師弟で紡いだ「創価」の名

2024年11月03日 08時06分12秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

1930年(昭和5年)11月18日は、牧口常三郎先生の教育学説を収めた「創価教育体系」第一巻が発刊された日である。

その出版は師弟の語らいから始まった。

冬のある夜、牧口と戸田は、戸田の家で火鉢を挟み、深夜まで語らいを続けていた。

その席で、教育学説を残したという牧口の考えを、戸田は聞いたのだ。

戸田は、力を込めて答えた。

「先生、私がやります!」「しかし、戸田君、金がかかるよう」

「私は、体一つで、裸一貫で北海道から出て来ました。そして、先生にお会いしたことで、今日の私があるのです。また裸一貫になるのは、なんでもないことです」

牧口は、じっと戸田を見て頷いた。

「よし、君が、そこまで決心してくれるなら、ひとつやろうじゃないか!」

牧口の目は、生き生きと輝いていた。

そして、つぶやくように言葉をついだ。

「さて、私の教育学説にどんな名前をつけるべきか・・・・」

すると、戸田が訪ねた。

「先生の教育学は、何が目的ですか」

「一言すれば、価値を創造することだ」

「そうですよね。・・・・でも、価値創造哲学や、価値創造教育というのも変だな」

「確かに、それではすっきりしない・・・・」

戸田は、頬を紅潮させて言った。

「先生、いっそうのこと創造の「創」と、価値の「価」をとって、「創価教育学」としたらどうでしょうか」

「うん、いい名前じゃないか!」

「では、「創価教育学」に決めましょう」

時計の針は、既に午前零時を回っていた。

師弟の語らいのなかから、「創価」の言葉は紡ぎだされたのである。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿