女医でブロガーの居原田麗さんが10日に死去していたことが11日、明らかになった。42歳だった。
夫が居原田さんのブログで「いつも応援ありがとうございます。はじめまして、居原田麗の夫、河原と申します。昨日、1月10日14時31分 母校である滋賀医科大学で妻 居原田麗こと河原麗が永眠いたしました」と伝えた。
居原田さんは医師でクリニックを運営する中、20年に子宮頸がんが発覚。
肝転移、リンパ節転移、転移性肝癌、骨への転移などを抱えながら、闘病の様子や4人の子供の育児などをブログで公開。インスタグラムのフォロワーも8万人近くを誇り、ブログは昨年12月19日まで更新していた。
余命1年を宣告された際には「まだまだ小さい4人の子供たちを残しては死ねないから、どんな辛い治療でも頑張る覚悟です」とつづるなど、前向きに治療に取り組んでいた。
夫は、「一番最初に病気を宣告されたのが2020年の2月でした。その時、彼女は病院で泣きながら『ごめんね、ごめんね』と謝っていました。自分が一番辛いにも関わらず、いの一番にそういう言葉が出る、心優しい女性でした。その時以来、闘病でいくら辛くても、彼女の涙は見たことはありませんでした。そんな優しさと強さを持った女性でした」と回想。
また、「生前、『自分の人生には何の後悔もない、周りの人に恵まれて幸せな人生だよ』と常々言ってました。このブログやインスタグラム等で周りの人達からのメッセージには本当に励まされていると嬉しそうに言っておりました。またそれと同時に『私が頑張る事によって、同じ病気で苦しんでいる人達の励みになりたい』とも言っていました。最初、余命が1年と言われたにも関わらず、約4年間生きられたのは間違いなく、彼女の頑張りと彼女を日々励まして下さった、フォロワーの方々、周りのドクターの方々、美容関係者の皆様、友人達のおかげだと思っております。感謝申し上げます」とした。
「彼女は本当に優しくて、強くて、でも時折見せる女性的な所もある素敵な女性でした。そんな、素敵な女性がいたということを皆様の心に残していただければきっと彼女も喜ぶと思います。本当にありがとうございました」と結んだ。
スポニチアネックス
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一番最初に病気を宣告されたのが2020年の2月でした。
その時、彼女は病院で泣きながら「ごめんね、ごめんね」と謝っていました。
自分が一番辛いにも関わらず、いの一番にそういう言葉が出る、心優しい女性でした。
その時以来、闘病でいくら辛くても、彼女の涙は見たことはありませんでした。
そんな優しさと強さを持った女性でした。
生前、「自分の人生には何の後悔もない、周りの人に恵まれて幸せな人生だよ」と常々言ってました。
このブログやインスタグラム等で周りの人達からのメッセージには本当に励まされていると嬉しそうに言っておりました。
またそれと同時に「私が頑張る事によって、同じ病気で苦しんでいる人達の励みになりたい」とも言っていました。
最初、余命が1年と言われたにも関わらず、約4年間生きられたのは間違いなく、彼女の頑張りと彼女を日々励まして下さった、フォロワーの方々、周りのドクターの方々、美容関係者の皆様、友人達のおかげだと思っております。感謝申し上げます。
生前、彼女は2つの事を言っていました。
1つ目は「麗ビューティー皮フ科クリニックを継続すること」
2つ目は「レイラック滋賀FCをJリーグにあげること」
それが私の生きてきた証を残せるからと、、、。
彼女は常々、患者さまには最適な美容医療を提供したい、そして綺麗になって前向きな人生を送れるお手伝いがしたいと口癖のように言っていました。
サッカーチームに関しても、彼女は本当に故郷である滋賀県が大好きで地域の為、未来の子ども達の為に、プロサッカーチームが出来たらいいなと言っておりました。
その2つに関しましては、同じ思いを持ったドクターやスタッフ達がそのフィロソフィーをしっかりと受け継ぎ、地域の為に頑張っていってくれると思います。
最後になりましたが、彼女は本当に優しくて、強くて、でも時折見せる女性的な所もある素敵な女性でした。
そんな、素敵な女性がいたということを皆様の心に残していただければきっと彼女も喜ぶと思います。
本当にありがとうございました。 夫 河原