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仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

プロの力量に触れるよさ

2020年09月13日 | 授業づくり
 近くでクラシックのコンサートがあった。

 普段はクラシックを聴かないのだが、ライブで行われる演奏というのは興味がある。

 ホルン、バイオリン、ピアノ、フルートの4人が演奏した。

 知らない曲ばかりだったが、100分間の演奏があっという間に終わった。

 本物にふれるのはよいものだ。

 よく見ると、フルートの演奏者は、30年以上前に、大学で講義をしていた先生だった。

 

 その時の記憶がよみがえった。

 小学校教員の免許を取るためには、音楽の講義も聴かなくてはならない。

 その日の講師は、フルートの演奏かということだった。(本日のフルート演奏者)

 その日は、小学校の音楽の勉強だったので、フルートではなく、ソプラノリコーダーを持ってきていた。

 小学校で学ぶ曲の紹介や、ソプラノリコーダーの話しもされたような気がする。

 衝撃だったのは、話の途中で行われる演奏である。

 ソプラノリコーダーを吹いて下さる時である。

 その先生のリコーダーから流れる音色が別物だった。

 小学生のみんなが持っているのと同じはずのリコーダーなのに、音色が違って聞こえる。

 リコーダーって、こんなに綺麗な音が出るのか!!とびっくりしたのを良く覚えている。

 曲は「ふるさと」だったか「われは海の子」だったかなあ。

 とにかく、美しいのである。

 自分をはじめ、普段はあまり熱心に講義を聴かない悪友たちも、身を乗り出して聴いていた。

 話がまた始まるのだが、次はいつ吹いてくれるのだろうかとワクワクしながら待っていた。

 結局3回ほど吹いて終わりになったのだが、普通のソプラノリコーダーが、まるで魔法の楽器のように思えた。

 きっと、息の出し方から指の使い方、曲のとらえ方など、すべてが素人とはレベルの違う力量がある。

 プロの演奏家の力量をまざまざと見せつけられた。


 こう考えると、小学校の授業に、プロが入って指導して下さるというのは、とても有意義だ。

 すでに行われているかもしれないが、例えば、

 家庭科のアイロンがけで、プロのクリーニング屋さんにゲストティーチャーに来てもらう。

 中学校技術の木工作品作りで、プロの大工さんに教えてもらう。

 学級活動(挨拶の指導)などで、接客業のプロ(ホテルの方)に来てもらう。

 理科(天気)の学習で、気象予報士の方に来てもらう。

 考えればたくさんありそうだ。

 プロの力量や熱意に触れた子供達は、きっと目を輝かせるだろう。 

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小さい声で発表する子がいる場合の指導・・・毎日短時間で一人一人指導する

2020年09月01日 | 授業づくり
 指導をしていない学級の場合、発表の声が小さいことが多い。

 自分が学級担任をしていた頃は、短時間ではあるが、毎朝声を出す練習をしていた。

 しかも、一人一人に。

 どうするか?

 朝は、「健康観察」をする。

 その時間に指導する。

 健康観察の際、「○○くん」と教師は名前を呼び、

 子供は「ハイッ、元気です。」と答える。

 聞こえたら、「○(マル)!」という。

 そして次の子の名前「○○さん」

 同じように「ハイッ、元気です。」と答える。

 それが、はっきり聞こえたら、「二重丸!」とか、「花まる!」と評価してあげる。

(もちろん、体調が悪い子には無理をさせない。)

 全員に○はあげるが、次のようにレベルアップさせる。

 教室の隅々にまで、はっきり聞こえている子には二重丸。(叫ぶのはNG)

 さらに、ハイの声が、語尾までしっかり言える子(「ハイッ」の小さい「ッ」が言える子)は、花まる。

 というように、些細なことだけれども、毎日短時間で指導することで、一人一人の声はどんどん聴きやすい声になっていく。
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物わかりのよい聴き手にならない・・・子どもの話す力を鍛えるために

2020年08月31日 | 授業づくり
 大人が物わかりの良い聴き手であると、子どもの話す力は育たない。

 例えば、子どもがプリントを片手に、次のように言ってきたとする。

 「○○先生が、このプリントを・・・。」

 物わかりの良い大人は、次のように言う。

 「ああ、○○先生が、このプリントを持って行きなさいって言ったのね。じゃあ、預かるね。」

 これでは、子どもの話す力は育たないのはおわかりだろう。

 (もちろん、配慮が必要な子はいる。)

 子どもは、少しずつ鍛え、自立できるように育てなければならない。

 「○○先生が、このプリントを・・・。」

 こう言ってきたら、聴けば良い。

 「○○先生が、このプリントを? ・・・うん、どうしたの?」

 子どもは、こう答える。

 「教頭先生に、持って行きなさいって。」(実際には、もっとたどたどしいことが多いが、聴いてあげる。)

 「なるほど、○○先生が、『教頭先生に、このプリントを持って行きなさい』って言ったんだね。」

 「はい。」

 「じゃあ、こう言えばいいんだよ。『○○先生が、このプリントを持って行きなさいって言われたので持ってきました。お願いします。』」

 (長い文が難しければ、「こういうときは、『お願いします』って言えばいいんだよ。」と教える。)

 実際に、子どもに言わせてプリントをもらう。

 「素晴らしい。しっかり言えたね。」

 と言って褒める。

 担任の○○先生にも、ちゃんと言えたことを伝え、学級でもホメてもらう。

 細かいことだが、しかも手間はかかるが、このように言い方を指導して、褒めるようにしている。

(物わかりの良い大人でいる方が、ラクではある。用件はすぐに済むから。しかし、それでは子どもの伝える力は育たない。)

 繰り返し指導していると、徐々に話し方が上手になっていく。

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文科省の方々は、伝える気があるのだろうか。(一文が長い!)

2020年08月27日 | 授業づくり
 昨日まで、「キャリアパスポート」について書いた。

 キャリアパスポートを調べる際に、以前から感じていたことを思い出した。

 それは、お役所の方々は、教育現場に「伝える」という気があるのだろうか?である。

 キャリアパスポートとは何だろう?と思って、調べてみたら、文科省関係文書で定義が見つかった。

 次である。

 「キャリア・パスポート」とは,児童生徒が,小学校から高等学校までのキャリア教育に関わる諸活動について,特別活動の学級活動及びホームルーム活動を中心として,各教科等と往還し,自らの学習状況やキャリア形成を見通したり振り返ったりしながら,自身の変容や成長を自己評価できるよう工夫されたポートフォリオのことである。なお,その記述や自己評価の指導にあたっては,教師が対話的に関わり,児童生徒一人一人の目標修正などの改善を支援し,個性を伸ばす指導へとつなげながら,学校,家庭及び地域における学びを自己のキャリア形成に生かそうとする態度を養うよう努めなければならない。

  
 あまりにも分かりにくくて、途中で読むのをやめたくなるような文章である。

 子供への作文指導なら間違いなく書き直しをさせるだろう。

 なぜこうも読みにくいのだろうか?

 それは、「一文が長い」からである。

 これだけの文章なのに、たった2文でできている。

 誰に読んでもらうかという読み手意識があれば、教育現場の人に読んでもらうことを意識していれば、こんなわかりにくい文は書かない。

 ひょっとして、読み手として意識されているのは、教育現場の人ではないのかもしれない。

 了承を得なければならない、文科省の上司なのだろうか?

 「キャリアパスポート」の定義の文に限らず、分かりにくい文科省からの文書を読んでいると、そんな変なことを考えてしまう。
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キャリアパスポートは、教育現場に浸透するか 2

2020年08月26日 | 授業づくり
 昨日の続き

 「キャリアパスポート」なるモノを令和2年度から小中高で作成しなければならない。

 この「キャリアパスポート」は、教育現場に浸透するのだろうか?

 昨日は、校内で実践を導入するに当たっては、「簡単、楽しい、効果あり」の3つの条件を満たさなければならないと書いた。

 簡単について

 キャリアパスポートは「簡単」だろうか? これが一番のネックになると考える。

 目標用紙を校内で作り、振り返りカードも作る。

 夢の設定用紙や職業に関するカードも作ることになるだろう。

 そういう時間は、教育現場にはない。

 いつ作ればいいのだろう。


 どうしても「キャリアパスポート」を作成しなければならないとしたら、私からの代案としては、次である。

 「今実践で使っているキャリア教育に関する学習カードをすべて1つのファイルにまとめる」

 「そのファイルを次の学年に引き継ぐ」

 これならば、すでに各学級で行っている実践をまとめるだけですむ。

 こうすれば、(あまり)無理なく作成できる。


 「楽しい」について

 あまり楽しさを感じられない。

 特に導入のはじめは楽しさを見いだしにくいだろう。

 これが3~4年たった後なら、昔書いたことを懐かしんで読み、次の目標を書くかもしれない。

 そもそも、この「キャリアパスポート」の導入が文科省からのトップダウンであるが故に、どうしても「やらされている感」がする。

 だからモチベーションは高まらない。


 「効果あり」について

 これも分からない。

 そもそも、この「キャリアパスポート」を導入しようと考えた文科省の役人さん方は、自分自身でも同じようなことをしてきたのだろうか。

 「目標設定用紙」を書き「振り返り」をし、「将来の夢」を立てて、小中高と学んできたのだろうか?

 (文科省のエリートの中には、いるかもしれないなあ)

 現場の人間としては、「キャリアパスポート」を実践し、その労力に見合った効果があるとは思えない。

 もっと簡単な形で実践できる者を提案してほしい。
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キャリアパスポートは、教育現場に浸透するか・・・現場の実践に必要な3つの条件が満たされていないのではないか

2020年08月25日 | 授業づくり
 「キャリアパスポート」なるモノを令和2年度から小中高で作成しなければならない。

「キャリア・パスポート」とは小中高校生が学習や学校生活の目標を設定し、達成度を自己評価するものである。

 どんなものかというと、

○ 小中高校生みんなが書く。

○ 1年間の目標や振り返りを書く。(自分の夢も)

○ ファイルなどに蓄積し、中学校や高校へも持ち上がっていく。

 今までも、各学級担任は、目標や夢を書かせたり、振り返りをさせたりしている。

 それを、全国規模で、全小学生、中学生、高校生にさせるというわけである。

 さて、この「キャリアパスポート」は、教育現場に浸透するのだろうか?

 疑問である。

 「やらされている感」をもちながら現場の教員は実践するのではないだろうか。

 なぜ疑問かというと、現場で協同実践する際に必要な3つの条件が当てはまらないからである。

 自分は、研究主任や教務主任など、何か校内で実践を提案する際に、気をつけた3つの条件がある。

 それは、「簡単、楽しい、効果あり」である。

 この3つの条件をクリアーしていれば、殆どの実践はしてもらうことができた。

 全校で一斉に実践できる。

 しかし、この3つのうち1つでもクリアーしていなければ、必ず失敗する。

 例えば、これまでに実践してもらえたのが、「朝の1分間ストレッチ」である。

 以前、体育の研究指定校に勤務していたときのことである。

 勤務校では、新体力テストでは、柔軟性の項目が著しく低かった。柔軟性が課題だった。

 そこで、学級で朝の挨拶した後、1分間だけ前屈を中心としたストレッチをしてもらった。

 簡単・・・1分間だけなので、簡単にできる。朝の挨拶の後だから忘れることもない。

 楽しい・・・ストレッチで体を伸ばすのは気持ちがいい。
      毎朝しているので、自分の体が柔らかくなった実感ももてるようになる。

 効果あり・・・続けたら効果が出るデータを紹介してから導入した。
      実践したその学校では、1年後の柔軟性が県トップレベルまで高まった。

 このように、いかに全学級で実践してもらえるかを考えて提案をしている。

 「キャリアパスポート」は、この3つの条件すべてを満たすと言えるだろうか?

ちょっと長くなったので、明日に続く

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職員向けにコンプライアンス研修会をする。授業と同じ「教えて考えさせる」流れで

2020年07月25日 | 授業づくり
 夏季休業中に、研修会を行うことになった。

 職員向けのコンプライアンス研修である。

 重要な研修である。

 与えられた時間は、60分間。
 
 構成は、授業と同じ。

 教えて考えさせる流れにする。



 前半では、次の内容を「教える」。
 
 懲戒処分の現状、懲戒処分になった人の声

 学校におけるリスクには、何があるか。

 緊急保護者会を開くことになった事例紹介(いじめ、体罰、情報流失の例など)

 前半では、事実をもとに、懲戒処分になったり、重大な問題となるケースは何か、どれだけ大変な事態なるかを知ってもらう。

 これで、「不祥事」なるものを、出さないようにしようとする意識が高まるだろう。

 また、ここでは、「報告・連絡・相談」をすることで、重大な危機にならずにすんだ事例も紹介したい。



 後半では、次の事例について「考える」

 わいせつ事案、体罰事案、飲酒運転事案の例を示し、

 なぜそのような事案が起きてしまったのか、

 どうすれば、防げるのか

 を考える。

 (宮崎県では、「わいせつ事案、体罰事案、飲酒運転事案の根絶」を目指している。)

 個人で考え、小グループで情報交換をし、最後にグループ毎に発表してもらう。



 職員が幸せに仕事をするためにも、この研修会を実のあるものにしたい。

 職員が、「懲戒処分には、そのような事例があるのだな」と知ることで、

 「自分たちも気をつけよう」という意識が高まり、

 何かあったら、すぐに主任や管理職に「報告・連絡・相談」をするような研修会にしたい。
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教員をする喜び

2020年07月21日 | 授業づくり
 教員をする喜びのひとつに、「感謝される」がある。

 先週まで、泳ぎが苦手な児童の個別指導をしていた。

 ヘルパー(おなかにつける浮き具)を使って、平泳ぎの手のかきだけ指導したら、それだけで50m泳いでしまった。

 本人はもちろん、周りの先生方も驚いていた。(自分も驚いた)

 2週間ほど(合計5回)指導したが、ビート板キックでも50m泳げるようになった。

 顔をつけるのをいやがっていた1時間目とは大違いである。

 終わった後、お手紙をもらった。

 お礼のお手紙である。



 感謝されるのを求めていないだけに、こういうお手紙をたまにもらうと感激する。

 うれしい。

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学問の基本の形とは、

2020年07月20日 | 授業づくり
 月刊誌「致知」で学んでいる。

 今月も学びが多かった。

 特に心に残ったのは、占部賢志氏の言葉である。

 (グループ学習やアクティブラーニングが重視されるようになった昨今の状況に対して)

 古今東西、学問とは独学が基本の形です。この独学ができてこそ協働の学びが為し得るのです。はじめに協働ありきでは、依存心が強まるだけで結局は学びを妨げることになります。

令和2年(2020年)8月号p.126




 「学問とは独学が基本の形」

 確かにその通りである。

 この月刊誌「致知」を読んでいる方々が、集まって感想を述べ合う「木鶏クラブ」がある。

 月1回の会であるが、様々な職業の方、年齢の方が集まって、読後感を述べる。

 その木鶏クラブで聞いているのは、それぞれの独学の結果なのである。

 それぞれの独学が深いから、読後感を聞くのが楽しみである。



 授業においても、本時の学習課題に対して、必ず自分の考えを持たせるのが重要となる。

 考えを持たせるためには、書く時間を設定するのである。

 その後に、お互いの考えを交流させる時間をとればよい。
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板書する際の漢字表記・・・なるべく漢字で書く

2020年07月08日 | 授業づくり
研究授業で、板書する際の漢字表記が話題になった。

「学年で学んだ漢字で板書しているか」

である。



私は、その学年で学んでいなくても、漢字で板書することが多い。

 例えば教科書では、「学校」を「学こう」と書いてある場合がある。

 こういう場合は、「学校」と板書する。

 「この漢字読めるかな?・・・そうそう、『がっこう』と読みます。かしこいなあ。」

と一言教える。その後は、教えなくても読める。

「学校」を「学校」という漢字で学べば、一度で学習できる。

 しかし、「学こう」と学んだ子は、「校」という漢字を学んだ際に、改めて「学校」という言葉を学ばなくてはならない。

 二度学ばなくてはならないので、負担である。

 読みの学習だけは、学年にかかわらずどんどん先に学習してよいのである。

一般的に表記してある漢字で書けばよい。

 教科書に読み方が書いてあれば、なおさらである。

 (「書く」学習は、無理強いしない。その漢字を学習する学年で書けるようになればよい。)


 私は、師匠である野口芳宏氏から次のように教えられた。

 「教科書に読み方が書いてあることばは、板書する時は、漢字でいいんだよ。」

 「漢字で書いてあげた方が、漢字を読む力が付く。」


 である。

 だから、基本的には、なるべく漢字で書くことにしている。



「石井方式の漢字教育」を提唱された石井勲氏は、次のように述べている。


 6年生の教科書を見ておりました時に、こういう表記にぶつかりました。「こう水」という表記です。

 これを見た時、私は一瞬戸惑いました。と申しますのは、「こうずい」と読むべきものを、「「こうすい」とうっかり読んだため、「洪水」という意味がすぐにはつかめなかったわけです。

 「こうすい」と読みますと、私どもは次のような言葉を思い浮かべます。「香水」「硬水」「鉱水」これらの「こうすい」があるわけです。

(中略)

 たとえ幼児といえども、表記というものは社会で一般的に使っているものをそのまま与えなければいけない。

 「洪水」「香水」「硬水」という形で与えなければいけないと考えました。

 これが現在「石井方式」と呼ばれるものの基本的な考え方であります。つまり、「社会一般に漢字を用いて表記している言葉は、絶対にカナ書きをしてはならない」ということであります。


「幼児はみんな天才」(日本教文社)p.107
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授業の基本スタイルは「教えて考えさせる授業」

2020年04月25日 | 授業づくり
 授業づくりの原則として心がけているのが、「教えて考えさせる授業」である。

 市川伸一氏の著書「『教えて考えさせる授業』を創る」を繰り返し読んで学んだ。
(名著です)

 簡単にまとめると、次のようになる。前掲著p.13

 「教科書を開けば出ているような基本事項は教師から共通に教え、子ども同士の相互説明や教え合い活動などを通じて理解の確認を計ります。」

(ここまでが教える段階、このあとが考えさせる段階)

 「その上で、さらに理解を深める課題によって問題解決や討論などを行い、授業の最後には、今日の授業で分かったこと、分からないことを自己評価として記述させる。」

 
 よって、授業づくりをする場合、次の点を考える。

○ 授業の前半で、何をどのように教えるか  

○ 授業の後半では、前半の学びを使って何をどのように考えさせるか

「教えること」と「考えさせること」を整理するだけでも、授業づくりはずっと分かりやすくなる。
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儀式に参加する時に大切なのは、・・・

2020年03月25日 | 授業づくり
 卒業式が終わった。

 3月はずっと休校で、全く授業ができなかった。

 子供達は全く練習をしないままで本番の卒業式を迎えた。

 通常ならば、卒業式に向けて練習をする。

 歩き方からお辞儀の仕方、卒業証書のもらい方や呼びかけに歌など、いろいろな練習を通して、儀式への参加の仕方を学ぶ。

 今回は、それが全くできなかった。

 唯一、今朝30分ほどかけて、流れを伝えただけである。

 

 練習をしないまま迎えた本日の卒業式だったが、すがすがしかった。

 一番の要因は、「子供達が一生懸命に卒業式に参加していたから」である。

 2月までと同様に、真剣な態度で卒業式に臨んでいた。

 途中でお辞儀をする場所を間違えたり、お辞儀をしなかったり、帰るルートを間違える子も少しは居た。

 しかし、少々の失敗は気にならない。

 表情や行動からは、「小学校生活最後の行事に精一杯の力を出して参加しよう」という気持ちが伝わってきた。

 

 今日の卒業生からは、教えてもらった。

 やはり、儀式に参加する時に大切なのは、「気持ち」であると、改めて教えてもらった。

 ただ、そういう気持ちで参加できたのも、これまで六年間で育てられた力、総合力なのだろう。
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授業研究会での心がけ・・・その1 口火を切る

2018年10月29日 | 授業づくり
 学校では、「研究公開」が行われる。

 「研究公開」では、「研究授業」と言って、授業を観る時間があり、その後は、「授業研究会」(「事後研」とも言う。)が行われる。

 この授業研究会では、質疑応答と協議の時間に、重苦しい時間が流れるときがある。

 ただし、誰かが勇気を出して口火を切れば、場がほぐれ、発言は結構続くものである。

 発言がない重苦しい時間が流れると、特に司会者は苦痛である。


 そこで、自分は、少しでも授業研究会を盛り上げるために、必ず口火を切ることにしている。

 この口火は、小難しい内容ではだめである。かえって場の空気が重くなる。

 誰でも分かる内容だと、次の発言がしやすくなる。


 先日は、次のような質問をした。

 「先ほど、授業者の先生が『学習内容を詰め込みすぎたので、削った方がよかった』と言われましたね。どの学習内容も重要だったとは思うのですが、授業を終えた今、どの内容を削ったらよいと思われますか」

 授業研究会に参加している人たちに誰でも分かる質問である。(自分でも代案を持った上で質問するようにしている)

 
 この後、質問や意見が続出した。発言が途切れたら言おうと思っていた内容も、言わずにすんだほどである。

 他の先生方から、貴重な意見をたくさんもらえた。

 例えば、「多面的・多角的な考えをさせると、研究主題にはありますが、多面的と多角的の違いは本字の授業言うと何ですか?」と言う質問。

 自分ではよく考えたことがなかっただけに、勉強になった。

 
 口火を切るだけで、授業研究会は、ほぼ確実に盛り上がる。 
 
 
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ちょっとした授業のコツ・・・問題の理解のさせ方

2018年05月21日 | 授業づくり
 算数の時間、問題提示の場面で、教師が問題を読んでいる場面を見たことがある。

 教師が問題を読み、子供に聞かせている。

 問題を理解させるために読むのならば、自分なら読まないと感じた。

 子供に読ませる。

 教師が読んで聴かせる場合、傍観者になる子が出てくる。教師は、問題を読んでいるから、傍観者に気づかない。

 子供が読み、それを教師が聞いているならば、傍観者は出にくい。読んでいない子がいるかどうかもチェックもできる。

 些細なことだけれども、問題は子供が読み、教師はちゃんと読んでいるかをチェックする。

 問題の意味をどの子にも理解させるためには、重要な手立てだと考えている。

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指導過程は必要の連続で構成せよ

2017年06月22日 | 授業づくり
 私が師匠と尊敬している野口芳宏先生の講座に行ってきた。

 模擬授業をさせていただいたのだが、批評のコメントが勉強になった。

○ 授業に導入はいらない。

○ 本題にスカッと入れ。

○ 指導過程は必要の連続で構成せよ。

 特に、「最後の指導過程は必要の連続で構成せよ。」が勉強になった。

 授業は、内容をよく吟味し、必要不可欠の内容だけで構成する。こうするだけで、グッと授業の質は高くなる。

 逆に言うと、必要のない内容が入ると、ぼやけた授業になってしまう。

 これらの考えは、授業だけではなく、多くの表現活動の場でも言える。

 例えば、プレゼンである。研究発表や実践紹介などの説明では、プレゼンソフトを使って説明する。

 無駄がない、必要の連続で構成された説明ほど、引きつけられ、分かりやすい。主張もすっと頭に入ってくる。

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