生きる言葉

2024年01月22日 23時01分13秒 | その気になる言葉

継続は力

負けてもともと

思いどうりにどう生き方か人生は長ではない

波は乗るものではなく起こすことだ

その方がはるかに面白い 自分が波を起こす

今を生きる 今やっていることに没頭し楽しむ

自分が人から期待されている―その期待にこたえる

人生に正解はない

先のことは分からない

やってみないと答えは出ない

チャンスの波に乗る

悩んでいるならともかくやりなさい

後悔することに意味がある

人生に無駄はない

何ができるの?

だってそれしかできないもの

何を持っていないのに持っているように見せない

自分の幸せを置いておく

人の幸せのために何かをする

忘己利他

誰かを幸せにするために生きてきたのよ

一番暗い時は、日の出に近いのだ

生きていて大きなことをやるのなら、今でしょ

 

物事を、よりリアルに伝える手段とは何か?

「今までのように首相が知らない秘密はあり得ない」と安倍晋三首相は述べた。

秘密法案 来年の時期通常国会以降「修正する」との回答は54.1%、「廃止する」28.2%、合わせて82.2%に上った。共同通信の世論調査。

秘密法案の採決が強行された12月5日の参議院特別委員会で質疑打ち切りの緊急動議を提出した自民党議員は元プロ野球選手。

特定秘密の指定が政権の意向に支配される可能性が高い。

行政機関が歴史の検証の道を閉ざす恐れがある。

行政文書は国民共有の知的資源だ。日本アーカイブズ学会副会長・安藤正人さん

物事を、よりリアルに伝える手段とは何か?

新聞記事とか写真、映像だろうか?

何かをより強く、深く伝えたいのであれば、それはむしろ「文学」であり、それを読み上げる「肉声」でないないか。 京都大学大学院教授(現代アラブ文学研究)・岡真理さん

「幾多の災難の嵐が襲おうとしても、決意を固めた革命的闘士を押し流すことはできない。また、悲惨をもたらす不幸の連続も、その人を苦しめることはできないと確信する」 南アフリカのマンデラ元大統領

「現実は大変ですが、断じてあきらめることはありません。なぜなら、困難を乗り越える力は、自分自身の中にあるからです。私たちが社会で生き生きと光れば、アフリカの世紀は輝きます」 ☆ケニアの難民キャンプでは、全てを失う中で、なお、笑顔を忘れず、励まし合う人々がいた。 その人々の心の強さに衝撃を受けた。

そして、「どのような境遇にあっても、微笑みを忘れない教育者になろう」と誓った。カナダ・ゲルフ大学のサンマリー学長

「正しいことなら、いつでも真っすぐ伝わるはず」と過信した教師は、生徒に厳しく接した。

強い口調で叱責し、注意の言葉にも次第に感情が入り、乱暴になってゆく。

生徒たちの教師に対する態度は反抗的で、なに一つ言うことを聞かなくなり、学級崩壊に近い状態までになる。

「教師をやめたい」と何度も思う。

先輩のアドバイスに気付いた。

生徒たちに問題があるのではなく、教師の自分に問題があったのだと思い直す。

教師は自分の気持ちを打ち明けた。

「君たちが私の言うことを聞かないのは、君たちのせいじゃない。私が悪い。一つ一つ反省して、やり直したい。こんな先生でも、卒業まで一緒にいてくれるかな」

子どもたちは、だまってうなずいた。

教師は児童から学び児童とともに成長していく。

  


笑えない状況なのに、<バカ笑>いが随所に挿入

2024年01月22日 17時16分56秒 | 沼田利根の言いたい放題

地位を失った人は死ぬ気で向かってくる。
菅義偉官房長官は沈着冷静に見えるが、安部晋三首相と似て感情が先に立ち、痛いところを突かられると猛反撃する。

<行政を監視する意思と能力を持つ者こそ議員にふさわしい>増田寛也元総務相
であるなら、都民ファースト議員の存在はふさわしくないのでは?

日本のテレビ番組は明らかに質が低下しているのではないだろうか。
笑いの不自然さにまず違和感が募る。
笑えない状況なのに、<バカ笑>いが随所に挿入され、笑いを押し付ける。
いつからそのように変ようしたのだろうか。
笑いの質そのものが、低劣としか映じない。
一歩譲ってもユーモアとはほど遠い。
人を蔑むように相手を「お前」呼ばわりする傲慢さ。子どもたちへの悪影響など何ら配慮されていないではないか。
観て人を不愉快にするような番組を制作することは、プロのテレビマンとして恥ずかしくないのか?と問わずにいられない。

 

▼一番大事なのは<自分の心に勝つこと>

目の先の結果に一喜一憂せず信念を貫く時、どんな出来事も意味があるものとなる。

一見、不条理に思える事態でも、意味がある。
その中から<自分でなければ果たせない使命>をつかむことができる。

<広く><良い>人間関係を持つ人ほど長生き-との研究がある。

 

 

 


あだ名のチャップリン

2024年01月22日 17時13分42秒 | 未来予測研究会の掲示板

チャップリンはなかなかのお洒落である。
帽子、靴、ブレザー、チョッキなどは、競輪ファンの中でも伊達な姿と言おうか異彩であり衆目を集める存在だ。
古い市で買い求めたも少なくないと言っていた。
競輪で儲けた時に、銀座の店で仕立てたスーツは英国製の生地などであった。
若い頃は芸能界に身を置いたこともあったが、芽が出なかったのである。
その後、テレビ界に身を置いてこともあったが、薬物に手を出したことから、ドロップアウトした。
その彼に興味を抱いて利根輪太郎は、遠慮気味に声をかけたのが、東京・新橋の競輪の場外車券売り場であった。
「時々、取手競輪場で、姿を見かけますが・・・」
「そうだね。あんたのことも見かけるよ」
彼は変わった男で、5レースと最終レースだけを買っている。
喫茶店で過ごしたり、レストランで過ごしたりしてから、新橋から取手競輪場へ向かうこともある。
「松戸かい。行かないな。昔のからの顔見知りに会いたくなくてな」と笑顔となる。
わけありのようだ。
「どこから、きているのですか」と聞いたら川口-新橋間の定期券をポケットから取り出して見せる。
「大宮競輪は行かないんですか?」
「あまり、行かんな」と帽子を被り直した。
やはりわけありの人物のように想われた。


裏目に泣く

2024年01月22日 15時25分00秒 | 未来予測研究会の掲示板

裏目千両の形容もある。
軸が確かなレースを選んで、宮野虎之助は勝負をしてきた。
昭和40年頃から、取手も田畑が宅地に造成され初めていた。
住宅公団による井野団地の建設を契機に道路も整備された。
宮野は先祖代々の田畑を切り売りして、取手競輪で勝負をするようになった。
小・中学生の同級生たちの中には、競輪選手になった者もいた。
宮野は中学を卒業すると東京・上野の印刷工場に就職した。
中学の先輩の倉持勝太郎の誘いであった。
初めは取手の自宅から通勤していたが、
倉持の提案で2人は根津の木造アパートに住んだ。
4畳半の部屋に倉持が、3畳の部屋に宮野が暮らす。
その倉持が休みの日に宮野を後楽園競輪に誘った。
根津から歩いても後楽園に行けたが、2人はタクシーに乗って行く。
顔見知りとなった運転手は、かなりの競輪通であり、2人に色々と教えてくれた。
競輪の草創期からの競輪ファンであったのだ。
2人は自動車免許を取得したことから、タクシー運転手を目指すようになる。
東京から、川崎、千葉、松戸、取手方面まで競輪客を乗せて行くこともあった。
ついでに宮野は、競輪場へ入り一勝負。
そして、客を乗せて帰る。
競輪で儲けた客が破格のチップを弾んでくれたり、居酒屋に誘ってくれる。
宮野はタクシー運転手を辞めて、取手の実家へ戻る。
実家の田畑に目を付けたのである。
父が戦死して、母親が受け継いだ農業に宮野は一度も目も向けなかったのに、高騰した地価が宮野の気持ちを動かした。
そして、母親に相談もせずに、畑の一部を切り売りした。
500万円を手にして、気持ちが舞い上がる。
まず、100万円を5レースに投じたのだ。
愚かに1点勝負である。
はじめに20万円を失う。
思惑が外れ宮野は頭に血が上る。
青ざめた顔が見る見る鬼の形相で赤らむ。
6レースは負けを取り戻そうと40万円を投じた。
再び裏目で敗れる。
「宮ちゃん、裏も返しなよ」と染谷次郎がアドバイスしたのに、1-5を買って5-1を押さえなかったのだ。
元々本命党の宮野は思い込みも強かった。
結局、7レースに残りの40万円を投じて負ける。
金儲けなどできるほど、競輪は甘くなかったのだ。
展開のアヤ、タイミング、さらにブロックもありの走る格闘技の競輪。
落車などのアクシデント、失格もありで絶対はない。
皮肉なもので、残りの400万円は1週間も持たなかったのだ。
「裏目に泣いた宮ちゃん」
全財産を失い結局、貸家住まいにまで堕ち込んだ彼の姿は、競輪仲間たちに教訓の一つを残した。

 


対話こそ暴力を解決できる<治療薬>

2024年01月22日 15時15分56秒 | その気になる言葉

 


一番大事なのは<自分の心に勝つこと>

目の先の結果に一喜一憂せず信念を貫く時、どんな出来事も意味があるものとなる。

一見、不条理に思える事態でも、意味がある。
その中から<自分でなければ果たせない使命>をつかむことができる。

<広く><良い>人間関係を持つ人ほど長生き-との研究がある。

<苦手なところに挑戦を>
<何事にも全身で挑戦する>

まず、大切なことは<対話>だ。
対話こそ暴力を解決できる<治療薬>
単に解決策を得るためではなく、幅広く交流することで、どんな相手とも共に手を携えることができる。
それぞれが異なる物語を生きていると同時に、全員が一つの物語の奏者でもある。
そのことを知るべきだ。
また<人を魅了し引き付ける力>を持つことも大事だ。
他者に何かを強制するのではなく、自分に引き付けていく。

まず構想を描く。そして、そこから現実を開いていくかを考えていくのだ。
現状追随的な意識を打ち破ることだ。

その魅力を培うことだ。
重要なのは<一対一の確かな友情>だ。
直接の語らいの中でこそ、かけ替えのない友情は築ける。
人々が共に生きていく場所を築いていくのが<ポリシー・政策>なのだ。
宗教が政治に倫理や人間としての価値を提供している。
宗教者は社会に出て行かないと、<神院信仰>になってしまう。
祈るとともに、私たちは積極的に他者と関わるために、町に出て行かなければならない。
より良き社会のために、なすべきことを行動に移すことが大切だ。
<何があっても、諦めない>
<んいがあっても、自ら死を選ばない>


日蓮は万般に精通した人生の教師であった

2024年01月22日 15時10分46秒 | 沼田利根の言いたい放題

誤った思想を打ち砕き、「生命尊厳」「人間尊敬」の哲理を広めてゆくために、民衆救済の大言論闘争に立った日蓮大聖人は、1260年(文応元年)7月16日、時の最高権力者である北條時頼に、<諫暁の書・立正安国論>を提出した。
「立正」とは、一人の人間を最大に尊重する仏法の生命哲理を、人々の胸中に打ち立てることだ。
「安国」とは、社会の繁栄を平和を築くことだ。
つまり、正法を持つ一人が、社会の安定を祈り、行動することで、自他共の幸福が輝く社会建設していくことできるとの原理だ。
対話が人心を変革する。
そして、心の変革を遂げた人間の連帯こそが「立正安国」実現への方途である。
これが日蓮大聖人の確信であった。
客(北條時頼)と主人(日蓮大聖人)との十問九答の問答形式で展開されている。
主人は、文証と道理を尽くして、誠実に粘り強く、かつ鋭く核心をついた言葉で対話を続けた末、客は心を改め、法華経の信仰を実践、語り広げていくことを決意する。
立ち上がった一人の民衆が、民衆を救い、社会を変革していく。
この「立正安国」の原理こそ、日蓮大聖人の仏法の魂である。
「立正安国」とは、即「世界平和」である。
どこまでも悩める人に寄り添い、一人の人間に内在する生命力を信じる。

なぜ、日本は戦争に突入したのか?
当時の軍国主義、生命軽視の誤った思想に日本全体が気付いていなかったからである。

・思想・宗教・言論を統制・弾圧し、天皇制まで捻じ曲げた「12歳の少年」のような未熟な国であったのである。
さらに、治安維持法は悪法の元凶であった。

戦後は過去の日本を謙虚に反省し、断固として決別したことを宣言し、出発点にしたはずであるが、憲法改正を命題する内閣が誕生した。
憲法改正は元来<内閣の命題>ではなく、あくまでも<国民の命題>である。
内閣の命題としたところに思いあがりがある。
希望の哲学、励ましの心理学、日蓮は万般に精通した人生の教師であった。


人生を変える「第3の場所」

2024年01月22日 15時08分21秒 | 沼田利根の言いたい放題

仕事、家庭以外の「第3の場所」
この視点が不可欠。
例えば、過労死やいじめ自殺は、居場所が限定的になっているように思われるのだ。
だから、逃げ場所が不可欠。
視野狭窄になっていれば、第2、第3の居場所があることが見えなくなっている。
孤独な高齢者ほど詐欺被害に遭いやすのも事実。
相談相手も居ないので、追い込まれて詐欺師の巧妙な手口を疑わず騙される。

アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグさんのよると、「第一の場所(家庭)、第2の芭蕉(仕事や学校)に加えて地域の多様な住民が心を通わせる「第3の場所」が求められるという。

多様な触れ合いが減り、人が孤立化する一方で、家庭や職場、学校に求められる役割が過剰に高まると指摘している。
そこで環境や立場を超えて励まし合える身近な人の絆が期待される。

悩みを勇気に、不安を確信に、疲れを充実に、愚痴を感謝に変える価値を創造し触発する「第3の場所」が期待される。
「生命が触れ合う場所」があればこそ、行き詰まったとしても、困難を打開する道が開かれる。

沼田利根は「第4の場所」に軸足を置いても居る。

 


第九に込めた狙い

2024年01月22日 15時02分41秒 | 社会・文化・政治・経済

毎日新聞「金言」から引用

独ハンブルクでの主要20か国・地域(G20)首脳会議。
2017年7月7日の討議を終えた後、夜の社交に議長国メルケン独首相は首脳夫妻らにベートーベンの「交響曲第9場番(第九)」を聞いてもらう演出を用意していた。
メルケン首相があえてこの曲が内包するメッセージと無縁ではないだろう。
おそらく聞かせたい首脳らがいたのだろう。
「第九」の第4楽章の前奏部分は1972年に「欧州の歌」とすることが決まり、今ではEUの事実上の<国歌>として、EUの式典でよく演奏される。

聞かせたかった相手は、英国のメイ首相。

聞かせたいもう一人はEUを軽んじるトランプ米大統領。

第4楽章「歓喜の歌」の歌詞は、ベートーベンが尊敬するシラーの詩に一部手を加え、これに曲をつけた。
ベートーベンとシラーはフランス大革命(1789年)の人権と自由の理念に共鳴し、数多く作曲、作詩した。
「人は皆兄弟」という第4楽章に流れる人権と自由の理念を思えが、聞いてもらいたい権威主義的国の首脳G20に少なくない。
西川恵客員編集委員


理想と現実の狭間。
ある意味で国際社会は、まだまだ未成熟なのだ。
最終的には、人間の生命次元の問題に帰着する。
生命尊厳、人権、自由は100年後、200年後に実現するかどうか?
実に道程は遠く想われるのだ。
人間の生命の変革を期待するほかない。
沼田利根


ロシア革命を主導したユダヤ人

2024年01月22日 15時00分23秒 | 社会・文化・政治・経済

フランス革命と同様に、ロシア革命の積極的な参加者にはユダヤ人、あるいはユダヤ系ロシア人が多かった。
レーニンは母方祖父がユダヤ人、母もユダヤ人という説もある。
最初のソビエト政府メンバーの80~85%はユダヤ人。
ロシア革命はユダヤ人の復讐劇のような印象が強い。
帝政ロシア時代にはユダヤ人は極力弾圧されていた。
積年のユダヤ人の恨みが、第一次世界大戦の大量の人的被害と経済的混乱とあいまって、爆発したのであろう。
しかしながら、詳細にみればソ連時代もユダヤ人の処遇は極めて悲惨であった。
スターリンの元の氏名はジュガシビリでユダヤの息子の意味だった。
ロシア革命に貢献したユダヤ人の大半が非業の死(銃殺か暗殺、極死)を遂げている。
このためソ連の引き締めが緩まると、ユダヤ人の多くがアメリカやイスラエルに亡命した。

プーチンはユダヤ人という観測記事もある。
青山学院大学名誉教授・寺谷弘壬(ひろみ)さん

「重要なことは、何よりまず、今、自分が置かれた状況にあって、最高の方法で、現在という時を生きることである」トルストイ

 

 


太郎はいつも走っていた

2024年01月22日 14時43分03秒 | 投稿欄

太郎はいつも走っていた
利根川土手の四季を楽しむ
富士山見えれば胸が膨らむ
背負うリックにペットボトル
太郎のあだ名は健康優良児
酒は少々ジム通い
自慢の胸がピクピク動く
冬でも半袖 誰に持負けない腕相撲

太郎はいつも走っていた
田圃の畦道稲穂が育つ
筑波山見えれば思い出で辿る
背負うリックにオニギリ一つ
太郎のあだ名は取手の走るパンダ
恋と無縁の寺まわり
和太鼓神輿でどこまでも
祭りだ祭り 誰にも負けない腕自慢

太郎はいつも走っていた
ロマンを忘れ走っていた
27の誕生日も走っていた
生き急ぐように走っていた
死へ向かって走っていた

 

 


「人間は何かを信じている」

2024年01月22日 14時38分01秒 | 沼田利根の言いたい放題

「信仰と理性」の関係
「宗教が理性に反するものでないことを示さなければならない」パンセでのパスカルの言葉。
「信ずること」と「理解する」ことを一体にした言葉が「信解」である。
信解の「解」は理性を意味するとも捉えることができるので、信解」という言葉それ自体が信仰の本質を一語で示している。
「信」だけで、「解」がないのでは盲信になってしまう。
また、「解」だけで「信」がないのでは信仰と呼べない。
信仰者にとって、「信」と「解」は一体であるべきだ。
「宗教は理性に反するもの」と思い込んでいる人が多い。
「宗教に対する無知」が根底にある。
「自分は無宗教」と言っている人も何かを信じて生きている。
「人間は何かを信じている」
無信論者は「無信論」を信じているのである。
また、唯物論者は「唯物論」を信じている。
共産党員は「共産主義」という「宗教」を信じている。
「お金だけがすべてだ。お金が何より大切だ」という価値観で生きている人は「拝金教」の信者である。
「生きる」ということは、何らかのものを「信ずる」ことから出発している。
社会自体が、互いの信頼なくしては成り立たない。
「信」は人間の生の基本条件であり、人間は「信ずるか」「信じないか」を選択することはできない。
選択できるのは「何かを信じるか」といことだくなのだ。

「何を信じ、何を信ずべきでないか」を体系化したのが宗教であり、その意味で宗教は、万人の人生・日常に密接にかかわっている。
信仰について深く考えたことのない人々が、宗教を特別視して怖がったり蔑んだりするのはおかしな話だ。
作家・佐藤優さん

 


自分がどう生きたいかだ

2024年01月22日 14時32分33秒 | 沼田利根の言いたい放題

▼阪神とトップをいく広島の力は歴然であった。
守りの姿勢の阪神と貪欲に勝ちにいく広島の姿勢。
好球を見逃さない広島の打者と意図も簡単に好球を見送る阪神の弱気。
貪欲なまでの闘争心の違いを見せつけられた。
チャンスを逃す阪神と確実にチャンスをものにする広島の差であった。

▼「心の財」を育む。
不得意への挑戦から価値が生まれる。

▼誰にどう思われるかではない。
自分がどう生きたいかだ。

自分自身の力で人生は切り開いていくのだ。

人生の羅針盤をもつことだ。

▼何事も人ごとと傍観せず、自分にできることを考え、学び、行動する姿勢が大事である。

▼生命の充実を実感できる人生でありたい。
充実のなかにこそ、最高の満足があり、幸福がある。

▼問われるのは、人間としての力だ。
本当の実力があるかどうかである。
「真剣さ」であり、「努力する姿」であり、「戦い続ける執念」である。
平凡な人生では、変凡な人間しか育たない。
青年ならば、あえて苦難の嵐の中に飛び込んでいくことだ。
大変な人生だからこそ、自分が磨かれる。
本物の人材として光っていく。

欄創作欄

○夜明け前
風爽やかな
夏は来ぬ


酔えない私
酔っているあなた
酔いたいのだけれど酔えない私
酔えば本音が出てしまう
本音を言えば恋は終わり
初めての恋に別れを告げる
悲しいのだけれど去って行きたい

酔えない私
酔っているあなた
酔えば体を求めてくるあなた
それがもう嫌なのと心を閉ざす
これは遊びと突き放したい
あなたが傷付き私も傷付く

酔えない私
酔っているあなた
出会いのころ私は酔っていた
あなたは酔ったふりばかり
京都の夜が私を酔わしたの
私の涙のわけをあなたは知らない

 

 

 


<原発安全神話>

2024年01月22日 14時12分47秒 | 社会・文化・政治・経済

▼人は、<見たくないものは、見えない。見たいものが見える」
<原発安全神話>はその典型。
2011年3月11日、東日本大震災と15メートを超えた巨大津波により、東京電力福島第一原発の事故が発生。
<電源喪失と冷却装置が停止>
最大の事故原因。
その責任は東電だけではなく、認可してきた行政、政府にもある。
今回の公判では、2008年に東電が高さ15・7㍍の想定津波を試算しながら、なぜ対策を講じなかったかが争点。
「被告の刑事責任を問う公判では、個人攻撃より、事故からの学びが大切」
畑村洋太郎元政府事故調査委員長

▼読書の大切さ、感動を感想文として書き記すことの意味は?
何かを体系的に把握し、物事の背景を含め本質をつかむには、本と向き合うことが必要。

▼学校で育てるべき一番大事なものは、言葉、言語能力だ。
言葉の力を育てるために不可欠なものが読書と作文。
書き言葉を習うことにより身に着けるのが学習言語。
書き言葉が育たないので思考力も育たない。

▼今は自分の目で情報を収集、選択し、自ら設定した課題について自分なりの考えを持ち、表現していくことが求められる。
言葉の力を育み、言葉によって思考力を育むことは、まさに今求められていることだ。
本を読み、内容を理解し、自分の考えを指定された文字で述べるのは、非常に高度な思考力と表現力が要求される。
「書く子は育つ」「作文で考える力を伸ばす」
批判的に本を読み、主体的な意見を持つことも重要。
本をきちんと読んで、自分の考えをまとめて表現するということを教育的価値として広めることだ。
読書感想文を書くプロセスは、自分の内面と向き合い、自分の頭で考える力をつけていくことだ。
自分が何共感できて、何に共感できないという経験の積み重ねが価値観を形成していく。

 


徹の失恋

2024年01月22日 14時12分47秒 | 創作欄

「藤村さん、私のこと何か言っていた」

駒込のスナック「黒水仙」のママの内田若菜が小声で徹に聞く。

「よそ者には、ママさんをと取られるわけにはいかない」

カウンターの奥に座る角刈りの男が吐き捨てるように言う。

ママが徹に身を寄せるようにしていることが気に障ったようだ。

大工をしているその男は、先日、「俺は12万円稼いでいるんだ。俺は中卒だぜ、高卒にも大卒にも負けねい」と言いながら、横目で藤村菊雄と徹に視線を向けた。

その目は挑戦的であった。

徹は若菜のことが気になっていたので一人で「黒水仙」にやってきた。

午前12時になったので、大工と若い男が帰って行く。

若い男はママに熱い視線を送りながら、無口で黙々とビールを飲んでいた。

有線放送のムード歌謡を時々、若い男は口ずさんでいた。

ママはカラオケが好きでないと言っていたので、店にはカラオケセットが置かれていなかった。

藤村は「それがいい落ち着ける」と「黒水仙」に通っていた。

「いい店見つました」と中野中央から駒込に越した藤村が徹を誘ったのは半年前であった。

藤村はフランスの俳優のアランドロンのような目をしていた。

ハンサムであるが、映画「太陽がいっぱい」のアランドロンのように陰影を帯びた怪しい目でもあった。

若菜は藤村の怪しい目に一目惚れしたのだ。

「人の魂を覗き込むような瞳だわね。女の人泣かせていたんでしょう」と若菜は言うが、高校、大学と野球をやってきた藤村は女性に縁遠かった。

藤村はハンサムなのでいわゆるファンはいたが、ただそれだけのことであった。

若菜は美貌であったのでそれほど好きにもない男に度々言い寄られてきた。

父親が戦死していたので若菜は中卒で働きに出たが、町工場の先輩が夜間高校に通っていたので、2年目に同じ都立高校の夜間で学んだ。

高校を出てから若菜は商事会社に転職した。

父親が居なかったことから中年の男にも惹かれることがあったが、恋愛に発展することはなかった。

若菜は美声でもあったので、地元大塚の合唱団に所属し、ソプラノとして歌っていた。

少女のころ宝塚歌劇団に憧れを抱いていた。

中学の同級生で歯科医師の娘であった山浦美智子がタカラジェンヌになった時には、貧しい若菜はお嬢さん育ちの美智子の境遇を羨んだ。

その後、美智子がタカラジェンヌとして大成しなかったことが、若菜には気持ちの上で救いとなった。

「人に嫉妬するのは嫌ね。心が貧しいのね」若菜は同じ中学時代の親しい友人の木島紀子に、心を打ち明けた。

「神様じゃないのだから、心が貧しいとか、醜いなんて自分を卑下するのはよしなよ」と慰められた。

闊達な性格の紀子が言うので、若菜は救われた思いがした。

若菜はそれほど好きでもない男から度々言い寄られた。

同じ合唱団の大沢賢治からは何度か食事や映画に誘われた、結婚する気持ちにはなれなかった。

不本意な色恋沙汰から逃れるように合唱団は退団した。

若菜は勤務先も変更した。

新しい人間関係を求めたのだ。

その職場では50代後半の社長に言い寄られた。

年上の男には惹かれてが、社長田坂志郎は若菜の許容範囲を遥かに超えた存在であった。

しかしその後、大きな転機が訪れた。

65歳を過ぎた叔母がスナックの経営から身を引くことになり、店を譲られたのだ。

「若菜、あなただったらお店をやって行けると思うの」

叔母は戦死した父の妹であった。

迷いもあったが、「男を見る目も磨けるわよ」と叔母が言うので、その気になったのだ。

恋多き女であった叔母は2度離婚し、3人目の旦那は10歳も年下であった。

若菜は5年間、独身のまま店を切り盛りしてきた。

身の堅さはかえって客に好感が持たれた。

来客たちは若菜を口説くが、誰も口説き落とせなかった。

それが客の間で均衡を保ち、良好な関係が保たれてきたのだ。

客の一人と特別な関係となり、そのことが他の客に悟られたら、常連客は離れていくものなのだ。

ママという存在は、ファンづくりの名人である必要があった。

時には午前12時に店を閉め、午前2時、3時までお客たちと食事をしたり飲みに行くこともあった。

ただし、特別な一人の客とではなく複数の客の場合がほとんどで、店のホステスも同行していた。

若菜は人には言わず、英会話教室にも通っていて、グアム、ハワイなどに店の女の子と旅行に行っていた。

同行した者たちは、若菜の会話力に一様に驚くのである。

その若菜が初めて、店の客の藤村に惚れ込んだのだ。

若菜は徹に胸の内を打ち明けていた。

「藤村さんは、私のことどう思っているのかしら?」

若菜はその日、尋常でなく酒に酔っていた。

藤村はその日、取材で北海道へ行っていた。

皮肉なもので、徹は若菜に恋心を抱き初めており、その日は失恋した日にもなったのだ。

 

 

 

 

 


環境問題は全人類的課題である

2024年01月22日 11時03分03秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼見る対象は同じでも、見え方が<違う>場合がある。

見る人が同じでも、各人の境涯によって、見え方や捉え方が異なる。

▼心の大きい人は小さい人より多く悩みを持つ。

▼核兵器の脅威を「学び」「知る」ことは、一人の人間の考えを変える力となり得る。

▼若い世代への軍縮教育がより重要になる。

▼青年の勇気と連帯からこそ、<民衆の生存の権利を脅かす魔性>に打ち勝つ無限の力が生まれる。

▼環境問題は全人類的課題である。

▼民衆が連帯し、青年の力で行動の波を起こしていけば、必ず<不可能を可能>にする力が生み出されていける。

諸団体と力を合わせ変革のための行動を貫き、希望の未来を創造していくことだ。

▼人間には、希望をなくさない限り、苦しみを幸福に変える力がある。