「たかねの花」という言葉があります。
この「たかね」は紙面では「高根」としています。
ですが「高嶺」の誤りでは、というご質問をよくいただきます。 「高根の花」という表記は、日本新聞協会の新聞用語集でもそう取り決めています。 新聞用語集は、新聞だけでなく通信社や放送局も含めた用語懇談会という組織で合意されたものですから、かなりの数の報道機関が「高根の花」としているはずです。
1月6日午前6時からCSテレビのザ・シネマで観た。
あらすじ
南北戦争終結後も西部では白人とインディアンの闘争が続いていた。
希望に燃えて西部に向かった英雄ワイルド・ビルは恋人カラミティ・ジェーンと共にインディアンに武器を密売しているラティマー一味の争いに巻き込まれてしまう。
主人公は最後に背後から射殺され、呆気なく映画ドラマは終わった。
平原児 | |
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The Plainsman | |
監督 | セシル・B・デミル |
脚本 | ウォルデマー・ヤング ハロルド・ラム リン・リッグス |
原案 | コートニー・ライリー・クーパー |
原作 | フランク・J・ウィルスタック |
製作 | セシル・B・デミル |
出演者 | ゲイリー・クーパー ジーン・アーサー |
音楽 | ジョージ・アンタイル |
撮影 | ヴィクター・ミルナー |
編集 | アン・ボーチェンズ |
製作会社 | パラマウント映画 |
配給 | パラマウント映画 パラマウント映画 |
公開 | 1936年11月16日 1937年3月 |
上映時間 | 113分 |
製作国 | アメリカ合衆国 |
言語 | 英語 |
製作費 | 974,800ドル |
『平原児』(へいげんじ、原題:The Plainsman)は、1936年制作のアメリカ合衆国の西部劇映画。セシル・B・デミル監督。
西部開拓史上の伝説的ガンマン、ワイルド・ビル・ヒコックとカラミティ・ジェーンを描いた作品で、ゲイリー・クーパーとジーン・アーサーが『オペラハット』に続いて再共演している。
著作権保護期間が満了したため、パブリックドメインとなっている。
あらすじ
1865年、リンカーン大統領暗殺事件が起きた頃、中西部を熟知している快男子ワイルド・ビル・ヒコックが、親友のバッファロー・ビル・コディとその新妻ルイーザと共に西へ向かっていた。ビルは途中で、恋人のカラミティ・ジェーンと再会した。
やがて、彼らはカスター将軍とインディアンとの戦いに巻き込まれ、数奇な運命を辿ることになる。
キャスト
役名 | 俳優 | |
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ワイルド・ビル・ヒコック | ゲイリー・クーパー | |
カラミティ・ジェーン | ジーン・アーサー | |
バッファロー・ビル | ジェームズ・エリソン | |
ルイーザ・コーディ | ヘレン・バージェス | |
ジョン・ラティマー | チャールズ・ビックフォード | |
ジャック・マッコール | ポーター・ホール | |
イエロー・ハンド | ポール・ハーヴェイ | |
カスター将軍 | ジョン・ミルジャン | |
ペインテッド・ホース | ヴィクター・ヴァルコニ | |
ジョージ・アームストロング・カスター | ジョン・ミルジャン | |
インディアン | アンソニー・クイン | |
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軽蔑 (1963年の映画)
解説
名匠ジャン=リュック・ゴダールがスター女優ブリジット・バルドーを主演に迎えて手がけた長編第6作。イタリア人作家アルベルト・モラビアの同名小説をもとに、ある夫婦に訪れる愛の終焉を、斜陽化の進むヨーロッパ映画産業の問題と絡ませながら描いた。
脚本家のポールは映画プロデューサーのプロコシュから、フリッツ・ラングが監督する大作映画「オデュッセイア」の脚本の手直しを依頼される。ポールと妻で女優のカミーユはプロコシュの自宅へ招かれるが、ポールが遅れて到着するとカミーユの態度はなぜか豹変しており、彼に対して軽蔑のまなざしを向ける。やがてポールとカミーユは映画のロケのため、カプリ島にあるプロコシュの別荘を訪れるが……。脚本家ポール役を「昼顔」のミシェル・ピッコリ、映画プロデューサーのプロコシュ役を「シェーン」のジャック・パランスが演じる。
巨匠フリッツ・ラング監督が本人役で出演。日本初公開は1964年。2017年9月にデジタルリマスター版が公開。2023年11月には60周年4Kレストア版で公開。
1963年製作/104分/G/フランス・イタリア・アメリカ合作
原題:Le mepris
1月6日午前4時からCSテレビのザ・シネマで観た。
女性の複雑な感情に支配されてゆく男は、常に部屋の中でも、寝床でも帽子をかぶっているのだ。
それが違和感である。
笑顔を見せな不機嫌な、顔の悪魔的な女はブリジット・バルドーのはまり役だ。
あくまでも冷淡で、軽蔑的な態度に終始していて、愛すべき女のタイプではない。
心が敢然と冷めて愛を失っていく女の大きく見開かれた目と態度、言葉の羅列であり、映画を観ていてうんざりした。
Le Mépris | |
ゴダールの長篇劇映画第6作である。アルベルト・モラヴィアの同名小説を原作に、当時、2年前に結婚したばかりの妻アンナ・カリーナとの愛の問題に苦悩したゴダールが、自己を投影し、愛の不可能性を描いた[1]。当時の日本同様、斜陽化著しいヨーロッパの映画産業での映画づくりを描き、ハリウッド一辺倒の世界への不安も描かれている[1]。ドイツのサイレント映画の巨匠で、戦後アメリカのB級映画作家となったフリッツ・ラングが本人役で出演し、愛の問題にも映画産業の問題にも的確な言説を吐いている[1]。
本作は1963年4月から5月に、イタリア南部・カンパニア州ナポリ県にあるカプリ島、およびラツィオ州にあるローマ市内のイタリア国立撮影所チネチッタでロケーション撮影が行われた。
アメリカ人プロデューサーとの撮影が頓挫するフリッツ・ラングは、劇中で映画『オデュッセイア』を撮ろうとしているが、現実世界のラングは、1960年の『怪人マブゼ博士』以降の監督作はなく、同作が遺作になっている。ゴダールがラングの助監督として本作に登場している。
本作は、フランスより先にイタリアで公開されたが、イタリア版では、ジョルジュ・ドルリューの音楽が、ピエロ・ピッチオーニの軽快なジャズに差し替えられて公開された。
ストーリー
女優カミーユ・ジャヴァル(ブリジット・バルドー)と脚本家のポール・ジャヴァル(ミシェル・ピッコリ)は夫婦である。夜、ふたりのアパルトマンのベッドルームでの会話は無意味、でもそれは夫婦らしいものであった。
翌朝、ポールはアメリカから来た映画プロデューサー、ジェレミー・プロコシュ(ジャック・パランス)と会った。ジェレミーはフリッツ・ラング(本人)が現在撮影中の映画『オデュッセイア』があまりにも難解であるとし、この脚本のリライトをポールに発注してきた。昼になって、カミーユが現れ、夫妻はジェレミーに自宅に誘われた。自宅でジェレミーは、カミーユをカプリ島でのロケーション撮影に来ないかと言う。それは夫が決めること、とカミーユは答えた。
アパルトマンに帰った後のポールとカミーユは、なぜかしっくりこない。夜、ふたりは別々の部屋で寝ることになる。ジェレミーから再び、カミーユへのロケのオファーの電話があった。ポールはポールで、本人次第だと答えてしまう。電話の後で激したカミーユは、ポールを軽蔑すると言い放つ。ジェレミーの誘いで映画館に行った後、カミーユはオファーを承諾した。
カプリ島。ここにはジェレミーの別荘がある。撮影現場でラング監督とはやはりうまくいかないジェレミーは、カミーユに、別荘へ戻ろうと言う。カミーユはポールを一瞥するが、ポールは、カミーユがジェレミーと別荘に帰ることを軽く承諾した。ポールは、それよりも、ラング監督との映画『オデュッセイア』の問題について議論をつづけたいのだ。
遅れて別荘に着いたポールは、カミーユに、あの日ポールに言い放った「軽蔑」ということばの真意を問いただす。答えはなかった。
翌朝、ポールに手紙が届く。そのカミーユからの手紙には、ジェレミーとローマへ発つと書かれていた。おなじころ、ハイウェイで派手な衝突事故が起きていた。大型車にぶつかり大破したスポーツカーには、血まみれの男女の死体があった。ジェレミーとカミーユの変わり果てた姿であった。
スタッフ
監督・脚本:ジャン=リュック・ゴダール
撮影監督:ラウール・クタール
原作:アルベルト・モラヴィア
録音:ウィリアム・ロバート・シヴェル
編集:アニエス・ギュモ
スクリプター:シュザンヌ・シフマン
音楽:ジョルジュ・ドルリュー / ピエロ・ピッチオーニ (イタリア・スペイン版)
助監督:シャルル・L・ビッチ
製作主任:フィリップ・デュサール、カルロ・ラストリカッティ
パブリシスト:アニー・ショヴェ、ベルトラン・タヴェルニエ
プロデューサー:ジョルジュ・ド・ボールガール、カルロ・ポンティ、ジョゼフ・E・レヴィーン
製作:ローマ・パリ・フィルム、レ・フィルム・コンコルディア、コンパニア・チネマトグラフィカ・カンピオン
キャスト
役名 | 俳優 | ||
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カミーユ・ジャヴァル(女優) | ブリジット・バルドー | ||
ポール・ジャヴァル(脚本家) | ミシェル・ピコリ | ||
ジェレミー・プロコシュ(映画プロデューサー) | ジャック・パランス | ||
フランチェスカ・ヴァニーニ | ジョルジア・モル | ||
フリッツ・ラング(映画監督) | フリッツ・ラング[2] | ||
ラングの助監督 | ジャン=リュック・ゴダール | ||
撮影監督 | ラウール・クタール | ||
シレン | リンダ・ベラス |
G Ⅲ 大宮競輪 東日本発祥倉茂記念杯
初日(1月5日)
レース評 5-1-6 2-9-4 3-7-8
愛媛両者はG1常連。渡部にキレが戻っているので差す方からだが、松本が捲ってそのままのケースも十分だろう。他は劣勢。
1番人気 5-1(2・8倍) 2番人気 1-5(3・1倍)
結果 6-3 10万6,890円(66番人気) 6-3-9 107万3,380円(412
予 想 |
着 順 |
車 番 |
選手名 | 着差 | 上り | 決ま り手 |
S / B |
勝敗因 |
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注 | 1 | 6 | 山本 拳也 | 14.2 | 差 | 最後方強襲 | ||
2 | 3 | 田口 勇介 | 1/2車輪 | 14.8 | 逃 | B | カマシ粘る | |
× | 3 | 9 | 杉本 正隆 | 3/4車輪 | 14.5 | 前不発も伸 | ||
◎ | 4 | 1 | 渡部 哲男 | 1/4車輪 | 14.4 | 直線突込も | ||
▲ | 5 | 7 | 小野 大介 | 1車輪 | 14.8 | S | 外振り一杯 | |
○ | 6 | 5 | 松本 貴治 | 1車輪 | 14.6 | 内突詰まる | ||
7 | 8 | 山田 敦也 | 3/4車身 | 14.8 | 先制3番手 | |||
8 | 4 | 古川 尚耶 | 3/4車身 | 14.7 | 不発ライン | |||
△ | 9 | 2 | 山口 翼 | 3車身 | 15.2 | 捲り進まず |
戦い終わって
七番車の小野大介が前を取り、初周は北日本、四国、栃茨の順番でレースが進む。
初めに栃茨勢が抑え、打鐘4コーナーで四国の松本貴治がさらに抑えると、北日本の先頭田口勇介が一気に叩いて先行。
栃茨の先頭山口翼が巻き返すもなかなか捲れず、松本は内に詰まった状態。
そのまま田口が押し切るかの所で、四国三番手でバックドン尻の山本拳也が空いたコースを突いて大外一気に伸びて大波乱を演出。
「良かったです。いいお年玉ですね。踏み出したのは4コーナー。前の二人の動きをしっかり見てから。渡部哲男さんを追っていけば何とかしてくれると思ったし。実際以前S級で走っていた時よりレベルアップして帰ってこられたと思います」。
あわや押し切りのところで二着になってしまった田口は「やっぱり前からの方がやりやすかったです。前回欠場していた分、ここに合わせて練習ができました。こういうメンバーで勝ち上がれたのは自信になります」。
山口に乗り中を伸びた杉本正隆は「山口君が頑張ってくれました。いい勢いだったし、自分がもっと伸びないとね。体調はいつも通りだし、気持ちの問題かな?」。