▼ギリシア語の「高貴な者」には「正直な」といったニュアンスがあるとし、それに相反する者たちを「自分自身に対する誠実さも素直さももたない。彼の魂は横目を使う。彼の精神は隠れ場を、抜け道を、裏口を好む」ニーチェ
司馬遼太郎は、儒教の徳目「仁義礼智信」の「信」を「正直」と解した。
正直であることは近代以降、格が大いに上がり、立憲国家の基礎となった。
ゆえに「国家機関や政治家が不正直であれば、(国は)手のにもった薄いガラス器具を落とすよういにこわれる」と喝破している。
▼正直、公明正大でることが政治家・政党に求められている。
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