子供の頃は、魚が苦手だった。
野菜よりも魚の方が苦手だった。(肉は好きだった)
魚が苦手な理由は、「骨が多い」である。
今の子供達は、骨が多いという理由で魚が苦手という子はあまりいないだろう。
なぜなら、食卓に出てくる魚の殆どは、骨をとってあるからだ。
自分が子供の頃に出てくる魚の多くは、煮付けか焼き魚だった。
殆どが丸のまま、もしくはぶつ切りである。
小骨が多くて、それを取りながら食べるのは大変だった。
時には、小骨がうまく取りぞけなくて、しかもそれに気づかないで、のどに小骨が刺さるという痛い体験もした。
ひもじいので、食べないわけにはいかない。
ただ、この経験のおかげで、箸は器用に使えるようになったと思う。
また、たいていの魚は、綺麗に食べることができるようになった。
今の子供達は、小骨で困る体験はあまりしたことがないと思う。
それは恵まれているようだけれども、鍛えられる機会はなくしていると思う。
自分で捌いて作ったタチウオの煮付け(小骨多し)を食べながら、そんなことを考えた。
野菜よりも魚の方が苦手だった。(肉は好きだった)
魚が苦手な理由は、「骨が多い」である。
今の子供達は、骨が多いという理由で魚が苦手という子はあまりいないだろう。
なぜなら、食卓に出てくる魚の殆どは、骨をとってあるからだ。
自分が子供の頃に出てくる魚の多くは、煮付けか焼き魚だった。
殆どが丸のまま、もしくはぶつ切りである。
小骨が多くて、それを取りながら食べるのは大変だった。
時には、小骨がうまく取りぞけなくて、しかもそれに気づかないで、のどに小骨が刺さるという痛い体験もした。
ひもじいので、食べないわけにはいかない。
ただ、この経験のおかげで、箸は器用に使えるようになったと思う。
また、たいていの魚は、綺麗に食べることができるようになった。
今の子供達は、小骨で困る体験はあまりしたことがないと思う。
それは恵まれているようだけれども、鍛えられる機会はなくしていると思う。
自分で捌いて作ったタチウオの煮付け(小骨多し)を食べながら、そんなことを考えた。