祖国とは国語 藤原正彦著(新潮文庫)
「国語教育絶対論」(p.12)を読んだだけでもこの本を買って読む価値はある。赤線を引くところがたくさんあった。一部紹介する。
○ 国語の基礎は、文法ではなく漢字である。(p.17)
○ 読書は過去も現在もこれからも、深い知識、なかんずく教養を獲得するための殆ど唯一の手段である。(p.17)
○ 文学、芸術、歴史、思想、科学といった、実用に役立たぬ教養なくして、健全な大局観をもつのは至難である。大局観は日常の処理判断にはさして有用でないが、これなくして長期的視野や国家戦略は得られない。(p.17)
○ 国語の時間にこれらを暗唱し、美しいリズムとともに胸にしまい込むことが望ましい。(p.22)
○ 美しいものへの感動を得るには、自然や芸術に親しむことも大事だが、それだけでは不十分である。美しい詩歌、漢詩、自然を謳歌した文学などに触れることで、さらに美への感受性が深まる。(p.23)
○ いじめなどは、卑怯を教えない限り、やむはずもない。(p.24)
○ 小学校における教科間の重要度は、一に国語、二に国語、三、四がなくて五に算数、あとは十以下なのである。(p.34)
○ 「子どもを読書に向かわせる」を最大目標に据えた指導法改善が望まれる。(p.35)
○ 国語教育の中においても、「読む」「書く」「話す」「聞く」は平等ではない。敢えて重みを付ければ、この順に二十対五対一対一くらいだろう。(p.35)
○ 小学生のうちから古典に触れさせ、多少難解であってもどしどし朗唱暗誦させるのがよい。(p.43)
国歌の苦難を克服するためには、国語教育の量的拡大と質的改善しかないと主張している。私も賛成である。小学校教育の中では、1年生で週に6.9時間、6年生で週に4.5時間しか学習しない。他教科と比べて学習する時間は確かに多い。しかし、同時に学ぶべき、習熟すべき内容はたくさんある。だから、まだ増やした方がよいと考えている。
今の小学校国語で足りない学習は、名文や古典の暗誦である。そして、読書の時間である。この二つを授業の中で確保できるようになると、国語力はまだまだ上がると思う。