悲痛遺書と両親が憤る
文部科学省が行った調査によると、昨年度、全国の小中高校で起きたいじめ認知件数は約54万件で過去最多となった(前年から13万件の大幅増)。報告のあった自殺者は322人。
文科省は「極めて憂慮すべき状況」としているが、具体的な対策は見つかっていない。なぜ子どものいじめは増え続けるのか。少年事件を追い続けるジャーナリストの須賀康氏が、過去に起きた“いじめ自殺”から深層を読み解く。
【画像】自殺した中3少女の悲痛な遺書や命を絶った現場写真
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〈死んだらもういじめられないですむ。死んだらみんなよろこび、かなしまないだろう。もうがまんのげんかいだ。首つって死にたい。死んでやるーー〉
‘05年4月13日、新学期が始まったばかりの山口県下関市立川中中学校で、3階階段手すりに制服のスカーフをかけ、首吊り自殺をした中学3年生の安部直美さん(15・当時)が残した遺書だ。
メモ帳サイズの紙の真ん中には「死」という文字が大きく書かれ、その周りには涙の跡とも見えるにじんだ文字がびっしりと書き連ねられていた。
父親の慶光氏が語る。
「学校も教育委員会も、娘の自殺の原因となったいじめを隠そうと死因が二転三転している。予断と偏見で娘の性格を判断し、事件後はうそを並べて真実の追究を放棄している。私は娘がどんないじめに会い、その日どんなことがあったのか真実を知りたいだけなんです」
直美さんは吹奏楽部の部員で、自殺当日は、授業終了後の練習に遅れて音楽室に行った。部員から「何をしていたの」と叱責され、直後に行方が分からなくなっている。そして、午後2時45分頃、探しに行った部員が見つけたのは、3階階段の手すりで首を吊っていた直美さんの姿だった。
遺体の左傍らには「完全自殺マニュアル」の本が置かれ、「首つり」のページに栞が挟まれていた。自殺から6時間後の午後9時、緊急保護者会が開かれ500人の父兄が集まり、校長の事件経過の説明と質疑応答が行われた。校長は、
「うちの学校にいじめがゼロとはいえないが、この生徒に関しては確認していない」
と答え、1、2年の担任男性教師は、
「いじめられていたことは、まったく気づかなかった。教育相談でも生活ノートでもそんな相談はなかった」
といじめ被害を全面否定したのだ。だが、直後から保護者の間からは「違う」という声が出始める。遺書は当初発見されず、自殺の原因は特定できなかったが、自殺した直美さんのスカートの左腰部には誰かに蹴られたと思われる靴跡がくっきり残されていたのだ。いじめを苦にした自殺……両親はそう思い始めた。
生徒への聞き取りもせず、自殺の真相究明に取り組む姿勢を見せない学校と教育委員会に両親は、’05年4月21日に、学校、市委員会、市長に質問状を提出した。四十九日の法要までにいじめの真相を知るために、「スカートの靴跡は誰のものなのか」などと問い質したのだった。
5月9日、直子さんが2年生の時の「生活記録」ノートでいじめ被害を訴えていたことが分かった。’04年12月21日の欄に直子さんはといじめの実態を書き、担任の先生はこう返事を書いている。
「それはもう本当にたいへんなことです。100%の確信をもっているのなら、もうすぐに行動にうつすからね。一人でも嫌な思いをする人がいるのは許せませんから」
◆消えた「生活記録」ノート
事件直後にいじめを否定していた担任は、事実を認めそれまでの前言を翻し、校長は全校生徒と保護者から聞き取り調査をすることを明らかにした。調査の結果で直美さんが日頃から校内で「キモイ(気持ちが悪い)」「あっちいけ」などといわれ、石を投げられていた事実が明らかになり、学校はいじめがあった事実を初めて認めたのだった。ところが、いじめの事実を書き連ねられた「生活記録」ノートが事件後学校から消えた。両親は学校に返還を求めたが校長は、
「探したがありませんでした」
と答えるのみだった。だが、そのノートの存在を示唆する内部告発の手紙が遺族宅に届けられた。内容はノートを3年次の担任が所持していること、校長らの指示で隠蔽した事実が匿名で書かれていた。その告発に対し松田雅昭・下関市教育長は、両親に「(匿名で)文責もありませんし対応しかねます」と回答した。私は事件後の騒動時、松田教育長を尋ねた。
―-―事件の原因ははっきりしましたか?
「結果は出ています。原因はいじめなのか何なのか、わからないということです。それ以上のことは警察がやることだ」
――遺族は自殺の原因を知りたがっている。警察には聞かないのか?
「われわれには関係ない。警察に聞いてくれ。どうやって亡くなったのかは知らない。いじめとは関係ないことだ。(われわれが)どうして原因を調べるのか」
私は、さらに生活記録ノートを持つと内部告発されている3年次の女性担任の自宅を訪ねている。インターホンに出た担任にノートについて聞くと、
「困ります。迷惑です」
と言ったまま会話は途切れた。
両親はなぜ自殺に追い込まれたのか事実を知るため、’07年10月、山口県警に捜査資料の開示請求を行った。だが、部分開示された資料は、学校関係者から聴取したと見られる部分は黒く塗り潰され、いじめの具体的な内容は読み取ることは出来ない。
「今の法律ではこれ以上のことを求めるのは無理。それでも捜査資料が開示されたことは意味があります。娘はどんないじめを受けて死んだのか、納得するまで戦い続けます」(慶光さん)
自殺から十年以上たった現在でも、遺族の心の傷が癒されることはない。
取材・文:須賀 康
’50年、生まれ。国学院大学卒。週刊誌を主体に活躍。政治や経済など「人と組織」をテーマに取材。学校のいじめ自殺や医療事故などにも造詣が深い
FRIDAYデジタル
最終更新:11/21(木) 10:03
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