みつとみ俊郎のダイアリー

音楽家みつとみ俊郎の日記です。伊豆高原の自宅で、脳出血で半身麻痺の妻の介護をしながら暮らしています。

9日のレストランライブの後

2011-11-12 20:36:20 | Weblog
レッスンのために帰った伊豆の自宅で焼いたアップルパイをレッスンに来た生徒さんに食べてもらい、残りを東京に持ち帰った。
弘前の知人から「恵子さんに食べていただいて」とお見舞いに送っていただいたリンゴを材料に作ったものだが、これまで私が数えきれないほど作ったアップルパイの中のベストと言えるほどの味のパイができた(パリパリのおいしいパイ皮を作るには寒い季節がベストだ)。
紅玉とは違う新しい品種のリンゴだということだが名前は失念してしまった。
でも、味は紅玉のような酸味を品の良い甘みを持っていたのできっとパイ向きかも?と思い作ってみたのだ(その狙いはドンピシャリ)。
私のアップルパイ歴は高校時代か大学時代なのかよくわからないがその辺りから始まっている。
もちろん手作りでパイ生地を作り(今まで市販のパイ生地を買ったことは一度もない)、紅玉リンゴをバターでじっくりいためて作るオーソドックスなものだが、「お店開けるよ」という他人の評価を私自身「当たり前」と甘んじて素直に受ける(素直かどうかはわからないが)。
きっと私のパイ食べたらどんな有名なパティシエのパイも色あせる(おいおい、ホントかよ)と自負している味だ(私は、自信を持っているところは絶対に謙遜しない)。
なんて能書きは良いのだが、それを今日は病院に持っていき、恵子の分とそして療法士さんの二人の女性にお裾分けをした(この病院は患者へのお裾分けを堅く禁じている)。
病院食ばかりでかなり甘いものに飢えていた恵子はもちろん「オイシイ」と言ってくれた。
転院前の以前の都会の病院に比べて現在のリハビリ病院は「ちょっと田舎」なので病院食もそれなりに「田舎の味」なのだ。
まあ、それが素朴で良いと言うこともできるのだが、「たまにはおいしいパンが食べたい」という彼女の気持ちもよくわかる。
朝食に出るパンがいつも食パンでは「いくら何でも」という感じは確かにする。
だからといって、私が持ち込んだパンを病室で堂々と食べるほどの度胸は彼女にはない。
結局、たまに出るヨーグルトに「わ~い」と言って喜ぶぐらいが関の山なのだ(ヨーグルトぐらい毎日出してよ)。
そんな食生活の彼女に私の作ったアップルパイは「久しぶりの家庭の味(?)」だったのでは。

そんな彼女から帰宅後メールが来た。
「アップルパイ美味しかったよ!あと30分で消灯だ、バラの香りに包まれて眠るゾ」
そう。
昨日伊豆の自宅に帰ったついでに秋咲きの自宅の薔薇をいくつか摘んで彼女の枕元にドライフラワーのように吊るして置いてきたのだ。
ほぼ鼻先に近いところまで下げてあるのでその香りは枕元をしっかりと包みこんでいるはず。
自宅の薔薇は、基本的にオールドローズしか植えていない。
ピンクシフォン、クライスラーインペリアル、クリムゾングローリなど香りの強い芳香のする品種ばかり30種ほど。
土曜日のリハビリはそれほどきつくはないのだが、短時間に集中していたのか、かなり疲れていたようにも思えた。
それにまだ麻痺した右手のむくみが取れない(左手に比べるとその違いは歴然としているぐらいのむくみだ)。
療法士さんはそんな右手を執拗に曲げ伸ばす。
時にかなりの痛みを伴うらしく時折顔をしかめるが、療法士さんの「少しずつ痛みは取れていきます。今これをやっておかないとなかなか指が自由に動かなくなりますよ」ということばを信じたのか、あるいは恐怖を感じたのか(?)必死に耐える恵子の癒しにパイと薔薇がなってくれることを願う(香りもアロマセラピーだ)。