大韓航空機爆破事件は、1987年11月29日に大韓航空の旅客機が、偽造された日本国旅券を使い日本人に成り済ました北朝鮮の工作員によって、飛行中に爆破されたテロ事件である。
日本で大韓航空機事件と呼ぶ場合この事件の事を指す場合と、1983年9月1日の大韓航空機撃墜事件のことを指す場合に分かれる。
事件発生
大韓航空858便は、アブダビを協定世界時日曜日の午前0時01分に離陸、インドを横断し、ボンベイ(現:ムンバイ)から始まるアンダマン海上空の航空路R468を飛行して、ビルマ(現:ミャンマー)の航空管制空域に、離陸から4時間半後の現地時間午前10時31分(協定世界時:午前4時31分)に到達した。
インドとビルマの境界である、"TOLIS"ポイントからラングーン(現:ヤンゴン)の航空管制官に対し「現在37,000フィート(およそ10,700m)を飛行中。
次の"VRDIS"には午前11時01分、"TAVOR"(ビルマ本土上陸地点)には午前11時21分に到達の予定」と報告したのが、大韓航空858便の最後の通信となった。
ここで858便は航空路ロメオ68を飛行しており、ほぼ定刻通りにバンコク国際空港に到着するはずであったが、ラングーンから南約220km海上上空の地点で、午前11時22分に旅客機内で爆弾が炸裂し、機体は空中分解した。
機長は、遭難信号や地上の管制機関に緊急事態を宣言する間もなく、爆発の衝撃で即死したと見られる。
乗客・乗員115人全員が、行方不明(12月19日に全員死亡と認定)となった。
実行犯の拘束[編集]
事件直前、バグダードで搭乗して経由地のアブダビ空港で降機した乗客は15人いたが、その中に日本人男女各1名がいた。この2名は、日本の旅券を持っており、30日午後にバーレーンのバーレーン国際空港にガルフ航空機で移動し、同国のマナーマのホテルに宿泊していた。韓国当局も搭乗名簿から、この「日本国旅券」を持つ2人の男女が事件に関与したと疑っており、当地の韓国大使館代理大使がその日の夜に接触した。
事件直前の1987年11月21日に、東京で警察に偽造旅券を所持していたため逮捕された日本赤軍の丸岡修は、翌年に迫ったソウルオリンピックの妨害工作をするために、ソウル特別市行きを計画していたことが明らかになっており、中東を本拠地とする日本赤軍の事件への関与が疑われていた。そのため大韓民国中央情報部は、早い時点で2人をマークしていた。
また日本国政府当局は「日本人による反韓テロ事件」を懸念していた。
在バーレーン日本大使館が入国記録を調べたところ、航空券の英文の「姓」が抜けていた。日本では男女問わず姓を名乗る事が法律で定められているため違和感を覚え、女の旅券番号を日本国外務省に照会したところ、徳島市在住の実在する男性に交付されたパスポートと同一であることが判明、偽造であると確認した。
2名は、バーレーンの空港でローマ行きの飛行機に乗り換えようとしていた為、日本大使館員がバーレーンの警察官とともに駆け付け、出国するのを押し留めた。
日本大使館に身柄拘束権が無かった為、同国の入管管理局に通報し、警察官に引き渡した。
空港内で事情聴取しようとした時、男は煙草を吸うふりをして、その場であらかじめ用意していたカプセル入り薬物で服毒自殺した。
現場に居た、日本人外交官であった砂川昌順による『極秘指令~金賢姫拘束の真相 』(NHK出版)によれば、女はマールボロに隠された青酸系毒薬のアンプルを、警察官から奪い取り自殺を図ったが、バーレーンの警察官のハッサンが飛びかかり、直ちに吐き出させた為、完全に噛み砕けず青酸ガスで気を失って倒れただけに留まった。
男は死亡したが、同伴の女は一命を取りとめ、3日後に意識を取り戻した。
自殺した男が所持していたパスポートの名義の男性は東京都在住の実在する人物であったが、彼のパスポートは東京にあった。
彼は「宮本 明(みやもと あきら)」を名乗る男の全額費用持ちでフィリピンのマニラとタイのバンコクに1983年(昭和58年)秋に旅行したが、その翌年に「宮本」に、パスポートと実印を1か月ほど貸していたことが判明した。
実行犯の背景
実行犯は北朝鮮工作員の金賢姫(当時25歳)と金勝一(当時59歳)であった。
2人は10月7日に金正日の「ソウルオリンピックの韓国単独開催と参加申請妨害のため大韓航空機を爆破せよ」との親筆指令に従いテロ行為に及んだもので、父娘であると偽りテロ実行のために旅行していた。
韓国当局の取調べによれば、2人は11月12日に任務遂行を宣誓し、ソ連の首都モスクワへ朝鮮民航(現:高麗航空)で北朝鮮政府関係者2名とともに向かい、そこでアエロフロート便に乗り換え当時社会主義国家だったハンガリーに11月13日に北朝鮮のパスポートで入国した。
そこで6日間滞在した後にハンガリーから隣国オーストリアに11月18日に陸路入国した。
ハンガリーへの2人の入国はハンガリー政府も公式に認めている。
この時まで金賢姫は別人名義の北朝鮮旅券を使い金勝一は北朝鮮外交官旅券を使っていたが、オーストリア国内で日本の偽造旅券を使い始めた。
6日間滞在したあとウィーンから11月23日発のオーストリア航空621便でユーゴスラビアのベオグラードに移動して5日間滞在した。
2人はベオグラードの北朝鮮工作員のアジトで爆発物を受け取ったとされる。
「金賢姫は外交官の父を持つ北朝鮮では比較的恵まれた家庭出身であった」としているが、該当する外交官は確認されていない。平壌外国語大学日本語科に在籍中に北朝鮮の工作員としてスカウトされ、日本における謀略活動のための訓練をされており、北朝鮮工作員の海外拠点であったマカオ(当時はポルトガル海外県)に何度も滞在していた。「李恩恵」と呼ばれる女性(日本から北朝鮮により拉致されたとされる田口八重子とみられている)に、日本語教育や日本文化の教育を受け、「蜂谷眞由美」という日本人名を使用し、日本人になりすましていた。
事件の動機
現在も北朝鮮は事件への関与を否定しており、韓国による自作自演を主張しているが、この事件の指導と総指揮は、当時既に金日成の後継者に指名されていた朝鮮労働党書記金正日が執ったと言われている。
その主な目的は、「大韓航空機の原因不明の空中分解」によって大韓航空のみならず韓国政府の国際社会における信頼低下を引き起こし、その結果として翌年にソウルで行われるソウルオリンピックの妨害を行うことであったと言われている。
具体的には北朝鮮の同盟国であった東側社会主義諸国にオリンピックをボイコットさせる動機のひとつにしようというものであった(他にもオリンピックそのものを中止させるためともいわれているが、効果は疑問である)。
これはオリンピックのエントリー締切が1988年1月17日であり、妨害するならこの時期が最後の機会であったためである。
しかし、金賢姫がハンガリーに北朝鮮パスポートで入国し、そこから日本の偽造パスポートで出国したことから、ハンガリー当局は北朝鮮による謀略があったと判断し、当時の東側陣営の盟主であったソ連へ報告したため、東側社会主義国全体からも「卑劣なテロ国家」として認識されるようになった。
そのため、ソウルオリンピック参加を曖昧にしていた、ソビエト社会主義共和国連邦および中華人民共和国は正式に参加表明、他の東欧諸国も追随し参加を表明した。
結局参加しなかったのは北朝鮮ぐらいで、目論見は完全に失敗することになった。