家人が喘息となり内科へ

2024年02月14日 09時25分32秒 | 日記・断片

喘息(ぜんそく)に移行しやすい咳喘息

風邪などの感染症が治っても、咳が長期間(発症後8週間以上)続く場合は咳喘息のおそれがあります。
咳喘息は、発作的な激しい咳が夜中から明け方に出る、気道が刺激に過敏になっていて、アレルゲンが咳の誘因になる、季節によって悪化する、などの点は喘息(ぜんそく)とよく似ていますが、

  • 「ゼーゼー、ヒューヒュー」といった喘鳴や呼吸困難を伴わない
  • 痰はあまりからまないといった違いがあります。

1~2ヶ月の薬物治療で治ることが多いとされていますが、大人の約3~4割(子どもではさらに高率)が喘鳴を伴う典型的な喘息(ぜんそく)に移行するという報告があります。

咳が続く期間と考えられる病気

 

喘息(ぜんそく)に症状が似た病気・移行しやすい病気

風邪、インフルエンザ、百日咳、マイコプラズマなど、感染症によっても発作性の咳が出ます。感染症による炎症がきっかけとなり、喘息(ぜんそく)を発症することもあります。
また、長く続く症状が結核やがんであることもあります。
風邪などはセルフケアによって短期間で治ることも多いのですが、感染力が強い、重症化しやすいなど、抗菌薬による治療が必要となる感染症もあり、症状が激しい場合や長引く場合は、早めに医療機関を受診しましょう。


風邪で声が出なくなる

2024年02月14日 09時02分46秒 | 日記・断片

これまで、何度も風邪になったが、声が出なくなったのは初めてではないだろうか?

また、先日は、食べたサバの刺身が原因と思われる蕁麻疹となる。

両腕ばかりではなく、腹部、胸、背中も赤く膨れ上がった。

これは尋常ではないと、内科医院へ行く。

なるべく自然治癒に頼っきたが、受診して薬をもらったら、翌日は湿疹が嘘のように消えた。

念のために、処方された1週間の薬を3日間飲む。

治ったと思ったら、また蕁麻疹の症状が表れたのだ。

そして、今度は風邪をひいてしまうと、鼻や喉の粘膜が炎症を起こす。

喉が痛いのだ。ボイスケアの喉飴(プロポリス配合)を舐める。

鼻や喉の粘膜が炎症、これが声が出なくなる原因で、炎症を治すのが一番大切。

その為には薬と安静が大切になるので、風邪をひくと内科の診察を受ける人が多いのですが、声が出ないほどになるのなら耳鼻咽喉科を受診することだ。

検査して炎症があるなら、薬と蒸気で症状を軽くする事が出来る。

喉を楽にするなら、内科より耳鼻咽喉科の方が間違いとされている。


風邪で声が出なくなる

2024年02月14日 09時02分46秒 | その気になる言葉

これまで、何度も風邪になったが、声が出なくなったのは初めてではないだろうか?

また、先日は、食べたサバの刺身が原因と思われる蕁麻疹となる。

両腕ばかりではなく、腹部、胸、背中も赤く膨れ上がった。

これは尋常ではないと、内科医院へ行く。

なるべく自然治癒に頼っきたが、受診して薬をもらったら、翌日は湿疹が嘘のように消えた。

念のために、処方された1週間の薬を3日間飲む。

治ったと思ったら、また蕁麻疹の症状が表れたのだ。

そして、今度は風邪をひいてしまうと、鼻や喉の粘膜が炎症を起こす。

喉が痛いのだ。ボイスケアの喉飴(プロポリス配合)を舐める。

鼻や喉の粘膜が炎症、これが声が出なくなる原因で、炎症を治すのが一番大切。

その為には薬と安静が大切になるので、風邪をひくと内科の診察を受ける人が多いのですが、声が出ないほどになるのなら耳鼻咽喉科を受診することだ。

検査して炎症があるなら、薬と蒸気で症状を軽くする事が出来る。

喉を楽にするなら、内科より耳鼻咽喉科の方が間違いとされている。


映画 クリフハンガー フォールアウト

2024年02月14日 08時15分23秒 | 社会・文化・政治・経済

2月13日1時30分からCSテレビのムービープラスで観た。

まさに死を隣り合わせを岩場を上る女性の必死さと、迫力に圧倒される。

高さ3000メートルの岩壁で凶悪な男たちに命を狙われた女性ロッククライマーの戦いを描いたサバイバルアクション。

標高3200メートルのアンテラオ山を訪れたロッククライマーのケリーとソフィー。

しかしソフィーは同じロッジにやって来た男たちに暴行され、口封じのため崖下へ突き落とされて死んでしまう。

その現場を目撃したケリーも命を狙われ、岩壁を登って逃げようとするが、男たちは頂上へ先回りして上部から執拗に彼女を攻撃。

ケリーは岩壁に宙吊りとなったままで攻撃をかわしつつ、決死の反撃に出る。

主演は「HOSTILE ホスティル」のブリタニー・アシュワース。「ゾンビ大陸 アフリカン」のハワード・J・フォード監督がメガホンをとった。ヒューマントラストシネマ渋谷&シネ・リーブル梅田で開催の「未体験ゾーンの映画たち2022」上映作品。

2021年製作/86分/イギリス
原題:The Ledge
配給:AMGエンタテイメント
劇場公開日:2022年2月18日

 ロッククライマーのケリーは友人のソフィーと共に何か思い入れのありそうなアンテラオ山(ドロミテ?)を訪れる。そこで2人は女性蔑視のドクズ男1人と辛うじて良心が残っているものの流されていく3人の男と出会うのだった。

 なぜかソフィーはそんな男4人と意気投合。しかし調子に乗り茶化しに茶化した挙句乱暴され殺されてしまうのだった。その現場を目撃・録画していたケリーは4人に追われることになり断崖絶壁の岩棚を軽装備で逃げ惑う...

 かつて最愛の人と2人で制覇できなかった山を今度は独り最愛の人を偲びながら~、とケリーという女性の自律の物語がメイン。同情の余地の無いドクズな男たちという胸糞な障害がそれを後押しする。

 ただなんだろうか、上と下と下と上と断崖絶壁におけるケリーと男どもの優劣然り繋がりが描かれそのシチュエーションを機能させようとする試みは感じ取れるも

【未体験2022】クリフハンガー/フォールアウト |テアトルシネマグループ
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  • 【ネタバレ】クリフハンガーフォールアウト|あらすじ感想と結末の評価解説。サバイバルアクションでブリタニーアシュワースが“絶壁での戦い”に挑む ...
  • 関連する画像の詳細をご覧ください。مشاهدة فيلم - The Ledge 2022 - كامل مترجم
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クリフハンガー フォールアウト


アムンゼンとスコット

2024年02月13日 11時05分07秒 | その気になる言葉
 

出版社からのコメント

人類未踏の地が極点一帯を残すのみとなった20世紀初頭。南極点到達に向けて、ノルウェーのアムンセン隊とイギリスのスコット隊が出発した。
敗れた側が帰途に全員遭難死するという悲劇的結末を迎えた史上最大のレースは、なぜそうなったのか。勝った側と負けた側を同時進行的に追う。(解説は山口周氏)
 
本多 勝一

信州(長野県)伊那谷出身。京都大学卒。『朝日新聞』記者、同社編集委員を経て、『週刊金曜日』編集委員(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『本多勝一 逝き去りし人々への想い』(ISBN-10:4062164035)が刊行された当時に掲載されていたものです)

 「ぼくらにはわかったんだ。強い意志こそ、目的達成には不可欠だって」

1909年4月、米国の探検家ロバート・ピアリーが北極点に到達した。

先を越されたことに衝撃を受けながらも、アムンゼンは、予定通りフラム号に乗って出港した。

目的は北極点ではなく、南極点だった。

「悲観したってなんにもならないよ。そん弱気じゃ、この世で何もできないよ」

「完全な準備のあるところに常に勝利がある。人はこれを<幸運>という。不十分な準備しかないところに必ず失敗がある。これが<不運>といわれるものである」

56年の生涯を駆け抜けた彼の言葉は、未来を照らす羅針盤として不屈の輝きを放ち続ける。

ナンセンのフラム号のフラムとは「前進」の意味だ。

ナンセンのフラム号遠征Nansen's Fram expedition)は、1893年から1896年に、ノルウェー探検家フリチョフ・ナンセンが、北極海の東から西に向かう自然の潮流を利用して、地理上の北極点に到達しようとした試みである。

他の極圏探検家達からは多くの否定的見解が述べられていたが、ナンセンは、その遠征船フラム号で北極海東部のノヴォシビルスク諸島に向かい、叢氷の中に船を凍結させ、そのまま漂流して北極点に到達するのを待った。漂流の緩りとした速度と不安定な性格に耐えられず、18か月後にナンセンと選ばれた隊員であるヤルマル・ヨハンセン英語版が船を降り、犬橇のチームと共に北極点を目指した。

結局北極点には達しなかったが、それまでの最北端である北緯86度13.6分の記録を作り、その後2人は長期間氷と海を渡って、ゼムリャフランツァヨシファに無事帰還した。一方フラム号は西への漂流を続け、最終的には北大西洋に出てきた。

この遠征のアイディアは、アメリカの船USSジャネット号が1881年にシベリアの北海岸沖で沈没し、3年後にグリーンランド南西海岸沖で見つかったことから得られた。

この難破船は明らかに北極海を渡って来ており、北極点そのものを通過した可能性があった。このことや、グリーンランド海岸で回収したほかのゴミから、気象学者のヘンリク・モーン英語版は極点を漂流する学説を考えだし、それがナンセンをして、特別に設計した船ならば、叢氷の中に閉じ込められたまま難破船ジャネット号と同じ経路を辿り、北極点の近くに達することができると考えるに至った。

ナンセンは丸い船腹など長期間氷の圧力に耐えられるようにデザインした船の建造を監督した。

この船は長く氷に閉じ込められてもほとんど脅威を受けず、3年後には無傷で戻って来た。この期間に行われた科学的観測によって海洋学の新しい分野に大いに貢献し、その後はナンセンの科学的研究の重要課題になった。

フラム号の漂流とナンセンの橇の旅によって、ユーラシア大陸と北極点の間には注目するような陸地がないことが証明され、北極点近くの領域は氷に覆われた深い海であることが確認された。ナンセンはこの遠征後に探検から身を引いたが、ヨハンセンと共に開発した旅や生存のための手段は、その後の30年間における北極や南極での遠征全てに影響を与えた。

Head and shoulders of a young, fair-haired man with a blond moustache, looking to the right. He is wearing a jacket buttoned to the neck.
フリチョフ・ナンセン
「なさねばならぬ事柄をなすべき道は。常にある。ひいたり、それたりする一切の道は結局とざされている。いまは唯だ一つの道しかない、それが前進だ、おそらく試練と苦難とを通しての前進であろう、けれども前進だ」

ナンセンからフラム号を譲り受けたのがアムンゼンである。

 
古生物学の観点から皇帝・アデリーペンギンの生態を調べるのが好きで、「世界最悪の旅」という初のペンギンの冬季コロニーを調査した本に出合いました。
元々チェリーガラートは小説家ではないので文書構成がぎこちなく、更に翻訳も評判が悪く読みにくい本となってます。
それを補完したのが本書と言えるでしょう。
両書を読むと白瀬隊の評価が英国とノルウェーで違う事が分かります。
 
 

南極点到達を目指したノルウェーとイギリスの探検隊の物語。

二人のエピソードは有名だと思うが、探検の準備段階から実際の困難、両隊の生死を分けた点などが、対比されて書かれており、大変刺激的だった。

単純な冒険譚、読み物としても面白くおすすめできる。

記述の中で両者がちょくちょく入れ替わるので、現在はどちらの話なのかよく理解して読み進める必要がある。また、筆者の主観と客観的事実が、別れているようで別れていないので、その点もよくよく注意する必要があるかもしれない。

いずれにしても面白い本だった。
 

人類初の南極点到達に同時期に挑戦した「アムンセン」と「スコット」両隊の経緯を比較しながら解説していくドキュメンタリーで、両者の書籍は数あるが、それを比較して1冊にまとめたというところに価値がある。

本書では敗者であるスコット隊に対してやや辛辣な評価が目立つのではあるのだが、犬ソリでの移動をしていたアムンセン隊に対して、遅れは取ったもののほぼ人力で約3000キロを走破し、南極点への到達を達成したスコット隊の恐るべき精神力と身体能力に関しては畏敬の念を抱かずにはいられない。

ドキュメンタリーではあるのだが、客観的な事実と主観的な意見の感想の区別が曖昧になっており、しかもその主観というのが「彼はジェントル階級ではないから~」とか「日本の官僚が~」というような、階級闘争的なバイアスが無意味に強い内容なのは、他人の褌で相撲を取っているような見苦しさはある。
 
 
リーダーとしての振る舞い、判断が異なる2人の話がとても勉強になりました。
刺激的でまた読みたくなる本です。
 
 

ノルウェイのアムンセンと英国のスコットは同時期に人類未踏の南極点到達を争い、一方は成功し喜びとともに帰還したが、他方は敗れた上、帰途全員が死亡する。
この史上最大の冒険レースに参加した二つの探検隊の行動を同時進行形式で比較検証することで、著者は何故スコットが失敗しアムンセンが成功したかを解明しようとする。

雪原を快走するアムンセンの犬橇。悪天候で苦闘するスコット。
馬の転落、動力橇の故障、燃料蒸発、怪我、壊血病。デポまで僅か20キロに迫りながら、遂に倒れたスコット隊が、最後まで放棄しなかった重い岩石標本や、遺稿となった日記の記述は、彼らの義務感、闘志を示すものとして今も讃えられている。
アムンセンは幸運であり、スコット隊は実に不運であった。
しかし経過をたどって読み進むうちに、運命論だけでは片付けられないものがあることに我々は気付く。

西堀栄三郎氏の「二つのリーダーシップ」と題する巻末の解説には「極点への情熱と心構え、隊の運営方法の差。
アムンセンは成功するべくして成功し、スコットは敗れるべくして敗れた」とあります。
勝敗を分けたリーダーの資質と隊の運営方法の違いについての西堀流分析はここでは紹介しませんが、記述された両隊の行動を順を追って、考えながら辿れば、最後の「解説」が素直にわかる。我々の明日への指針としても読める好著です。
 
山口周さんの「読書を仕事に繋げる技術」の中で紹介されていたため読んでみました。リーダーシップを学ぶ上での必読本ということで。
結果どうだったかというとすごく勉強になりました。
リーダーって周りの人より優れてないといけない?けどそれってすごく難しくない?だって上には上がいるし、みんなそれぞれ頑張っているし個性もあるし。と思っていましたが、この本を読んで分かった気がしました。コレならできると。努力でどうにかできることならやってみる価値あります。
それに一つのノンフィクションとしても非常に面白い本でした。オススメです!
 
 
南極点初到達を競い合ったアムンセンとスコット。
スコットに関してはAチェリー・ガラード「世界最悪の旅」,シュテファン・ツヴァイク「南極探検の闘い」等,悲運の人として取り上げられる事が多いがアムンセンに関しては,殆ど触れられていない。
本書ではアムンセンの生い立ち,探検家を志した動機,探検に当たっての用意周到な準備等々を詳細に解説し,彼が生還した理由を結論して行く。
他方スコット隊が全滅した理由に関しても解説し,悲運の幾許かは彼の浅慮に基づく判断が招いたと結論する。
とは言えスコットの最後まで任務を果たそうとする努力,隊員達の献身的努力を軽んじるものでは決してなく,スコット隊の最期の件の記述には目頭が熱くなる。

本多勝一氏は非常に左寄りで思想的には共感出来ない向きも多いだろうが,同時に氏は冒険に関して一家言があり,思想と関係なく読み応えがあると思う。

本書は1986年に初めて刊行され2021年に文庫化された。
Amazonの本カテゴリで本多勝一で検索すると"日本語の作文技術"と本書がヒットして,初めて文庫化を知った次第である。
思想的に偏向した本は絶版となり,こうした本が生き残る事に隔世の感を覚える。
 

スコット隊の悲劇、アムンセンの成功を描いただけではなく、それぞれのパーソナリテイをも描き切り、かつ従来あまり触れられなかったスコット隊の「階級意識」の欠点までも冷静に分析した本書は、本多勝一氏の最高傑作ではないかとすら思う。
本多氏の政治的意見に反発を感じる人(私も実はそうだ)も、この本の魅力には取りつかれるはずだ。
そして、アムンセンの見事な探検者としての能力、ち密な計画性への評価とともに、アムンセンが最後には全く売名しか意識しないで遭難した探検家を助けるために出動して行方不明になるラストは、彼のヒューマニズムを感じさせ深い読後感を残す。
スコット隊の悲劇に隠れて時として印象が薄れるアムンセンの豊かな人間性を知るためにも最良の一冊。

本多氏はスコット隊には確かに厳しく問題点を指摘しているが、もちろん、スコットの精神力、最後までユーモアを忘れぬウイルソンの人格など、隊員たちの人間性には深い敬意を払っている。
特に、あまり触れられないエバンズ隊員の存在(彼がスコット隊の中で下位の階級におり、それゆえの苦悩があったはずだが、何ら不満も見せず最後まで頑張りぬいたこと)についての記述はなるほどと思わせる。
このあたりは社会派記者である本多氏ならではの鋭い視点だろう。
そして、スコットが自らの妻あての遺書に「わが未亡人へ」と書きつけるところはやはり重い感動を呼ぶし、先に亡くなった隊員たちへの家族への手紙は、隊長としての責任感と、隊員への深い感謝の念があふれている。
誰しも、失敗したとき、希望を失ったときにその人の人間性が表れるとするならば、これは死や破滅に対し、人間がどうそれを受け入れるべきかの偉大な精神の記録ともいえるだろう。
 

 

 


種の起源 上 

2024年02月12日 13時02分28秒 | 社会・文化・政治・経済

 
『種の起源』は専門家向けの学術書ではなく、一般読者向けに発表された本である。
名のみ知られるばかりで、その内容については多くを語られることのなかったこの歴史的な書を、画期的に分かりやすい新訳で贈る。
 進化学はすべての生物学の根幹をなしている。
そしてそのすべてのルーツは『種の起源』初版にあるのだ。端緒を開いたダーウィンの偉業、それは進化の研究を科学にしたことと、進化が起こるメカニズムとして自然淘汰説を提唱したことにある。(訳者)
 
ダーウィンが『種の起源』で成し遂げた二大偉業は、進化の研究を科学にしたことと、進化が起こるメカニズムを提唱したことにある。
 生物の進化は、地球の長い歴史の中で一回しか起こらなかった物語である。
たとえばティラノサウルスが二度と復活することはない。
つまり通常の科学の方法では扱えない事実である。
ではどうすればよいか。ダーウィンは、仮説を構築し、傍証を積み上げるという歴史科学の方法を確立することで進化学を科学にしたのだ。
 もう一つの偉業は、進化のメカニズムとしての自然淘汰説を提唱したことである。生物には遺伝的な個体変異があり、個体変異に応じて生存繁殖率に差がでる。
その結果、有利な変異をもつ個体ほど生き残る確率が高く、より多くの子孫を残す。この過程が続くことで、原種から変種が分かれ、やがて種となる。
単純化すれば、これが自然淘汰の原理だ。 
 つまり、生物個体の生存繁殖にとって有利な遺伝的変異を保存し不利な変異を排除する、自然による選抜の過程を自然淘汰という。(「本書を読むために」より)
 
 
 
「進化論」という「論」自体やその影響については、今日でもよく話題になるので、それのもととなったダーウィン『種の起源』を読んでみた。
著者の頭に詰め込まれている厖大な知識の脈絡を追うのは結構大変。
私の興味は個々の事実ではなくて、どうしてダーウインがそう考えるに至ったのかを知る気分になることだが、それでもそれなりに集中しないと分からない。
当たり前だが、ダーウインの記憶力と推理力は抜群だ。

 1859年に出版された本書の結論だけを書けばとても簡単、いわゆる自然淘汰説だ。
一番基本は、生物もまた自然の法則に従っているということ、つまり神が創ったのではないこと(当時は聖書の記述にしたがって、生物は種ごとに神が創ったと信じられていたらしい)。
次には、よく「進化論」と呼ばれている考え方で、生き物は、長い時間をかけて、自然淘汰の作用による変化伴う由来をもっているということ。
ここで、自然淘汰の作用とは、生存競争によって世代を重ねるにつれて生き残っていくグループとそうでないグループが生じてくることを言う。
そのことは、生物の諸器官にしろ行動様式にしろ、進化の個々の段階においては個々の生物グループにとって有益なものであると見なせること、またごくわずかではあってもそれらは変異を生じるうること、有益な変異が子孫に継承されること、などが認められれば、生物史を貫く法則であろうと推論が出来る。

 ダーウインの推論は、観察と実験から得られた数多の事実に基づいた合理的な思考によるものだ。
この数多の事実はどうやって見つけたのかと言えば、自分で直接行ったものもあるし、当時の学者やナチュラリストや育種家などが行った厖大な蓄積の中から、合理的な意図によって選別したのだろう。
観察や実験(人工的育種も含めて)の動機は、学者やナチュラリストにとっては新種の発見自体などに、育種家は有用な植物や動物を創り出すことなどにあったのだろう。

 厖大な知見に基づいた推論を追っていくのも本書を読む一つの醍醐味ではあろうが、合理的な意図とか、事実自体が何であるかとか、事実と事実の関係に潜む規則の推定等々は容易ではない。
特に、私のように、虫や魚や鳥等々の身体の部位やその性質や行動様式について知らないばかりか、あまり考えたことのない人にとっては尚更である。しかし、ダーウインの残した業績は後の生物研究に重要な指針を与え、また、普通の人々にとっては大いなる誤解を含めて重要な影響を与えていることは理解できる。

 界⇒門⇒綱⇒目⇒科⇒属⇒種⇒亜種⇒変種⇒品種⇒亜品種、という分類は右から左へ生物の由来を溯った体系を示している。
例えば、ヒトの分類学的位置づけは、動物界、脊椎動物門、哺乳類綱、霊長目、ヒト科、ヒト属、ヒト(種)となる(現世の人類はホモ・サピエンス・サピエンス)。
一つの生き物は、壮大なピラミッド式体系の一つに位置づけられた。生物の分類は身体の形式や行動様式や稔性等々に基づいていたが、そのそれぞれが由来を持つ変化の結果であることが判明することで、一つの体系となった。しかも何故、生物のグループが連続ではなくて区分できるのかも理解できる。
つまり、変異で生じた中間的グループが、自然淘汰によって絶滅したからである、と。
そのことは生命の化石が見つかる数億年前からの地質学的知見によって、ほんの一部だけ確かめられ、もっと確かめたければそれはこれからも果てしなく続くだろう。
よく、進化論によれば人間の祖先は猿だったと言う人がいるが、本書を読めば不正確な表現であることがわかる。そういう人には、何故「目」というところで先祖が停止していると思うか、と訊ねるのがいいと思う。

 最後に、最終章(14章 要約と結論)で述べられているダーウインの推論のうちで二つを紹介する。
一つは妥当でもう一つは問題であると思う。一つは「生物を変化させる原因の中で最も重要なのは、物理的条件の変化、それも恐らく物理的条件の突然の変化とはほぼ無関係である。」という推論(種の創世説への反論のようだが)。
この推論は、人間の心が関係性の中で変化しうることの身体論的説明として妥当だろう。
もう一つは「遠い将来を見通すと、さらにはるかに重要な研究分野開けているのが見える。心理学は新たな基盤の上に築かれることになるだろう。
それは、個々の心理的能力や可能性は少しずつ必然的に獲得されたとされる基盤である。
やがて人間の起源とその歴史についても光が当てられることだろう。」という推論。
この推論は、人間の心が自然科学的に解明されるという誤謬推理であろう。この誤謬に気付かなければ重大な問題が発生しかねない。
この点に関して言えば、本書より70年ほど前に書かれた『純粋理性批判』(カント著)で指摘されている、人間の理性についての洞察を知ることがとても大切だと思う。
 
 
"生命は、もろもろの力と共に数種類あるいは一種類に吹き込まれたことに端を発し、重力の不変の法則にしたがって地球が循環する間に、じつに単純なものからきわめて美しくきわめてすばらしい生物種が際限なく発展し、なおも発展しつつあるのだ"1859年発刊の本書は『自然淘汰説』を提唱した名著。

個人的には主宰する読書会の課題図書として手にとりました。

さて、そんな本書は誰もが教科書で学び知っている"ダーウィンの進化論"のもとになった著書で、ビーグル号での5年間の航海体験を経て、この世の生き物は【神によって創造されて以後に姿を変えることはなかった】とする『創造説』に疑念を抱いて帰還した著者が、密かに書き続けてきた生物進化について考察していたノートをまとめ、ウォレスの論文発表を機に『要約』として当時の一般読者向けに発表、好評を博すも物議を醸した一冊なのですが。

まず、本書で提唱している『自然淘汰説』自体は単純で『有利な変異を持つ個体ほど生き残る確率が高く、より多くの子孫を残し、この過程が続くことで原種から変種が分かれ、種となる』ということなのですが。

それを新訳では【訳者なりに工夫を凝らしている】とはいえ、『要約』なのに?そもそも分厚い本書は、当時の著名研究者名や様々な動物、植物名が多数出てきて【情報量が多く】またよく言えば『丁寧で多角的』わるく言えば【回りくどい論証】で解説しており、正直、私には読み進めるのがしんどかった。

一方で、ちゃんと読まれることなく【ダーウィニズムは競争至上主義(弱肉強食)】といった捉えられ方をされたり『最も強い者が⽣き残るのではなく最も賢い者が⽣き延びるのでもない。
唯⼀⽣き残ることが出来るのは変化できる者である。』といった他の経営学者の解釈が『ダーウィン自身の言葉』とされているのが【大きな誤解であること】が、本書で実際に確認できたのはとても良かった。

進化学、生物学のルーツ的一冊。歴史的名著としてオススメ。
 
進化論は現在、進化医学、進化心理学、進化経済学、進化認識論など、多くの学問領域に新しいインパクトを与えつつある。
嘴が0.5ミリ長いなど、遺伝性の突然変異によるごく小さな個体形質の変化が、従来の個体形質に比べてほんの僅かでも子孫を多く残すならば、何千年後には新しい形質が支配的になる。
これが進化論のエッセンスであり、神によるデザインなどの意図的・目的論的な契機なしに、種の形成や人間の成立を説明できるのだ。
『種の起源』は、まず品種改良という動かぬ事実をあげて、次に自然における種の変化を説く堅実な議論になっている。
第4章「自然淘汰」の冒頭を、既訳と新訳で読んでみよう。
「前章できわめて簡単に述べたにすぎないのではあるが、その生存闘争は、変異に関していかなる作用をするのであろうか。人間の手の内にあってそれほど強力であることが分った選択の原理は、自然界でも適用されるのであろうか。私は、それがきわめて有効に働きうることを、証明できると思う」(岩波文庫訳)。
「前章で手短に論じた生存闘争は、変異に対してどのように作用するのだろう。選抜の原理は人間の手で行う場合にはきわめて有効であるが、この原理は自然界にも適用可能なのだろうか。それは自然界でもきわめて効果的に働きうるというのが、私の考えである」(本訳)。
 

信じて待つ人の存在

2024年02月12日 09時54分27秒 | その気になる言葉

▼名声より私を幸福にするのもの、それは友情―作家・ヘッセ

ヘルマン・カール・ヘッセ(Hermann Karl Hesse, 1877年 7月2日 - 1962年 8月9日)は、ドイツ生まれのスイスの作家。 主に 詩 と 小説 によって知られる20世紀前半の ドイツ文学 を代表する文学者である。 

▼社会人として大事なポイントは、利己主義に陥らず、人びとを幸福にする哲学を持ち、実践し、人間として尊敬されるかどうかである。

▼智慧と慈悲と勇気を発揮し、人のため、社会のために行動する大きな心こそ、根本要件だ。

▼人は、ともすると、華々しい成功を全てその人ひとりの力だと思ってしまう。

しかし、その過程には、成功を信じて疑わなかった誰かがいたからではなかったか。

▼励ましには万の力があるはずだ。

▼大人の学び直しが広がっている。

学びに遅すぎることはない。

▼悲しみにあっても、顔を上げて人生を歩み続けよう。

▼ただ一つの道、それは前進だ。

おそらくは試練とl苦難を通しての前進であろう、けれども前進だ―フリチョフ・ナンセン

フリチョフ・ナンセン(Fridtjof Wedel-Jarlsberg Nansen 発音例、1861年10月10日 - 1930年5月13日)は、スウェーデン統治下および独立後のノルウェーの科学者、不屈の探検家、国際政治家。1893年から1896年にかけてフラム号による北極遠征を行ったことで有名。


幸福の哲学

2024年02月11日 20時09分52秒 | その気になる言葉

四つ葉のクローバーを見つけると幸福になれるという伝説がある
幸福(こうふく、希: εὐδαιμονία、羅: felicitas、英: happiness)とは、心が満ち足りていること。

幸せ(しあわせ)ともいう。人間は古来、幸福になるための方法に深い関心を寄せてきた。

幸福についての考察や、幸福であるためにはどのような生き方をすべきであるか、その方法論を提示した文章・書物は「幸福論」(eudaemonics)と呼ばれている。

幸福を倫理の最高目的と考え、行為の基準を幸福におく説を幸福主義という。古典的にはアリストテレスが典型であり、近代哲学では功利主義がその典型である。

本記事ではまず、哲学者や思想家や宗教家などによって幸福についてどのような考え方が提示されてきたのか見てゆく。→#哲学、思想、宗教における考え、その次に、近年の統計的な調査や精神医学的な調査・研究で明らかになった知見なども紹介することにする。

哲学、思想、宗教における考え
ソクラテス

ソクラテス(469?~399 B.C.)
ソクラテスは、「生きること」以上に「よく生きること」を重視し、正しく知ることが重要であると説いた。

アリストテレス

アリストテレス(384~322 B.C.)
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』において、 幸福とはだれもが求める目標である、その特徴は、それが究極目標であること、つまりもはやそれが何かほかのものの手段にはなりえない、という点にある、と述べた。

つまり幸福は、それ自体のために求められる最高善であるとし、自足的で永続的な状態である、と見なした。

幸福が最高目標、永続的であるのに対して、実生活の具体的な活動の過程で得られる快は安定性も永続性も欠いている、とし、幸福主義を唱えた。

またアリストテレスは、幸福とは、政治を実践し、または人間のプシュケー(=心、霊魂)の固有の形相である理性を発展させることであるとした。

ヘレニズム期の考え方
ヘレニズム期の哲学においては、幸福について考えが分かれる二つの学派があったとされる。ストア派とエピクロス派である。

ストア派
ストア派では、宇宙全体を貫くロゴスとの合一に幸福の理想が求められ、理性に従い欲望を制御して、どんなことがあっても動じない状態、即ちアパテイアが幸福であるとした。

ストア派は理性に従い徳を高めることが幸福であるとする一種の主知主義の立場である、ともされる。

エピクロス派
エピクロス派は「快楽を得ることが幸福であるとした」などとされ、快楽主義などと表現される。

ただし、エピクロス自身が言っていたことは、現代人がつい思い描いてしまうような、単純に享楽を求めるような"快楽主義"ではない。

エピクロス自身は、快を「感覚的な快」と、「精神的な快」に分けて考えていた。

前者は生き物に共通の反応ではあるが、人間あるいは賢者にとっての幸福というのは、精神的な快であるとし、アタラクシアである、としていたのである。

アタラクシアとは、静かな心の平安、あらゆる苦痛と混乱を免れた精神の安定した境地のことである。

ヘレニズム期の幸福論を考察する時に、両派は対比され、一般にストア派は「禁欲主義」、エピクロス派は「快楽主義」と呼ばれ、てはいるが、このように静かな心の穏やかさを目指した面では軌を一にしている。

「これら(両派)はいずれも、外部とのかかわりを可能なかぎり断って、もっぱら内面における安定ないし自足のうちに幸福の実現の可能性を求める立場であった」とも。欲望をどのように扱うかが、幸福論の中心的な課題であったとも。

「この点では、苦しみの源である執着心(渇愛)から解放された涅槃寂静の境地に悟りの境地を求めた仏教の発想とも通じ合うところがある[2]」ともされる。

法華経
仏教経典の一つ『法華経』第二章にあたる「方便品」において、「衆生を饒益にょうやくし安楽ならしめたもう所多き」、つまり全ての人々の真の幸福と安楽のために『法華経』は説かれたのだ、とされている。

別の言い方をすると、一切衆生の成仏が、仏がこの世に出現した最大で究極の目的である、としているのである。

そして『法華経』第十五章にあたる従地涌出品じゅうじゆじゅっぽんには、釈迦如来が説法をしていたときに大地が割れ、そこから無数の菩薩が涌き出てくる情景が描かれている(この菩薩を「地涌の菩薩じゆのぼさつ」と呼ぶ)。

これらの菩薩は、釈迦亡き後の末法の世において仏法を護持して広めてゆく存在であるが、この「地涌の菩薩」とは、他でもない我々普通の人間のことをあらわしており、民衆ひとりひとりが立ち上がり、他の人々までも幸せにしてゆく情景がオペラさながらの手法で描かれているのである。


宮澤賢治(1896~1933)
宮沢賢治は『法華経』の学びから「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(『農民芸術概論綱要』序論)を得た。

中国などの故事・格言等
中国などの故事や格言にも幸福を主題としたものがある。

古代中国、紀元前2世紀頃の『淮南子』に掲載されている人間訓に「人生万事塞翁が馬」がある(この表現は元の僧、熙晦機の漢詩「人間萬事塞翁馬 推枕軒中聽雨眠……」の冒頭にちなむ)「塞翁が馬」とも称される。

「人生万事塞翁が馬」のあらすじ
ある塞(城塞)のほとりに、老人とその息子とが暮らしていた。

ある日、彼ら親子の馬が突然逃げ出してしまったため、周囲の人々は馬を失った親子を気の毒がったが、当の老人は「不幸かどうかは果たして分からんよ」と、意にも介さない。

間も無く、逃げ出した馬は立派な馬を連れて戻ってきた。

不幸が転じて幸運となったために周囲の人々は親子の幸福を感心したが、老人はやはり意に介さない。

間も無く、息子がこの馬から落ち脚が不自由となってしまったため周囲は同情したが、それでも老人は意に介さない。

その後、戦争が始まって村の若者は皆兵に徴収され、ほとんどが戦死してしまったが、息子は脚が不自由であるため村に残った。

こうして、老人と息子は共に生き長らえ暮らした。

縒り合せた綱
「塞翁が馬」には、「禍福は糾える縄の如し」(人の幸・不幸は縒って作った縄の目のように、交互に訪れるため片方ばかりは続かない、という意味)など、類似する故事、説話、慣用句なども数多い。

『晋書』(劉毅伝。7世紀頃)には、「棺を蓋いて事定まる」という格言がある。ある出来事や現象がその瞬間には幸福に見えようが不幸に見えようが、それが本当にそうなのかは、その後の長い時間を経て人生の幕引きの時を迎える時まで定まっていない、ということを述べている。

例えば、ある人が子供の頃に憧れた職業に進むため、適性を無視してその方向に邁進、結果として途中で挫折した場合には、当人にとって大変な損失であり不幸である。

よしんばその途中過程で、まだやり直しが利く段階での成功は、その瞬間には「幸福な出来事」といえるのかもしれないが、結果論から言えば「いよいよやり直しが利かなくなる状態に陥っただけ」ともいえる。

なお落語には「人の値打ちと煙草の味は、煙になって判るもの」(煙草は火を付けて吸うまで良し悪しが判らない、のと同様に、人は葬式が終わって火葬されるまでは、どれだけの価値があったのか正確には判じ難い、という意味)という件もあるという。

キリスト教

イエス・キリスト(4?B.C.~A.D.30?)
キリスト教が普及した中世ヨーロッパにおいては、本来の幸福は個々の人間の努力によってどうにかできるようなものではなく、神からの恵み(恩寵)によってのみ真の至福は可能になる、と説かれた。

ブレーズ・パスカル

ブレーズ・パスカル(1623~1662)
ブレーズ・パスカルは『パンセ』において幸福にも言及している。

誰もが幸福になりたいと思っている。そこに例外はない.....。

これこそが、首を吊ろうとする人をもふくめて、あらゆる人間のあらゆる行為の動機である。(『パンセ』425)

絶えず幸福になろうとしている状態にあるかぎり、われわれはけっして幸福になることがない。(『パンセ』172)

現代フランスの代表的モラリストの一人であるコント=スポンヴィルは次のように説いた。「あるがままのものを認識し、できることを意志し、起こることを愛すること」

アダム・スミス

アダム・スミス(1723~1790)
アダム・スミスは『道徳感情論』において「幸福は、平静と享楽にある。

平静なしには享楽はありえないし、完全な平静があるところでは、どんなものごとでもそれを楽しむことが出来る」とした。

「健康で負債がなく、良心にやましいところのない人に対して何を付け加えることが出来ようか」。

しかし「(健康で、負債がなく、良心にやましいところがない状態)につけ加えうるものは、ほとんどないにしても、それから取り去りうるものは多い。

この状態と人間の繁栄の最高潮との間の距離は取るに足りないのに対し、それと悲惨のどん底との間の距離は無限であり巨大である「貧乏な人は、彼の貧困を恥じる。彼は、それが自分を人類の視野の外に置くこと、あるいは、他の人びとがいくらか彼に注意したとしても、自分が耐え忍んでいる悲惨と困苦について、彼らが、いくらかでも同胞感情をもつことはめったにないということを知っている。

彼は(貧困と無視)双方の理由で無念に思う。

無視されていることと、否認されることは、まったく別のものごとなのではあるが、それでもなお、無名であることが名誉と明確な是認という日の光を遮るように、自分が少しも注意を払われていないと感じることは、必然的に人間本性の最も快適な希望をくじき、最も熱心な意欲を喪失させる。

「人間がどんなに利己的なものと想定されうるにしても、あきらかに人間の本性の中には、何か別の原理があり、それによって、人間は他人の運不運に関心をもち、他人の幸福を--それを見る喜びの他にはなにも引き出さないにもかかわらず--自分にとって必要なものだと感じるのである。」

「われわれが、他の人々の悲しみを想像することによって自分も悲しくなることがしばしばあることは明白であり、証明するのに何も挙げる必要はないであろう」。

この共感と同情による幸福の追求は彼の富国論のなかの重要な命題「成員の圧倒的大部分が貧困で惨めであるような社会は、繁栄した幸福な社会ではありえない」に結実していることが発見できる。

イギリスの功利主義
近代に入り、キリスト教のものではない世俗的な価値観が現れると、イギリスにおいては、感性的な快のもたらす満足感が幸福なのだとする発想が芽生え、これが後に功利主義につながってゆくことになった。


ベンサム(1748~1832)
ベンサムは、個人にとっての幸福は快が得られ苦痛が欠如した状態にある、と見なす快楽説を採用し、個々人の私的善の総和を最大幸福と見なし、「最大多数の最大幸福」の実現を社会的行為の基盤と見なした。

ただし、この考え方には修正が必要だとしたのがジョン・スチュアート・ミルである。

ミルは、何が快であり苦であるかには個人差があると考え、快楽計算に質的観点を導入してみせた。ミルは「太った豚よりも痩せたソクラテスであれ」という言葉でも知られている。

マズロー
欲求に重点を置いた社会心理学者アブラハム・マズロー (1908年 - 1970年)の説明では、人の欲はある段階を達成すれば更なる高い段階を基準とするために「絶対的幸福というものは存在しない」などともされた。

ヴィクトール・フランクルの思想
ヴィクトール・フランクルは人間が実現できる価値を3つに分類している。

創造価値:善や美を作り出す。
体験価値:善や美を享受する。
態度価値:人間らしい尊厳ある態度をとる。
創造価値、体験価値の実現は一般的に言われる幸福な状態である。

最後の態度価値は、困難で悲惨な環境・状況のなかでも実現できる価値であり、環境だけが人間にとっての価値ではなく、たとえどのような環境に遭遇しても、それに対する自分自身の態度のとり方にこそ価値があると捉えることで幸福を得られることを、ヴィクトール・フランクルは著書で語った。

彼は、アウシュヴィッツという究極の状況下で人々が見せる様々な態度を目撃し、また、そのような状況下でも充実した生き方を見せた人に遭遇した実体験などもふまえてそれを語った。

新宮秀夫による説明
新宮秀夫は幸福とは満足、安心、豊かさなど人の願うことの中そのものにあるのではなく、それを得ようとしたり持続させようとする緊張感の中に幸福があるとする。

そして幸福についての考え方を、複雑性に応じて四つの段階に分類する。

数字が上の階は下より高級ということではなく、下の階の考え方を前提とすることにより成り立っているということである。

第一のステージ:富、名声、恋、スポーツ、食事などを通じて快楽を得ることに幸福を感じる。
第二のステージ:獲得した快楽を永続させようとするいとなみの中に幸福がある。
第三のステージ:苦しみや悲しみを克服するいとなみの中に幸福がある。
第四のステージ:克服できない苦しみの中に、幸福がある。
その他の幸福論の主な著作
エピクテトス『語録』:己の力の及ぶものと及ばないものを識別し、自己抑制をもって生きることを説く。
バールーフ・デ・スピノザ『エチカ』:物事を永遠の相のもとで見ることが幸福(神に対する知的愛)への道であるとする。
アルトゥル・ショーペンハウアー『幸福について』:目先の環境に振り回されるのをやめ、すべては空しいと諦観することで精神的落ち着きを得るべきである。

世俗的な幸福の源泉を人のあり方・人の有するもの・人の印象の与え方に大別した上、肝心なのは「人のあり方」であるとする。『意志と表象としての世界』第四部では、自他の区別を去った意志の否定を説く。
エミール=オーギュスト・シャルティエ(アラン)『幸福論』:健全な身体によって心の平静を得ることを強調。

すべての不運やつまらぬ物事に対して、上機嫌にふるまうこと。また社会的礼節の重要性を説く。
人間は意欲すること、そして想像することによってのみ幸福である。
バートランド・ラッセル『幸福論』:己の関心を外部に向け、活動的に生きることを勧める。妬みは「わが身を不幸にする」ので、他人と自分を比較するのを止めなければならない。
ほんとうに心を満足させる幸福は、わたくしたちのさまざまな能力を精いっぱい行使することから、またわたくしたちの生きている世界を十分に把握することから生まれるものである。
カール・ヒルティ『幸福論』:神のそば近くあることが永続的な幸福を約束するとする宗教的幸福論。
幸福の第一の必要欠くべからざる条件は、倫理的世界秩序に対する正しい信仰である。
人生の幸福は、困難が少ない、あるいはまったくないということにあるのではなく、それらをすべてりっぱに克服することにあるのである。
福田恆存『私の幸福論』:不公正な世の現実を見据え、弱点を弱点と認識した上でとらわれなく生きること。望むものを手に入れるために戦い、敗北しても悔いないこと。
モーリス・メーテルリンク『青い鳥』:2人兄妹のチルチルとミチルが、夢の中で過去や未来の国に幸福の象徴である青い鳥を探しに行くが、結局のところそれは自分達に最も手近なところにある、鳥籠の中にあったという物語。
なんだ、あれがきっと僕たちのさがしていた青い鳥なんだ。

僕たちはずいぶん遠方までさがしに行ったけれど、ほんとうはここにしょっちゅういたんだな。
近年の様々な見解
幸福を欲求の充足に結びつけて考えてしまう人にとっては、欲求が満たされればそれは以前の状態に比べて幸福ということにはなるが、この欲求の正体が分からず、自分が何を求めているかが理解出来ずに焦燥感に駆られる人や、欲求に主導権を譲り渡してしまったことで、欲求が限りなく膨張しつづけそれを満たしつづけることが出来ず苦しむ人も少なくない、という。

この辺りは「曲肱の楽しみ」(曲肱:肘枕で寝る事・貧しい事の例え)等の語が端的に表している通り、やはり「楽しい」「幸福である」という状態はその主観において主体的に見出す事であり、如何なる状況においても、みずからの「心のありかた」を意識的に選び取ることによって見出すことができるとされている。

統計的、精神医学的調査・研究
1980年代から幸福感に関する心理学的・精神医学的な研究が盛んになってきた[13]。

世界各地の110万人のデータを検討したマイヤースらの1996年の研究によると、2割の人が「とても幸福である」と答え、約7割の人が「かなり幸福」あるいは「それ以上」と答えていた。

1990年のイングルハートによる分析では、ある程度以上裕福な先進諸国においては、個人の経済的裕福さと幸福感との間には関連性が見られなくなる。


顕著性ネットワークは、創造的なアイデアとそうでないアイデアの選別に活躍し、幸福感を含むあらゆる感情の一部でもあると言われている。
2010年のヴィタルらによる統計文献分析によると、幸福には基本的な神経基盤があることがわかった。

2015年のトゥルートグルーらによる統計的文献分析によると、顕著性ネットワークは幸福を含むすべての感情の一部である。

2020年の統計的神経科学の文献分析によれば、幸福の本質は感情や行動によるものではなく、意味や自分に対する道徳的評価によるものである。

統計学的に見て、幸福感に大きな影響を与えているのは、婚姻状況(未婚/既婚/離婚の違い)および信仰心であった(注. ここでいう「信仰心」とは主としてキリスト教の信仰のことである)。

世界14ヶ国の16万人余りを対象とした国際研究では、幸福であると答えた人の率は、信仰心があつくて礼拝や儀式にもよく参加する人のほうが高かった(ギャロップ社による調査)。

様々な統計的データによって明らかになったことは、幸福感の基線を決めるのは、環境の客観的な条件ではなく、個々人の内的特徴(「信仰心」や「ものの考え方」など)である、ということである。

また、幸福感を持っている人に共通する内的な特徴は以下の4つと指摘されている[20]。

自分自身のことが好きであること
主体的に生きているという感覚を持てていること
楽観的であること
外向的であること、であると指摘されている
また、人は価値のある活動に積極的に参加し、自身のゴールをめざして前進するときに、より多くの幸福を感じることができる[30]。精神的安定は外向性よりも幸福の重要な決定因子であり、根性などの規律も幸福と相関する。

このため、不安から遠ざかり、曖昧さに寛容であることも重要である。

自己超越性と変化に対する寛容性も幸福とわずかながら関連してい。

さらに、感じる能力が強い人ほど幸福である。

したがって、感情的知性[37]と自己同情は幸福を促進する。


介入方法は、一般的に対面介入の方が有望な効果を示している。
介入方法
感謝介入法
人を3つのグループに分け、それぞれのグループの各人に次のようなことを記録することを課題として与える。

第1グループには「最近1週間のうちに感謝したこと」。
第2グループには「面倒に思えたこと」。
第3グループには「起こった出来事」。
この実験を開始して9週間後に調べてみると、満足度が最も高かったのは、第1グループ、すなわち最近1週間のうちに感謝したことを記録しつづけたグループであった。このグループの人々は他のグループに比べて健康状態も良好である、という結果が出た。このような手法を感謝介入法という。

親切介入法
人を2つのグループに分け、それぞれのグループに次のようにさせた。

片方のグループの人には、誰かに親切を行なって、かつ、それを記録するように指示する。
もう片方のグループの人には、特には親切は行わせない。
これを親切介入法と呼ぶ。 この介入の1ヶ月前と1ヵ月後の幸福感を調査したところ、誰かに親切を行い、それを記録したグループのほうが幸福感が高かった。

「感謝しましょう」「ひとに親切にしましょう」といったことは、古来、多くの宗教や道徳などで説かれていることであるが、こうしたことには実は深い道理があり、感謝された側の人や親切にされた人を幸せにするだけでなく、感謝している当人や親切を行っている当人にも直接的に幸福をもたらしていることが、実証的な科学の方法でも証明されるようになってきているのである。

対面介入が最も有望な選択肢であり、自分自身への親切も同様に効果的である。

統計的な文献分析によると、以下のような介入も幸福度の向上に関連している。

ベストセルフ介入法
回想介入法
ポジティブ心理学介入法
やりがいのある楽しい活動への参加介入法
強みの自覚介入法
ヨガ介入法
余暇介入法
幸福と健康

大自然に囲まれることは、幸福度の向上と相関関係がある。

2021年国際摂食障害学会誌によると、幸福度を向上させる食べ方のひとつは、直感に従い、栄養価を気にせず好きな時に食べるという人間本来の食べ方に戻ることであるという。
ハーバード大学医学部によると、不幸と強く関連している健康状態の悪さを考慮に入れたとき、不幸だけでは寿命が短くなるわけではない。

しかし、実際には健康状態の悪さと不幸は密接に関係しているため、幸せな人は一般的に健康である。

研究によると、平均して、人々の一般的な幸福レベルの50%は遺伝によって決定される。しかし逆にいうと、40%は人の管理下にあり、残りの10%は状況によって異なるということになる。ハーバード大学医学部によると幸福を改善する方法。

緑を見ること。
幸せな体験にお金を使うこと。
幸せな人と一緒にいること。
感謝すること。
友人や家族との親密な関係を築くこと。
定期的に親切な行為を行うこと。
ボランティア活動をすること。
若い頃の趣味を再開すること。
家事の委任などの時間節約にお金を使うこと。
いつもと違う帰り道を辿るだけでいいから、新しいことを経験すること。
選択肢を少なくすること。
国際摂食障害学会誌によると、直感的な食事、つまり食べ物の栄養価をあまり気にせず、お腹が空いたときだけ食べることは、幸福感の増加とも関連しているという。

子供にとって睡眠の質は幸福感にとって重要であり、自尊心の維持は国際移住者の幸福にとって重要である可能性がある。

マインドフルネス、ヨガ、身体活動は幸福感を向上させ、身体的魅力も幸福感と関連している。

幸福と仕事

時間管理は幸福感にも良い影響を与える。
幸福が成功につながるというのは、学界ではわりと一般的な認識であり、数多くの研究が幸福が成功につながることを示している。

職場の幸福は、個々の従業員と組織全体のパフォーマンスを向上させ、イノベーション、生産性、エンゲージメント、保持、および仕事の質を向上させる。

つまり、幸せな人はより積極的で生産的であり、より質の高い仕事をする。

その上、仕事で幸せな人はより早く昇進し、失業する可能性が低くなる。

言い換えれば、従業員の幸福を促進する職場では、生産性と革新、顧客ロイヤルティの向上、離職率の低下などの収益のメリットがある。

そのため、会社への信頼性、柔軟な勤務形態や時間管理[75]は幸福度を高める。

また、自分の強みを活かせるようにすることは、幸福を高めることにつながる。


細部に気を配るよりも、地球規模で物事を考えたほうが幸福感が増すというのである。
幸福と社会
多様な社会的交流は幸福度を高め、悪い人間関係は幸福度を下げる。

一貫した関心に基づく利社会志向、自己成長、人間関係、健康を目標にすれば、幸福度を向上させる可能性を秘めており、都市部の人々の平均幸福度は農村部の人々よりも著しく高く、やりがいのある楽しい活動への参加は幸福度を向上させる。

人生に意味を見出すことは、幸福感とも相関関係がある。

細部の知覚にこだわるよりも、より大きな世界的構図を知覚する方が幸福度が高くなる。

感情の抑圧や怒りは、社会的幸福度の低下と相関している。
エロス的な恋愛は幸福度が高く、遊び心や執着心のある恋愛関係は不幸と関連している。
高齢者にとっても、人間関係は量より質であり、宗教は幸福を向上させる。

そして、高齢者にとって社会経済的地位と能力は幸福にとって重要である。

ちなみに、高齢者は平均的により他の人がどのような幸福感を抱いているかを認識できないことがある。
社会的に差別されることは不幸と有意な相関関係があり、社会的弱者や子どもへの影響はさらに強く、微妙な差別はあからさまな差別よりもはるかに有害で、被差別者の人生を台無しにするような深刻な結果をもたらす可能性がある。

社会的支援も移住者の幸福にとって重要である。

日本人が海外に移住すると、その国では少数民族にもなる。少数民族の民族に対する誇りは、幸福度や健康の向上と相関関係がある。
ソーシャルメディア(Youtube、Twitter、WhatsAppなど)は幸福度を低下させると考えられているが、写真をアップロードするなどの積極的で自己主導的な利用は、単に他人の投稿を閲覧するなどの依存的な利用よりも幸福度を低下させにくく、ソーシャルメディア上の友人を多く持つことは、より幸福度を高める可能性がある。
幸福と法律
なお、法律でも幸福は扱われている。基本的人権には幸福追求権が含まれており、法律上誰でも等しく幸福になる権利を有していると考えられている。

この幸福追求権は、他人の基本的人権を侵害しない限りに於いて、国家権力によって制約される事は無い。

幸福とお金
経済的満足は主観的幸福に寄与し、高齢者の幸福に関しては、収入は教育よりも重要である。

しかし、金や名声や美貌を目指すことは人を不幸にする可能性があり、物質主義者はより不幸になる。

ここ数十年の研究では、幸福と金銭の関連性は非常に弱いが、もちろん借金は人を不幸にする。

経験や他人のために使うお金は幸福度を高めるし、自分の性格に本当に合った使い方をするお金も幸福度を高める。

しかし現実には、人は自分の性格に合ったお金の使い方をしないので、結局幸福とお金の関連性は低いままである。

給与は幸福度とはあまり関係がないが、幸福度の指標である[122]人生の達成度は、所得95,000米ドルで最も高く、幸福度は所得60,000~75,000米ドルで最も高い。

収入よりも人間関係や文化的価値観が幸福の主な要因であり、お金よりも個人主義的自由が幸福に関わっている。

幸福の数値化と統計・研究

世界幸福度ランキング
詳細は「世界幸福度報告」を参照
国際連合は、1人当たり国内総生産(GDP)や健康寿命、他者への寛容度などから「世界幸福度ランキング」を作成・公表している。

2019年は156カ国・地域が対象で、トップ5はフィンランド、デンマーク、ノルウェー、アイスランド、オランダ。社会保障が充実した北欧諸国が上位に目立つ(スウェーデンも第7位である)。

日本は第58位であった。

国民総幸福量(GNH)

国民総幸福量(GNH、Gross National Happiness)とは元々、ブータンの民主化を進めた元国王が掲げた、国民の幸福を政治の目的とし、政策判断に現実に活かすために、幸福の量を具体的な数値・指標として定めたものである。

背景には、先進諸国で採用されたGDPなどの経済指標が、人々の幸福に役立つどころか、むしろ反対に人々を不幸にしたり苦しめるような政策へと各政府を駆り立ててしまっている、という考えがある。

国民総幸福量という考え方は世界各国で反響を生んでおり、近年では日本でも、政策の評価は全国民の幸福感を統計的に計測した指標を参考にしたりすべきだ、といった内容の話は主要政党内や政府内などでも出るようになっている。

幸福の測定
日立製作所は、人が幸福を感じる度合いを測定する技術を開発。それを応用して企業従業員の幸福度をスマートフォンのアプリで計測し、「前向きな言葉で会話する」「休憩時間にストレッチする」など従業員の満足度を高める方法を提案する事業を展開する新会社ハピネスプラネットを2020年に設立した 。

知能指数・人口密度
幸福感は人口密度が増えるほど減り、知能が高いほど孤独でいる時間に幸福感を得る。

脳科学
幸福感を感じたときには、オキシトシン、セロトニン、ドーパミン、エンドルフィンという幸福感を引き起こす脳内物質が確認される。

セロトニンが放出されるのは、やすらぎや癒やしなどのリラックスしている時である。
オキシトシンが放出されるのは、他者との良いつながりがあるときである。
ドーパミンが放出されるのは、何かしらの達成・成功をなした時である。
エンドルフィンが放出されるのは、笑顔でいるとき、恋愛中、強い信念を抱いて行動している時、もしくは痛みの中で放出され痛みを緩和する。
幸福や不幸になれてしまって、幸福感や不幸感が無くなる現象をヘドニック・トレッドミル現象(英語版)(快楽順応など)と呼ぶ。一時の報酬が多くなっても、幸福感が一時的な物であるという現象の説明ともなっている。

経済学・政治学
主観的な幸福感の統計データ等を活用し、政策決定や経済に反映させる経済学を幸福の経済学(英語版)(幸せの経済学)と呼ぶ。


人生の師

2024年02月11日 19時41分26秒 | 社会・文化・政治・経済

使命の力に目覚めれば、人の力は無限に湧きいずるものだ。

使命を自覚させる人の存在とは<人生の師>の存在に他ならない。

子弟の関係がなければ、自分の時代で使命の継承は終わってしまい、それは「小さな人生のドラマ」であり、自己満足になってしまう。

人生は大河の流れのように、悠久の人類の流れである。

それは、バトンタッチしながらのリレー競争のようなものである。

そのリレーこそが子弟なのだ。

師は上で、弟子が下の関係ではない。

同じ目的に向かって、ともに前へ進んでいくのが子弟なのだ。

師を持つ人生に、行き詰まりはない。

師を持つ人生は必ず勝利の道を開く。

師を持つほど、無上の喜びと名誉いはない。

 


ユース世代

2024年02月11日 12時28分48秒 | 社会・文化・政治・経済

一般的に、高校生世代から20歳までの世代を「ユース世代」とする。

日本では、なかなかユース世代が核兵器の問題を自分事として考えていない。

問題を単の安全保障の課題と捉えて解決を諦めるのではなく、人権に関する課題と捉え直し自分事にしてもらうことだ。

若い世代の大半は、自分たちが声を上げたから社会が変化したという成功体験を持っていない。

実は、ユース世代の結束で、政治だって変えることはできるのだ。

 

 


自信と信頼の喪失

2024年02月11日 11時18分17秒 | 社会・文化・政治・経済

エネルギー危機や物価高の個別の問題の背後には、より深刻な危機の本質がある。

1979年のイラン革命によって起きた第二次石油危機(オイルショック)。

政治的な要因から資源高になり、物価上昇が国民生活を直撃した。

米国の社会が「コンフィンデスを失ったからだ」当時のカーター大統領が演説で訴えた。

コンフィンデスとは、自信、確信、信頼。

自信とは自分の心の「内側の問題」

信頼は他者と関係する「外側の問題」

実は「自信がないと信頼関係は築けない」し、「信頼がないと自信も生まれない」のだ。

「自信と信頼」は、一体の存在なのだ。

日本もまた今日、コンフィンデスの喪失に直面している。

2011年の東日本大震災の際には「絆」がスローガンとなり、お互いを信頼し、助け合おうと励ましあった。

しかし、2020年からの新型コロナウイルスの危機では、人が感染を広げているのではないかかと、お互いを「疑いの目で見合おう」とする態度が広まった。

自信と信頼が失われると、他者へのケア(配慮)や共感が消えてしまった。

元々、日本の社会では、他人に「迷惑をかかける」のが悪いことのよういに言われ、過度の自助志向が前提とされがちだ。

それが人間不信と結び付いた結果監視社会のようになった。

誰もが自分の「ネガティブ(否定的)な部分を見えづらくなっている。

いきなり社会全体は変えられなくても、目の前の人への態度を「不信から共感へ」とかえることなら、できるはずだ。

「ささやかな変革」の積み重ねこそが、今、求められている。

 

 


人間としてのあり方を見直す

2024年02月11日 10時52分07秒 | 社会・文化・政治・経済

基本的には、人間は自然に帰る時かもしれない。

便利さや、豊かさを求めて、多くの人が、都会へ出てきて、政府機関や企業を含め東京一極集中となっている。

だが、都会に移住するより、地方の市から通勤する方が子どもたちが育つ環境として快適であるはずだ。

茨城県つくば市は、人間としてのあり方を見直すための実験市を言えるだろう。

研究学園

開発中の研究学園駅周辺
住宅街
住宅街(2)
つくば市役所

研究学園(けんきゅうがくえん)は、茨城県つくば市の町名。現行行政地名で研究学園一丁目から研究学園七丁目が設定されている。つくば市役所が所在する地域である。

地理

つくば市中央部に位置する。首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス研究学園駅の北側に当たり、全域が研究学園都市の副都心機能を担うエリア(つくばエクスプレスタウン研究学園葛城地区)として整備が行われている

また、筑波研究学園都市研究学園地区に隣接し、研究学園葛城地区の中で最も開発が進んでいる地域である。地域内にはつくば市役所iiasつくば筑波銀行つくば副都心支店(iiasつくば内)があり、地域内を新都市中央通りが通る。計画人口は1万2240人。

東は春日、西は中東原新田、南は学園南、北は学園の森と接している。

丁目と仮換地番号

2014年平成26年)6月28日、土地区画整理法第103条第4項による換地処分により、正式運用が開始された

それまで使用されていた仮換地街区画地番号は以下の丁目に設定されていた(番号は研究学園・学園南・学園の森で通し番号となっていた)。

  • 研究学園一丁目 - D31〜D34(計画人口180人、0.13km2
  • 研究学園二丁目 - D35〜D55(計画人口1,260人、0.17km2
  • 研究学園三丁目 - C10〜C28(計画人口2,110人、0.22km2
  • 研究学園四丁目 - C29〜C43(計画人口2,610人、0.22km2
  • 研究学園五丁目 - D1〜D19、D47〜D50、D75(計画人口2,060人、0.3km2
  • 研究学園六丁目 - A49〜A59、E21〜E43(計画人口2,140人、0.2km2
  • 研究学園七丁目 - A60〜A74、E1〜E20、E54〜E56、E128(計画人口1,880人、0.14km2

小・中学校の学区

市立中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる

丁目 番地 小学校 中学校
一丁目   研究学園小学校 研究学園中学校
二丁目   
三丁目  
四丁目   学園の森義務教育学校
五丁目 下記以外
1-18番地 研究学園小学校 研究学園中学校
六丁目   春日学園義務教育学校
七丁目 下記以外
3 - 14番地 葛城小学校 手代木中学校

歴史

かつては新治郡面野井村、苅間村、下平塚村、根崎村の各一部で、1889年明治22年)より葛城村1896年(明治29年)に筑波郡に移行)、1955年昭和30年)より筑波郡谷田部町1987年(昭和62年)よりつくば市の大字面野井、大字刈間、大字下平塚、大字葛城根崎(1955年(昭和30年)まで大字根崎)の一部となっていた。

第二次世界大戦前後には地域内は葛城村の村有地が存在していたが、戦後に開拓者に払い下げられ農業地域として開拓が行われた。

その後、県の用地買収によって1964年(昭和39年)に日本自動車研究所が開設されたが、首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス建設に当たり、研究所敷地内に駅の設置及び新市街地の建設が計画され、再度用地を買収

筑波研究学園都市の副都心機能を持つ街として開発が進められている。

施設

 


映画『ワイヤー・ルーム』

2024年02月10日 11時49分09秒 | その気になる言葉

2月9日午前3じからCSテレビのムービープラスで観た。

『ワイヤー・ルーム』(原題:Wire Room)は、2022年のアメリカ合衆国のアクション映画。

監督はマット・エスカンダリ、主演はケヴィン・ディロンとブルース・ウィリスが務めた。

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あらす

犯罪者の動向を監視・盗聴するワイヤー・ルームが舞台のリモートアクション。

特別捜査官ジャスティンは、逃亡中の武器商人エディーを監視中、彼が謎の武装集団に襲撃される様子を目撃する。エディーを死なせないため、ジャスティンは遠隔で指示を飛ばすのだが……。出演は「プラトーン」のケヴィン・ディロン、「ダイ・ハード」のブルース・ウィリス。監督は「THE LAW 刑事の掟」のマット・エスカンダリ。『未体験ゾーンの映画たち2023』にて上映。

シークレットサービスを追われ、監視室(=ワイヤー・ルーム)で働くことになった特別捜査官のジャスティン(ケヴィン・ディロン)。転属初日、定年退職を間近に控えた上級特別捜査官のシェーン(ブルース・ウィリス)から、カルテルに武器を密輸するエディー(オリヴァー・トレヴェナ)の監視を命じられる。

エディーは汚職捜査官のリストを持っており、シェーンはそれを入手し警察内部の腐敗を食い止めようとしていた。

そんななか、エディーが謎の武装集団に襲撃される様子を目撃するジャスティン。

エディーを死なせないため、ジャスティンは遠隔で指示を飛ばす。

戦闘は熾烈を極め、ワイヤー・ルームに悪意が迫るなか、やがて警察内部の闇が明かされてゆく……。

ジャスティン・ローザ - ケヴィン・ディロン

シェーン・ミューラー - ブルース・ウィリス
エディー・フリン - オリヴァー・トレヴェナ
ピーター・ロバーツ - テキサス・バトル
マイク・アクスム - キャメロン・ダグラス
ノア・ホルボロー - シェルビー・コッブ


映画 ニューヨークの恋人

2024年02月10日 10時04分38秒 | 社会・文化・政治・経済

ニューヨークの恋人』(ニューヨークのこいびと、Kate & Leopold)は、2001年アメリカ合衆国ロマンティック・コメディ映画。監督はジェームズ・マンゴール

ニューヨークの恋人 : ポスター画像 - 映画.com

 
ニューヨークの恋人 - 解説・レビュー・評価 | 映画ポップコーン
画像 : ニューヨークの恋人【映画】キャスト画像まとめ - NAVER まとめ
 
ニューヨークの恋人 - 解説・レビュー・評価 | 映画ポップコーン
米国ではあの911から僅か3ヵ月後のクリスマスの公開でした

世情は未だ騒然としていました
2ヵ月前の10月からはアフガンに米軍は侵攻して、1ヵ月前の11月には首都カブールを陥落させていたのです
そしてそれから20年も泥沼の紛争を続けなから占領し続けることになったのです
そんな年のクリスマスの公開です

主演はメグ・ライアン
ご存知ロマコメの女王です
因みに米国ではラブコメとは言わず、ロマンチックコメディと言うそうです


彼女の主演のロマコメものの名作といえばもちろんこの3作です
本作もそれらに連なるロマコメでまたも大ヒットを狙った…

 

 

この頃のメグはなんとも魅力的。ロマコメの女王、アメリカの恋人、そう呼ばれるのも当然。

本作は相手役ヒューもピタリハマっており、実に楽しい作品です。タイムリープものってずるいですよね(笑)
「愛は勇気を持って飛び降りること」納得(笑)

 

まだ入植が始まって間もないころのニューヨークから、タイムスリップして来た男と恋愛関係になる女性のドラマ。


浮世離れをした貴族の男ははまり役だと思いますが、それでドラマが面白くなるかと言えば話は別。

もっと笑いのほうにシフトして、たとえリアリティーが薄れたとしても、映画の中ということで許される演出に務めてほしいところだったが、所作や言葉遣いにいたるまで、紳士のたしなみを実践するヒュー・ジャックマンは、現代の男が忘れてしまった騎士道精神のようなものを発揮して、メグ・ライアンはいちいちそれにハートを打ち抜かれるという、ありそうもないドタバタは見ていてじれったい。

そもそも、ヒュー・ジャックマンで笑ったことがない。今回はミスキャストじゃないかな。と思った次第です。

 
 

1876年ニューヨーク

英国貴族オールバニ公爵レオポルドは、ブルックリン橋で挙動不審な怪しい男性を追いかけていくうちに、21世紀のニューヨークへとタイムスリップしてしまう。

当初は、歴史と文化の違いに戸惑うものの、居ついたアパートで知り合ったキャリアウーマンのケイトや、ケイトの弟チャーリーと過ごすうちに徐々に現代の生活になじんでゆく。

そしてケイトと恋に落ちるが、過去の人であるレオポルドは元の世界に戻ることを決意する。

キャスト

役名 俳優  
   
ケイト・マッケイ メグ・ライアン    
オールバニ公爵レオポルド ヒュー・ジャックマン    
スチュアート・ベッサー リーヴ・シュレイバー    
チャーリー・マッケイ ブレッキン・メイヤー    
ダーシー ナターシャ・リオン    
J.J.カムデン ブラッドリー・ウィットフォード    
ミス・ツリー クリステン・シャール英語版    
ミラード叔父 パクストン・ホワイトヘッド英語版    
ガイスラー医師 スポルディング・グレイ英語版    
ボブ ジョッシュ・スタンバーグ    
フィル マシュー・サスマン    
パトリス シャーロット・アヤナ    
重役1 ジョン・ロスマン    
オーティス フィリップ・ボスコ    

音楽

サウンドトラックは2001年12月25日にリリースされた。

製作

総製作費4800万ドルの約3分の1にあたる1500万ドルはメグ・ライアンへの出演料として使われた。これはメグ・ライアンの出演料としては最高額である。

Rotten Tomatoesによれば、133件の評論のうち高評価は52%にあたる69件で、平均点は10点満点中5.3点、批評家の一致した見解は「ジャックマンは魅力的だが、『ニューヨークの恋人』は退屈で予測可能であり、タイムトラベルのシナリオは内部ロジックに欠けている。」となっている

 Metacriticによれば、27件の評論のうち、高評価は7件、賛否混在は15件、低評価は5件で、平均点は100点満点中44点となっている

受賞歴

第59回ゴールデングローブ賞では、主演男優賞(ミュージカル・コメディ部門)ヒュー・ジャックマンがノミネートされた。また、主題歌賞にスティングが歌った主題歌「アンティル…」がノミネートされて、受賞を果たした

第74回アカデミー賞には、歌曲賞に「アンティル…」がノミネートされただけで終わった


人類の宿命転換へ「私が変われば世界は変わる」

2024年02月10日 10時04分38秒 | その気になる言葉

有限な地球環境。

だが人類は、地球の資源が無限であるかのように「開発」を続けてきた。

そうして経済を発展させ、物質的な豊かさがもたらされる一方で、、地球環境は悪化の一途をたどっている。

1972年、世界的シンクタンクであるローマクラブが、「成長の限界」と題する報告書を発表した。

それまでのような人口増加率と経済成長率が続けば、100年以内に「成長」は限界に達するとの予測であった。

現代の科学文明の底流にある、自然と人間とを「対立関係」で捉える思考法が、人類が自ら地球環境を破壊してきた根本原因であるとし、そうした思考法を変革することが人類の<自滅>を回避する道である確認した。

環境危機を招いたの人間の自己中心性にあり「人間革命」こそが打開の道であると考えた。

当面する人為的な諸悪は、人間の貪欲性と侵略性に起因するものであり、いずれも自己中心性から発するものだ。

したがって、人類は自己中心性を克服していくなかで答えが見いだされるはずである。

つまるところ、問題は人間が自分自身の宿命を転換し、向上させていくことだ。

人類が生き延びるためのには、科学とともにどうしても宗教・哲学が必要である。

人間の行為がもたらした、地球環境の変異。

その責任を自覚し、未来を守る主体者になるのもまた、人間である。

その具体的方途は、人間の「内面の変革」である。

「人間革命」「心の変革」には哲学・理念が不可欠である。

人間性を形成する生命の変革。

その生命の根源的変革が「人間革命」なのだ。

人類の唯一の頼みは人類の質と、全世界の構成員の質を高めることだ。

人間の進歩への信仰、環境支配への飽くなき欲望を克服すべきである。

問題の解決のためには、法制度の整備といった<上からの改革>だけにとどまらず、それを支え、後押しする「民衆の連帯」を築いていく<下からの改革>が欠かせない。

地球環境の問題を<自分自身の問題>と捉え、常に、未来のための行動を促す「内発的な能力開花」に焦点を置くことだ。

「学ぶ」「生き方を見直す」「行動に踏み出す」の3段階を通して、一人の変革が社会を動かす力となるのだ。

「私が変われば世界は変わる」

地球の未来を「わがこと」と捉えて、今この場所から一歩を。