のはずなのに、誰もそんなことを口に出さないのがとっても不思議。
きっと,他の祝日と同じように体育の日が毎年移動するようになってしまったからなのだろう。
このこと自体も私には不思議でたまらない…。
ワシントンハイツがオリンピックの選手村になってしまった話を先日したが、それだけでも「革命的な大事件」に違いなかったのだが,それ以外にもオリンピックのせいで私の回りにはかなりドラスティックな変化が起こっていた。
その一つが,友達が急に近所からいなくなってしまった事だった。
小学校の同級生の多くは近所の商店街の子供だった。
彼ら彼女らの多くは、ちょうど今の代々木公園の西の端から一方は渋谷駅へ、もう一方は小田急線の代々木八幡駅へとつながる道路脇の商店街に店があった。
親友のHくんの家もその辺りで靴屋さんを営んでいた。
そのHくんが突然引っ越すと言い出した。
「どこに行くの?」
「ワラビ」
何だそこ?と思った。
初めて聞く名前だった,
食べ物と同じ名前なので,最初地名という感じがしなかった。
東京でないことは何となくわかったけれども、「ワラビって一体どこなんだ?」
「埼玉だって…」。
Hくんもよく知らないし、きっとHくんの親だってよく知らなかったのではないだろうか。
私も、埼玉という場所がどの辺なのかすらよくわかっていなかった。
なにか本当に「地の果て」に親友が連れていかれてしまうようなもの悲しさを覚えた。
自分がそこに行くわけでもないのに,なぜかとても悲しかった。
彼の店も取り壊され道路拡張のための工事が始まった頃,彼の引っ越し先に初めて遊びに行った。
知らない電車を幾つも乗り継ぎ(そんな気がした),その駅に降りてからもバスで15分ほど走った先に彼の新しい店と家はあった。
こんなところで靴屋さんの商売なんか出来るのだろうか。
子供心に余計な心配をした。
彼は楽器を一緒にやる仲間でもあった。
新居で久しぶりに合奏をした。
「ここならどんなに大きな音出しても大丈夫だよ」
Hくんはそう自慢げに言ったが,そりゃそうだろう。
まわりに家なんかあんまりないじゃないか。
改めて彼の家の商売の心配をした。
でも、立ち退きさせられた家はものすごく保証金もらっているから大丈夫だよ。
そんな話を大人がしていたことを思い出した。
そうか,だから大丈夫なのか…。
子供心に勝手に合点した。
オリンピックはきっと日本と日本人の暮らしを大きく変えたのだろう。
私に起こった変化もハンパではなかった。
すぐ近くに選手村があることを良いことに,中学に入って覚えたてのヘタな英語を使って毎日選手村でいろんな選手をつかまえてはサイン攻めに明け暮れた。
そんなガキを世の中の人はなんと呼ぶのだろうか。
「サイン小僧?」
そんなことばを聞いたことはないがきっと新聞のどこかにはそれにあたるようなことばが記者の手によってきっと書かれていたのだろうが、私にはその頃まだ新聞を丹念に読むような習慣はなかった。
目に見える全てのものを変えたのがオリンピックだった。
親友の家の前の道路。
オリンピック前は車一台がやっと通れるほどの幅しかなかった。
しかも舗装なんかされていない雨が降ると水たまりができるような道だった。
それがオリンピックで一挙に片側2車線のきれいな舗装道路に広がってしまった。
今は,そこにクラシック専用のお洒落な音楽ホールまで建っている。
6年後のオリンピックは,一体,日本の何を変えるのだろう。
きっと,他の祝日と同じように体育の日が毎年移動するようになってしまったからなのだろう。
このこと自体も私には不思議でたまらない…。
ワシントンハイツがオリンピックの選手村になってしまった話を先日したが、それだけでも「革命的な大事件」に違いなかったのだが,それ以外にもオリンピックのせいで私の回りにはかなりドラスティックな変化が起こっていた。
その一つが,友達が急に近所からいなくなってしまった事だった。
小学校の同級生の多くは近所の商店街の子供だった。
彼ら彼女らの多くは、ちょうど今の代々木公園の西の端から一方は渋谷駅へ、もう一方は小田急線の代々木八幡駅へとつながる道路脇の商店街に店があった。
親友のHくんの家もその辺りで靴屋さんを営んでいた。
そのHくんが突然引っ越すと言い出した。
「どこに行くの?」
「ワラビ」
何だそこ?と思った。
初めて聞く名前だった,
食べ物と同じ名前なので,最初地名という感じがしなかった。
東京でないことは何となくわかったけれども、「ワラビって一体どこなんだ?」
「埼玉だって…」。
Hくんもよく知らないし、きっとHくんの親だってよく知らなかったのではないだろうか。
私も、埼玉という場所がどの辺なのかすらよくわかっていなかった。
なにか本当に「地の果て」に親友が連れていかれてしまうようなもの悲しさを覚えた。
自分がそこに行くわけでもないのに,なぜかとても悲しかった。
彼の店も取り壊され道路拡張のための工事が始まった頃,彼の引っ越し先に初めて遊びに行った。
知らない電車を幾つも乗り継ぎ(そんな気がした),その駅に降りてからもバスで15分ほど走った先に彼の新しい店と家はあった。
こんなところで靴屋さんの商売なんか出来るのだろうか。
子供心に余計な心配をした。
彼は楽器を一緒にやる仲間でもあった。
新居で久しぶりに合奏をした。
「ここならどんなに大きな音出しても大丈夫だよ」
Hくんはそう自慢げに言ったが,そりゃそうだろう。
まわりに家なんかあんまりないじゃないか。
改めて彼の家の商売の心配をした。
でも、立ち退きさせられた家はものすごく保証金もらっているから大丈夫だよ。
そんな話を大人がしていたことを思い出した。
そうか,だから大丈夫なのか…。
子供心に勝手に合点した。
オリンピックはきっと日本と日本人の暮らしを大きく変えたのだろう。
私に起こった変化もハンパではなかった。
すぐ近くに選手村があることを良いことに,中学に入って覚えたてのヘタな英語を使って毎日選手村でいろんな選手をつかまえてはサイン攻めに明け暮れた。
そんなガキを世の中の人はなんと呼ぶのだろうか。
「サイン小僧?」
そんなことばを聞いたことはないがきっと新聞のどこかにはそれにあたるようなことばが記者の手によってきっと書かれていたのだろうが、私にはその頃まだ新聞を丹念に読むような習慣はなかった。
目に見える全てのものを変えたのがオリンピックだった。
親友の家の前の道路。
オリンピック前は車一台がやっと通れるほどの幅しかなかった。
しかも舗装なんかされていない雨が降ると水たまりができるような道だった。
それがオリンピックで一挙に片側2車線のきれいな舗装道路に広がってしまった。
今は,そこにクラシック専用のお洒落な音楽ホールまで建っている。
6年後のオリンピックは,一体,日本の何を変えるのだろう。
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