仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

教師が「シャーペン式赤鉛筆」を使うよさ

2018年03月26日 | 教師修業
 授業での指導や採点のために、赤鉛筆を使っている。

 自分が使っているのは、

 「三菱鉛筆 シャープペン フィールド 2.0 赤芯

 である。

 これは、2ミリの芯がノックする度に出てくる。

 ぜひ、多くの教師に使ってもらいたい、優れた商品である。

 
 理由大きく言って4つある。



その1・・・手や服が汚れない。
 インクを使う赤ペンの場合、手が赤く汚れる時がある。

 また、インクが漏れて、お気に入りのシャツを汚してダメにしてしまうこともある。

 赤鉛筆は、汚れることがない。


 その2・・・研がずにすむ。

赤鉛筆は、いちいち研がなくてはならない。

 ノック式だと、押すだけでどんどん書ける。

 また、普通の赤鉛筆の場合、芯がもろいせいか、削っている最中にボロボロ折れる時がある。

 ノック式の場合、折れることはない。



その3・・・なめらかである。

赤鉛筆の場合、なめらかに書ける。

 ソフトペンの場合、ほんのかすかだが、丸付けをしていて引っかかる時がある。

 また、ボールペンの場合、インクが出てこない時がある。かすれることがある。

赤鉛筆の場合、引っかかったり、かすれたりすることはない。



その4・・・薄く書いて、子供にヒントをあげることができる。

 漢字や計算練習、ノート作業の際に、子供にヒントをあげることができる。

 赤鉛筆なので、薄く薄く答えを途中まで書いてあげる。

「なぞりなさい。」と言って鉛筆でなぞらせれば、薄い赤鉛筆の線は消えてしまう。

 途中まで書いてあげて、子供が「分かった」と言えば、「あとは自分でしようね。」と言って、自分でさせる。

そして、ここからが大切なポイントだが、

 子供が書いた後、教師は、赤鉛筆で丸を付けて褒める。

「できたね。」「素晴らしい。」などと言いながら、褒める。

 子供達は、必ず喜ぶ。


特に、算数は、授業の終盤に練習問題をさせることになる。

 その際、1問で良いから、教師は丸を付けて褒める。

 「できたね。」「頑張ったね。」「素晴らしい。」などと言いながら、褒める。

 子供はきっと算数が大好きになる。
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「蜜蜂と遠雷」恩田陸著(幻冬舎)

2018年03月22日 | 本と雑誌
蜜蜂と遠雷」恩田陸著(幻冬舎)

 おもしろかった。

 4人の登場人物が、それぞれ個性的だった。

 風間塵15歳。栄伝亜夜20歳。高島明石28歳。マサル・C・レヴィ=アナトール19歳。

 お互いに影響を与え会いながら、高め合いながらピアノのコンクールが進むところがよかった。

 これら4人のような、天才だけれども、努力も積み重ねているという人の演奏するピアノ曲を聴いてみたいと思った。

 ちょっと困った点もある。

 専門的な音楽用語がたくさん出てくるのだが、自分にはちっとも分からない。分かる人が呼んだならば、もっと楽しめただろう。

 ピアノ演奏の素晴らしさを表現するのはよいのだが、専門的な用語が多いため、自分ではあまり理解できなかった。

 



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安全に運動するための判断をする機会を

2018年03月12日 | 体育
 跳び箱の授業で、若手教師が笛を吹いていた。

 何の笛だろうと思ってみていると、どうやら技のスタート合図らしい。

 教師の笛の合図で、技を始めるという決まりにしているとのことだった。

 むかし、ドリフのコントでは見たことがあった。いかりや長介の笛の合図で、マット運動をするコントである。

 笛を吹いてスタートさせるのを、久しぶりに目にした気がする。



 どうしてそんな合図にしたかを尋ねると、

 「前時で、子供達がどんどんスタートしていって危なかったので。」

 とのことだった。

 安全に配慮するのはいい。大事なことである。しかし、問題点がある。

 教師の笛の合図で技を始めるのならば、子供達には、技をいつ始めれば安全かという判断力は育たない。


 

 そこで、次のようにしてもらうことにした。


1 技が終わったら、マットを降りる。マットがずれていないかを確かめ、(ズレていれば整える。)

2 スタートラインで待っている次の人に、合図を出す。

 「終わりました。」

3 その合図で、次の人は、「始めます。」と言って技を始める。

4 技が終わったら、「1」に戻る。マットを降りる。



 こうすれば、ぶつかることはない。しかも、自分たちで、どんどん練習できる。




 おまけ

 練習して、自分たちで練習できるようになった頃、次の条件も加えた。

 「跳び箱の技ができたというのは、綺麗な着地が出来たときですよ。跳び箱を跳べても、着地した後、足がズレたり、手をついたりしたら、出来たとは言えません。」

 「着地が安定していない跳び方は、その前の動きも安定していません。」
 
 着地にこだわらせることで、着地だけでなく、その前の着手や踏切も綺麗になっていく。

 より安全な跳び方になっていく。
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別府行くより、草津行こうぜ

2018年03月06日 | 修養
 「今は、別府行くより、草津行こうぜ。」

 このキャッチコピーを掲載しているのは、別府市である。

 地震の被害で、客足が止まっている草津温泉を応援しようとするポスターである。

 「かっこいいなあ。」思わず呟いてしまった。

 
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幾つになっても我が子は

2018年03月05日 | 家庭教育
 お笑い芸人コンビの「カミナリ」が、茨城の実家に帰った。

 その時の様子がテレビで放映されていたが、あるシーンで涙が出そうになった。

 そのシーンとは、「カミナリ」のまなぶさん(頭をはたかれる方)の実家でのシーンである。

 まなぶさんの帰省が分かったとき、スーパーマーケットを経営しているお父さんは、お店から両手いっぱいに刺身をもってきた。

 まなぶさんに食べさせるためである。

 まなぶさんは、

 「そんなに食えないよ。」

 というが、お構いなしなのである。どんどん開けてごちそうを並べる。食べてもらいたいのである。



 帰省した息子に、ごちそうを腹一杯食べさせてあげようとするお父さんの姿を見て、涙が出てきた。

 幾つになっても我が子はかわいいようである。その愛情が伝わってきて、泣けた。



 自分の両親も同じである。帰省すると、家にあるおいしそうなものをどんどん出してくる。
 
 「腹減ってないからそんなに食べれん。」

 と言っても、お構いなしである。

 食べてほしいのである。

 

 私自身の子供も、あと何年かしたら、独立して、家を出て行くことだろう。

 きっと自分も帰省した我が子に対して、うまいものを食べさせようとすることだろう。

 (そして、きっと「そんなに食べれん。」と言われるに違いない。それでいいのだ。)


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