政治家福田赳夫が生きた時代、その時代に政策能力の高さをいかに発揮したのか理解できる書物
同郷の群馬3区で誇れる政治家です。
養蚕農家に生まれ神童であっても弱い者いじめせず、人を見下げたりしない、「義を見てせざるは勇無きなり」上州任侠の気質が政治家福田赳夫の政治思想の中に生きていたと思います。少し高価でしたが大変読み応えがありました。
カスタマー
戦前戦後から経済安定期に至るまでの背景がよくわかる
派手ではないが、確実にこの人がいなかったら当時の世界の中の日本経済はどうなっていたのか。
現代こそ、もっと評価されるべき政治家である。
風越太郎
立派な人、見事な記述。
各書評で高評価されている人と書き手、改めて言うことはない。
ただ会社勤めのころ、Nさんからは集金があるが、福田さんはないと聞いたことを記憶している。やはりそうかと納得した。
カスタマー
評伝 福田赳夫: 戦後日本の繁栄と安定を求めて
福田元首相は,私が評価する数少ない政治家のひとりで,昨今のお粗末な日本のリーダー各位の言動を見るにつけ,今,彼が生きていたらと思うばかりです。久し振りに読み応えのある評伝を読みました。若い読者にも広く薦めたいと思います。
ー以 上ー
河本 康太郎 拝
ワンミ
父へのプレゼント
赳夫さんのこの時代に共に生きた父へプレゼントしました。オリンピックが終わったらゆっくり読もうと言ってます。
バードウォッチャー・ウォッチャー
詳細な裏付けに基づき記述された、極めて良心的かつ内容の濃い福田赳夫評伝で、あらためて同氏の政策面での業績の偉大さと国を思う情熱、国のために尽くす志の偉大さに心打たれた
本書自体でも認めている様に、田中角栄や大平正芳と比して福田赳夫の本格的評伝は少なかった。
初めてのご本人のメモの解読も含め、詳細な裏付けに基づく福田赳夫研究の決定版ともいうべき本評伝で、あらためて同氏の日本経済の危機脱出の卓抜した功績、国を思う志と、高度成長と物質主義の蔓延に対する危機感を想い起させられた。
その清廉潔白な姿勢故に不幸にして肝心な節目での政争に敗れ、国を率いる期間が余りにも短かった。
これがその後、「失われた30年」という日本の経済社会の歩みにとって最大の不幸であったことを痛感させられる
カスタマー
「回顧九十年」の方が・・・・・・
かつて読んだ福田赳夫の回想本「回顧九十年」の方が、本人の意をよく汲み取っていて“名著”ではないか。
この新本は、高名な学者の監修のもと、弟子筋の気鋭の学者と元番記者、元秘書官の3人による合作。
新たなメモも盛り込んでいるという触れ込みで期待した。
しかし、あまりにも美化しすぎているうえに、肝心の「大福密約」の真相など重要な部分に関する言及の内容も薄く、驚くべき新事実は全くなかった。
むしろ執筆者たちが「偉人伝」とすべく、何かの力に気を遣い過ぎているような印象さえ受けた。
田中角栄に比べて語られてこなかった理由が、どうやらこの辺にありそうだとも感じた。
5年、10年、15年後にどのような評価になっているだろうか。
榎戸 誠
福田赳夫が、これほど魅力的な政治家だったとは
私は福田赳夫という政治家を誤解していたことを、『評伝 福田赳夫――戦後日本の繁栄と安定を求めて』(五百旗頭真監修、井上正也・上西朗夫・長瀬要石著、岩波書店)に教えられました。
私の誤解には、福田が岸信介の子分であったこと、大衆人気のある田中角栄の敵役だったことが大きく影響していたようです。
「自他共に認めるポスト佐藤(栄作)の最有力候補になった福田であったが、自民党総裁選で田中角栄の前にまさかの敗北を喫する。思わぬ回り道を経て、ようやく1976年に成立した福田政権は、経済を建て直し、外交・内政両面で着実な業績を上げ、長期安定政権になることが期待された。だが、初めて行われた自民党総裁予備選挙で、田中の支援を受けた大平正芳に敗れて不完全燃焼のまま退陣を余儀なくされたのである。金権選挙をほしいままにする田中政治に対し同じ手法での応酬を否定した結果であった」。
「福田の政治家としての最大の強みは、経済・財政政策の運営能力であった。実際、財政家としての福田の実力は戦後日本の政治家のなかでも卓抜していた。1960年代と70年代の経済危機は全て彼の手によって処理されたといっても過言ではない。福田は経済政策に関しては特定のブレーンに頼らず自ら対処を重ねた。そして、学説にとらわれず、あくまで実体経済の臨床医に徹した現実主義者であった。『(景気の)山髙ければ谷深し』の極意を、福田は昭和初期の若き官僚時代に仕えた井上準之助や高橋是清から学んだ。高橋財政の後継者を自負する福田は、好況期と不況期の双方にわたり、いわば日本経済の脈をとって誤まらなかった名医であった」。
「福田を見るうえでもう一点欠かせないのが、国際協調主義者としての側面である。・・・1977年のいわゆる『福田ドクトリン』に示されたように、経済的成功によって国際的地位を向上させた日本は、『軍事大国』の道を歩まず、『平和大国』の道を歩むべきだというのが彼の一貫した主張となった。諸外国との間に誤解や摩擦が絶えない中で、文化面から相互理解を深めるため国際交流基金を創設したのも福田であった」。
「しかしながら、こうした福田の実像は、これまで正確に描かれてきたとは言いがたい。戦後政治史をひもとくと、吉田茂を源流とし、池田勇人、佐藤栄作へと受け継がれた戦後保守政治の流れを『保守本流』と称し、これに対して、岸信介の流れを受けた福田は『傍流』と位置づけられることがある。・・・田中が日米関係を軋ませながら日中国交正常化と資源外交を展開したのに対し、福田は日米基軸を前提として丁寧に協議しつつ日中平和友好条約を結び、日本外交を平和的に全方位化しようとした。政策路線から言えば、福田の方が真の意味で『保守本流』と言えよう」。
「福田は、日本政治が国と公共に資することを見失い、良識から外れて金権政治や派閥政治にあけくれる姿に強い危機感を覚え、党改革の必要性を繰り返し訴えた。たとえ、自身を政治的苦境に追い込むことがわかっていても、筋の通らないものに対しては、決して信念を曲げようとしなかった」。
「福田はまた、権勢欲や虚栄心の少ない政治家であった。政治に倫理を求め、生活の浪費を戒め、政界の実力者になってもその質素な生活態度は何ら変わらなかった。豪邸や別荘を持つ政治家が珍しくないなか、福田は大蔵官僚を辞めて浪人時代を送っていた頃に購入した世田谷区野沢の自宅から生涯離れようとはしなかった。着る物や食事を含め、自分の身の回りのことにどちらかといえば無頓着であった。若き日の官僚時代から亡くなる直前まで、文字通り国のことを考え続けた人生であった」。
執筆・監修陣の福田への敬意溢れる力作です。
福田研究の第一期を画する労作
五百旗頭氏があとがきで述べるとおり、清和研の源流であり戦後政治史における保守勢力の雄でありながら、福田赳夫に関する研究や書物は意外なほど少ない。
回顧録である『回顧九十年』を除き、一般読者が入手できる評伝としてはおそらく初の著作だろう。
膨大な本人メモや政府文書、周辺人物への聞き取りを通じてまとめあげた五百旗頭氏と3人の著者に敬意を表したい。
本書の構成は、生い立ちから大蔵官僚期を経て政界に転ずるまでの第一部、岸派継承と池田との対立を経て、佐藤政権で財政家として台頭する第二部、角福戦争から三木おろしまでの第三部、福田政権の成立から大福対決を経て引退までの第四部からなる。
ライバルである田中や、再評価の進む大平を中心に描く書物が多い中で、いわば「福田の立場」から光をあてていく意味では、第三部から第四部が本書の華になるだろう。
例えば、三木おろしの際に交わされたとされるいわゆる大福密約についても、本書は宏池会の田中六助や鈴木善幸と、園田直らによる虚構とする立場に立つ。
今となって真実を知る術もないが、客観的な情勢を踏まえると本書の指摘にも一理あるように思われる。
一方で、福田の行動原理を知る意味では、第一部の大蔵官僚時代や、第二部の岸・池田政権期の重要性も見逃せない。
福田は経済面では一環した安定成長論者であり、蔵相として臨んだ65年不況への対応を皮切りに、「日本経済の趨勢的成長」の水準に景気変動をコントロールするカウンターシクリカルな財政運営を貫いている。
財政により潜在成長率の上下で景気変動をコントロールする、オールドケインジアンの王道を行くような思想である。
経済面では特定のブレーンを置かなかったとされる福田であるが、本書は大蔵官僚として経験した高橋財政の影響を指摘する。
社会全体に目を向けると「社会全体の均衡のとれた発展」への志向や、共同体主義的な思想も福田の特徴であるが、こうした点は、政界転身の際に岸信介と歩みを共にした時点から既に福田の中で確立していたようである。
いわゆる保守傍流には、岸をはじめとして戦前の革新派官僚も多く、統制経済に親和性を持つ点に本質があるが、福田が政界転身以前からそうした思想的背景を持っていたことは興味深い。
先行レビューにもあるとおり、全体的に本書の記述には贔屓の引き倒し感があることは否めない。
福田本人や周辺人物による証言を無批判に受け止めがちであり、時々の福田の考えや心理についても、史料の根拠に基づくものか著者の推測なのか判然としない記述が相応にある。
こうした難点はあるものの、福田研究の黎明期から第一期への発展を画する労作と評してよいのではないだろうか。
さきこマイラブ
福田赳夫元首相の軌跡をたどる
保守王国・群馬県が産んだ福田赳夫元首相(以下「福田元首相」という。)の評伝。
福田元首相と言えば、東大、大蔵省、そして政界入りしてからは早くから総理・総裁候補として「政界のプリンス」と呼ばれた優秀な政治家である。
本書は、福田元首相の生い立ちからいわゆる「四十日抗争」までの歴史を丹念に綴られており、貴重な一冊である。
福田元首相の生涯は、まさに波瀾万丈であった。佐藤栄作退陣後の総裁選挙では政敵の田中角栄に敗れ、田中退陣後も「椎名裁定」で総理の座を三木武夫に奪われ、三木退陣後にようやく首相に就任し、「遅すぎた春」を迎えた。
福田政権では、内政・外交共に精魂を傾け日中平和友好条約を結ぶなど成果を上げたが、ダッカ日航機ハイジャック事件ではテロの圧力に屈してしまったのは痛恨の極みであった。
そしていわゆる「大福対決」と呼ばれた総裁選では、田中派の全面支援を受けた大平正芳に敗れた。現職の総裁が総裁選で敗れるのは史上初で、志半ばで総辞職し、「早く終わり過ぎた青春」と言われた。
しかし、首相辞任後も政局の節目節目で存在感を発揮した。
福田元首相というとタカ派のイメージが強いが、その素顔は平和主義者で、極めて有能な政治家であった。
福田元首相の業績については、もっと評価されてしかるべきだと考えさせられた。
みーちゃん
政治家・政治家を志す人そして全ての有権者に送る本
28%これは福田政権発足時の支持率、前政権末期の支持率をも下回る(P469)
そして在任期間は2年と決して長くはなかった
個人的には大学に入学した年に総理就任された訳であるが、財政通と言われながら赤字国債の発行・後には本会議欠席と私利私欲に囚われた官僚出身の政治家というのが本書を読むまでの私の印象であった
しかし、本書を読み進めていくとその印象は誤りであったことがわかった
「国家の公僕としての自覚に立ち、民主主義の根幹を確立するため、無限の忠誠心と雄健な精神で行動し、高度の文化生活、社会的公正、民主的秩序に向かって生命を捧げる。」(P462)
「指導者の第一の義務は、指導することである」(P656)等など政治家としての心構えといったことが記載され、その信念に基づく行動には時に損得勘定を超えるものであった
大蔵官僚として戦前の軍部の予算膨張圧力に懸命に立ち向かうその姿勢には、忖度のないこれぞ公僕といった心持ちには強く共感するものである
そして1987年宗政会議で「世界的な諸問題に関する声明」をまとめたことからも偽りのない福田氏の気持ちであったと言える(P698)
なお、新規の情報が少ないとのレビューコメントもあるが康夫氏保管の「福田メモ」を参考としているなど一次資料等への参照がなされた点は評価できるのではないか
今まさに、総裁選真っ最中であるが、福田氏の志を派閥に関わらず継ぐ者(特に党改革を主張している人達)が、誰かを本書を手元に置いて見守りたい
長谷川勤
誠実な政治は、金力と数の論理で一時的には敗北したが、世界の中の日本を常に政策の根幹においていた。
待ち焦がれた評伝です。
2013年頃から長期間研究会を積み上げた水準の高い内容に、敬意を表しながら拝読。
歴史の審判に耐えうる政治手法、人となりは、今後の政治家のお手本になります。
あわせて戦後史の勉強にもなりました。
最大限の賞詞をもって満足の意を伝えたいと思います。