自公で相互補完「改革志向の政治」を期待

2023年09月24日 09時08分58秒 | 社会・文化・政治・経済

最近の国政選では、第1党の自民党でも投票率は30%台前半、絶対投票率では2割を切っています。

今後も連立政権は続くでしょう。

そうした中、相対多数の政党だけが議席を得る小選挙区制のデメリットを補っているのが連立パートナーである公明党です。

自民候補が「防衛」や「税制改革」「安保保障」などに積極的であるのに対し、公明党は「社会福祉」や「教育「中小企業」などに力点が置かれていました。

外交・安全保障を重視する自民党に対して、公明党は生活者の視点を重視し、相互補完する役割を果たしていたのです。その結果、自公政権は本来であれば野党が訴える政策を先取りしてきました。

公明党は連立パートナーとして重要な役割を果たしていますが、その存在の大きさが、なかなか見えづらい。

例えば、自民党の憲法改正に(公明党が)ブレーキをかけたとしても、一般の人にはわからない。

何か現状を変える話ではないからだ。

有権者に各政党のイメージを聞いた私たちの調査では、公明党は自民党と共に<現状維持>の政党と思われていました。

本来(公明党)は<改革志向>の政党であるにもかかわらず、政権与党であるため、改革のイメージが持たれていないのです。

公明党は若い支持者が年々減り、高齢者に偏った政党になっていることも明らかになっています。

これらの課題を解決するには、若い世代の抱える切実な問題に、公明主導で目に見える成果を出すことが必要でしょう。

生活に密着したテーマこそ公明党の出番です。

大胆な政策を打ち出し、改革志向の政党であることをアピールしてもらいたいと期待しています。

慶応義塾大学 小林良彰名誉教授

 

 


アイヒマンと日本人

2023年09月24日 08時11分30秒 | 社会・文化・政治・経済
 
山崎 雅弘 (著) 
 
「まじめ」を隠れ蓑にした「思考停止」の罪

1942年1月20日、「ユダヤ人問題の最終的解決」を話し合う政府合同会議が、ベルリン郊外のヴァン湖畔で開かれた。いわゆる「ヴァンゼー会議」である。
国家保安本部長官ハイドリヒ親衛隊大将など錚々たる幹部が出席した同会議に、事務方として参加していたのが、アドルフ・アイヒマンである。
アイヒマンは、支配地域で増え続けるユダヤ人を負担とみなし、効率よく殺害する計画策定で大きな役割を果たした。
そして、戦後は南米に逃亡するも捕えられ、イスラエルでの裁判の結果、死刑に処せられた。
本書は、法廷で「命令に従うしかなかった」と述べ、自らを正当化したアイヒマンの生涯を追い、従順さが内包する危険性について警鐘を鳴らす。
上位者の命令に対して従順な国民性を持つ日本人こそ必読。

■目次
第一章 アドルフ・アイヒマンとは何者か
第二章 ナチスのユダヤ人迫害政策と「ヴァンゼー会議」
第三章 ホロコーストを「効率化」したアイヒマン
第四章 国外逃亡と捕縛、エルサレムでの裁判
第五章 日本人の中にもある「アイヒマン的なまじめさ」

山崎雅弘
1967年大阪府生まれ。戦史・紛争史研究家。
主な著書に『この国の同調圧力』(SB新書)、『ある裁判の戦記』(かもがわ出版)、『第二次世界大戦秘史』『太平洋戦争秘史』(ともに朝日新書)、『[増補版]戦前回帰』(朝日文庫)、『「天皇機関説」事件』『歴史戦と思想戦』『未完の敗戦』(以上、集英社新書)ほか多数。政治問題の論考も新聞・雑誌に寄稿。
 
 
アルドフ・アイヒマンは真面目な人だった。
1961年のエルサレムで行われた裁判では。「わたしは命令を遂行せざるを得ませんでした」と、ホロコーストに対して、自分には責任がないという自己弁明の姿勢を固辞した。「まじめに仕事をしただけ」だ、と。
だが、生命尊厳への深い理解がなかったとも言及できる。
「障害者には価値がない」という誤った発想にも通じる。
つまり、他者への理解が及ばないと自分勝手な人間になるし、悪魔のような人間にもなるのだ。
典型的な自己正当化に過ぎない。
 
アイヒマンの生涯とその裁判での答弁から21世紀の日本人はどのような教訓を得るべきか。
著者は、警戒を促している。
上司の命令に従い、犯罪を犯す場合えさあるのだ。
 
公文書を改ざんした官僚は「小アイヒマン」。
性被害に沈黙してきた芸能事務所。
中古車販売大手のビッグモーターは、顧客の車の修理を行う際に、わざと車を傷付けるなどして保険金を不正に請求していた。
人間はやはり、<まじめだけではダメ!>なのだ。
 
オットー・アドルフ・アイヒマン(ドイツ語Otto Adolf Eichmann1906年3月19日 - 1962年6月1日)は、ドイツ親衛隊隊員。最終階級は親衛隊中佐

ゲシュタポのユダヤ人移送局長官で、アウシュヴィッツ強制収容所 (収容所所長はルドルフ・フェルディナント・ヘス (=ルドルフ・へース)) へのユダヤ人大量移送に関わった

ユダヤ人問題の最終的解決」 (ホロコースト) に関与し、数百万人におよぶ強制収容所への移送に指揮的役割を担った。

第二次世界大戦後はアルゼンチンで逃亡生活を送ったが、1960年にイスラエル諜報特務庁 (モサド) によってイスラエルに連行された。

1961年4月より人道に対する罪戦争犯罪の責任などを問われて裁判にかけられ、同年12月に有罪、死刑判決が下され、翌年5月に絞首刑に処された。

 

 
ナチによるユダヤ人の虐殺は、アイヒマンという優秀な軍事官僚によりおこなわれた。そしてこのアイヒマン的人間は実は貴方かも私かも知れないという。
日本の教育は私の実感では戦後数十年は、民主的で生徒の自主性を尊重するものだった。ところが子供たちの時代になると特に中学校の教育はやたらと校則が多く「何だか戦前の教育っぽいなあ」とよく感じていた。
最近はますます「新たな戦前の教育」となってるかに聞く。この国の未来は私たち自身がしかとした信念に生きているかにかかっている。自分は正しい価値判断基準をはたして持っているのだろうか、と時々点検をしつつこれからを生きねば、禍根を残すような時代となっている。
 
 
アイヒマンと日本人の共通点をどのように解明してくれるのか期待して読んだが、全くの期待外れだった。アイヒマンは上司に好かれようとしてやった、日本人もだいたいそうだよねという誠に雑な論理展開。前半5分の4ぐらいで展開するアイヒマンの半生も、ほとんどがどこかで読んだ内容で新味はなし。
 
 

どこかで一度は目にしたことのある様なアイヒマンの生涯に紙面の99%に費やされ、肝心の日本人とアイヒマンという論点に対する考察は、「真面目で上司の言うことを聞く」という雑すぎる点に集約されてるだけ。

99%の紙面が割かれたアイヒマンの生涯も、ただ単に淡々と史実が書いてあるに過ぎず、「業務遂行」を至上命題として職制を遂げる様子も描写が弱ければ、巻末に唐突に出てくる「出世欲の強い人間」という描写も特段無い。

要するに、これまで明らかになってるアイヒマンの生涯や普通が故の異常さ(悪の陳腐さ)に関してオリジナリティの無い本。