映画 メリーに首ったけ

2024年02月17日 10時28分57秒 | 社会・文化・政治・経済

2月17日午前3時30分からCSテレビのザ・シネマで観た。

メリーに首ったけ』(メリーにくびったけ、There's Something About Mary)は、1998年制作のファレリー兄弟監督によるアメリカ合衆国ロマンティックコメディ映画

メリーに首ったけ : ポスター画像 - 映画.com

概要

ロマンティック・コメディといわゆるお下劣コメディを足して二で割ったような独特の作風で、予想外のヒットを飛ばした。キャメロン・ディアスの出世作であり、またアメフト選手のブレット・ファーヴが本人役で特別出演している。

劇場版に収録されなかったシーンを10分以上盛り込んだ長尺版(日本では「完全版」、「エクステンデッド版」、「メロメロ・バージョン」等)がDVD/ブルーレイでリリースされている。

There's Something About Mary (1998) Screencap | Fancaps

ストーリー

1985年のロードアイランド州プロビデンス。16歳の高校生テッド・ストローマンは、憧れの女性メアリー・ジェンセンとプロム(学年末のダンスパーティ)に行こうとしていたところ、スボンのファスナーに陰嚢を挟んでしまう。

彼は痛みを伴いながらもファスナーを開いた後、入院することとなり、そのせいでプロムには行けなくなってしまう。その後、テッドはメアリーと連絡が取れなくなる。

13年後の1998年、テッドは雑誌ライターとなっており、今もメアリーに恋をしている。親友のドム・ウォガノウスキーの助言を受け、テッドは私立探偵パット・ヒーリーを雇い彼女を探させる。

ヒーリーは、メアリーが整形外科医になっていて、知的障害のある弟のウォーレンと一緒にマイアミに住んでいることを突き止める。数日間の観察の後、ヒーリーも彼女に取り付かれてしまう。

彼はプロビデンスに戻り、メアリーは太り過ぎており、3人の異なる男性との間に4人の子供がいると、テッドに嘘を伝える。ヒーリーは仕事を辞め、彼女に近付くためにマイアミに戻る。彼はメアリーを手に入れるために、嘘、ごまかしやストーカー行為に走る。

一方、テッドはヒーリーがメアリーについて嘘をついていたことを知り、彼女に会うためにフロリダへ車で向かう。

ドライブ中に、ヒッチハイカーを拾い、その男は彼の車の中に死体を残して去る。

テッドは殺人容疑で誤って逮捕され、ヒッチハイカーが殺人を自供した後、ドムによって保釈される。

ヒーリーとメアリーは数週間のデートを経て、英国人建築家の友人タッカーがヒーリーの嘘を暴く。タッカーが、連続殺人犯の疑いがあるという嘘の話でヒーリーを中傷し、ヒーリーとメアリーの関係は終わる。

これに激怒したヒーリーはタッカーと対決し、タッカーが実際にはメアリーに夢中になっているノーム・フィップスという名前のアメリカ人のピザ配達員であることが判明する。

数年前、ノームは彼女の患者となり、彼女に近づくために意図的に自傷行為をしたのだ。彼はメアリーとの関係を維持し彼女に言い寄る男たちを追い払うために、まだ障がいのあるふりをしていた。

テッドとメアリーが再びデートをするようになると、テッドを追い払うためにヒーリーとノームは手を組む。

メアリーは、テッドが自分を探すためにヒーリーを雇ったことをバラす匿名の手紙を読んで怒り、彼を捨てる。

その後、テッドは怒ってヒーリーとノームを責め立てるが、2人は匿名の手紙を送ったことを否定したので、テッドはイライラながら立ち去るしかなかった。

ドムはメアリーの元ボーイフレンド「ウギー」であることが明らかになり、後に彼女のアパートに現れ、自分が匿名の手紙を書いたことを認める。

メアリーは以前、ドムが彼女の虜になってしまったため接近禁止命令を警察から出して貰っていたのだが、既婚者で子供もいるにも拘わらず、テッドが彼女を見つけたと知った後、再び虜になってしまっていた。

これらのことを部屋の外で聞いていたノームとヒーリーが部屋に乱入し、メアリーをドムから救い出す。

そこへテッドが、メアリーの元恋人ブレット・ファーブルと共に到着する。

ブレットは、彼がメアリーの弟のウォーレンを侮辱したという嘘をノームがメアリーに伝えたのでメアリーに捨てられた男である。

テッドは、ファーブルが彼女を手に入れるために嘘や欺瞞を使わなかった唯一の人であることから、ファーブルこそ彼女と一緒にいるべきであると裁定する。

メアリーとファーヴルを結び付け、他の男たちを打ちのめしたまま、テッドは涙を流しながら去って行く。

しかしメアリーはテッドを追いかけて外へ行き、「あなたと一緒が一番幸せだわ」と言ってテッドにキスする。

一生に一度は観ておきたい、49のコメディー映画 | Business Insider Japan

キャスト

役名 俳優  
メリー・ジェンセン・マシューズ キャメロン・ディアス  
テッド・ストローマン ベン・スティラー  
パット・ヒーリー マット・ディロン  
タッカー、ノーマン・フィップス リー・エヴァンス  
ドム・ウォガノウスキー クリス・エリオット  
シーラ・ジェンセン マーキー・ポスト  
ウォーレン・ジェンセン W・アール・ブラウン  
マグダ リン・シェイ  
サリー ジェフリー・タンバー  
リサ マーニー・アレクセンバーグ  
クレボイ刑事 リチャード・タイソン  
ブレット・ファーグ ブレット・ファーヴ(本人役、特別出演)  
ブレンダ サラ・シルバーマン(特別出演)  
チャーリー・ジェンセン キース・デヴィッド(特別出演)  
ジョナサン・リッチマン ジョナサン・リッチマン(本人役、特別出演)  
ヒッチハイカー ハーランド・ウィリアムズ(特別出演)  

反響

徹底したお下劣系のユーモアのせいで全米映画協会(MPAA)からはR指定を受けたが、観客の評判は良く、スマッシュ・ヒットとなった。スティラー演じるテッドがオナニーをして、精液が自分の左耳にかかってしまうシーンは特に有名。

ディアス演じるメリーはそれをヘア・ジェルと勘違いして、自分の髪の毛につけてしまう。この「ヘア・ジェル」という言い方はアメリカで一時流行語になった。

 


人間は違いより、共通点の方が多いのだ

2024年02月17日 09時28分07秒 | その気になる言葉

▼一念が変われば、環境は変わる。

試練に直面した時は、成長するチャンス。

一念の「念」は「今」の「心」と書く。

全てをプラスの方へと転じる力は、現在(今)の心なのである。

心のエンジンは偉大である。

▼人間は違いより、共通点の方が多いのだ。

▼良い友人関係にはストレス低減の効果もある。

▼精神的指導者が、どれほど偉大な人物であったかを判断する真の尺度は、どれだけ個人の人生に影響を与えたかにある。

 


21世紀はアフリカの世紀

2024年02月17日 09時05分48秒 | 社会・文化・政治・経済

「紛争が多い」、「貧困層が多い」と、日本人は思いがちだが、現実は違う。
いま、アフリカに欧米、中国企業が相次ぎ進出しているが、現地の人々を幸福にできていない。
文化や習慣、言語などの違いといった「多様性」への理解が足りないからだ。
それができるのは、日本人。来るべき「アフリカの時代」を見据え、今こそ行動の時だ。

途上国が世界を
牽引する時代へ

 2011年10月31日、世界の人口は70億人を突破した。国連人口基金が発表した「世界人口白書」によれば、50年までに世界の人口は90億人を突破し、今世紀中に100億人に達するという。

 これだけでも衝撃的だが、今世紀中にもっと大きな変化が起きる。それは、「途上国が世界を牽引する時代」を迎えるということである。国連人口部の人口推移予測グラフを読み解くと、50年までにアジア、アフリカ、中南米で世界人口の85%を占めるようになる。

 アジアの人口は50年の50億人をピークに減少に転じる。いま隆盛を誇る中国は、40年過ぎには、人口の伸びが止まり、急速な高齢化に直面する。中南米も50年に7億人に達したのち、それ以上増えない。だが、アフリカだけは例外だ。21世紀後半になっても一貫して伸び続け、2100年には30億5000万人にも達する。つまり、今世紀中に「アフリカの時代」が到来するのである。

 日本人にとって、アフリカは遠い。それゆえ、「人口が多くても貧困層が多いため、有望な市場にはならない」と思う読者も少なくないだろう。しかし、そのイメージは間違っている。

 多くの日本人は、「アフリカは紛争が絶えず、政情不安で危険極まりない」と思っているかもしれない。確かに、北部のチュニジア、リビア、エジプトは今まさにそうなっている。リベリア、シエラレオネなどの西アフリカも最近までそうだった。スーダン、ソマリアも紛争が絶えない。

 しかし、南部アフリカ開発共同体(SADC)諸国の事情は違う。加盟15カ国のほとんどの国々がしっかりとした政権基盤と、経済成長の可能性を秘めている。

 例えば、ナミビアは欧州並みに安全で、田舎に行ってもホテルは清潔、大自然が美しく旅行に最適な国である。ジンバブエはどうか。ロバート・ムガベ大統領は、独裁者のイメージが強いが、それは欧米系のメディアの影響だ。現地の教師や農民、商店主のみならず野党出身の連立内閣でさえ、「建国の父」として植民地主義者と戦ったとの評価のほうが高い。西欧の偏った人権政策の影響で経済制裁を受けたり、スーパーインフレに悩まされた時期もあったが、今後は目覚しい発展を遂げるだろう。

 ザンビアの将来性も高い。同国は、世界有数の銅の産出国であり、地理的にもSADCの中心に位置している。リーマン・ショック後の09年も6.3%もの経済成長を実現しており、今後、ますますの発展が見込まれる。政治もアフリカの中でもっとも安定しており、1964年の建国以降、内戦やクーデターは一度も起きていないし、大統領が憲法改正して任期を延ばし居座ろうとしたこともない。現職の大統領が落選しないような措置を講じる国が多い中、11年秋にあった大統領選挙は、まさに民主主義のお手本のようなもので、欧米が見習うべき点も多い。

 


医師が教える新型コロナワクチンの正体

2024年02月16日 10時08分36秒 | 医科・歯科・介護

本当は怖くない新型コロナウイルスと本当に怖い新型コロナワクチン 


よみがえる大野 日本語=タミル語接触言語説

2024年02月16日 09時39分27秒 | 社会・文化・政治・経済

タミル語による記紀、万葉集の未詳語などの考察
田中 孝顕 (著)
 
大野説は如何にして闇に葬られたのか?
言語学界の固執を暴き、タミル語でしか分からない古代日本語の本当の意味を追求する。

大野 晋博士による「日本語タミル語説」は、提唱されて以来40年間経つ今日まで、多くの学者によって全否定されてきた。
しかし本当にこれはおかしな説なのだろうか?
例えば、ヤマトはタミル語で日の本、巻向は日の出、
木花開耶姫は「王の命・早く・散らす」姫を意味する。
これまで意味不明とされてきた日本書紀・万葉集・古代地名などの未詳語を
タミル語で解くと、驚くべき古代日本の真実が明らかに!!
 
著者について
■田中 孝顕/タナカ タカアキ
1945年1月6日生まれ。東京都江東区深川永代。のち中野区鷺宮へ疎開。
國學院大學卒業。
Napoleon Hill「思考は現実化する」(翻訳。きこ書房 1990)  「日本語の起源 日本語クレオールタミル語説の批判的検証を通した日本神話の研究」(きこ書房 2004) 「日本語の真実」(幻冬舎2006) 「ささがねの蜘蛛 意味不明の枕詞・神話を解いてわかる古代人の思考法」(幻冬舎2008) T.Burrow, M.B.Emeneau 著「ドラヴィダ語語源辞典 度・和・英対訳版<逆引き可能>』(日本語版監修。きこ書房 2006) マーク・セバ「接触言語 ピジン語とクレオール語」(翻訳。きこ書房 2013) その他。
 
大野説の復活、万歳!


著者の田中孝顕氏は、自己実現や人生の作り方の本をたくさん出している人なので、大野先生の前向きな生きざまには大いに共感したのではなかろうか。(もちろん、大野説への理解・共感が根底にはあるはずだ。)そんなわけで、大野説に対して保守的な批判を繰り返すばかりで、真理に対する可能性をつぶしてまわる学者たちにがまんがならず、この際はっきり一言言っておく、という気構えで出したのがこの本だ。そういう義侠心から出た本なので、2200円という破格の安さなのだろう。とにかく、一人でも多くの人に読んでもらいたいとい気持ちで付けた値段設定だ。今時、これほど厚い本なら倍の値段はするだろう。
内容については、著者の学者批判は明快かつ具体的で説得力にあふれている。ふたたび大野説を舞台に引き戻すよい契機になるのではないか。ぜひ、多くの人にこの本を読んでいただき、日本語のなりたちについて一緒に考えていただけたらと思う。
さて、大野晋先生と批判派の学者たち、歴史に名を残すのはどちらか。私は、間違いなく大野先生の方だと思っている。
日本語はどこからきたのか―ことばと文明のつながりを考える 
大野 晋 (著)
 
日本語の起源 新版 (岩波新書) 新書 – 1994/6/20

大野 晋 (著)
 
日本語とはどこに起源を持つ言葉なのか.旧版(一九五七年刊)では答の得られなかったこの問いに,数多くの単語,係り結びや五七五七七の短歌の形,お米や墓などの考古学的検証,さらにカミ,アハレ,サビなど日本人の精神を形作る言葉の面から古代タミル語との見事な対応関係を立証して答え,言語と文明の系統論上に決定的な提起を行う.


1919‐2008年。学習院大学名誉教授。東京大学文学部卒業。国語学者。文学博士(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 源氏物語 (ISBN-13: 978-4006001971 )』が刊行された当時に掲載されていたものです)

 

日本がまとまりをもって見えてくる好著~壮大なパースペクティブと緻密な検証姿勢は学問の鏡か
 
日本は言語/文化/民族が多岐化しており、大野氏はその盲点を見事に衝いた衝撃的な事実を、
言語学会のみならず文化学会や民族学会にも突きつけたことになるでしょう。
本書の要諦はこういうことです:

即ち、従来日本語の起源に関して、アルタイ語説などがいわれてきましたが、
文法構造の類似性の割には単語レベルでの相互間識別状況や音韻との対応性の悪さのために、
決定打を欠いた状況にあったわけですが、南インドのドラヴィダ系タミル語を起源とすると、
古代日本語を核として古代日本文化も古代日本民族もひとつにまとまるというわけです。
即ち、北インドのサンスクリット(梵語)やその系列線上には実に多様な言語系統が乗ってくるのですが、
古代日本語はそのどれとも異なります。結局、日本の基層文化は仏教(仏教すら舶来品!)ではなく、
神道にあるという思想史的事実関係ひとつとってみても、頷ける点が多々あります。

形質人類学的なタミル人とのDNA相同性にせよ、文化人類学的なタミル文化との相同性にせよ、
古代日本語・古代日本文化・古代日本人という形でひとつにまとまる重大な契機を与えてくれた、
という点で本説はまことでしょう。

冒頭当方は日本は言語/文化/民族が多岐化している、といいましたが、
それは日本語が故地から離れ、日本列島内で独自の自閉と変化を辿ってきたがために、
やがて怒涛のように押し寄せてきた舶来文化の積極的輸入から文化変容を来たしたうえ、
人種的な混淆も進んだことから混成民族(クレオール)が形成されてきたのです。
即ち、言語・文化・民族なのではなく言語/文化/民族なのです。

そこで、大野氏は事態を逆に考えました。
いったんバラバラになった民族要素がひとつでありうる既成の民族を探り当てたわけであり、
それがほかならぬタミル人だったわけです。
タミル語と古代日本語の認識態様ひいては言語学的構造の同一性、
またタミル文化と古代日本からの農耕文化の同一性(田畠や墓所をめぐる文化形態に色濃く顕現している!)
そしてタミル人と日本人の人種学的同一性。この3つが揃う限り、日本人はタミル人を起源としている、といえるでしょう。
その意味で大野先生は言語人類学者であったといえましょう。

本例は学問論としても有意義です。即ち、言語学と人類学が対立していては何事も解決しないのです。
言語人類学として提携関係にある限り、難問が一挙に綻び、解決に向かうというものです。
そうした向きにはぜひ本書をご一読になり、日本語・日本文化・日本人について再考願いたく思います。
きっと日本という国・民族がまとまりをもって見えてくるに相違ありません。
もっと少なく読む
 
 
読み物としては面白い
 
国語学者大野晋がいわゆる「日本語=タミル語同系説」を提示した著作。
斬新な発想を裏付けようと少しずつ考証を重ねていく展開は半ばドキュメンタリーのようでもあり読んでいて楽しい。
ただし論証が丁寧かといえば微妙で、後に言語学的観点から色々な批判もあったらしい。
専門的なことは別としても、たとえば所々で「〇〇さんの祖父母の代にはこういう風習があった」みたいなエピソードが挿入されるのだが、数千年、数万年単位の仮説を論じているというのにせいぜいこの一世紀の間に消えた伝統のようなものを傍証とするのはあまりにも「現在」を特権化しすぎな気もする。
とはいえやはり読み物としては面白い。
読んで損をした気分にはならないと思う。
追記(2023/03/25):上の方のレビュー、何が言いたいのか全くわからない。素人の感想というのはなるほど事実ですが、その疑問「数万年単位の仮説を論じるのにこの一世紀ほどで消えた伝統のようなものを傍証とする手続きは正当なのか」に答える訳でもなくご自身の国文学研究科出身という経歴を披露するばかりでそれ以上のことは何も言ってくれていない。
後段の文化人類学云々も意味不明で、文化人類学の学的寄与が存在するからと言って、それを援用する者の主張が正しいことにはなりません。大昔に事典を買った、だからなんですか? 学会に参加したことがある、だからなんですか? 
総じて陳腐で蒙昧で権威主義的なポエムでしかないので、突っかかられた意味も分からず単に不愉快です。
 
 取り扱い注意本だが、お勧め本
 
先ず、タミルをタミールというは、スピットファイヤーをスーピットファイヤーと云うが如しで両者成立する。
些細なことに立腹は無用。選考レビューにあまり無いことを追加。
①四海千は、学習院時代の大野教授が1年間休職したのを、知っていたが、NHKがインドまで出向いて密着取材をしていたのは知らなかった。
②NHKの特番での大野の発言は、本書の内容と重なるのでNHKの番組を見て本書を読んだほうが、理解は深まるのだが。
③何が取り扱い注意なのか? 
本書p32,p202等に出てくる「タミル語大辞典」(1924-39年、マドラス大学編、全七巻4351ページ)が、超警告・注意なのである。
④四海千は貧乏だった30年前ー今でもビンボーだが、前記大辞典の抜粋辞典1冊(3万円もした)を買ってある。
既に村山七郎によって、全部英語で記述されているタミル語の見出しの英語訳の日本語訳が、大野の独断過ぎる日本語訳で捻じ曲げられているとの指摘を見る。
先行レビューに、読みものとして云々~は、失礼だが素人さんの感想で、国文科(日本文学科)大学院出身者としては、本書の内容をいずれも深刻に受け止めなければならない。
2023年現在で、日本の国文(日本文学)科および日本語学科の大学教員の99パーセントは、タミール語に無関心だが、縦割りの言語学科大学院出身者の中には、タミル語ばかりでなく、テルグ語ヤカンナダ語等の関心も高い。p29に出てくる藤原明教授と大野晋の国語学会(於筑波大学春季)での大喧嘩をただ見ていた者として、もう少しまともな議論ができなかったのか?と今でも思う。
④超お勧めの理由の第一は、本書が文化人類学の視点を持っているからだ。またゾロNHKの教養特集の話になるが、古事記・日本書紀の神話や風土記説を訓(よ)み解釈するには、東南アジアや台湾・中国大陸での文化人類学の資料を参照することは必須で、大野教授が云うように南インド地域を入れても良いと四海千は思えるようになった。中南米裸族の風習も入れてよい。
⑤ユング心理学の創設は、比較神話学者は、精神病理科医者の臨床を知らない、反対に精神病理科臨床医は、比較神話学のデーターを全く知らない、この欠陥を両者のデーターを共有することで、一例のみだが、太陽がペニスを垂らしていると云う精神病者と同類な太陽説話・神話類を創作した古代人部族の心理状態を、ユング学は類推する事ができるようになった。大野の文化人類学視点の主張は全く正しい。
⑥ただ、二者間(タミル語文化VS日本奈良時代語文化)のみの比較がかえって正確さを損ねてしまう場合もあることに注意をしなければならない。
長くなるからあと1例に留めるが「妻問い婚」は、中国黄河文明の勃興の漢民族は礼の思想から外婚制を建前としているが、中国少数民族(5千年ほど前は、少数でもなく今と居住地域も違ったが)は「妻問い婚」制が多い。すべて南インドに発すると結論付けるのは、疑問が多すぎる。
 
 
功罪相半ばする一冊


日本語の起源という日本語学最大のテーマに挑む一冊。
伝統的な国語学の範囲における係り、五七五七七の短歌の形,カミ,アハレ,サビといった単語の精神文化的研究は大変示唆に富むものであり、読むべきところが多い。

 しかしきわめて残念なことに、日本語の起源をタミル語と、比較言語学的な手続きを全く経ずに強引に結び付けているが、全く理解に苦しむところである。
大野氏の師である橋本進吉先生は草葉の陰でどう思われているだろうか。
 一部で「クレオール」という用語や概念を振り回す傾向があるが、クレオールを理解していないと言わざるを得ない。
近年の対照言語学や言語類型論の観点からも、タミル語以上に日本語との文法の類似性を見せる言語はすでに相当数報告されている。タミル語の文法のみを取り上げる理由はない。
また、いつ、どのようにしてタミル語をはなす人々が日本列島に到達したのか。また、その間に中間にあたる言語が存在しないのはなぜか。大野説に固執し、不要な論難を行い、これまでなされてきた誠実な言語学の努力や成果を侮辱する人々は以上のような疑問に答える義務がある。
 大野氏の文体は非常に流麗であるので、多くの人々には一見説得力があるように見えるようだが、比較言語学的にはほとんど意味がないものだと結論せざるを得ない。岩波新書という権威と入手のしやすさから、本書が多くの言語学の素人を惑わせているとすれば、その罪は重いといわざるを得ない。
 個人としての氏の逝去は悼むし、古典文法の功績について、評価すべき点について評価するのはまったくやぶさかではない。しかしもはや、なぜこのような「トンデモ」本が出版され、一定の認識を得るという悲喜劇が起こったのか、出版や学術研究のありかたや集団心理について解明する時期であろう。

 学術的なタミル語説の検討については、次のような書籍を読まれることを薦めたい。
堀井令以知 「比較言語学を学ぶ人のために」
村山七郎 「日本語タミル語起源説批判」
安本美典 「新説!日本人と日本語の起源」
 
 
本当は日本語に一番近いのはタミル語ではなく、ドラヴィダ諸語。
タミル語はドラヴィダ諸語の代表的一言語に過ぎない。
 
 実を言うと1981年に出版された藤原 明による「日本語はどこから来たか」という書物により日本語とドラヴィダ諸語の近縁関係が記述されており、それは正当な比較言語学的方法によりなされており、本物である。
個人的には決定済と確信している。
 一方、本書はウィキペディアを見ると分かるがタイトルの如く一言語のみと日本語を比較していることから、比較言語学者より批判を浴びている。
例えは悪いが英語との比較にラテン系言語であるイタリア語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語の中からイタリア語のみを選ぶようなものである。
本書に藤原 明の記述もあり、知っていながら安易な方法を選択した理由が分からない。
 残念なことに藤原 明の書物は絶版となっていることから代用品として本書を読む以外に方法がないでしょう。(因みに藤原書はアマゾンでは古書3冊出品されているがいずれも8千円台)藤原 明の方は例の豊富さ、図解の豊富さ等で本書より数十倍の説得力がある。
 21世紀の今日、日本語起源論はドラヴィダ諸語との近縁関係で決着させるべく若い人が研究を継続してくれるというのが個人的熱望である。
 

 


仏教の根幹の原理

2024年02月15日 13時46分22秒 | 伝えたい言葉・受けとめる力

▼積み重ねた努力が、望んだ結果をもたらすとは限らない。

だが、努力なくして道が開けることはない。

地に足を着けて進む―その一歩を、全て意味あるものに変えていくのだ。

▼人生にムダなことは、何一つない。

▼対立よりも協力に価値を見出す姿勢が重要である。

▼科学的思考―とは「神に言及せずに世界を説明すること」であり、先人の思考の継承・発展と、それに対する批判の組み合わせだ。

▼神のような超越的絶対者に救済を求める宗教と異なり、「万人が民衆救済の慈悲(慈しみと同苦の仏の生命)の主体的な行動者」になるといのが、仏教の根幹の原理である。

▼信仰のない科学は不完全だ。科学のない信仰は盲目だ―アインシュタイン


釈尊 言葉を自在に使う人

2024年02月15日 13時40分30秒 | 社会・文化・政治・経済

釈尊(しゃくそん)は、仏教において仏陀(ブッダ)とも呼ばれ、言葉を自在に使う人とされています。

彼は悟りを開いた者であり、智慧と慈悲の教えを説いた存在として尊敬されています。彼の教えは、人々に平和と幸福をもたらすものとされています。

 

誕生日は4月8日: 約2600年前、インドのカピラ城に、釈迦族の王子として生まれました。彼の誕生は「花祭り」として祝われています。

  1. アシダ仙人の予言: アシダ仙人は、若きシッダルタ太子を見て、彼が将来「転輪王」または「仏陀」となることを予言しました。彼は世界を支配する王か、無上の悟りを開く仏陀か、どちらになるかを示しました。

  2. 出家と悟りの瞬間: 29歳の時、シッダルタは出家し、苦行と瞑想を通じて悟りを開きました。彼は「仏陀」となり、人々に智慧と慈悲の教えを説きました。

  3. 教え: 釈尊は、人々が自己の本来的な尊厳性を知り、他者の尊厳性を尊重することを教えました。彼の教えは、苦しみから解放されるための智慧と方法を示し、人々に幸福と平和をもたらしました1234.

釈尊の教えは、現代でも多くの人々に影響を与えています。彼の智慧は、私たちが人間らしく生きるための尊い指針となっています。

  1. 誕生日は4月8日: 約2600年前、インドのカピラ城に、釈迦族の王子として生まれました。彼の誕生は「花祭り」として祝われています。

  2. アシダ仙人の予言: アシダ仙人は、若きシッダルタ太子を見て、彼が将来「転輪王」または「仏陀」となることを予言しました。彼は世界を支配する王か、無上の悟りを開く仏陀か、どちらになるかを示しました。

  3. 出家と悟りの瞬間: 29歳の時、シッダルタは出家し、苦行と瞑想を通じて悟りを開きました。彼は「仏陀」となり、人々に智慧と慈悲の教えを説きました。

  4. 教え: 釈尊は、人々が自己の本来的な尊厳性を知り、他者の尊厳性を尊重することを教えました。彼の教えは、苦しみから解放されるための智慧と方法を示し、人々に幸福と平和をもたらしました1234.

釈尊の教えは、現代でも多くの人々に影響を与えています。彼の智慧は、私たちが人間らしく生きるための尊い指針となっています。


利根輪太郎の競輪人間学 4番の目が強い日も

2024年02月15日 12時49分07秒 | その気になる言葉

FⅠ 西武園競輪 スポーツニッポン新聞社杯

2日目(2月14日)

結果見ると4番の目多い日であった。
ちなみに、4レースの4番はラインの3番手(大穴の要因)であった。

1レース

1-4 210円(1)  1-4-6 750円(2)

2レース

4-1 4,180円(16) 4-1-2万27,340円(90)

3レース

2-5 2,390円(8) 2-5-1 2万3,010円(62)

4レース

2-4 1万9,840円(33) 2-4-6 13万8,770円(169)

4レースの2-4は1レース1-4の上がり目で3レース2-5の上がり目だった。

また、この日は4番の目が強い日でもあった。

6レース 3-4-5 3,830円(8)
 
7レース 4-1-7370円(1)
 
10レース 4-2-3 1,820円(3)
 
12レース 3-4-1 1万6,570円(74)



選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 2 丹波 孝佑   12.1 B 先行押切る
2 4 野村 純宏 3/4車輪 11.7   落避け伸び
  3 6 伊早坂 駿一 大差 12.5     前落車避け
1 水書 義弘         乗上げ落車
3 松根 真       S 落車巻込れ
7 菊池 竣太朗         前輪払われ
× 5 中井 護         斜行し落失

利根輪太郎の競輪人間学 大穴の条件

2024年02月15日 12時43分59秒 | 未来予測研究会の掲示板

7の走者の競輪レースでも、10万円を超える大穴が車券が飛び出すことがたまにある。

その要因にあるのは、ライン3車の3番手選手が1着になる場合でるのだ。

多くの競輪ファンたちは、競輪は番手選手が断然有利と信じている。

だが、一番不利な3番手選手が直線で伸びるのである。

 

 FⅠ 西武園競輪 スポーツニッポン新聞社杯

初日(2月13日)

5レース

並び予想 5-1-6 2-4-7 3(単騎)

結果 7-1 3万560円(40番人気) 7-1-5 20万5,920円(184番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 7 田村 真広   12.5   3番手中割
2 1 伊豆田 浩人 1/2車輪 12.7 S ハコ絶好も
× 3 5 菊池 竣太朗 3/4車身 12.9   B 好気合突張
4 3 加藤 寛治 3車身 12.8     捲り不発で
5 2 荒木 貴大 1車身1/2 13.4     叩けず飛ぶ
6 4 片折 亮太 大差       内降り故障
  6 水書 義弘         打鐘過落車

12レース

並び予想 1-7 5-2 4-3-6

結果 6-2 2万9,010円(41番人気) 6-2-7 13万9,950円(188番人気)




選手名 着差 上り 決ま
り手
S

B
勝敗因
1 6 西村 光太   12.4   外持出し鋭
2 2 横山 尚則 3/4車輪 12.7 S 絶好頭かに
3 7 内藤 宣彦 3/4車輪 12.3     前不発切替
  4 5 黒沢 征治 1車身 12.9   B 飛付番手捲
5 3 中井 太祐 3/4車身 12.8     番手捌かれ
× 6 1 佐藤 一伸 9車身 13.4     捲り進まず
7 4 野口 裕史 4車身 14.4     叩くも裸で

生命変革の哲学 : 日蓮仏教の可能性

2024年02月15日 09時22分59秒 | 社会・文化・政治・経済

自分が変われば周囲も環境も変わる<生命変革の哲理>である。

須田晴夫 (著)

世界的に展開されつつある日蓮仏教の概要を、世界観、生命観、実践論、宗教論、倫理思想などの視点から体系的に概説。
今日の状況と関連しつつ、自己と世界を変革する現代思想としての可能性を探る。

使命を自覚した民衆自身が主役となり。民衆の勝利を開いてゆく「人間の宗教」が生命変革の哲学 : 日蓮仏教の可能性 なのだ。

「人食(じき)によって生あり、食を財(たから)とする」なそ、人間の生命をつなく「食」の大切さについて御書の随書で日蓮は言及している。

【日蓮仏法】の案内書!
日蓮が生きた時代状況と、思想の展開を総合的に考察。
旧版を修正し、巻末に詳細な索引を付す。

 

 
この書籍は、他の多くの方のレビュー、の通りです。
歴史学的に確定した史実、資料を骨格として、多少、信憑性の欠ける伝承も、含めて、ある部分、哲学書風に、また、歴史小説風に、更に、伝承物語風に、整然と、怜理に、私見を最小限に抑えて、一本の大樹の如く、日蓮の生涯を、物の見事に活写してます。
その最小限の私見とは、第二代戸田会長、及び、著者が「法華経を語る」で、対談なされた、SGI会長に、賛同し、継承なされた「全生命の幸福、反戦平和の精神」、UNESCO憲章の精神とも重なるものですが、この一冊の骨髄を、スティールワイヤーの如く、終始、
貫き、見事な大樹に仕上げてます。
二千ページの編年体御書全集を読み易い伝記物語風に、編纂、補足、簡潔に、四、五百ページに、
完成して下さいました。御書全集が、親しく、身近に、正確に、短時間で、読了できるようになりました。
出版、発行に、心より、感謝申し上げます。
 
 
基本は日興門流が基軸となっており、大石寺(富士門流)から創価学会へとの構成です。
只、日蓮門下として、他門流から見た宗祖の経歴を学ぶ事も、自門流との比較ができよいのではないかと思います。御書(遺文)も所々に掲載されており、門下としては勉強になります。
日蓮大聖人のことが分かりやすいと思います。
弘安二年十月十二日の大御本尊の件は、日蓮正宗としては絶対的に譲れない事と思います。
聖人御難事が根拠ではありますが、中々他の文献はないので、他門は特に受け入れがたいかと思われます。筆者は、今後の研究を待ちたいとされてますが。。
 
 
体系的かつ網羅的に日蓮大聖人の生涯にわたる御述作の肝要と御述作相互の関係性などが書かれています。
“網羅的”というと表層的で浅いイメージを持つかもしれませんが、この本は網羅的である上に一つひとつが実に深い。
ひとえに著者の長年にわたる研鑽の深さの賜物だと思います。買う前は、値段を見て少しためらいもありましたが、買って大正解でした。日蓮仏法を学ぼうとする人には是非とも勧めたい本です。
 
 
大聖人の御書を読むためには、背景(歴史)と大意(概略)が重要です。
この本にはそのすべてがある。
大聖人がいかなる思いでこの御書を書かれたかを詳細に吟味し、その概略を述べ、よってその真意に迫ろうとする著者には拍手を送りたい。御書の棒読みでは得られない何かを確実に得られると思います。ぜひとも一読をおすすめしたい。
 
 
世界において唯一正しい仏法を実践し正しく弘めて行くべき方、創価学会の方には必ず読んで頂きたい一書である。
 

本書は、日蓮の人と思想を包括的に捉えた好書と言えるだろう。
今、日本の思想的文化とも言える日蓮思想が、共産圏とアラブ諸国を除く
ほとんどの国に広まっている現実をみると、日蓮思想の人類に対する
普遍妥当性を本書から読み解くのも有益かと考える。
 
 
池田大作・創価学会名誉会長の著作以外では、2017年現在の時点で最適な創価学会入門書といえる。
創価学会員ならば、学会員以外の人達と対話する上でも、最低限 本書に書いてあることは心得ておいた方がいい。
著者のウェブサイト「須田晴夫のホームページ」に載せてある著者の論文も併せて読んでおくべき。
 
 
 
他のレビューにもあるように、現時点での創価学会教学の入門書として、会員向けにも無難にまとめられている、と思われる。
「凡夫本仏論」についても「日蓮本仏論」と合わせ言及されており、個人的には興味をもって読ませていただいた。
聖人御難事の「出世の本懐」を遂げるとする御文や、弘安2年10月12日の本門戒壇・一閻浮提総与の大御本尊をどう扱うか、に興味があったが、大石寺とこれまでの学会指導を持ち出さずに、何となくごまかしたという印象。
「日蓮正宗創価学会」という、自らがよって立つべき無視できない歴史を何とか否定しようという情けなさ、日蓮正宗から教学を学び取り入れて、その歴史を否認したくても、日蓮正宗の教学から完全に脱皮できない中途半端さはどうしても拭えない。
大石寺の本門戒壇の大御本尊を否定すれば、戸田会長の大確信も大石寺26世日寛上人の教学も否定されるし、「日蓮正宗創価学会」の歴史も変更・改ざんされることになり、新興宗教日蓮世界宗創価学会の旗揚げとなるが、悲しいかな、今の創価学会は本尊が定まっていない。
信心さえあれば本尊は何でもいいというのが、今の創価学会幹部の指導である。
宗教の正邪は本尊で決まるという「日蓮正宗創価学会」の大折伏、本尊について身延日蓮宗と争った「小樽問答」の事実を無視し、日蓮大聖人の「四箇の格言」謗法呵責の大慈悲を捨ててしまった、教義変更を次々と重ねる新興宗教創価学会がどこまで変わっていくのか興味深く観察していきたい。
 

映画 ベニスに死す

2024年02月15日 08時45分34秒 | 社会・文化・政治・経済

「若さと老い」、「幸福と不幸」、「生と死」。
人生の抗えない対比を、まざまざと映し出す映画。

地獄に落ちた勇者ども』『ベニスに死す』『ルートヴィヒ』の「ドイツ三部作」の中でも、この作品は、英国アカデミー撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、音響賞を受賞。日本でも話題の作品となりました。

ある老作曲家の人生の栄光と挫折。そして命を燃やす最期の出会い。映画『ベニスに死す』を紹介します。

夕陽に照らされた海の上を黒い煙を上げ走る観光船。船には、中折れ帽にマフラー、眼鏡姿の老人が乗っています。彼は顔色が悪く、弱っているようです。

彼は、ドイツの名立たる作曲家・アッシェンバッハ。静養のためベニスを訪れようとしていました。

水の都ベニスは、美しい海辺と、歴史的モスクの建造物、高級ホテルには貴族や著名人が休暇に訪れる観光地です。

大きな荷物を抱え疲れ果て、ホテルに着いたアッシェンバッハ。彼はその夜、人生を覆すほどの出逢いをします。

その目に映り込んできたのは、美しい少年の姿でした。艶のある緩やかなウェーブのブロンドの髪、綺麗な二重の目、ふっくらと赤みの帯びる唇、しなやかな立ち振る舞い。その美しさは、周りの着飾ったどの女性達よりも美しいものでした。

彼の名前は、タジオ。気難しそうな母親と天真爛漫な妹たち、お世話係の使用人とバカンス中です。

アッシェンバッハはタジオから目が離せません。ディナーの席でもチラチラと視線を向けてしまいます。

そんなアッシェンバッハに、去り際、タジオは確かに振り向きこちらを見ました。

アッシェンバッハは自分の中に起こった衝撃に動揺します。日頃、芸術論を交わしている友人・アルフレッドの幻想が飛び出し彼に忠告します。

「美とは努力によって創造できる」。アッシェンバッハの信念に、アルフレッドは「美とは自然に発生するもの」。創造を超えた美の存在を認めることを求めます。

持って生まれた美しさ、まさに原石とは、タジオのことを言うのでしょう。

ビーチでは、水着姿のタジオが友達たちと無邪気に遊んでいます。その様子を眩しそうに見つめるアッシェンバッハ。タジオもアッシェンバッハの視線を感じているようです。

そこに、タジオの肩を抱いて彼を連れ去る男が登場します。男は不意にダジオの頬にキスをします。

それを見せつけられたアッシェンバッハは、乾いた笑いをこぼし、イチゴを食べるのでした。

もはやアッシェンバッハのタジオへの思いは強くなる一方です。「私はバランスを保ちたいのだ」。自分の気持ちに苦しむアッシェンバッハは、ベニスを去ることを決意します。

去る日の朝、すれ違うアッシェンバッハにタジオは微笑みかけてくれました。しかし悶絶する気持ちを抑え、心の中でお別れの言葉を掛けます。「タジオお別れだ。幸せに」。

以下、『ベニスに死す』ネタバレ・結末の記載がございます。『ベニスに死す』をまだご覧になっていない方、ストーリーのラストを知りたくない方はご注意ください。
 

列車に乗り帰路に着こうとするアッシェンバッハの元に、駅員がやってきます。手違いで荷物が違う場所へ行ってしまったと伝えます。

怒るアッシェンバッハでしたが、「荷物が戻るまでベニスを離れん」。と言い除けます。その表情はどこか嬉しそうでした。

駅の構内では、やせ細った男が力尽きたように倒れていました。ベニスでは何か不吉なことが起こっているのでしょうか。

再びホテルに戻ったアッシェンバッハは、部屋の窓からさっそくタジオの姿を見つけます。ビーチに出るアッシェンバッハ。

上半身裸で転げまわり砂だらけになって遊ぶタジオの姿を、心ゆくまで堪能します。タジオは創造の源でした。曲作りの意欲が掻き立てられます。

タジオの姿を一瞬たりとも逃さず見ていたい。アッシェンバッハは、タジオの後を付いて、ベニスの町を追いかけまわします。

付いてくるだけで話しかけてもこないアッシェンバッハの存在に、タジオは気付きながらもやはり話しかけはしませんでした。たまに振り向き、彼を確認するタジオ。その視線は誘うようでもありました。

その頃、ベニスではある大変な事態が起こっていました。アッシェンバッハは、ベニスの町が消毒液で汚れていることに気付き、町の人を捕まえお金で情報を買います。

ベニスに死す - 作品情報・映画レビュー -KINENOTE(キネノート)

ベニスに死すの紹介:1971年イタリア,フランス映画。

究極の美を求めた芸術家は、それに出会った時、世界中の時が止まる。イタリア映画界の巨匠ルキノ・ヴィスコンティが、美少年への想いを募らせる老作曲家の苦悩を格調高く描くドラマ。

ノーベル文学賞を受賞した著名なドイツの作家トーマス・マンの同名小説を映画化した作品。

グスタフ・マーラーの交響曲が全編を通して使用されており、主人公の名前の一部にもなっているが、これはトーマス・マンがグスタフ・マーラーと親交があったためである。

他にも、フランツ・レハール作曲の「メリー・ウィドウ」やヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲の「エリーゼのために」など、クラシックの名曲が使われている。ルキノ・ヴィスコンティ監督の代表作としても知られ、英国アカデミー賞では美術賞や撮影賞など4つの賞を受賞した。
監督ルキノ・ヴィスコンティ

 出演:ダーク・ボガード(グスタフ・アシェンバッハ)、ビョルン・アンドレセン(タジオ)、シルヴァーナ・マンガーノ(タジオの母)、ロモロ・ヴァリ(ホテルのマネージャー)、マーク・バーンズ(アルフレッド)、ノラ・リッチ(家庭教師)、マリサ・ベレンソン(アシェンバッハ夫人)、キャロル・アンドレ(エスメラルダ)、フランコ・ファブリッツィ(床屋)、ほか

 

その事態とは、ベニスの町で疫病が広がっているということでした。観光客で潤っているベニスの町人たちは、その情報を観光客に隠していました。

疫病のことを聞き、一番にタジオのことを心配するアッシェンバッハ。何とか彼の母親に伝え、一刻も早く町を出るように言わなければ。

この真実を告げるシュミレーションの中で、アッシェンバッハはタジオの艶やかな髪を触る所まで描くことが出来ていました。しかし実際は妄想の世界だけで終わってしまいます。

タジオの美しさと相反するように、アッシェンバッハは見る見る病に侵されていきます。ベニスの町で疫病に犯されたのはアッシェンバッハの方でした。

理容室では、そんなアッシェンバッハを若返らそうと、美容師が髪を黒く染め、髭を整え、白塗りの化粧を施してくれました。

若返ったような気持ちで、タジオの後を追い続けるアッシェンバッハ。しかし、噴き出るような汗と激しい動悸で疲れ果て座り込んでしまいます。滑稽な自分の姿に笑うしかありませんでした。

妻と娘と幸せに暮らしていた頃。その幸せは続きませんでした。娘の死、作曲家としての批判、演奏会での観客の非難の声。その日、アッシェンバッハはうなされて目覚めました。

タジオの家族がベニスを離れる日です。タジオは最後のビーチを楽しんでいるようです。

白いスーツ姿に帽子をかぶり、白塗りの化粧をほどこし、よろよろとビーチに姿を現したアッシェンバッハ。最後に一目、タジオの姿をこの目に焼き付けたい。

太陽の光でキラキラ輝く海へ、タジオはゆっくり入っていきます。こちらを振り向いたようにも見えますが、逆光で彼の表情まではわかりません。

タジオは立ち止まり、腰に手をあて、片方の手を水平に伸ばします。その神々しい姿に、彼の元へ行こうと手を伸ばすアッシェンバッハ。

額から流れる汗は白髪染めが流れ落ち黒くなっています。白塗りの化粧もまるでピエロの様です。

彼は腰掛けた椅子から立ち上がることが出来ませんでした。力尽き倒れこんだアッシェンバッハを、ホテルの従業員が運んでいきます。

彼の魅力は、整った美形と中性的な雰囲気にあります。性別を超えた美しさは、映画に説得力をもたらしました。

この小説はもともと、原作者トーマス・マンが旅先で美少年に心を奪われた実体験に基づき、書かれたものです。

その後、トーマス・マンが出会った少年の身元が判明しているようです。高貴で可愛らしい姿は、映画のタジオを彷彿とさせます。

人間のセクシュアリティは多様です。どんな形であれ、愛する者の存在は生きる喜びを与えてくれるものなのだと改めて感じました。

美しき女たち男たち 「ベニスに死す」 Morte a Venezia(1971)

映画『ベニスに死す』あらすじネタバレと感想。洋画おすすめのビスコンティ作品の解釈とは?

人と情報テクノロジーの共生のための人工知能の哲学2.0の構築

2024年02月15日 08時31分55秒 | その気になる言葉

西垣先生は、コンピュータ・エンジニアとしてキャリアを出発されたのち、研究者に転じ、工学と人文科学の中間的な立場から、AI論、さらにはより一般的な基礎情報学に関して、ユニークな研究をされてきました。このインタビューでは、西垣先生のキャリアの変遷、第2次人工知能ブームと現在の第3次人工知能ブームに関する西垣先生のお考えなどについてうかがいました。

 

工学からAI論へ

【――】 西垣先生はエンジニアリングの側からスタートして、人文系に、あるいはその両者の中間的な領域に研究をシフトされた、非常にユニークなキャリアをお持ちなわけですが、まず、そのあたりの経緯や関心の変化についてお話しいただけますでしょうか。
【西垣】 僕とAIとのかかわりということでお話ししますと、日立製作所の研究者だったのですが、1980年から81年ぐらいにかけてアメリカのスタンフォード大学に留学したんです。スタンフォードのコンピュータ科学研究所というのがありまして、客員研究員になったんです。ノルマの職務はほとんどなくて、大学院留学生と同じでしたね。
 当時スタンフォードはAIブームの中心地でした。エキスパートシステムの第一人者であるエドワード・ファイゲンバウム教授がちょうどコンピュータサイエンス学部の学部長さんでしたが、大変人気があって、僕も講義を聞いてみたり、研究会に顔を出してみたりしました。みんな熱に浮かされたようにワイワイガヤガヤやっていて、第2次AIブームの中心に投げ込まれた、そんな感じでした。
 日立の研究所では機械翻訳などを研究していたグループも周囲にいっぱいあったのですが、僕自身の専門はむしろメインフレーム・コンピュータの数学的なモデリングでした。性能や信頼性の計算をして、ハードやソフトをどういう構成にするのがいいのか、というテーマで博士論文を書いていたんです。その博士論文の指導をお願いしていたのが、東大の大須賀節雄先生という方でした。大須賀先生は、駒場の宇宙航空研究所(いまの先端研)の教授で、僕は毎週のように通って指導を受けていました。今もまだ名誉教授で、お元気でいらっしゃいますけど、大須賀先生は数学的なモデリングだけでなくAIの研究に非常に興味を持たれていたんです。その後たしか人工知能学会の会長もされましたが、当時、日本の第一線のAI研究者だったわけですね。
 そんなわけで、AI研究をめぐる雰囲気を感じていたので、アメリカ留学中に自然にAI研究の中枢に触れることができたのです。それが僕とAIとのかかわりの初めでした。
 その後日本に帰ってきてから、有名な第5世代コンピュータ研究開発プロジェクトにしばらく関係しました。このプロジェクトは産官学のメンバーを集めたもので、日立も参加していて、僕はOS屋として入ったのです。大体のことはそのとき勉強したんですね。第5世代コンピュータ研究開発プロジェクトは、当時、日本のAI研究の中心だったわけです。日本の戦後のコンピュータ研究開発にはいろいろなものがありましたが、あれが最大だったと思いますね、規模からいっても。
 ただし、第5世代コンピュータ研究開発プロジェクトにはそれほど長いあいだ参加はしませんでした。工学博士を取得した後、研究所の方針で、工場に出向して別の大規模なソフト開発の仕事に移ったのです。ところが、工場で長時間はたらいているうちに、体を壊しちゃったんですね。椎間板ヘルニアで手術を受けました。これは大きな転機でしたね。このまま自分はメーカーでコンピュータ開発の仕事をつづけるべきかどうかと。
 それで、1980年代の半ばに大学に移ることにしました。明治大学の文系の学部に所属して、プログラミングなんかを教えながら、コンピュータと人間のかかわりを広く考えるようになりました。情報社会論を学ぶために、社会学や哲学を本格的に勉強しはじめたのです。AIというのはその当時第2次ブームで、情報社会論の最大トピックだったんですね。それで、1988年に『AI』という、講談社の現代新書の本を書きました。これが僕の一般向け書物の処女作です。その後もう一冊、1990年に『秘術としてのAI思考』という本を筑摩書房から出版しました。これは今、『思考機械』というタイトルでちくま学芸文庫に入っています。両方ともAI論ですけど、いわゆるAI技術をまとめたというよりも、むしろAIのもつ思想的な文脈というテーマを中心とした本です。
 東大に移っても、それ以来ずっと僕の研究対象は、AI技術というよりはAI論ですね。AI技術の研究開発には、それなりの道具も人間パワーも要る。そういう環境にはいなかった。そのかわり、AIと哲学、社会、人間とのかかわりみたいなことをじっくり考えることが仕事になった。今そこにお持ちの『現代思想』[1987年4月号]の論文もその例です。
【――】 これは初期に書かれた論文ですね。
【西垣】 今申し上げた二冊よりも前、一番最初に書いたものですね。
【――】 僕は1990年代に学部生だったときに、ドレイファスの本などを読んで人工知能の哲学に興味を持ちました。これはそのときに古本で買ったものです。
【西垣】 AI論に関しては、アメリカでは哲学的な論争が昔からいろいろ行われていました。日本でも、人数はアメリカよりずっと少ないですけど、興味をもつ人はいます。まず、純粋にAIを研究開発している理系の人たち、それから、社会学者とか哲学者とかで、AI論をテーマにする文系の学者もある程度はいます。
 ところが、僕のように、理系と文系にまたがってAI論をやるという人間はあまりいないんですね。理系のAI研究者のほうは、テクノロジーの内部にどっぷりつかっている。一方、AIに興味のある哲学者などは、外部にたって遠くからAIというものを眺めている。でも僕の場合は、内側の技術を踏まえつつ、外側からAIのあるべき姿を語るというスタンスです。そういう人間がいてもいいんじゃないかと。
 というのは、工学部の多くのAI研究者というのは、現場を踏んでいるわけではないんですね。何ていうかな、コンピュータ開発の現場にいる工場のプログラマーとかSEとかいう人たちは、もっと泥臭いことをやっているわけです。僕はそういう現場にもいたんですよ。特に日立にいた最後の2年ぐらいは工場で…
【――】 プログラミングを徹夜でやったり?
【西垣】 プログラミングをやったり、デバッグをやったり、めちゃくちゃに泥臭い。AI研究ってピュアな部分もあるけれど、開発された製品は実際に世の中で使われていくわけじゃないですか。実際面から見て、本当にこのAI技術をうまく使うにはどうすればよいか考える、それも大事じゃないかなと思って、仕事をやってきました。それが僕のAIとのかかわりです。

 

思想としてのAIとその限界

【――】 今お話しいただいたことに関してもう少しうかがいたいのですが、西垣先生のご著書では、コンピュータサイエンスあるいはプログラミングと、狭い意味でのAIとは必ずしもイコールではないということを強調されています。
【西垣】 たとえばビッグデータの処理は、普通のコンピュータ処理が大部分ですから、いま騒がれている深層学習みたいな、狭い意味のAIの処理だけじゃない。ところが一方、より広い意味でいうと、AIの考え方というのは、普通のコンピュータ処理の核心だとも言えるんです。つまり、データの論理的、形式的な処理そのものがAIの核心だというわけです。このあたりが、1980年代の第2次人工知能ブームのときの哲学的な論争に重なってくると思うんですね。
 もちろん給与計算や数値計算などのコンピュータ処理というのは産業としてあるんですよ。けれども、もともとコンピュータには思想的な淵源があって、それをピュアに追求してきたのがAIだというふうに僕は思っているんです。
 第1次AIブームというのはすでに1950年代に始まっていた。その基礎を築いたチューリングとフォン・ノイマンは、どちらも数学者だけれど、論理学者でもあった。つまり、チューリングもフォン・ノイマンも、ダフィット・ヒルベルトがやっていたような数学基礎論を研究していたわけです。
 19世紀末から20世紀初めの哲学には、論理主義という考え方がありました。フレーゲとかラッセルとかウィトゲンシュタインみたいな人が出て、記号をルールにもとづいて操作する論理主義的な流れが、分析哲学や記号論理学につながっていった。今挙げた3人はAIと直接関係ないけれども、思想的には、チューリングやフォン・ノイマンともある意味では非常に近い。つまり、人間の正確な思考とは何なのかということを突き詰めていった人たちがいて、その人たちが分析哲学のベースをつくった。その延長線上で、思考する機械をつくるというのが、チューリングとフォン・ノイマンの仕事だったと思うんですね。こうしてコンピュータができたわけです。
 思考機械であるコンピュータを使って、現実にどこまで行けるんだということが試されたのが、第1次AIブームだったと思うんです。汎用の思考機械をつくろうとしたわけですよ。それがLT (Logic Theorist) とか、GPS (General Problem Solver) というものだった。ダートマス会議のときも、LTでもって、ラッセルとホワイトヘッドの『プリンキピア・マテマティカ』にある定理を半分くらい証明した。それはすごい成果だったのです。とはいえ、応用面では、ゲームとかパズルとか限られた応用分野しか歯が立たなかった。コンピュータの性能もまだ非常に低かったですしね。それで第1次ブームは終わった。
 1960年代になるとメインフレームというものが現れ、コンピュータの性能がぐっと上がった。その中で出てきたのが第2次ブームです。これは汎用AIというよりは専用AI、各分野の専用思考機械をつくろうということですね。技術的な中核は知識表現です。ゲームやパズルだけだったら実用性が低い。それでファイゲンバウム教授たちは、人間のエキスパートを代替するシステムをつくろうとした。弁護士の代わり、医者の代わりができないかと考えた。あのころ、近々に弁護士や医者なんか失業するだろうと予言した人がいっぱいいたんですよ。今も全然そうなっていませんけどね。(笑)
 知識表現ベースのAIというのはいろいろあります。日本の第5世代コンピュータは、述語表現によるPrologという言語を採用した。第5世代コンピュータは、述語論理の基本部分である一階述語論理で知識命題をダイレクトにそのまま書き下し、並列に推論するシステムです。エキスパートシステムの場合にはちょっと違って、if-then-elseのプロダクションシステムですが、いずれも演繹推論の自動化です。
 ところが、人間の知識というのは、医者や弁護士の知識もふくめ、必ず曖昧さがあって、1か0かじゃないんですね。論理的にどちらかが絶対正しいわけではない。例えばお医者さんの診断って、患者のデータをとって、病名を当てるわけじゃないですか。これは正確には演繹ではないんですね。AIというのは演繹推論をするわけですよ。ところが、診察というのはアブダクション、仮説推論だと思うんです。
 例をあげると、肺炎になったら熱が出る。これは大前提、あるいは法則と言ってもいい。それから、ある患者が肺炎である。これは論理学的には小前提ですけど、これは状況をあらわしている。それで、その患者さんは熱がある。これは事実なんですけど、結論でもある。演繹だったら、肺炎だったら熱がある、この患者さんは肺炎だ、じゃあ、この患者さんは熱が出るとなる。この推論は絶対正しいわけですよね。
 ところが、診察というのは何なのかというと、少しちがう。肺炎だったら熱が出るという法則の知識(大前提)がまずありますよね。次に、この患者さんは熱があるという事実(結論)がある。そして、診断においては、大前提と結論から小前提、つまり患者さんは肺炎である、という状況(小前提)を導くのですね。だけど、これは論理的には必ずしも正しいわけじゃない。推測でしかないわけですね。肺炎でなくてただの風邪かもしれない。診断は仮説推論、アブダクションというものをやっているわけだから、演繹とは論理学的に構造が違う。そうなると、いくら高速な論理推論機械をつくったとしても、その結論の正しさがどうもよくわからないということにもなる。
 マイシン (Mycin) という細菌性血液感染症の診断をするプログラムがスタンフォードにありましたが、まあまあ当たるんですね。専門医にはかなわないけど、普通のお医者さんよりは当たるぐらいな感じだった。でも、実用化はされなかった。なぜかというと、結局、誤診したときにAIは責任をとれないからです。知識があったときに、その信頼度みたいなものを数値化して、ラベル付けをする試みもあった。知識を二つ組み合わせるときには、両者の信頼度を掛け算しようとか、いろいろやったんです。でも、結局あまり信用できないというので、社会的責任の問題が出てきて、だめになってしまった。
 第5世代コンピュータ研究開発がなぜ失敗したのか。自分がちょっと関わったこともあって僕はぜひとも言いたいことがあります。最近、失敗した理由はデータが不足していたとか、コンピュータの計算能力が不足していたとか言う人がいますけど、それは間違いです。大量データの論理計算を高速化するという技術がいくら高くでも、論理的な考察が不十分だったということなんですね。
 第5世代コンピュータは、技術的にはすぐれていました。10年で並列推論マシンをつくったんですからね。その特徴は、いろいろな命題を並列にサーチしていくことと、ロジックマシンといって、高度な論理機能をそなえたハードでPrologでの表現そのものを実行しちゃうこと。だから、効率がいわけです。
 高速推論という技術面ではうまくいったのだけれども、実際の応用面で役にたたなくて失敗した。そこを反省していない。実用的なAIとは何かについての見識がプロジェクトの指導層になかった。実はプロジェクトのリーダーは僕の卒業した東大計数工学科の先輩で、もう亡くなったのであまり言う気はしないのですが、正直にそう思います。
 すごく高い技術を日本人はもっていたんだけど、思考機械における一番本質的なところを見なかった。その反省はやっぱりやるべきだった。反省しないでずるずると来ちゃって、第3次AIブームに入ったという点は、僕は非常に問題だと考えます。日本の研究者たちは、実用的な知識というのは何なのか、それを自動的に組み合わせていく行為は何なのか、ということに関して、根本からきちんと考えなかったし、今も考えていない。
 歴史的に考えると、あの後出てきたのが、パソコン、ワークステーション、インターネットです。80年代の初めには、DARPANET、インターネットの前身みたいなものはあったのだけど、今みたいには使われていないし、商用化もされていなかった。端的には、インターネットはまだなかったわけですよね。パソコンもほとんど普及していなかったわけです。おもちゃみたいなマシンはありましたよ。でも、あまり実用的に使われていなかった。
 その後どうなったのかというと、パソコンなど安いコンピュータで人間の知恵をうまく組織化する技術が主流になった。つまり、すごく基本的な機能だけを持った安いチップを大量生産し、一般に普及させるという、日本の第5世代コンピュータと全く正反対のことが起こった。第5世代コンピュータはすごく精密で高価なハードです。それと全く逆に、シンプルで安いものをいっぱいつくって、それをみんなが使えるようにした。協力して知恵を集めていくという、全然違うパラダイムの情報処理が主流になった。
 第5世代コンピュータは、すごく世界中から期待されていたんですよ。その当時、日本は景気がよくて、ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われた頃ですから。ところが、第5世代コンピュータとは正反対のものが主流になっちゃった。この原因はなにか。やっぱり、もうちょっと本質を考えるべきじゃなかったかなと。哲学的批判がいろいろ出ていたのに、ちゃんと受けとめずに細部技術の工夫だけに走ったということはあると思いますね。

その2
その3


デジタル技術の罠 生成AIは日本をどう変えるか

2024年02月15日 08時06分10秒 | 社会・文化・政治・経済

書影:デジタル社会の罠 生成AIは日本をどう変えるか

 
著者  西垣 通
 

生成AIが多様性を殺す――科学の暴走が招く危機に迫る!

「デジタル文明を推進している超人間主義者たちは、人間を超えた知性の出現を待望しているようだ。機械に宿る超知性こそ、「AGI(汎用人工知能)」なのかもしれない。だが、それは彼らが、「知」というものの本質を取り違えているからではないのか。知とは本来、生物が地上の苦悩のなかで生き続けるためのノウハウであり、デジタル技術など、進化史における膨大な知的蓄積のごく一部の表層にすぎないのだ」(本文より)

チャットGPT、シンギュラリティー、量子コンピューター、DX......日本を代表する情報学者が、デジタル社会の行方を語り尽くす。研究活動50年間の集大成!

目次

はじめに

Ⅰ 科学技術と人間――知の土台に向かって

[1] AIの論理をえぐる

情報とは何か

宇宙開発と「生命誕生の謎」

立花隆『宇宙からの帰還』を読む

三島由紀夫と国語改革

量子コンピューターの可能性

「観察者効果」の意外な意味

AI俳句をめぐって

バイオエピステモロジーの問い

機械翻訳と外国語学習

脳科学へのAIの活用

AIの弱点、克服するために



[2]人間はデータではない

日本学術会議問題の背景

「ソサエティー5・0」の落とし穴

銀行システム障害の深層

天才フォン・ノイマンの悪魔的価値観

「GIGAスクール」教育への懸念

デジタル庁への疑問

米中宇宙開発競争の意味

脱炭素エネルギーへの対応

日本の「デジタル敗戦」を考える

DXとアメリカニズム

サイバー戦争と安全保障



Ⅱ 読書日記――さまざまな言葉の響きから

[1] 人間のモノ化に抗う

根が深い「反動」的世相――『そろそろ、人工知能の真実を話そう』『難破する精神』

文理の溝またぐ「新実在論」――『有限性の後で』『なぜ世界は存在しないのか』

知識があふれる現代の病弊――『知ってるつもり』

生産中心主義への批判――『呪われた部分』『第四の革命』

生命現象めぐる大胆な仮説――『バイオエピステモロジー』『ニュートン主義の罠』

文化的存在としての科学――『日本近代科学史』

道徳なく利追う社会に懸念――『サンデル教授、中国哲学に出会う』

人間を「モノ」と見なすのか――『サイボーグ化する動物たち』

今、死の重みを正面から――『魂と無常』

人間の尊厳につながる自由――『新実存主義』『「私」は脳ではない』



[2] 科学の限界を知る

翻訳は共感的な行為である――『考えるための日本語入門』

AI万能論、罠に敏感に――『入門・世界システム分析』『ヨーロッパ的普遍主義』

滅亡へ突進する人間の愚かさ――『山椒魚戦争』

人間を機械として使う不安――『ロボット』『人間機械論』

科学と利益追求、強まる癒着――『二十世紀を騒がせた本』『沈黙の春』

自由意志、「外部」感じ可能に――『天然知能』

科学への信頼、根幹に目を――『科学哲学講義』『科学の限界』

文理融合、若手が問う自律性――『AI時代の「自律性」』

未知の病原体、SFと現代――『アンドロメダ病原体』

「新たな従属」に抗する道標――『ホモ・デジタリスの時代』

持続可能な日本、地方分散で――『人口減少社会のデザイン』



[3]共生の道を探る

中世ユダヤ人の冒険物語――『昼も夜も彷徨え』

大国に踏みにじられた悲劇――『また、桜の国で』

誇り高き鳥の悲しい運命――『ニワトリ』

鮮やかな色合い、巧みな構成――『青いバラ』

人間の行動まで変える――『心を操る寄生生物』

「独裁」復活の兆しの正体は――『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』『族長の秋』

AIに屈服、近未来の暗い隠喩――『2038 滅びにいたる門』

凶暴な仕打ちやめ共生を――『魚たちの愛すべき知的生活』

第三の言葉、創造の努力重ね――『アリョーシャ年代記 1~3』

若き精神科医、遺した質問状――『心の傷を癒すということ』『精神科医・安克昌さんが遺したもの』



Ⅲ 生成AIは汎用知になるか――情報・自然・無常

チャットGPTの衝撃

西洋の自然観と科学技術

AGIのめざすもの

自然のコンピュータ・シミュレーション

身体行為がつくる心と世界

東洋の「空観」

「おのずから」と「みずから」

鉄腕アトムとAI俳句

情報と自然をとらえ直す

現代人が一番信じているものは何か?

「科学技術」

だが、「科学もやはり、人間という生物の限界を超えることはできない。

世界がさまざまな、危機に直面する今、その解決への扉をひらくのも人間の情熱と力だと信じたい。

 


死にいたる病/現代の批判

2024年02月14日 10時38分05秒 | 社会・文化・政治・経済

キルケゴール (著), 桝田 啓三郎 (翻訳)

「情熱のない時代は、ねたみが、傑出する人の足を引っ張り、人々を否定的に水平化する」

それを打破するには一人一人が「不動の宗教性を獲得するしかない」

彼が自分の寿命の短いことを自覚し、その短い生涯のうちに、なすべきことなそうと戦った。誰もが今世の命には限りがある。だからこそ「今」を全力で生きる意味や価値を自覚できる。

「英雄」とは、自分にできることをやった人間である。

凡人とは、自分にできないことを夢見ながら、自分にできることをやろうとしない人間である。

自身が定めた使命を、時を逃さず果たしててゆく。

その人こそ真の英雄である。

 

 
『瞬間』や『人生行路の諸段階』も良いですが、やはり『死に至る病』は名著です。
信仰と世俗的な教会批判、絶望、など。
現代でも意義を失っていない思想書です。

 

 
大学時代、サークルの後輩の男の子と2人で飲んだ時、彼が言った:「僕って、自分のことを人に話さないんですよね~。」
それを聞いた私は思った:(話してるじゃん。)
 これと似たような矛盾をキルケゴールは指摘する。
例えば、「私は人生に絶望しました。死にたいです。」と言いながら、真っ青な顔色をしているAさんと、「幸せで~す」とニコニコしているBさんがいたとする。
精神科医なら、どちらが「精神的にヤバい」と考えるかというと、「自分は絶望している」と他者に訴えられるAさんはまだ救いがあり、自分の絶望に気づいてさえいなくて、世の中に流されて生きているBさんの方が、もっと悲劇かもしれない…といったような、パラドキシカルなことが書かれている…何この本。
めっちゃ面白いじゃないですか!
 ・・・といっても、やはり古典的名著。内容が難しく、私には3割程度しか理解できなかったので、評価も4としますし、ざっくりと表面的な感想しか書けないのですが、「自殺は罪」「絶望の反対は信仰」「もし人の宿命が初めから決まっていると考えるなら、服従のみの人生になり、祈りに意味なんてないよね」など、名言多し。
キルケゴールさん、200年前の人とは思えないほど面白いことを言っているので、飲み屋さんで一緒にお酒を飲みながら語りたくなりました。
 

まず、この「死に至る病」とはヨハネの福音書十一章のある言葉から来ていて、(ご自分で聖書を紐解きお探しください。)絶望の諸様相を克明にときあかし、人間観察のあまりのふかさに、絶望とはこういうものだと克明に襞(ひだ)の裂け目までえぐったしょもつです。
死の時牧師が駆けつけてきてくいあらためることができますか。と言われ一度は「いや私にはできない」といいますが最後に、「うんできる」といい天国にレギーネ・オルセンに会いに旅立ちました。
ほんとうに苦しい、42歳での死を膨大な、著作による、ストレス、精神的疲労、のため路上で昏倒しました。

 1830年に17歳でコペンハーゲン大学にに入学し1834年に日記(膨大な量のもの)1843年(あれかこれか)第一部第二部を印刷へ回し フルーエ教会でレギーネオルセンがキルケゴールに会釈しました。
 その後も激しい絶望と美しい感性が見事に溶け合った、美しい愛をレギーネを一途に思い続け最後にレギーネ(ものすごい美しい温和なかたです。)(画像検索をしてみてください。)とても温和な彼女とついにセーレン・キルケゴールの思いも通じず。
レギーネが別の男性と結婚し、キルケゴールはやんわりと、穏やかにその男性にレギーネへの思いをうちあけ、結局死んでしまい(彼のたましいが。)「死に至る病」を残しました。
おびただしい、執筆のため路上で昏倒して、天国に召されました。
 私はプロテスタントの信徒で17歳の時18歳の女性と今でも教会で仲睦まじく相思相愛で現在私が28歳SAさんが、29歳で牧師のもと、結婚準備をしています。
でもわたくしは12歳の時から28歳の今まで心の病のため、統合失調感情障害となり、苦しくて苦しくて死んでしまいそうな精神的絶望のめ躁鬱を繰り返し。
入退院も3度目です。しかしSA さんも心の病のため同じく思春期の時、統合失調症を患ってしまいました。
ですから彼女の苦しみがわかるのです。私はヴァイオリンを弾きながら彼女はフルートとピアノを弾きながら10年間私は一途に彼女を思い慕い続けています・
 
 キルケゴールは父親が熱心な憂鬱な信仰を持ちしかし実は先妻のもとで女中を犯して生まれたのがキルケゴールなのです。その女中となっった、7人兄弟の末っ子でその不実のキルケゴールの犯されて生まれた子がキルケゴールの母親でおそらくとても温和な、やさしく魂の美しいキリスト者と思われます。

 周囲が認めるレギーネ・オルセンさんとキルケゴールは婚約しますが。
本当に幸せだったと思います。
二人ともしかし、本人が「大地震」と呼ぶつらいできごと、キルケゴールの父親が神を一度呪ったこと、そして自分のそれまでの原罪に基づく苦しみから、放蕩の限りをつくし遊女を買ったことなど、自分の罪にさいなまれ良心の呵責から、婚約破棄となったのです。

 そのキルケゴールの父親とは、キルケゴールと死の二日前に和解しました。
1841年、28歳の時、レギーネ・オルセンさんに婚約指輪を送りかえし
10月11日デンマークの厳しい冬を前にして、レギーネとの関係を最終的に断ち切る。
36歳の時、「初恋」「誘惑者の日記」「美しき人生観」「結婚の美的権利」「美と倫理」と名付けた「あれか、これか」を、ヘーゲルがだいっきらいだった、キルケゴールが出版しました。

 ヘーゲルの精神現象学を読むとさらによくわかるのですが、だめでした。私は現在モンテーニュ、パスカル、ニーチェ、ヘルダーリン、クラシック音楽、そしてカントの実践理性批判、判断力批判を読んでいる最中でものすごく大変ですです 。
一日日4時間読書(マルセル、プルーストの、失われた時を求めての「逃げ去る女」の途中まで来ていて、憂鬱な鬱状態といまかいている、札幌の初夏の緑の詩を書いています。つらくてつらくて死にたいです。
 
 キルケゴールの父親はとても教育が上手で、散歩に出られないキルケゴールをあのパン屋さんはねこうなんだよ、と優しく優しく教育しました。
それで稀有なたぐいまれなる、実存主義哲学者へと崇高に昂揚したのでした。
 
 この桝田啓三郎さんはさんはデンマーク語からのちょくやくですので、絶望した人にはぜひ、おすすめします。
 

デンマークの哲学者セーレン・キルケゴール(1813-1855)の代表作。
キルケゴールは、日本でいえば徳川家斉の時代の人で42歳で夭折している。
キルケゴールはレギーネという女性を愛し、婚約までしているが一方的に婚約破棄している。
しかし、終生レギーネを愛したらしい。このあたりの事情は謎だが訳者は、キルケゴールの父がメイドをレイプして、そのメイドと結婚せざるを得なくなり、キルケゴールの母がそのメイドである、ということを知り、レギーネをそういう家族の一員に引き入れることに躊躇したのではないか、と述べている。
また、当時のデンマーク国教会は神の栄光を賛えるばかりで人間の罪について真剣な洞察を欠くことをキルケゴールは非難し、「教会に真のキリスト教を呼び戻す」ために立ち上がったのだという。 
 「私の使命を理解すること、私にとって真理であるような真理を見いだすことが肝要なのだ。いわゆる客観的真理などを突き止めたとしても、それが私の何の役に立つだろう」、これが、キルケゴールの実存主義思想の出発点であり思想形成の原点でもある。
真理は主体性の問題である、という思想運動が実存主義にほかならない。
 キルケゴールにとって、人間とは神の前にただひとりで立つ単独者であり、神に対して責任を取るという仕方で自由にみずからの主体性の形成に踏み出すときに真の人間らしさを発揮することのできる存在である。
自由を引き受けて生きる人間のあり方を「実存」とよぶ。生きる上での既成の根拠を自分の中にもたない自由が人間を不安に陥れる。
不安は自由のめまいである、という。
この不安から逃れるために人は惰性で日常を過ごし、刹那的享楽に没入する。
ここに大衆化社会の陥穽がある。
人間はこの弱点をしっかりと心得て、自由に対して誠実でなければならない。
 曰く・・・
 絶望は無限の長所である。この病にかかりうる可能性が、人間が動物よりもすぐれている長所である。
 死が希望となるほどに危険が大きいとき、そのときの、死ぬことさえもできないという希望のなさ、それが絶望であり、絶望は死にいたる病である。
 世間の人は自己というようなもので大騒ぎなどしない。自己自身を失うという最大の危険が世間ではまるでなんでもないことのように平静に行われている。
これほど平静におこなわれる喪失はない。
 世間の目からみると冒険は危険なことである。
冒険すると失うことがあるからであり、冒険しないのが賢明なことになる。
しかし、冒険をしない場合には、それだけはほとんど失うことがないはずのものをやすやすと失いかねない。
つまり自己自身を失ってしまいかねない。
 自己と神に気づくためには、想像力が人間を蓋然的なものの雰囲気よりもさらに高く舞い上がらせ、その雰囲気から脱出させなくてはならない。
 意識が増せば増すほど、それだけ絶望も強くなる。
 孤独への要求は、人間のうちに精神があるということのしるしであり、またそこにある精神を測る尺度である。
 人がキリスト教につまづくのは、キリスト教の目標が人間の目標ではないことにある。キリスト教が人間を人間の頭では理解できないような並はずれたものにしようとするということである。
 人間は、神の観念を人間の自尊心の一要素として神の面前で自分の重みをつけるために用いてきた。
ちょうど政治生活において、野党に所属することによって自分を重くし、自分が反対することのできるなにものかをもてるために政府の存在を望むように、人は神を除き去ることを欲しない。
異教徒は厳粛に戦慄をもって神の名をよぶが、キリスト教界では神の名は日常会話にしきりに出てくる。ときおり教会にいけばこの人物に奉仕したことになり、牧師にも褒められる。
 人間の最大の悲惨は、キリストにつまづいて、そのつまづきのうちにとどまっていることである。 
 みたいな話。なんとなく、ニーチェやロロ・メイなどと似たものを感じる。
 
 

絶望についての書物ということで読みました。
大前提となるキリスト教について信仰も教養も無かったので、中盤以降は書いてある内容に殆ど共感を持てず。論理展開だけを追っていく羽目に…

信仰を持たない凡人の読後印象は、哲学者が書いた宗教本or電波本、、、というものでした。
今の日本を生きる我々が感じる絶望について、ヒントの獲得は期待できません。

現代の批判の方は、今の日本にも通ずるような洞察がたくさんあって興味深く読めました。
 
 
この本は『死に至る病』と『現代の批判』を収録しています。
『死に至る病』は多くの人がレビューしているので、このレビューでは『現代の批判』について大まかなあらすじと感想を述べたいと思います。

 『現代の批判』はもともと『二つの時代』という小説の評論として書かれたものの一部が編集されて出版されたものです。
その小説では、「革命時代」と「現代」に分けて、それぞれいかなる時代で人々はどう生きたかを対比的に描いています。
そしてキルケゴールはこの対比に沿って、キルケゴールの生きた「現代」、つまり19世紀前半を対象にして自身の経験も生かしながら論じています。

 「現代は本質的に分別の時代、反省の時代、情熱のない時代であり、束の間の感激に沸き立っても、やがて抜け目なく無感動の状態におさまってしまう時代である。」とキルケゴールは序文で述べていますが、これはまさしく「今」の「現代」にも当てはまることです。
そして、そんな時代において人々は「水平化」していると述べます。
この「水平化」とは個々人の個性の埋没という意味以上に、「公衆」という新たな存在を浮かび上がらせます。
「公衆」とは誰でもないが、しかし誰もが当てはまる無の存在です。
「世論」という言葉で表すと分かりやすいかもしれません。
そうした水平化を促すのが、キルケゴールの時代では新聞などの全国で読める情報媒体でした。
われわれは自身になんの関係もないことであるにも関わらず、新聞や週刊誌が取り上げた芸能人のゴシップネタに喜々として食いつくことがありますね。そうしてネタにされた情報をエサに「公衆」は肥大化します。
在りもしない責任も負わない「公衆」が特定の人物に誹謗中傷を浴びせ、エサに飽きたらまた新しいエサを求め、そんなエサを提供してくれる情報媒体をわれわれは定期購読します。

 キルケゴールもまさにこの「公衆」の被害者でした。彼の言論をある雑誌が攻撃し、それによって彼は街を歩いていても石を投げられ、唯一の気晴らしである散歩を出来なくなったのです。
しかし彼が本書において批判しているのは、彼を攻撃した雑誌ではありません。
その「公衆」に一瞬でも参加しているにもかかわらず、「わたしはただ定期購読していただけだ」と責任逃れ(他人のふり)をし、彼にあわよくば憐れみの目で共感するような人々の無責任さを批判しているのです。

 新聞や雑誌などの定期刊行物は「民意」の具体的なあらわれではありません。
ただひたすらに具体的・個別的存在を抽象化したに過ぎないのです。
しかしこれら抽象物がありもしない(一方ではある)「公衆」という存在を生み出し、人々の水平化を促す...これが「現代」の特徴であるとキルケゴールは言います。
私の目線では「今」の「現代」において、これに当てはまるものはTwitterであるように感じます。
 そしてキルケゴールは述べます。
「ほんとうに黙っていることのできる者だけが、ほんとうに語ることができ、ほんとうに黙っていることのできる者だけが、ほんとうに行動することができるのだ。」と。
われわれ「公衆」が家で、あるいはカフェで、あるいはTwitterで行っているのは「おしゃべり」です。それは黙りもせず、語りもせず、ただ無限に湧く「話題」をエサに消費してるにすぎない
。それが本当に「公衆」ではない実存性をもった人間であると言えるのでしょうか?われわれは然るべきときには黙り、然るべきときには語らなければなりません。
どちらかを選択しなければならないのです。
ここにキルケゴールの思想である「あれか、これか」が見えてくると思います。

 このように『現代の批判』はまさに「現代」のことについて論じているかのように先見的な文章です。
「主体的な真理とは何か?」をただ追い求めたキルケゴールの読みづらい、分かりづらい文章を何度も味わって読んでみてください。私もがんばります。
 

何もしない人間

2024年02月14日 09時28分49秒 | 創作欄

皿も洗わない。

料理もしない。

部屋の掃除、風呂場を洗わないし、トイレ掃除もしない。

ぐうたらの生活であり「あんたは楽でいいね。何にもしない人間、寝て起きれば、食事が出される」と同居人から嫌味を言われ続けている。

一人で生活したのは、大阪支局でのわずかな3か月である。

それまで滞在して医局員の野田誠が結核で入院したので、急遽私が大阪支局勤務となったのだ。

支局と言ってもオフィスではなく、安アパート2階の和室二間であった。

そこのアパートの4畳半の部屋にデスクがあり、電話とフアックスが備えられていた。

寝室兼居間の6畳の2階までから、夜となればスナックや居酒屋の喧騒が聞こえてきた。

そして、隣の部屋の女性は水商売らしく、午前1時、2時に帰宅する。

たまには、男を部屋までれてきている様子であり、私は聞き耳を立てた。

私は、同居人に電話をかけ「大阪に来ないか?」と聞いてみたのだが、「大阪には行く気になれない」とつれない返事であった。

仕方ないと、私は夜の街を彷徨うのである。

アパートのある場所は、大阪阪急 十三駅西から徒歩5分の繁華の街の立地であり、北の新地へ私は向かっていた。

そこは、財界人の情報交換の場として栄えてきた、大阪・キタを代表する高級歓楽街。

バー、クラブ、スナック、小料理屋、和洋割烹などの飲食店舗が集まる、キタの高級歓楽街。北は国道2号線、南は堂島川、東は御堂筋、そして西は四ツ橋に囲まれた、東西約500m/南北約250mの長方形の地域。

私が大学時代に交際した北島芳江は、和洋割烹店の一人娘であった。

彼女の母親は40歳の若さで子宮がんとなり、2年の闘病生活で逝ってしまった。

私は芳江の母の葬儀に出ていた。

喪服を着て意気消沈する芳江に私は惚れ直す想いがした。

芳江から紹介されたことのある従妹の沢田亜希が「コイさん可哀そう」と涙を一杯浮かべていた。

亜希は音大の声楽科でオペラ歌手を目指していた。

東京・日比谷公会堂での藤原歌劇団による「蝶々夫人」を芳江と亜希と3人で鑑賞した日が思い出に残っている。

私は、帰りの喫茶店で亜希に聞いてみた「発声はどうすいるのですか?」。

亜希は微笑みながら「声は体の後ろから出すのような感じですね」と言うのだ。

幼児からバレエを習っていた芳江とは、「白鳥の湖」を鑑賞した思い出があった。

私は、結婚して母親となった芳江に無性に逢いたくなっていた。