っていうのは、いつも同じところにあるような気がする。
どんな世界でもそうだけど、成功する人には常にハングリーな気持ちがあると私は思っている。
ロシアの男子スケートの王者プルシェンコにしても、メトロポリタンオペラの歌姫アンナ・ネトレプコにしても、テニスのシャラポワにしても、ロシア出身のスーパースターにはすべてハングリーさが根底にある。
今のロシア自体が貧しいからこそ、そこから成功したこれらの人たちの原動力に「貧しさからの脱却」というモティベーションがあったことは間違いない。
先日ネトレプコにインタビューして驚いたのは、彼女が自分が成功してたくさんのお金を手にいれ、それを友人たちに分け与えていることだ。親や兄妹といった身内に成功したお金を仕送りしたりする例はよく聞くけど、友人にまで分け与えるとは...。
そして、その理由を、彼女はさも当たり前のように言った。「だって、みんな貧しいから」。
貧しさやハングリー精神が成功するための原動力になることはスポーツの世界ではよくあることだ。特に、ボクシングのように、過酷な減量やトレーニングを強いられ、顔や身体を殴られて痛めつけられるスポーツにはことさらハングリーな気持ちが必要なのだと思う。
日本のカーリングの女性たちも、スケートの荒川選手にしても、ジャンプの原田選手にしても、スポーツの世界で栄光をつかむ人たちの影には必ず過酷な生活と努力がある。それがなければ成功も栄光もあり得ない。
音楽の世界でも本当に成功する人は、ハングリーな人だけ(物質的な意味だけじゃなく、精神的にもハングリーでなければならない)。
エンタテインメントの世界というのは、貪欲に栄光をつかみ取りたいという意志がない限り、絶対に成功できる世界じゃない。
さっきのネトレプコにしても、オペラを勉強したいけどお金がないから、オペラハウスの掃除のアルバイトをして歌をいつも聴いていたという。それぐらいのハングリーさを持っている人若い人が今の日本にあまりいないのはナゼだろう?
別に、成功しなくってもいいと思っているからだろうか?
適当に人生楽しんでいければいいと思っているからだろうか?
きっと、みんな自分は貧しくないと思っているからだろうナ...。
今日、埼玉の小学校のジャズのフルバンドの演奏を聴いた(小学生がフルバンドをやるんだよ)。
『スイング・ガールズ』よりもはるかに上手に、そしてカッコよく演奏する少年少女たちだった(ほとんど少女だったが)。
みんな、それほど長い間楽器を練習したわけではない。映画の『スイング・ガールズ』の子たちと同様、1年とか2年足らずの子たちが大半。それで、あれだけの演奏をしてしまう。
指導している先生がかなり変人だけど、かなりアツイ人だった。自分の私財を投じて、子供たちに楽器を買い与え、そして楽器のそれぞれの専門家に指導を頼んであれだけのモノを作り出している。
ある意味、私と同じで、お金は自分のために使うモノではないと思っている人かもしれない。
私もお金を自分のために使うよりも人のために使う方が好きだ。というより、そうすべきだと思っている。
自分の生活が汲々としている時はそうできないけど、ちょっと余裕ができるとすぐ人のために使ってしまう。むしろ、それのほうが楽しいし嬉しい。
「お金は天下の回りモノじゃ~い!いつか自分に戻ってくるだろう」ってなぐらい呑気なヤツですから私は。
いつも、自分をハングリーな状態においておきたい。あまり余裕のある生活はしたくない。
いつも何か満たされない状態においておかないと「それを満たしたい」という渇望感が出てこない。この渇望感こそが、生きるエネルギーだと思っているからかもしれない。
おそらく、私にとって一番耐えられない生活が、楽隠居のようなノンビリした生活だろう(こういう生活は私にとっては堕落以外の何ものでもない)。
そんな生活になったら、きっと三日で死んでしまうに違いない。
だって、今日満たされないからこそ、明日満たしてやろうと思う意欲が湧いてくるわけで、だからこそ、明日生きられるんじゃないのかナ?
どんな世界でもそうだけど、成功する人には常にハングリーな気持ちがあると私は思っている。
ロシアの男子スケートの王者プルシェンコにしても、メトロポリタンオペラの歌姫アンナ・ネトレプコにしても、テニスのシャラポワにしても、ロシア出身のスーパースターにはすべてハングリーさが根底にある。
今のロシア自体が貧しいからこそ、そこから成功したこれらの人たちの原動力に「貧しさからの脱却」というモティベーションがあったことは間違いない。
先日ネトレプコにインタビューして驚いたのは、彼女が自分が成功してたくさんのお金を手にいれ、それを友人たちに分け与えていることだ。親や兄妹といった身内に成功したお金を仕送りしたりする例はよく聞くけど、友人にまで分け与えるとは...。
そして、その理由を、彼女はさも当たり前のように言った。「だって、みんな貧しいから」。
貧しさやハングリー精神が成功するための原動力になることはスポーツの世界ではよくあることだ。特に、ボクシングのように、過酷な減量やトレーニングを強いられ、顔や身体を殴られて痛めつけられるスポーツにはことさらハングリーな気持ちが必要なのだと思う。
日本のカーリングの女性たちも、スケートの荒川選手にしても、ジャンプの原田選手にしても、スポーツの世界で栄光をつかむ人たちの影には必ず過酷な生活と努力がある。それがなければ成功も栄光もあり得ない。
音楽の世界でも本当に成功する人は、ハングリーな人だけ(物質的な意味だけじゃなく、精神的にもハングリーでなければならない)。
エンタテインメントの世界というのは、貪欲に栄光をつかみ取りたいという意志がない限り、絶対に成功できる世界じゃない。
さっきのネトレプコにしても、オペラを勉強したいけどお金がないから、オペラハウスの掃除のアルバイトをして歌をいつも聴いていたという。それぐらいのハングリーさを持っている人若い人が今の日本にあまりいないのはナゼだろう?
別に、成功しなくってもいいと思っているからだろうか?
適当に人生楽しんでいければいいと思っているからだろうか?
きっと、みんな自分は貧しくないと思っているからだろうナ...。
今日、埼玉の小学校のジャズのフルバンドの演奏を聴いた(小学生がフルバンドをやるんだよ)。
『スイング・ガールズ』よりもはるかに上手に、そしてカッコよく演奏する少年少女たちだった(ほとんど少女だったが)。
みんな、それほど長い間楽器を練習したわけではない。映画の『スイング・ガールズ』の子たちと同様、1年とか2年足らずの子たちが大半。それで、あれだけの演奏をしてしまう。
指導している先生がかなり変人だけど、かなりアツイ人だった。自分の私財を投じて、子供たちに楽器を買い与え、そして楽器のそれぞれの専門家に指導を頼んであれだけのモノを作り出している。
ある意味、私と同じで、お金は自分のために使うモノではないと思っている人かもしれない。
私もお金を自分のために使うよりも人のために使う方が好きだ。というより、そうすべきだと思っている。
自分の生活が汲々としている時はそうできないけど、ちょっと余裕ができるとすぐ人のために使ってしまう。むしろ、それのほうが楽しいし嬉しい。
「お金は天下の回りモノじゃ~い!いつか自分に戻ってくるだろう」ってなぐらい呑気なヤツですから私は。
いつも、自分をハングリーな状態においておきたい。あまり余裕のある生活はしたくない。
いつも何か満たされない状態においておかないと「それを満たしたい」という渇望感が出てこない。この渇望感こそが、生きるエネルギーだと思っているからかもしれない。
おそらく、私にとって一番耐えられない生活が、楽隠居のようなノンビリした生活だろう(こういう生活は私にとっては堕落以外の何ものでもない)。
そんな生活になったら、きっと三日で死んでしまうに違いない。
だって、今日満たされないからこそ、明日満たしてやろうと思う意欲が湧いてくるわけで、だからこそ、明日生きられるんじゃないのかナ?
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