仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

よく噛むためのちょっとしたコツ

2016年08月31日 | 健康・病気
 最近、胃腸の調子がすこぶるよい。

 理由の1つは、「よく噛んでいる」からである。

 よく噛むために、最近心がけている方法がある。

 それは、

 「一口分を口に入れたら、箸を置く。」

 である。

 箸を持っていると、どうしてもすぐに次の一口を入れたくなる。

 そこで、箸を置けば、噛むことに集中できる。

 十分噛み砕いたら、初めて箸を持つ。

 もし、人と一緒に食事をする時であれば、違和感があるかもしれない。そうであるならば、箸を置いて、代わりにグラスを持てばよい。

 しかも、一口分を少なめに口に入れる。そうすれば、会話もできるし、咀嚼も十分できる。

 「一口分を口に入れたら、箸を置く。十分咀嚼できたら箸を持つ。」

 これだけでも、自分はよくかめるようになった。

 結果として、胃腸の調子もすこぶるよい。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供をゲームから遠ざける方法

2016年08月30日 | 家庭教育
 きのうは、「子供がゲームに夢中になるのは誰の責任か」を書いた。

 では、ゲームから遠ざける方法は何か。

 それは、ゲームよりも楽しい遊びを与えればよい。

 基本的には、自然の中で体を動かして遊ぶのは、多くの子が好きである。

 自然の中で遊ぶ時は、ゲームよりも遙かに多くの情報に接する。しかも、五感をフルに使って遊ぶので、刺激的である。

 ということで、うちの場合は、近くの川(または遠くの海)に連れて行くことが多い。



 川にいる生き物を捕ったり、近くの獣道を歩いたりするだけで刺激的な出来事にたくさん出会う。

 あっという間に時間がたつ。

 「えっ?もう夕方?」

 と我が子は言っていた。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子供がゲームに夢中になるのは誰の責任か

2016年08月29日 | 家庭教育
 子供がゲームに夢中になるのは、親の責任である。

 子供というのは、一番楽しいことをする。一番と二番との差はものすごく大きい。

 ゲームに夢中になっている子というのは、それ以外の楽しい遊びを知らないのである。

 楽しい遊びを教えていない、もしくは、楽しい遊びをする機会を与えていないという意味で、親の責任である。

 本当は、子供はゲームよりも自然の中で遊ぶことを好む。

 慣れないうちは、虫が怖い、何かちくちくする、べたべたする等の不快感を味わうかもしれない。

 しかし、それらへの対処を覚えれば、リアルな楽しい世界が待っている。

 例えば、魚釣りが好きな子がいたとする。そういう子は、魚釣りのテレビゲームも好きかもしれない。しかし、あくまでも一番目はリアルな魚釣りである。

 テレビゲームは、リアルな魚釣りの楽しさにはとうてい及ばない。



 親に責任があると書いたが、親も自然の中で遊んでいなかった世代になりつつある。

 そうすると、高度成長期に親だった、今のお爺ちゃんお婆ちゃん世代にも責任があるかもしれない。

 せめて我が子や自分が関われる子供達には、ゲーム以上に楽しい世界を味わわせたい。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

後輩を育てるステップ

2016年08月25日 | 学校経営
 「仕掛けて、やらせて、褒める」

 これは、先輩管理職に聞いた後輩を育てるステップである。

 仕掛けて・・・仕事の方向性や手立てのヒントを示す。

 やらせて・・・後輩が決めた手立てをさせる。応援する。
 
 褒める・・・・成果を評価してあげる。

 「この繰り返しで俺は後輩を育ててきた。」

 と言われた。

 シンプルで、自分にもできそうである。

 ただ、先輩管理職は、徹底して継続してきたそうである。

 徹底して継続するのは難しい。挑戦する価値もある。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「我が子がいじめに遭った時の最終手段」をとった後の留意点

2016年08月24日 | 出産・育児
 昨日は、「我が子がいじめに遭った時の最終手段」を書いた。

 最終手段とは「転校」である。

 ただ、「転校」した学校でもいじめに遭ったらどうするの?

 という質問が寄せられそうである。

 その時は、もう一度ほかの学校に転校させればよい。

 なぜなら、閉鎖された集団内でいじめは起きるのだから、集団から逃げればよい。

 ただし、親であれば、次の点には気をつけないといけない。

 我が子の言動チェックである。主に2つある。


○ 周りの子に迷惑をかけていないか。

 例えば、掃除をさぼる。悪口を言う。時間にルーズである。等々、利己的な行動をしていないかをチェックする。


○ 周りの子のためになる行動をしているか。

 例えば、困っている子に声をかける。ゴミを拾ってあげる。挨拶をする。等々、利他的な行動をとっているかをチェックする。


 利己的な行動が少なく、利他的な行動を多くとっている子は、好かれる。いじめられそうになったとしても、周りの子が放っておかない。

 逆に、利己的な行動が多く、利他的な行動が多い子は、どうしても阻害されやすく、いじめのターゲットにもなりやすい。

 実際に、大人社会がそうである。



 もし、「転校」した学校でも、我が子がいじめに遭ったら、もう一度ほかの学校への転校を考える。

 同時に、我が子の利己的な行動と利他的な行動の2つをチェックするだろう。

 そうしないと、違う学校に行っても、またいじめに遭う可能性は高くなる。

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

我が子がいじめに遭った時の最終手段

2016年08月23日 | 出産・育児
 我が子がいじめに遭った時の最終手段は、「転校」である。

 そもそも、どんな場所でいじめが起きるかというと、閉鎖された集団内である。

 固定化された閉鎖された集団内でしか起きない。

 江戸時代の牢獄などは、悲惨ないじめがあったと記録されている。その空間から逃げられないのだからそうであろう。

 それと比較するわけではないが、ある意味、学級や学校もメンバーの変動がない閉鎖された集団である。

 素晴らしい集団であれば、その変動がない集団のよさが生きる。

 しかし、普通はいじめが起きる可能性がある。

 それならば、親は学級や学校を、固定化された閉鎖された集団でないようにすればよい。

 あくまでも最終手段であるが、「転校」という手段も考えていれば気が楽である。

 我が子にもいじめが起きるのは閉鎖された集団内であるから、どうしても困ったら転校という手段があると言うことを伝えておく。

 いじめからは逃げてもよいのである。



 ただ、「転校」という手段の後に気をつけたい点がある。

 「我が子がいじめに遭った時の最終手段」をとった後の留意点がある。

 それは、また明日書きます。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

見方が変わる漫画

2016年08月22日 | 本と雑誌
 「石畳とひまわり」という漫画を読んだ。

 たった4ページの漫画なのに、密度が濃い。

 1回読んで、またもう1回読むと見方が変わってくる。

 これまでにどんな出来事があったのかも想像してしまう。

 才能を感じさせる漫画である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

年取った者の心構え

2016年08月20日 | 修養
 串間市には、幸島という小さな島がある。

 この島は、ある生き物で有名である。

 それは、「サル」である。

 幸島での研究から「人間以外の動物にも文化がある 」という説が初めて出された。

 その研究を推進したのが、三戸サツエ氏である。この方は、サル一匹ずつすべて名前を付け、親子・兄弟関係を記録し、家系図も作るといった手法を取り入れた。個体識別法というそうである。

この方の書いた本を最近読んだ。

「幸島のサル」

 「わたしの孫は100ぴきのサル」

 である。

特に勉強になったのは、次のエピソードである。

 ある一匹の若いサルが芋を洗って食べ始めた。綺麗になるだけでなく、塩味が付いておいしくもなる。

 しかし、ボスザルや年取ったサルたちは、、この新しい方法を真似しなかったそうである。相変わらず古い、手間のかかる方法で芋を洗っていたそうである。

 それからも、おいしくえさを食べるための新しい方法が生み出されるが、決まって若いサルが発見し、広める。年をとったサルは、新しい方法を真似しない。

 このエピソードは、人間社会にも当てはまる気がする。

 新しい文化を若者が生み、広める。年取った者は、その文化を認めようとはしない。

 自分は、どちらかというと「若者」ではなく、「年取った者」の方に近づいてきた。

 これからの自分が心がけるべきは、新しい文化をむやみに否定したり、広めるのをストップさせたりしてはならないだろうなあということである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

びっくりする出来事

2016年08月18日 | 修養
 先日、びっくりする出来事があった。

 仕事から帰って、家の片付けをしていた時のことである。

 外の方で、「ドカーン」という何かが爆発したような轟音が響いた。

 すぐ外には、片側一車線の県道がある。40㎞制限の道路なのだが、スピードを出して走っている車も多い。

 交通事故の可能性が高いと感じて、すぐに外に出て辺りを見回した。

 すると、50mも離れていないところで、車同士が正面衝突している。

 車のエンジンルーム付近は、潰れており、運転席も助手席もエアバッグが出ていた。

 すぐに、ドライバーの様子を確認した。

 すると、両車ともに、運転席から歩いて出てきた。

 不幸中の幸い、大けがはなさそうである。しかし、何かあるか分からない。

 大きな声で、

「救急車を呼びますね。」

 と、声をかけた。

 「救急車よんでください。」

 と、運転していたであろう方からも弱々しく声が返ってきた。



 消防署につながり、問われたとおりに答える。

 「火事ですか?事故ですか?」 「あなたのお名前は?」 「車の中に人はいますか?」 「車から煙は出ていませんか?」 「けがの状態は?」  「場所はどこですか?」

 問われたことに次々答える。

 「すでに救急車を2台向かわせております。もうしばらくお待ちください。」とのこと。

 その後すぐに警察署にも電話をした。

 パトカーが来るまでは、地元の人と一緒に交通整理である。

 4~5分で救急車は来たと思うが、長く長く感じた。

 

 救急隊の方がけが人の手当をしている。警察官が10名ほど来て、交通事故の処理をしている。

 その様子を見て、改めて感じた。

 車というのは、危険な乗り物にもなるという事実である。

 安全運転をすれば、こんなに便利な乗り物はない。しかし、少しでも油断をすれば、自分や人の命を奪うことにもなる。

 今回の場合は、スピードがさほど出ていなかったため、大怪我や死者が出ることはなかった。

 しかし、スピードを出していたら、すぐに命を落とすことになる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「X-MEN:アポカリプス」を観た

2016年08月15日 | 映画
 映画「X-MEN:アポカリプス」を観た。

 X-MENシリーズを観てきた人の方が楽しめる。

 前作「フューチャー&パスト」と前々作「ファースト・ジェネレーション」のできが素晴らしかったので、期待して見に行った。(特に、3作の中では「ファースト・ジェネレーション」が素晴らしい。それぞれのキャラクターの性格や生い立ちがよく描かれている。)

 期待は裏切られなかった。おもしろかった。

 これ以上考えられないくらいの強敵に対して、X-menのメンバーが協力して立ち向かっていく物語である。
 
 前々作と比べると、キャラクターの描き方はあっさりしている。だから、見終わったときに残るのは、「すごい映像だったなあ。」くらいだった。

 見て損はしない映画ではある。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

映画「シン・ゴジラ」を観た

2016年08月14日 | 映画
 映画「シン・ゴジラ」を観た。

 面白かった。映画館で観るべき映画だと感じた。大きなスクリーンだと、ゴジラ迫力が違う。

 迫力があることで、ゴジラがいかに脅威となる存在かが伝わってくる。

 映画の内容は、キャッチコピーの通りだった。

 現実(ニッポン) 対 虚構(ゴジラ)

 ゴジラという存在は虚構だが、もし出現したらどうなるかを詳細に描いている。

 役者さんの台詞に、難しい言葉が次々に出てくるのには戸惑ったが、役所や自衛隊の人たちはこう動くかもしれないと本当に思わせる映画だった。
 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

人間力が高まる「中村文昭講演会」

2016年08月11日 | 修養
2016年(平成28年)9月18日に、中村文昭講演会が宮崎で開催される。

 中村文昭氏の話を聞くと、元気になる。「よし、これから頑張ってみようかな。」という気持ちのスイッチが入る。

 中村文昭氏がよく講演で話をする4つの鉄板ルールが次である。

 幸せな人生を生きるための『4つの鉄板ルール』 by中村文昭

1 返事は0.2秒!
 あなたに対してNOはない!素直な心0.2秒の返事で心を掴め!

2 頼まれごとは試されごと!
 人から頼まれたら、試されていると思って相手の予想を上回れ!

3 できない理由は言わない!
 大抵の事はできなかったのではなく やらなかった結果!

4 そのうちと言わず今できることをやる!
 「そのうちやる」は永遠にやらない まず動くこと!


 なぜこのルールで幸せになるのかを、面白エピソードで笑かしながら分かりやすく語ってくれる。

 この機会に是非、生の声を聞いて頂きたい。



 600名定員のところ、現在半分くらいはチケットが売れたとのこと。

 たくさんの方に来ていただいて、元気になってほしいなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

幸せな子供に育てる親の口癖

2016年08月10日 | 家庭教育
 「いい子に育っているなあ」と感じさせられる子の親には、共通する特徴がある。

 それは、口癖というか、言葉の習慣である。

 いろいろあるが、大きな特徴としては、

 「プラスの言葉をたくさん口にする」

 である。

 例えば、

 食事をした一口目

 「うまい!」と呟く。

 例えば、

 親子で一緒に遊んだ後、

 「あ~、おもしろかった。」と呟く。

 例えば、

 仕事から帰ってきての一言、

 「今日も仕事を頑張ったあ。充実した一日やった。」と、しみじみ呟く。

 子供は親の口癖をまねしてしまう。それ以外の口癖を知らないから。

 プラスの言葉を口にする度に、実は口にした本人は幸せを感じることになる。

 逆に、マイナスの言葉を口にしたらどうなるかを考えればよい。

 「まずい!」「「つまらなかった。」「仕事で疲れた。きつかった。」

 口にする度に不幸を味わうことになる。

 簡単なことだけれども、現実には、マイナスの言葉を口にしている大人は多い。

 子供もその通りにまねして育っていく。

 自分も気をつけないといけないなあ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

講師、発表者、報告者になった時の野望

2016年08月09日 | 修養
 30歳を超えてくると、人前で発表をする機会が与えられることがある。

 教員であれば、

「○○大会で、日頃の実践を発表してください。」

 等という依頼が来たりする。

 同じ日に、自分を含め数名の発表者がいることもある。最後には、どこかの大学の偉い先生が講演をすることもある。

 そんなときには、自分は、次のような目標を立てる。

 「最後のどこかの偉い先生の講演を喰ってやる」

 である。

 「喰ってやる」というのは、その先生の講演よりも、自分の発表15分間の方が、聴き手の役に立つような時間にする。という意味である。

 その日のうちで、一番印象に残る発表にする。という意味である。

 気の小さい自分としては、なんとも大胆な目標である。

 ただ、それくらいの目標を立てて臨めば、準備にも力が入る。

 プレッシャーにも負けにくい。

「発表者の中で、聴き手にとって一番価値のある発表ができるように努めよう。」

 これが、人前で発表をしてほしいという依頼があった時の「野望」である。

 (もちろん、その野望が達成されることは難しいです。)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

何のために学ぶのか

2016年08月01日 | 修養
 今日の産経新聞の正論は、考えさせられる内容だった。

 タイトルは、「プログラミング教育の問題点」である。

 筆者は、三木光範氏(同志社大学教授)

 小学校で必修化となったプログラミング教育についての話である。

 プログラミング教育とは、何か?

 プログラミングを教えることである。

 では、プログラミングとは?

 「プログラミングとはコンピューターソフトウェアを使って仕事に必要な計算をさせたり、芸術表現にもなるような作品を作ったりすること」
 
 「プログラミングは論理思考や問題について考え抜く力が必須。そのため子ども達の学力基礎を学ぶためにプログラミング教育を活用していくことで大きな教育価値を生み出すことができる」

そうである。

 このような教育が導入される。



 プログラミング教育に対する三木市の主張は、次である。

 ○ 小学校の必修化には反対

 ○ プログラミングは、大学からでも社会人になってからでも習得できる。

 ○ プログラミング教育の目的である論理的思考などは、従来の算数や理科などの教科で十分に達成可能である。

 ○ 小学校の段階では、仮想現実からではなく、現実世界から経験を通して学ぶ機会を増やした方がよい。物事には、それを学ぶ最も適切な年齢がある。

 ○ ただし、プログラミングを好きになることは否定しない。興味を持った子が深く学べる選択制にするのがよい。
 
 どれもなるほどと思わされる。

 新しく導入される教育内容が増えている。

 教育現場では、やれと言われたことはやるようになっているが、なぜその教育活動をするのか、よさは何か、デメリットは何かなどを実践する者が考えておかないと、振り回されてしまうことになる。

 今朝の新聞で得た学びは貴重だった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする