屍の街・半人間

2023年11月02日 09時40分48秒 | 社会・文化・政治・経済
 
  • 屍の街・半人間 (講談社文芸文庫)
 
 
大田洋子(著)  
 
真夏の広島の街が、一瞬の閃光で死の街となる。
累々たる屍の山。
生きのび、河原で野宿する虚脱した人々。
僕死にそうです、と言ってそのまま息絶える少年。
原爆投下の瞬間と、街と村の直後の惨状を克明に記録して1度は占領軍により発禁となった幻の長篇「屍の街」。
後遺症におびえ、狂気と妄想を孕んだ入院記「半人間」。
被爆体験を記した大田洋子の“遺書”というべき代表作2篇。
 
人類の頭上に初めて投じられた原爆の実相に目を足で向き合い、占領下で限られた情報をかき集めて書いた。
 「屍の街」を書くことで、文学上の「語り部」となった。
 
ひたすら高潔な正義の人、だったわけではない。
過去には、戦争協力の文も書いていたのだ。
 強さ、弱さ併せ持つ人間臭さや悔いが作品を味わい深くしている。
 戦争末期、東京から広島に疎開し、原爆に遭遇し傷を負った。
 妹が「書けますか、こんなことを」と問うと洋子は「これを見た作家の責任だもの」と言った。
 異変に気付いたんもは敗戦の後の8月20過ぎだった。
 
被爆者たちが、外傷もないのに次々に死に始めた。
 放射線障害が体をむしばむ原爆症だった。
 刺さったガラス片を取ってもらいホットした娘が「私はいつ死ぬですか?」村の老医師に問う。
洋子は医師と被爆者らとのやりとりを書きとめる。
その娘は1週間後に血を吐いて死んだ。
 
妻は無傷だが顔色の底に変な色が沈んでいるのを医師は気づいていた。
男はそっと聞く。
「女房の方はいつ死ぬ?」
「1週間くらいかな」
「一緒くらいだね。あの世まぜ道づれといのは、よほどの縁だ」男は言う。
男は数日のうちに死に、妻はその2日後に死んだのだ。
男は原爆の不条理を本質的に突く言葉を残した。
 
東京の出版社は占領軍の検閲を内容を削る。
そして、完全版が出たのは1950年。洋子も米将校に尋問された。
 
真夏の広島の街が、一瞬の閃光で死の街となる。
累々たる屍の山。生きのび、河原で野宿する虚脱した人々。僕死にそうです、と言ってそのまま息絶える少年。原爆投下の瞬間と、街と村の直後の惨状を克明に記録して一度は占領軍により発禁となった幻の長篇「屍の街」。
 
後遺症におびえ、狂気と妄想を孕んだ入院記「半人間」。
被爆体験を記した大田洋子の“遺書”というべき代表作二篇。 
 
 
「銅色に焦げた皮膚に白い薬や、油や、それから焼栗をならべたような火ぶくれがつぶれて、癩病のような恰好になっていた」原爆の惨劇の断片を切り取っていく迫真のドキュメンタリーである「屍の街」。
今で言うPTSDに悩まされる過程を描く「半人間」。
前者は今となっては様々な情報を得ているだけにさほど衝撃は受けないが、後者の方が小説としての出来はすぐれているように思う。
戻っている平和な日常との歪、精神の壊れっぷりがなんとも恐ろしい。
 

作者が強調する原爆の恐ろしさは、その破壊力や被爆だけはない。
それは今までにない爆弾だった。
人々の想像力を超えていた。
そして突然の未知の力による破壊は、肉体のみならず人々の精神内部にまで及ぶ−
まさに体験した者だけが言えることだが、原爆の最大の恐怖は、
人々の気力を奪い去り、表情を消し、魂を蒼ざめさせることだという。
「じっさいは人も草木も一度に皆死んだのかと思うほど、気味悪い静寂さがおそったのだった」
「裂傷や火傷もなく、けろりとしていた人が、ぞくぞくと死にはじめたのは、八月二十四日すぎからであった」
見渡す限りの焼け野原を見た喪失感、そして生存者が日をおいて発症して死んでいく、という不可解な死の恐怖が全編を占めている。
そして作者は、自分の魂と人々の心をここまで消失させ、死の恐怖におびえさせた原因についての思いを率直に書く−。
広島は国内の他都市が大きな被害を受けたなかで、8月まで大空襲を免れていた。
それはなぜか?
アメリカは世界最初の原爆の地として広島を残していただけの話ではないのか?
そして、広島が爆撃を受けない理由を徹底的に調査し分析しなかった
戦争責任者、知識人への激しい憎悪…
「その推理が主知的に処理されていたならば、広島の街々に…
あれほどの死体をつまなくてすんだことと思える。」
 ところで大田洋子は書くことによって、魂の亡失から抜け出し、
自らを救済できたのだろうか?
作者のむける刃は、戦争というものに向かい、それに対して何もしようとしない無気力な人間に向かい、
そして最後に、感情を狂わせ喪失させられた自分自身に向かい、自らを傷つけることで救いを得ようとしているように感じて、気になった。
 

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