創作 夢のなかの「鉄道の旅」

2023年09月05日 14時52分56秒 | 創作欄

夢は実に不思議である。
好きなテレビ番組「鉄道の旅」が夢のなかで独自に構成されるのだ。
ロシアの旅、ドイツの旅、フランスの旅、イタリアの旅など。
語学がまるでダメな自分が夢のなかでは、現地の人たちと会話を交わしている。
まるで映画のなかの役者のように。
だが、会話の相手は皆が男性だったり子どもたちであり、女性たちからは無視さ続けられている。
車窓から見る景色はリアルであるが、現実のものではない。
19世紀のような街並みであろう、馬車が走っている。
春の雪解けシーズンであり、遠くの山並みに雪崩が見えた。
列車はトンネルを抜けた時に、直径30㎝ほどの石が窓から飛び込んできた。
窓は50㎝余り開かれていたので、窓ガラスが突き破られことはなかった。
幸いにも石は空席に落下したのだ。
悲鳴を上げる婦人たちの一人が、初めて自分に声をかけてきたのだ。
「あなたは、日本人ですか?」
夢はそこで覚めた、目覚まし時計を確認すると午前2時だった。

 


あくまでも「人間」に焦点を当てることだ

2023年09月05日 14時52分56秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼平和への行動の第一歩「知ること」である。

今の世界に目を向けると同時に、歴史の教訓に真摯に学ぶことが重要である。

▼過去に目を閉ざす者は、結局のとこ現在にも盲目となる―ドイツのリヒャルト・フォン・ヴァイツゼッカー元大統領

▼歴史の真実に学び、現実の上で平和のために行動する。

不戦の魂を次世代につなぐ。

それは今を生きる私たちに課せられた責務である。

▼あくまでも「人間」に焦点を当てることだ。

▼真の賢人はいつも快活—トルストイ

▼賢人たちの言葉や知恵を再認識して、人類の未来の道筋を如何に描くかである。

▼尊敬と愛、平和に満ちた生き方、世界市民としての高い志を、若者の心に刻むことだ。

 


川野夏美ファンとなる

2023年09月05日 14時21分29秒 | 日記・断片

「九官鳥」を聞いて以来、川野夏美ファンとなる。

その後、ネットで「悲別~かなしべつ」「靴音」など繰り返し聞いている。
「納涼演歌まつり」(上野不忍池・水上音楽堂)では、初めて「赤い螢」を聞く。
最近は、「池上線」「鳥取砂丘」「じょんから女節」などのカバー曲をネットで聞き、歌のうまさに改めて感嘆するばかり!

思えば、「納涼演歌まつり」に初めて行ったのは2004年のことであり、会場で配布された団扇には、出演歌手の名前が記されているので懐かしい。

会場で買ったCDもかなりの枚数となった。


回顧九十年 福田 赳夫 (著)

2023年09月05日 11時17分50秒 | その気になる言葉
 
卒寿を迎えた元首相が,二・二六事件など大蔵官僚時代の秘話を交えながら,戦後政治の中枢にあった自らの活動を初めて回顧し,「安定成長」「政治は最高の道徳」「全方位平和外交」などの標語に象徴される政治・経済理念を情熱をこめて語る.
 
21世紀の地球社会を見すえて、みずからの人生哲学・政治経済理念を存分に語った初めての著作。
戦後50年に贈る貴重なドキュメント。
 
 
 
福田赳夫元首相は長い政治家人生を送った人で、何事にも迅速かつ淡白に対処したという印象がある。
私は幾人かの首相経験者や政治家の回顧録を読んできたが、味わい深さという点では宮沢喜一元首相が一番で、中曽根、村山、武村、野中などの回顧録はそれなりに面白かったという記憶がある。
本書は自身の長い経歴に歴史を絡めて語っているので、著者と同時代の歴史への入門書と受け止めて、ざっと読む価値はあると言えよう。
他のレヴューも指摘しているように、語りが平板で、掘り下げがないので、何事も深い理解に到達しないから全く物足りないのだが、回顧録はアシスタントが協力して作り上げるものとすれば、このような平板な回顧録にしたのは福田氏だけの責任とは言えないだろう。
幸か不幸か、本書には政治的行為の真実に到達した語りはないが、それは何事にも淡白な福田氏の人格にはふさわしいように思われる。
 
 
日本が戦争で借りたお金を 英国のとある誰かに値引きに行き 黒服の方々に囲まれ 断念した話 → を読みたいが まだ数ページしか読めていない。『失くした子供』は怖い。
 
 
いかに日本の政治家が国際金融資本から良いように扱われて来たかが解りました。
 
 
私は福田赳夫ファン。田中角榮に関する本は多いが、福田のものは少ない。出来事を時系列に無難に書いた感じ。
もっと本人しか知り得ない政治のどろどろした部分を書いてほしかった。
 
 
 福田の「昭和元禄」という言葉は有名だ。このほかにも「狂乱物価」など、実にうまい四文字熟語をつくっている。小泉首相ほど親しめる人柄ではなかったが、ワンワードポリティクスも実は、小泉首相は福田赳夫から受け継いだもののひとつではないか。福田はたびたび派閥解消を提唱している。
これは岸信介が提唱していた「機関中心の党運営」(p.150)を受け継いだものだ。
ここでも岸は小泉の祖父、福田は父という図式がみえるのではないか。
ちなみに、首相だった当時、自民党本部の9階に「リバティー・クラブ」という脱派閥を目指すためのクラブ施設をつくったが、小泉チルドレンたちが自民党の研修会を受けたのは、この「リバティー・クラブ」だった。小泉首相には、なんらかの感慨があったのではないか。
 政策通でもあるし、世の中に通る言葉ももっていたが、どこかひ弱いというか、泥臭くなれずに、政争では常に角栄にやられっぱなしだった印象の福田赳夫だが、そのDNAを強烈に受け継いだ小泉首相が旧田中派を事実上解体し「派閥解消による機関中心の党運営」「国民に負担を強いる緊縮財政」「自主憲法制定」という路線を易々と実行に移す姿をどう泉下から見つめているのだろうか。
 

評伝 福田赳夫: 戦後日本の繁栄と安定を求めて

2023年09月05日 10時47分20秒 | 社会・文化・政治・経済
 
 
" class="\"a-column" class="\"img-wrapper" id="\"igInner\"" class="\"maintain-height" style="\"height:200px;\">\n" id="\"igImage\">\n" class="\"a-popover-loading-wrapper" class="\"a-box" class="\"a-column" data-csa-c-id="7yv3um-k6zm2w-hmyzmh-vng9ai">「平和大国」をめざした外交活動を展開、抜群の政策能力で深刻な危機から日本経済を救い、戦後社会の安定に大きく貢献した福田赳夫元総理。
" class="\"a-column" class="\"img-wrapper" id="\"igInner\"" class="\"maintain-height" style="\"height:200px;\">\n" id="\"igImage\">\n" class="\"a-popover-loading-wrapper" class="\"a-box" class="\"a-column" data-csa-c-id="7yv3um-k6zm2w-hmyzmh-vng9ai">その理念・行動はどのようなものだったのか。
" class="\"a-column" class="\"img-wrapper" id="\"igInner\"" class="\"maintain-height" style="\"height:200px;\">\n" id="\"igImage\">\n" class="\"a-popover-loading-wrapper" class="\"a-box" class="\"a-column" data-csa-c-id="7yv3um-k6zm2w-hmyzmh-vng9ai">メモや日記などの未公開資料を活用、当時の関係者への丹念な聞き取りも行い、通俗的な誤解や偏見を排してその実像に迫った初の本格評伝。
 
 
 
 政治家福田赳夫が生きた時代、その時代に政策能力の高さをいかに発揮したのか理解できる書物
 
同郷の群馬3区で誇れる政治家です。
養蚕農家に生まれ神童であっても弱い者いじめせず、人を見下げたりしない、「義を見てせざるは勇無きなり」上州任侠の気質が政治家福田赳夫の政治思想の中に生きていたと思います。少し高価でしたが大変読み応えがありました。
 
カスタマー
 
戦前戦後から経済安定期に至るまでの背景がよくわかる                                                            
 
派手ではないが、確実にこの人がいなかったら当時の世界の中の日本経済はどうなっていたのか。
現代こそ、もっと評価されるべき政治家である。
 
風越太郎
 
立派な人、見事な記述。
 
各書評で高評価されている人と書き手、改めて言うことはない。
ただ会社勤めのころ、Nさんからは集金があるが、福田さんはないと聞いたことを記憶している。やはりそうかと納得した。
 
カスタマー
 評伝 福田赳夫: 戦後日本の繁栄と安定を求めて
 
福田元首相は,私が評価する数少ない政治家のひとりで,昨今のお粗末な日本のリーダー各位の言動を見るにつけ,今,彼が生きていたらと思うばかりです。久し振りに読み応えのある評伝を読みました。若い読者にも広く薦めたいと思います。
                       ー以 上ー
                      河本 康太郎  拝
 
ワンミ
 
父へのプレゼント
 
赳夫さんのこの時代に共に生きた父へプレゼントしました。オリンピックが終わったらゆっくり読もうと言ってます。
 
バードウォッチャー・ウォッチャー
 
 詳細な裏付けに基づき記述された、極めて良心的かつ内容の濃い福田赳夫評伝で、あらためて同氏の政策面での業績の偉大さと国を思う情熱、国のために尽くす志の偉大さに心打たれた
 
本書自体でも認めている様に、田中角栄や大平正芳と比して福田赳夫の本格的評伝は少なかった。
初めてのご本人のメモの解読も含め、詳細な裏付けに基づく福田赳夫研究の決定版ともいうべき本評伝で、あらためて同氏の日本経済の危機脱出の卓抜した功績、国を思う志と、高度成長と物質主義の蔓延に対する危機感を想い起させられた。
その清廉潔白な姿勢故に不幸にして肝心な節目での政争に敗れ、国を率いる期間が余りにも短かった。
これがその後、「失われた30年」という日本の経済社会の歩みにとって最大の不幸であったことを痛感させられる
 
カスタマー
 
「回顧九十年」の方が・・・・・・
 
かつて読んだ福田赳夫の回想本「回顧九十年」の方が、本人の意をよく汲み取っていて“名著”ではないか。
この新本は、高名な学者の監修のもと、弟子筋の気鋭の学者と元番記者、元秘書官の3人による合作。
新たなメモも盛り込んでいるという触れ込みで期待した。
しかし、あまりにも美化しすぎているうえに、肝心の「大福密約」の真相など重要な部分に関する言及の内容も薄く、驚くべき新事実は全くなかった。
むしろ執筆者たちが「偉人伝」とすべく、何かの力に気を遣い過ぎているような印象さえ受けた。
田中角栄に比べて語られてこなかった理由が、どうやらこの辺にありそうだとも感じた。
5年、10年、15年後にどのような評価になっているだろうか。
 
榎戸 誠
 
福田赳夫が、これほど魅力的な政治家だったとは
 
私は福田赳夫という政治家を誤解していたことを、『評伝 福田赳夫――戦後日本の繁栄と安定を求めて』(五百旗頭真監修、井上正也・上西朗夫・長瀬要石著、岩波書店)に教えられました。
 
私の誤解には、福田が岸信介の子分であったこと、大衆人気のある田中角栄の敵役だったことが大きく影響していたようです。
 
「自他共に認めるポスト佐藤(栄作)の最有力候補になった福田であったが、自民党総裁選で田中角栄の前にまさかの敗北を喫する。思わぬ回り道を経て、ようやく1976年に成立した福田政権は、経済を建て直し、外交・内政両面で着実な業績を上げ、長期安定政権になることが期待された。だが、初めて行われた自民党総裁予備選挙で、田中の支援を受けた大平正芳に敗れて不完全燃焼のまま退陣を余儀なくされたのである。金権選挙をほしいままにする田中政治に対し同じ手法での応酬を否定した結果であった」。
 
「福田の政治家としての最大の強みは、経済・財政政策の運営能力であった。実際、財政家としての福田の実力は戦後日本の政治家のなかでも卓抜していた。1960年代と70年代の経済危機は全て彼の手によって処理されたといっても過言ではない。福田は経済政策に関しては特定のブレーンに頼らず自ら対処を重ねた。そして、学説にとらわれず、あくまで実体経済の臨床医に徹した現実主義者であった。『(景気の)山髙ければ谷深し』の極意を、福田は昭和初期の若き官僚時代に仕えた井上準之助や高橋是清から学んだ。高橋財政の後継者を自負する福田は、好況期と不況期の双方にわたり、いわば日本経済の脈をとって誤まらなかった名医であった」。
 
「福田を見るうえでもう一点欠かせないのが、国際協調主義者としての側面である。・・・1977年のいわゆる『福田ドクトリン』に示されたように、経済的成功によって国際的地位を向上させた日本は、『軍事大国』の道を歩まず、『平和大国』の道を歩むべきだというのが彼の一貫した主張となった。諸外国との間に誤解や摩擦が絶えない中で、文化面から相互理解を深めるため国際交流基金を創設したのも福田であった」。
 
「しかしながら、こうした福田の実像は、これまで正確に描かれてきたとは言いがたい。戦後政治史をひもとくと、吉田茂を源流とし、池田勇人、佐藤栄作へと受け継がれた戦後保守政治の流れを『保守本流』と称し、これに対して、岸信介の流れを受けた福田は『傍流』と位置づけられることがある。・・・田中が日米関係を軋ませながら日中国交正常化と資源外交を展開したのに対し、福田は日米基軸を前提として丁寧に協議しつつ日中平和友好条約を結び、日本外交を平和的に全方位化しようとした。政策路線から言えば、福田の方が真の意味で『保守本流』と言えよう」。
 
「福田は、日本政治が国と公共に資することを見失い、良識から外れて金権政治や派閥政治にあけくれる姿に強い危機感を覚え、党改革の必要性を繰り返し訴えた。たとえ、自身を政治的苦境に追い込むことがわかっていても、筋の通らないものに対しては、決して信念を曲げようとしなかった」。
 
「福田はまた、権勢欲や虚栄心の少ない政治家であった。政治に倫理を求め、生活の浪費を戒め、政界の実力者になってもその質素な生活態度は何ら変わらなかった。豪邸や別荘を持つ政治家が珍しくないなか、福田は大蔵官僚を辞めて浪人時代を送っていた頃に購入した世田谷区野沢の自宅から生涯離れようとはしなかった。着る物や食事を含め、自分の身の回りのことにどちらかといえば無頓着であった。若き日の官僚時代から亡くなる直前まで、文字通り国のことを考え続けた人生であった」。
 
執筆・監修陣の福田への敬意溢れる力作です。
 
福田研究の第一期を画する労作
 
五百旗頭氏があとがきで述べるとおり、清和研の源流であり戦後政治史における保守勢力の雄でありながら、福田赳夫に関する研究や書物は意外なほど少ない。
回顧録である『回顧九十年』を除き、一般読者が入手できる評伝としてはおそらく初の著作だろう。
膨大な本人メモや政府文書、周辺人物への聞き取りを通じてまとめあげた五百旗頭氏と3人の著者に敬意を表したい。
 
本書の構成は、生い立ちから大蔵官僚期を経て政界に転ずるまでの第一部、岸派継承と池田との対立を経て、佐藤政権で財政家として台頭する第二部、角福戦争から三木おろしまでの第三部、福田政権の成立から大福対決を経て引退までの第四部からなる。
 
ライバルである田中や、再評価の進む大平を中心に描く書物が多い中で、いわば「福田の立場」から光をあてていく意味では、第三部から第四部が本書の華になるだろう。
例えば、三木おろしの際に交わされたとされるいわゆる大福密約についても、本書は宏池会の田中六助や鈴木善幸と、園田直らによる虚構とする立場に立つ。
今となって真実を知る術もないが、客観的な情勢を踏まえると本書の指摘にも一理あるように思われる。
 
一方で、福田の行動原理を知る意味では、第一部の大蔵官僚時代や、第二部の岸・池田政権期の重要性も見逃せない。
福田は経済面では一環した安定成長論者であり、蔵相として臨んだ65年不況への対応を皮切りに、「日本経済の趨勢的成長」の水準に景気変動をコントロールするカウンターシクリカルな財政運営を貫いている。
財政により潜在成長率の上下で景気変動をコントロールする、オールドケインジアンの王道を行くような思想である。
経済面では特定のブレーンを置かなかったとされる福田であるが、本書は大蔵官僚として経験した高橋財政の影響を指摘する。
社会全体に目を向けると「社会全体の均衡のとれた発展」への志向や、共同体主義的な思想も福田の特徴であるが、こうした点は、政界転身の際に岸信介と歩みを共にした時点から既に福田の中で確立していたようである。
いわゆる保守傍流には、岸をはじめとして戦前の革新派官僚も多く、統制経済に親和性を持つ点に本質があるが、福田が政界転身以前からそうした思想的背景を持っていたことは興味深い。
 
先行レビューにもあるとおり、全体的に本書の記述には贔屓の引き倒し感があることは否めない。
福田本人や周辺人物による証言を無批判に受け止めがちであり、時々の福田の考えや心理についても、史料の根拠に基づくものか著者の推測なのか判然としない記述が相応にある。
こうした難点はあるものの、福田研究の黎明期から第一期への発展を画する労作と評してよいのではないだろうか。
 
さきこマイラブ
 
 福田赳夫元首相の軌跡をたどる
 
 保守王国・群馬県が産んだ福田赳夫元首相(以下「福田元首相」という。)の評伝。
 福田元首相と言えば、東大、大蔵省、そして政界入りしてからは早くから総理・総裁候補として「政界のプリンス」と呼ばれた優秀な政治家である。
 本書は、福田元首相の生い立ちからいわゆる「四十日抗争」までの歴史を丹念に綴られており、貴重な一冊である。
 福田元首相の生涯は、まさに波瀾万丈であった。佐藤栄作退陣後の総裁選挙では政敵の田中角栄に敗れ、田中退陣後も「椎名裁定」で総理の座を三木武夫に奪われ、三木退陣後にようやく首相に就任し、「遅すぎた春」を迎えた。
 福田政権では、内政・外交共に精魂を傾け日中平和友好条約を結ぶなど成果を上げたが、ダッカ日航機ハイジャック事件ではテロの圧力に屈してしまったのは痛恨の極みであった。
 そしていわゆる「大福対決」と呼ばれた総裁選では、田中派の全面支援を受けた大平正芳に敗れた。現職の総裁が総裁選で敗れるのは史上初で、志半ばで総辞職し、「早く終わり過ぎた青春」と言われた。
 しかし、首相辞任後も政局の節目節目で存在感を発揮した。
 福田元首相というとタカ派のイメージが強いが、その素顔は平和主義者で、極めて有能な政治家であった。
 福田元首相の業績については、もっと評価されてしかるべきだと考えさせられた。
 
みーちゃん
 
 政治家・政治家を志す人そして全ての有権者に送る本
 
28%これは福田政権発足時の支持率、前政権末期の支持率をも下回る(P469)
そして在任期間は2年と決して長くはなかった
個人的には大学に入学した年に総理就任された訳であるが、財政通と言われながら赤字国債の発行・後には本会議欠席と私利私欲に囚われた官僚出身の政治家というのが本書を読むまでの私の印象であった
しかし、本書を読み進めていくとその印象は誤りであったことがわかった
「国家の公僕としての自覚に立ち、民主主義の根幹を確立するため、無限の忠誠心と雄健な精神で行動し、高度の文化生活、社会的公正、民主的秩序に向かって生命を捧げる。」(P462)
「指導者の第一の義務は、指導することである」(P656)等など政治家としての心構えといったことが記載され、その信念に基づく行動には時に損得勘定を超えるものであった
大蔵官僚として戦前の軍部の予算膨張圧力に懸命に立ち向かうその姿勢には、忖度のないこれぞ公僕といった心持ちには強く共感するものである
そして1987年宗政会議で「世界的な諸問題に関する声明」をまとめたことからも偽りのない福田氏の気持ちであったと言える(P698)
なお、新規の情報が少ないとのレビューコメントもあるが康夫氏保管の「福田メモ」を参考としているなど一次資料等への参照がなされた点は評価できるのではないか
 
今まさに、総裁選真っ最中であるが、福田氏の志を派閥に関わらず継ぐ者(特に党改革を主張している人達)が、誰かを本書を手元に置いて見守りたい
 
長谷川勤
 
 誠実な政治は、金力と数の論理で一時的には敗北したが、世界の中の日本を常に政策の根幹においていた。
 
待ち焦がれた評伝です。
2013年頃から長期間研究会を積み上げた水準の高い内容に、敬意を表しながら拝読。
歴史の審判に耐えうる政治手法、人となりは、今後の政治家のお手本になります。
あわせて戦後史の勉強にもなりました。
最大限の賞詞をもって満足の意を伝えたいと思います。
 

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 

 


日中平和友好条約

2023年09月05日 10時40分24秒 | 社会・文化・政治・経済
日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約


 日本国及び中華人民共和国は、
 千九百七十二年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、
 前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、
 国際連合憲章の原則が十分に尊重されるべきことを確認し、アジア及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、
 両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、
 平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。

 日本国     外務大臣 園田 直
 中華人民共和国 外交部長 黄  華

 これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。

第一条

1   両締約国は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
2 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。


第二条

 両締約国は、そのいずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇権を求めるべきではなく、また、このような覇権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

第三条

 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。

第四条

 この条約は、第三国との関係に関する各締約国の立場に影響を及ぼすものではない。

第五条

1   この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書の交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、2の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
2 いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。


 以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。

 千九百七十八年八月十二日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。

 日本国のために     園田 直(署名)
 中華人民共和国のために 黄  華(署名)