映画 黒水仙

2024年01月31日 12時26分26秒 | 社会・文化・政治・経済
黒水仙

黒水仙』(くろすいせん、原題・英語Black Narcissus)は、1947年に製作・公開されたイギリスの映画である。

概要

インドヒマラヤ山麓の女子修道院を舞台としたルーマー・ゴッデンの小説の映画化であり、マイケル・パウエルエメリック・プレスバーガーが共同監督、デボラ・カーが主演した。

インドでのロケーションは行われず、テクニカラー作品として撮影されている。

キャスト

役名 俳優  
       
シスター・クローダー デボラ・カー        
シスター・フィリッパ フローラ・ロブソン        
カンチ ジーン・シモンズ        
ディーン デヴィッド・ファーラー        
シスター・ルース キャスリーン・バイロン        
アヤ メイ・ハラット        
将軍 サブー        

黒水仙(1946)の画像一覧 | 映画ポップコーン

スタッフ

「赤い靴」「天国への階段」と同じく、マイケル・パウエルとエメリック・プレスバーガーのティームが執筆、監督、製作したテクニカラー映画であるが、ルーマー・ゴッデンの原作になる同名の小説から二人が脚色した。

撮影も「赤い靴」「天国への階段」と同じくジャック・カーディフが受けもち、「天国への階段」のアルフレッド・ジュネが装置を担当し、両者は共にアカデミー賞を受けている。作曲並びに音楽監督は「赤い靴」のブライアン・イースデルが任に当った。

主演はシヨウ原作の「バーバラ少佐」で認められたデボラ・カー、「三つの情熱」のデイヴィッド・ファラーで、「ジャングルの王」のサブウ、「嵐が丘」「死せる恋人に捧ぐる悲歌」のフローラ・ロブソン、「ハムレット(1947)」のジーン・シモンズ、「天国への階段」のキャスリーン・バイロン、「ハムレット(1947)」のエズモンド・ナイト、その他ジェニー・レアード、ジュディス・ファース、シャウン・ノーブル、ナンシー・ロバーツ、メイ・ホーラット等が助演する。

1946年製作/イギリス
原題:Black Narcissus
配給:英国映画協会=NCC
劇場公開日:1951年3月1日

ストーリー

ヒマラヤ山麓に近い高地にある寂しい村。ここに、モプという宮殿があり、領主トゥダ・ライはこの宮殿を利用して尼僧院を開き、英国人の尼たちを招き現地の子どもを教育してもらおうと考えた。尼僧クローダー(デボラ・カー)は責任の重さを覚悟してこの大役をひきうけ4人の尼僧を選んだ。

年長のフィリッパ(フローラ・ロブスン)、プライオニー(ジュディス・ファース)、ハニ(ジェニー・レアード)、健康をそこねているルース(キャスリン・バイロン)で、5人は新しい希望にもえて任地へ到着した。だがこの地方唯一の同国人ディーン(デイヴィッド・ファラー)は頭から彼女たちの仕事を嘲笑しているようだった。

尼僧院の仕事は一応は順調に進んだが、クローダーには尼僧たちの心が信仰から次第に離れていくように思われた。フィリッパはこの仕事にたえられないといって転任を申しでた。クローダーの心は弱りディーンに対して頼りたい気持が強まった。クローダーの悩みはそれだけではなかった。ルースは信仰をすてようとしているらしかった。

しかしもディーンへの執着に悩むルースはクローダーを恋仇として激しく憎んでいた。ある夜、僧院をぬけだしたルースは谷間の村のディーンを訪れ、心の思いをうちあけた。だがディーンは冷たく彼女を追い返した。

ルースはディーンが恋を受けいれないのはクローダーのせいと信じ、鐘を鳴らすクローダーをつきとばした。だがクローダーは縄にぶらさがり、足をすべらしたルースは谷間へおちた。悲劇の朝から数日がすぎた。彼女たちの仕事は失敗におわり、尼僧たちはカルカッタへ出発した。しかしこの敗北から、クローダーの心に一層強い信仰が生まれようとしていた。

スタッフ・キャスト

民衆を賢くするしかない

2024年01月31日 11時18分34秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼戦争をなくすためには、社会制度や国家の体制を変えるだけではだめだ。

根本の「人間」を変えるしかない。

民衆が強くなるしかない。

民衆を賢くするしかない。

そして世界の民衆が、心と心を結び合わせいく以外ない。

▼核戦争の回避に向けて、人々の心を分断から協調、不信から信頼へと変える戦いに打って出ていくことだ。

▼核時代の今日、人類を破滅から救うか否かは、国境を超えた友情を確立できるか否かにかかっていると言っても過言ではない。

▼問題の核心は、無辜の民衆の生存権を脅かす<核兵器の非人間性>であり、自分を守るためならば相手の殲滅さえ辞さないという<核兵器を容認する思想>の誤りだ。

<抑止>の名のもとに、大量破壊兵器の脅威によって敵対する相手とかろうじて平和を保とうとする発想は、容易に軍拡競争を招き、ひいては核戦争につながりかねない。

人類はこれまで幾度もそうした場面を目撃してきた。

▼平和こそ人類の進むべき根本の第一でなければならない。

 

 


悪質なSNS投稿

2024年01月31日 11時12分24秒 | 社会・文化・政治・経済

SNSは、誰もが気軽に自分の意見や思いを投稿できますが、その投稿内容によっては人を傷つけてしまいます。個人の悪口を書き込んだり、広めたり、メッセージを送りつけたりするなど、インターネット上の誹謗中傷が深刻な社会問題となっています。たとえ顔は見えなくても、SNSの向こう側にも同じ人間がいることを想像し、ルールやモラルを意識した、正しい利用を心がけましょう。また、安易に誹謗中傷するとどうなるのか、万が一、誹謗中傷を受けたらどうすればいいのかを知っておきましょう。

SNS上で根拠のない悪口を投稿すると、名誉毀損罪や侮辱罪などに問われたり、高額の慰謝料を請求されたりすることがあります。侮辱罪については、インターネット上の誹謗中傷など悪質な侮辱に厳正に対処するため、法定刑の引上げが行われ、2022年7月7日から施行されています(法律の詳細については法務省「侮辱罪の法定刑の引上げ Q&A」
また、自らそのような投稿をしなくても、再投稿(※)などで拡散した場合も同じです。匿名だからといって何を言ってもいいわけではありません。技術的に投稿の発信者は特定できると肝に銘じておきましょう。

SNSは、思ったことを気軽に投稿できたり、共感したりして見知らぬ他人とのコミュニケーションの輪を広げてくれる一方で、他人への誹謗中傷、無責任なうわさ、個人のプライバシー情報などを広げてしまうおそれもあります。リアルな生活と同じようにルールやモラルを守り、SNSの正しい利用を心がけましょう。
誹謗中傷を投稿する人の中には、「テレビやネットでの言動が気に入らない」「反道徳的な行為を許せない」「正義感からやった」などと主張する人もいますが、有名人やタレントであっても相手の人格を否定または攻撃する投稿や拡散が許されるわけではありません。

※再投稿:共感したり気に入ったりした情報をそのまま投稿して他者に広める行為。SNSサービスにより、「リツイート」、「リグラム」、「リポスト」など名称が異なります。

有名人の悪口を

最近は芸能人への誹謗中傷に関するニュースがよく報道されるようになりました。

SNSなどによって情報拡散のスピードが非常に速くなったため、悪質な誹謗中傷は社会的評価や日常生活の平穏までをも脅かす暴力となります。

とはいえ、法律ではなにが誹謗中傷にあたるのかの明確な基準は示されていません。

だからこそ、悪質な誹謗中傷の被害に遭っている方は「いま起きている被害が誹謗中傷にあたるのか」と迷ってしまうでしょう。

この記事では、誹謗中傷にあたる書き込みの実例を挙げながら、どのような書き込みが誹謗中傷にあたるのかを解説していきます。

ネット上で誹謗中傷被害に遭っているあなたへ

どのような発言がネット上の誹謗中傷に当たるかわからず悩んでいませんか?

 結論からいうと、社会的評価を下げる内容や事実無根の内容がこれに当たります。

しかし、法的知識を持ち合わせない個人で判断することは難易度が高いといえます。

もし、今すぐ投稿内容が誹謗中傷に当たるかを判断したい場合、弁護士に相談・依頼するのをおすすめします。

 弁護士に相談・依頼すると以下のようなメリットを得ることができます。
  • 投稿が誹謗中傷に当たるか判断してもらえる
  • 依頼すれば、発信者情報開示請求をしてもらえる
  • 依頼すれば、投稿者に損害賠償請求できる

 


ミュート(遮音)

2024年01月31日 10時03分07秒 | その気になる言葉

ミュートは、「自分の声が相手に聞こえなくなる機能」「見たくない投稿を見なくて済むようにしてくれる機能」として使われます。

私人逮捕系ユーチューブ

「私人逮捕」とは? 私人逮捕系ユーチューバー逮捕 撮影した動画を投稿などすると『名誉棄損』になる可能性も

私人逮捕 (しじんたいほ)とは、 一般人 による 逮捕 のこと。 常人逮捕 と言うこともある。

正義の味方―何が彼らを突き動かしているのか。

変わらない社会を変えてくれる存在として夢中になって応援する人もいる。

今の閉塞感を生む一因。

誤って私人逮捕系ユーチューブで行使された人は一生を棒に振る可能性もある。

孤独感や疎外感が増し、他人と論議しない自問自答型が増加している。

社会から距離を置く人が増えている。

投票率の低下=何も政治は変わらないとの諦めもあるだろう。

 

 

 


夢には意味があるのか

2024年01月31日 09時23分28秒 | 創作欄

「夢には自分がよりよく生きるためのヒントがたくさん隠されています。活用しないのはもったいないです」東洋大学の松田英子教授の指摘である。

◎金がほとんど無いのに、私は居酒屋で日本酒を飲んでいた。

「誰か、知り合いが来ないかと」と期待しながら・・・

悪夢であり、金が無いのに故郷とは反対の汽車に乗っていた。

知らぬ土地に来て、金が無いのに麻雀に加わっていた。

「負けたらどうしよう」と焦りながら・・・

◎高架線のホームから3本のホームが見えていた。

各ホームの行き先は当然、それぞれ違っていた。

通路には幾つもの階段があるが、どの階段を降りのかと何時も迷うのだ。

仕方なく何処かで見知っている人の後ろ姿を頼りに着いていくほかない。

そして、車窓から見る景色に「違う電車に乗ってしまったのだ」と気付いた。

だが、電車はどの駅も通過するので、途中下車できない。

結局、終点駅に降り立つと見知っている人が私を手招きしていた。

何とのその人は、20代の私自身であったのだ。

◎浅い谷川であるが嵐の後に氾濫していた。

木橋は既に流され跡形もない。

残っている1本の釣り橋にしがみつきながら、私は向こう岸へ必死の思いで渡ろうとしていた。

怒涛の飛沫が橋を激しく揺すっている。

背後にいる人が「速く渡るのよ」と私を急かすのだ。

「分かっている」と振り向くと「もう、後には戻れないのよ」と相手は皮肉な笑顔を浮かべていた。

その人は何と私が35歳の時に別れた21歳の彼女であった。

そこで夢から覚めたのだ。