために軍拡競争となり、結局、全国人が共倒れになるのではないか。むしろ、各国人が他国人の食料支援をする方が、軍事費を節約できて全国人が共存できるようになるのではないだろうか。