傅益瑶 (著)
傅益瑶 (著)
人類の宿命とは、社会に寝付く人種差別や生命軽視の風潮である。
世界では、分断や対立が後を絶たない―それこそが人類の宿命そのものなのだ。
あくまでも自他ともの幸福を願い、いかなる苦境にも人間の善性を信じ抜くことだ。
つまり人間の宿命とは、生命のなかに善性も悪性もが内在されていることなのだ。
そこで人類の宿命の転換が不可欠なのだ。
紛争も戦争も互いの憎悪の心が引き起こすものなのだ。
人類の宿命の転換のためには、不信感や無力感も払拭されなければならない。
そして対話を重ねて「平和・不戦の未来」を創り開くのだ。
▼友情を広げるために大切なことは、平等の対話だ。
対話で大切なことは、まず謙虚に相手に学ぶことだ。
▼「わたしの信じるかぎりでは、始めが悪いことほどうまくゆくものだ」
「約束したことは、どんなことがあってもやりとげる」
「かつてなかったような立派な仕事を私はしてみせる」ミケランジェロの決意である。
▼「偉大な魂は高い山巓(さんてん)のようである。風が吹き荒れ雲が包んでしまう。けれどもそこで他のどこよりも充分にまた強く呼吸できる。空気は清く心のよごれを洗い落す。そうして雲が晴れると、そこから人類を俯瞰(ふかん)できる」
「あの高みで、人は<永遠なるもの>をより間近に感じ、そして日々の闘いのために心を強められて、人生の平野にまた降りてこられるだろう」ロマン・ロランはミケランジェロの人生をつづる。
▼勝利を誇る姿―それも美しい。しかし、それ以上に美しく、気高いのは、<さあ、戦うぞ!> <いよいよこれからだ>という挑戦の姿であろう。
勝ち誇る人間は、傲慢になったり、調子にのったりする。
人々を見くだすよぅになることもある。
ミケランジェロは、そうしう人間を彫ろうとしなかった。
尊いのは「戦う」一念である。
ある意味で、勝っても負けても、「戦う」こと自体が偉いのである。
何があろうと「戦い続ける」人は、すでに 人間として「勝っている」といえる。
▼現実は、思いも寄らぬ事態に遭う時がある。
しかし、逡巡せあず決然と行動を開始するんだ。
そして自らのなし得る限りを、信じる仲間と共に一気苛性に果たしていくのだ。
この「やらんかな」の心意気に、逆転勝利の道は必ず開かれる。
▼人生とは、青年とは、戦いの異名である。
人類の宿命を転換する闘いなのだ。
ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(伊: Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni[1]、1475年3月6日 - 1564年2月18日)は、イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。
西洋美術史上のあらゆる分野に、大きな影響を与えた芸術家である。ミケランジェロ自身が本業と考えていた彫刻分野以外の作品は決して多くはないにもかかわらず、様々な分野で優れた芸術作品を残したその多才さから、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じく、ルネサンス期の典型的な「万能(の)人」と呼ばれる。
ミケランジェロの彫刻で最も有名と思われる『ピエタ』(1498年 - 1499年、サン・ピエトロ大聖堂)と『ダヴィデ像』(1504年、アカデミア美術館)は、どちらもミケランジェロが20歳代のときの作品である。また、ミケランジェロ自身は絵画作品を軽視していたが、西洋美術界に非常に大きな影響を与えた2点のフレスコ画、システィーナ礼拝堂の『システィーナ礼拝堂天井画』と祭壇壁画『最後の審判』を描いている。
1505年、ミケランジェロは教皇ユリウス2世からローマに呼ばれ、墓碑の制作を命じられる。栄誉ある聖業に全精魂を傾けるが突如、教皇の“心変わり”によって中断されてしまう。
背後には、ミケランジェロに嫉妬した建築家ブラマンテの画策があったと言い伝えられている。ブラマンテは教皇に取り入って計画を破棄させ、代わりに大聖堂の大改修を決定させたのだ。
ミケランジェロは侮辱されたばかりでなく、仕事に要した費用の全てを自ら背負うことになった。
さらには、教皇を通じてブラマンテからシスティーナ礼拝堂の天井画の制作を押しつけられる。彫刻が専門で絵画の技法に疎かったミケランジェロにとって、この仕事は無理難題といえた。ブラマンテは天井画を失敗に終わらせ、失脚させようともくろんでいたのである。