渋谷の紀伊国屋書店で来年の手帳だけ買うつもりでレジに行ってお金を払った。
一歩レジを離れ帰りかけた時,レジ横に陳列された、いわゆるイチ押しの新刊本たちの表紙が目に飛び込んできた。
その中の一冊のタイトルに目を引かれ立ち止まった。
私は,その本を手に取るとまたそのままレジへ逆戻り。
スーパーマーケットのレジ前にある物をつい買ってしまいたくなるのと同じだ。
ただ,今日の私の場合はちゃんと理由があったようだ。
本のタイトルは『奇跡は起こらない、脊髄梗塞・それでも私は生きてゆく』。
藤原あや子さんというまだ若い女性が書いた本で、ある日突然突如身体の胸から下の機能を全て失ってしまう脊髄梗塞という難病の発病から現在までの闘病の過程を丁寧に書き綴った本だ。
この方,発病直前までは国家公務員として官公庁関係の専門誌の編集をされていた。
編集の仕事をなさっていただけあって文章はとても読みやすいし,特に感情的になることもなくこの難病と闘う姿(書き方は淡々としているがその内容は壮絶だ)を書かれている。
品川から伊豆高原までの帰りの車中で読み終えた。
『奇跡は起こらない』というタイトルに私の目が行ったのは至極当然のことだろうと思う。
私が今年2月に出した著書『奇跡のはじまり』とまるで反対にもとれるタイトルなのだが,この方が意図しているところも私が意図しているところも全く同じ。
藤原さんは最初に医師から「奇跡は絶対に起こりません。諦めてください」と言われたところから彼女の闘いが出発しそれは今も続いている。
人間諦めてしまったら結論は「死」しかない。
その結論は彼女にとっても私たち夫婦にとっても全く同じ。
きっとそういう状況(いっそ死んだ方がマシと思えるような辛い状況)に追い込まれている人ようなたちが日本中、いや世界中にたくさんいることだろうと思う。
それでも頑張って生きていかれるのは「今生きていることは必ず何かの意味があるから」。
だから,「今を信じて明日を信じて生きていくことができる」。
人を生かしていく原動力というのはきっとこれしかないのではないのだろうかとも思う。
恵子がいつも通うリハビリ病院で本当にいろんな障害を持った人たちに出会うが、そういう人たちを見ていると「あ、あの人,前より歩き方が上手くなってる」と気づかされることがある。
その瞬間、その人の身体に起こった外見的な変化よりもその方の心の中の変化や日々のリハビリの努力のことを思わずにはいられない。
藤原さんは八年前の2006年に発症して一度地獄の底に突き落とされ,そこから頑張って這い上がり車椅子で生活できるまでになったにも関わらず(医者からはそこが最終ゴールだと言われていたし,絶対に再発はしないとまで言われていたにも関わらず),再発しまたゼロに戻されそこからまた這い上がってきた不屈の人でもある。
しかも,再発してからは下半身だけでなく手の筋肉の一部まで使えなくなってしまったのだ。
ところがこの方、私と同じで生来の楽観主義者なのか(自分でもそう書いてらっしゃるが)そう簡単に人生諦めるような人ではない。
現在,彼女は「ユニバーサルデザイン」の事務所を起こし,自分の病気とだけでなく社会の無理解とも闘っている。
ユニバーサルデザインとは、つまりバリアフリーデザインのこと。
日本のバリアフリーがいかに世界の水準から遅れているかは私の本の中でも書いたが、藤原さんも全く同じことを主張している。
日本社会のグランドデザインは,身障者のことなどまったく無視したところから出発している。
日本の日常社会に転がっているモノは,障害者のことなどわからない(というか頭の中でしか考えないし,考えているフリをしている)人がデザインしているとしか思えないものだらけなのだ。
今日も用事で東京に行き品川駅のトイレを利用した(私の本の中でも改良工事以前の品川駅のトイレのことをバリアフリーの最悪例として槍玉にあげた)。
今の品川駅は再開発でとても奇麗で立派だ。
エキナカの店も充実しているし,元々一流ホテルがたくさんあって奇麗だった高輪側だけでなく昔はサビれていた港側もオフィスビルがたくさん出来て立派な駅舎になっている。
その新しい品川駅のトイレにも障害者用らしきトイレが存在する(きっとそのつもりで作ったはずだ)。
でも,障害者の人が使おうと思ってもきっと使えないだろうなと思うシロモノだ。
ナゼ使えないかの理由はあげればキリがないのだが,要するに,自分の身体には何の障害もない人がデザインし施工しているからそうなるだけのことだと私は思っている。
以前私のブログでも紹介したし,ミュージックホープ関連のイベントでも常に紹介している『目を開けてもっと私を見て』と題するイギリスの施設で亡くなった認知症患者の女性の感動的な詩を最初に自著で紹介したのはアメリカのデザイナーのパット・ムーアさんだった。
その詩が紹介されている彼女の本のタイトルは『変装』。
彼女がこの本を書いたのは1980年のこと。
ムーアさん自身はまだ23歳の若さだった。
その二十歳そこそこの彼女が八十代の老女に変装して三年間ニューヨークで暮らした時の手記がこの本の内容だ。
彼女がなぜそんなことをしたかというと,彼女の勤めていたデザイン事務所のメインのデザインがユニバーサルデザインだったからに他ならない。
まだデザインを始めたばかりの彼女にしてみれば,バリアフリーのデザインをどうしたら良いかを実体験を通して理解するための「変装」だったのだ。
ムーアさんは現在62歳。自身が起こしたユニバーサルデザインの会社でバリアフリーデザインの仕事をしながらバリアフリーについての講演を世界中で行っている。
今日たまたま手に取った藤原さんの本を読んで私自身の心に残ったことばが幾つかある。
「人生は神様からの贈り物」
「奇跡は起こるものではなく,起こすもの」
「『かわいそう』ということばほど残酷なことばはない」
これらのことばに改めて解説を加える必要はないだろう。
「同情は軽蔑である」というニーチェのことばが若い時からずっと私の心につきささってきた。
健常者が身障者に「かわいそう」という感情を起こした瞬間そこには上から見下ろす視線があるということを忘れてしまったら永遠にバリアフリーの社会は作れない。
私はそう思っている。
一歩レジを離れ帰りかけた時,レジ横に陳列された、いわゆるイチ押しの新刊本たちの表紙が目に飛び込んできた。
その中の一冊のタイトルに目を引かれ立ち止まった。
私は,その本を手に取るとまたそのままレジへ逆戻り。
スーパーマーケットのレジ前にある物をつい買ってしまいたくなるのと同じだ。
ただ,今日の私の場合はちゃんと理由があったようだ。
本のタイトルは『奇跡は起こらない、脊髄梗塞・それでも私は生きてゆく』。
藤原あや子さんというまだ若い女性が書いた本で、ある日突然突如身体の胸から下の機能を全て失ってしまう脊髄梗塞という難病の発病から現在までの闘病の過程を丁寧に書き綴った本だ。
この方,発病直前までは国家公務員として官公庁関係の専門誌の編集をされていた。
編集の仕事をなさっていただけあって文章はとても読みやすいし,特に感情的になることもなくこの難病と闘う姿(書き方は淡々としているがその内容は壮絶だ)を書かれている。
品川から伊豆高原までの帰りの車中で読み終えた。
『奇跡は起こらない』というタイトルに私の目が行ったのは至極当然のことだろうと思う。
私が今年2月に出した著書『奇跡のはじまり』とまるで反対にもとれるタイトルなのだが,この方が意図しているところも私が意図しているところも全く同じ。
藤原さんは最初に医師から「奇跡は絶対に起こりません。諦めてください」と言われたところから彼女の闘いが出発しそれは今も続いている。
人間諦めてしまったら結論は「死」しかない。
その結論は彼女にとっても私たち夫婦にとっても全く同じ。
きっとそういう状況(いっそ死んだ方がマシと思えるような辛い状況)に追い込まれている人ようなたちが日本中、いや世界中にたくさんいることだろうと思う。
それでも頑張って生きていかれるのは「今生きていることは必ず何かの意味があるから」。
だから,「今を信じて明日を信じて生きていくことができる」。
人を生かしていく原動力というのはきっとこれしかないのではないのだろうかとも思う。
恵子がいつも通うリハビリ病院で本当にいろんな障害を持った人たちに出会うが、そういう人たちを見ていると「あ、あの人,前より歩き方が上手くなってる」と気づかされることがある。
その瞬間、その人の身体に起こった外見的な変化よりもその方の心の中の変化や日々のリハビリの努力のことを思わずにはいられない。
藤原さんは八年前の2006年に発症して一度地獄の底に突き落とされ,そこから頑張って這い上がり車椅子で生活できるまでになったにも関わらず(医者からはそこが最終ゴールだと言われていたし,絶対に再発はしないとまで言われていたにも関わらず),再発しまたゼロに戻されそこからまた這い上がってきた不屈の人でもある。
しかも,再発してからは下半身だけでなく手の筋肉の一部まで使えなくなってしまったのだ。
ところがこの方、私と同じで生来の楽観主義者なのか(自分でもそう書いてらっしゃるが)そう簡単に人生諦めるような人ではない。
現在,彼女は「ユニバーサルデザイン」の事務所を起こし,自分の病気とだけでなく社会の無理解とも闘っている。
ユニバーサルデザインとは、つまりバリアフリーデザインのこと。
日本のバリアフリーがいかに世界の水準から遅れているかは私の本の中でも書いたが、藤原さんも全く同じことを主張している。
日本社会のグランドデザインは,身障者のことなどまったく無視したところから出発している。
日本の日常社会に転がっているモノは,障害者のことなどわからない(というか頭の中でしか考えないし,考えているフリをしている)人がデザインしているとしか思えないものだらけなのだ。
今日も用事で東京に行き品川駅のトイレを利用した(私の本の中でも改良工事以前の品川駅のトイレのことをバリアフリーの最悪例として槍玉にあげた)。
今の品川駅は再開発でとても奇麗で立派だ。
エキナカの店も充実しているし,元々一流ホテルがたくさんあって奇麗だった高輪側だけでなく昔はサビれていた港側もオフィスビルがたくさん出来て立派な駅舎になっている。
その新しい品川駅のトイレにも障害者用らしきトイレが存在する(きっとそのつもりで作ったはずだ)。
でも,障害者の人が使おうと思ってもきっと使えないだろうなと思うシロモノだ。
ナゼ使えないかの理由はあげればキリがないのだが,要するに,自分の身体には何の障害もない人がデザインし施工しているからそうなるだけのことだと私は思っている。
以前私のブログでも紹介したし,ミュージックホープ関連のイベントでも常に紹介している『目を開けてもっと私を見て』と題するイギリスの施設で亡くなった認知症患者の女性の感動的な詩を最初に自著で紹介したのはアメリカのデザイナーのパット・ムーアさんだった。
その詩が紹介されている彼女の本のタイトルは『変装』。
彼女がこの本を書いたのは1980年のこと。
ムーアさん自身はまだ23歳の若さだった。
その二十歳そこそこの彼女が八十代の老女に変装して三年間ニューヨークで暮らした時の手記がこの本の内容だ。
彼女がなぜそんなことをしたかというと,彼女の勤めていたデザイン事務所のメインのデザインがユニバーサルデザインだったからに他ならない。
まだデザインを始めたばかりの彼女にしてみれば,バリアフリーのデザインをどうしたら良いかを実体験を通して理解するための「変装」だったのだ。
ムーアさんは現在62歳。自身が起こしたユニバーサルデザインの会社でバリアフリーデザインの仕事をしながらバリアフリーについての講演を世界中で行っている。
今日たまたま手に取った藤原さんの本を読んで私自身の心に残ったことばが幾つかある。
「人生は神様からの贈り物」
「奇跡は起こるものではなく,起こすもの」
「『かわいそう』ということばほど残酷なことばはない」
これらのことばに改めて解説を加える必要はないだろう。
「同情は軽蔑である」というニーチェのことばが若い時からずっと私の心につきささってきた。
健常者が身障者に「かわいそう」という感情を起こした瞬間そこには上から見下ろす視線があるということを忘れてしまったら永遠にバリアフリーの社会は作れない。
私はそう思っている。
ブログを読んだとき、本当に感激しました。私の本がこんなにも評価され、しかも考え方がとても類似している、いや、同じだということにも感銘を受けました。本を書いて本当に良かった!この先は、みつとみさんのようにはアクティブに活動できないかもしれないですが、できることからやって行きたいと思っています。東京でコンサートがある時には是非聴きに行きたいと思っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。ブログ、楽しみに読ませていただきます。また、『奇跡のはじまり』も遅ればせながら読ませていただきます。〝この世に起こるすべてが必然であり、偶然はない〟これは私が生きるちからにしている言葉です。救われます。
大丈夫です。私も藤原さんの本で「救われた」のですから。