仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

子供達の満足度を見るための2つの視点

2012年02月29日 | 出産・育児

 最近の子供達は、粗く言うと2つの視点で満足度を見ることができると考えている。

 

 1つは、「愛されているかどうか」である。

 (怖い視点であるが、実際は子供を愛していない大人もいる。)

 

 良く分かるのは、「スキンシップの時間」であろう。抱っこ、おんぶ、お風呂、撫で撫で、などスキンシップを通して伝わる愛情は強い。

 

 たくさん抱っこされた子供は、ふんわりとした柔らかい、暖かい感じの子供になる。(ように見える。これまで何千人以上の子供達を見てきた実感である)

 

 

 もう1つは、「将来を見すえた子育てをされているかどうか」である。

 

 

 子供のいうことを盲目的に信じて、トラブルを起こす大人がいる。いわゆるモンスターペアレントである。愛情はあるのだろうが、短絡的で、子供の将来を見通したビジョンがないまま行動している大人がいる。

 

 そういう親に育てられた子供達を見ても、決して満足しているようには見えない。

 

 常に何か不満を感じて、他人のせいにして生活しているような傾向が見える。

 

 ウーン・・・子供ではなく、親の問題なのだ!ここまで書いて気付いた。

 

 愛情を注がれており、将来を見すえて子育てができている保護者を尊敬する。

 

 優しさと厳しさのバランスが取れた保護者でもある。

 

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「半村良」と「イーデス・ハンソン」が並んでいた

2012年02月28日 | 本と雑誌

 図書館に行って本を探していた。

 

 本は50音順に並んでいる。

 

 国内作家「半村良」の本の隣に「イーデス・ハンソン」があった。

 

 考えてみると、全然50音通りではない。そこだけ違う。

 

 「半村良」・・・外国語のようにファーストネームを先にすると、

 

 

 「良 半村」・・・「良い 半村(ハンソン)」

 

 「良い 半村(ハンソン)」・・・「イー・ハンソン」

 

 「イー・ハンソン」・・・「イーデス・ハンソン」

 

 つまり 「半村良」・・・「イーデス・ハンソン」

 

 図書館司書の方のシャレかな?

 

 ちょっとおもしろかった。

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食事時の幸福

2012年02月27日 | 食育

 今日の夕食は自分が料理担当をした。

 

 メニューは、「豚肉の生姜焼き」「松前漬け」「大根サラダ」「はまだストアーの餃子」+「玄米を1割だけ混ぜたご飯」

 である。

 

 おいしかった。おいしく食事ができて幸せだった。

 

 さらに、食べてくれる家族が「おいしい」と笑顔で食べてくれるのを見て、ますます幸福感が高まった。

 

 料理が得意ではないので、1時間30分位かかった。

 

 しかし、その苦労を吹き飛ばしてくれる家族の笑顔だった。

 

 

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カラ元気で過ごす

2012年02月23日 | 体調管理

 まだ風邪が治らない。走れない。思うように体が動かない。

 

 しかし、それは自分のベストの状態と比較してのことである。

 

 カラ元気で今日も過ごしている。

 

 職場の人は、自分が風邪をひいているとは決して思っていないだろう。

 

 それでいいのだ。

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風邪でパワーダウン

2012年02月22日 | 体調管理

 体が弱ると、心も弱ってくる気がする。

 

 カラ元気で頑張っているが、限界がある。

 

 やはり、体調管理、睡眠確保も仕事のうちである。

 

 先週、今週の過ごし方に少し油断があった。

 

 睡眠を削って仕事をしたのがいけなかった。

 

 それと先週の飲み会かな?

 楽しかったからよかったが、やはり午前様になるのは控えよう。

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毎年楽しみな川柳

2012年02月19日 | 人生観

 毎年楽しみにしている川柳がある。

 

 それが「サラリーマン川柳」である。

 

 

 世相を反映した作品が多い。

 

 家族で読んでみても、反応する作品が違う。

 

 知識の量や世代感覚で反応する作品が全く違ってくる。 

 

 今年の我が家で反応が良かった作品は、

 

 39番の

 AKBに 負けるなパパも 48

 雅号・・・蚊注射

 

 100番の

 EXCELを エグザイルと 読む部長

雅号・・・怪傑もぐり33世

 

 だった。

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仕事の作法6・・・期待以上の結果を目指す

2012年02月18日 | 仕事術

 

 人から仕事を任されることがある。そういう時は、少しでも期待以上の結果を残すことを目指すようにしてきた。

 

 例えば、

 

 学級担任を任されるならば、子供や保護者や管理職からの、期待以上の伸びや満足感を残せるように。

 

 体育や理科の講座の講師として招かれることがある。そういう時は、期待されているレベル以上の内容にする。

 

 学校の実践を紹介するような発表を頼まれたら、普通の発表以上に、聴き手に満足してもらえるように・・・。

 

 もちろん、期待以上の結果が残せるわけではない。ただ、「目指す」ことによって、より積極的に仕事に取り組める。結果として仕事は楽しくできる。

 

 もし、相手が、満足してくれたら、本当にうれしい。

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しびれる言葉

2012年02月17日 | 人生観

 「次郎物語」が好きである。

 

 いまだに読み返す。自分にとっての「古典」になっている物語である。

 

 

 この「次郎物語」の中で、最も好きな場面がある。

 

 それは、次郎の父、俊亮が次の言葉を言う場面である。

「お互に子供だけは、金でごまかせない男らしい人間に育て上げようじゃないか。」

 

 しびれる言葉である。

 

 本日のブログは以上である。

 

 以下は長くなるので、興味のある方だけお読み下さい。

 

 

 

 このお父さん(俊亮)は、お金の価値も理解しているであろう人である。それをふまえた上で吐いている言葉である。

 

 この台詞の前は、次のようになっている。

 

「そこで、実を言うと、俺も最初は、何とか挨拶に色をつけなきゃなるまいと思っていたところだ。が、だんだん話を聞いているうちに、お前の方で、こちらからそうした挨拶をしないと承知しない、とか言っていることがわかったんだ。……いや、それもいい。そういう要求も別に悪いとは言わん。しかし、万一にもそのことが、お前んとこの喜太郎にわかり、それから次郎にもわかったとしたら、いったいどうなるんだ。……ねえ庄八、お互に子供だけは、金でごまかせない男らしい人間に育て上げようじゃないか。」

 

 これだけでは分からないなあ。もう少し付け加えをすると、・・・。

 

 主人公の次郎は、食べようとしていたお握りを、喜太郎(庄八の息子、次郎より2才上、背が高くて腕力有り、父は親分株の男)に砂をかけられて台無しにされた。

 

 その後、次郎は喜太郎に立ち向かっていったが、組み伏せられ、負けそうになった。しかし、口の近くにあった喜太郎の膝小僧に噛みつき、梅干しほどの肉を噛みちぎった。

 

 そのあとの父親同士の会話である。

 

 ウーン、まだ分かりにくい。

 

 前後の文を抜き書きする。 

 

 その日の夕方、次郎は、俊亮と、お民と、お浜の三人が茶の間で話しこんでいるのを、隣の部屋から立ち聴きしていた。

 

俊亮――「それで先生はどう言っているんだね。」
お民――「とにかく、庄八の方に、一刻も早くこちらから挨拶をした方がいい、とおっしゃるんです。」
俊亮――「挨拶には、もうお前が行ったんだろう。」
お民――「ええ、でもほんのおわびだけ……」
俊亮――「それでいいじゃないか。」
お民――「でも、向こうに傷を負わしたんですもの、何とか色をつけませんと、庄八も承知しないでしょう。」
俊亮――「庄八が承知しない? 先生がそう言ったかね。」
お民――「ええ。」
 

 

俊亮――「じゃ、俺はいよいよ不賛成だ。こちらが本当に悪けりゃ、庄八にだって誰にだって、いくらでもあやまるし、場合によっては、金も出さなきゃなるまいさ。しかし、何といっても、喜太郎の方が年上だからね。」
 

 

お浜――「そうですとも、もともと悪いのは、何といっても喜太郎でございますよ。」
お民――「いったい、ほんとうのところはどうなんだい。随分次郎にもきいてみたんだけれど、はっきりしないところがあるんでね。」
お浜――「ええ、……それは、何でも、……お鶴にきくと、喜太郎が坊ちゃんに泥をぶっつけたのが、もとなんだそうでございますよ。」
お民――「だしぬけにかい。」
お浜――「ええ……」
お民――「理由もなしに?」
お浜――「ええ、何でも、校番室で坊ちゃんがお鶴と遊んでおいでのところへ、窓から泥を投げこんだらしゅうございます。」
 次郎は、握飯の話が出るかと思って、ひやひやしていたが、とうとう出なかった。自分もそのことを母に言わないでおいてよかった、と彼は思った。
お民――「校番室なんかで、お鶴と遊ばしたりするからいけないんだよ。」
俊亮――「とにかく、もうすんだことだ。」
お民――「でも庄八は、こちらから相当の挨拶をしなければ、今夜にも自分で出かけて来るとか言ってるそうです。」
俊亮――「来たっていいじゃないか。向こうからも一応は挨拶に来るのが当然だからね。」
お民――「でもそれじゃ、事が面倒ですわ。」
俊亮――「なあに、何でもないよ。俺がよく話してやる。」
お浜――「そりゃ旦那様におっしゃっていただけば、庄さんも納得するとは思いますが、何しろあれほどの傷ですし、やはり坊ちゃんのためには、一応はさっぱりなすった方が……」
 

俊亮――「次郎のためを思うから、俺はそんなことをしたくないんだ。お前たちは、相手の傷のことばかり気にしているが、次郎としては、命がけでやった反抗なんだ。自分よりも強い無法者に対しては、あれより外に手はなかろうじゃないか。あいつの折角の正しい勇気を、金まで出して、台なしにする必要が何処にあるんだ。」
 

 

 俊亮の語気は、いつもに似ず熱していた。次郎には、その意味がよく呑みこめなかった。しかし、自分のしたことを父が悪く思っていないことだけは、はっきりした。
 

お民――「そんなことをおっしゃったんでは、次郎は、この先いよいよ乱暴者になってしまいますわ。」
俊亮――「まさか、俺も、次郎の前でけしかけるようなことは言わんつもりだよ。あいつを闘犬に仕立てるつもりじゃないからな。」
お浜――「まあ。」
お民――「すぐ宅はあれなんだよ。冗談だか本気だかわかりゃしない。」
俊亮――「とにかく心配するなよ。」
お浜――「でも、坊ちゃんは、これから学校に行くのを嫌がりはなさいませんでしょうか。」
俊亮――「馬鹿な! 万一そんなだったら、庄八の家に小僧に出してやるまでさ。」
 お民もお浜もつい吹き出してしまった。しかし、その言葉は、陰で聞いていた次郎の胸には、ぴんと響くものがあった。
 次郎は、そのあと、父から一応の訓戒をうけて、九時ごろ寝た。――訓戒といっても、母のそれとはまるでちがっていた。
 

「正しいと思ったら、どんな強い者にも負けるな。しかし犬みたいに噛みつくのはもうこれからは止せ。」

 これが父の訓戒の要点であった。
 次郎は、庄八がいつやって来るかと、多少気にかかりながらも、寝床にはいると、間もなく眠ってしまった。
 それからどのくらいの時間がたったか、ふと、彼は茶の間から聞えて来る大きな声で目をさました。

 

 


「じゃ、何ですかい、小さい者が大きい者に向かってなら、どんな乱暴をしたって構わんとおっしゃるんですかい。」
「そうじゃないのさ。さっきからあれほど言っているのに、まだ解らんかね。」
「解りませんね。旦那のような学者のおっしゃるこたあ。」
「じゃ訊ねるが、もし次郎が噛みつかなかったとしたら、一体どうなっているんだい。」
「どうもなりゃしませんさ。」
「どうもならんことがあるものか。あいつは年じゅう喜太郎にいじめられ通しということになるだろう。傷がつかない程度にね。……一体、膝坊主を少しばかり噛み切られるのと、一生卑怯者にされるのと、どちらがみじめだか、よく考えてみてくれ。お前も親分と言われるほどの男だ、これぐらいの道理がわからんこともあるまい。」
 庄八は何か答えたらしかったが、急に声が低くなって、次郎にはよく聞き取れなかった。
「そりゃ、梅干ほどの肉がちぎれているとすると、親としては腹も立つだろう。俺も、次郎が犬みたいな真似をしたことを、決していいとは思わん。」
 また犬だ。次郎は口のあたりを手のひらでそっとなでてみた。

 

 「そこで、実を言うと、俺も最初は、何とか挨拶に色をつけなきゃなるまいと思っていたところだ。が、だんだん話を聞いているうちに、お前の方で、こちらからそうした挨拶をしないと承知しない、とか言っていることがわかったんだ。……いや、それもいい。そういう要求も別に悪いとは言わん。しかし、万一にもそのことが、お前んとこの喜太郎にわかり、それから次郎にもわかったとしたら、いったいどうなるんだ。……ねえ庄八、お互に子供だけは、金でごまかせない男らしい人間に育て上げようじゃないか。」
 

 

「いや、よくわかりました。」
「そこでだ、お前に、もし金が要るんだったら、今度のことに絡まないで
、話してくれ。金は金、今度のことは今度のこと、そこをはっきりして、これからもつき合っていこうじゃないか。」
 

「面目

ござい

ません。ついけちな考えを起しまして。」
「わかってくれてありがたい。……おい、お民、酒を一本つけておくれ。」
 

 

 次郎の緊張が急にゆるんだ。そして、明日からの毎日が、これまでよりも、ぐっと力強くなるような気がして、存分に手をのばした。同時に彼は、昨日までの父とはちがった感じのする父を、心に描きはじめた。彼は、親分という言葉の意味をはっきりとは知らなかったが、それが何となく、庄八によりも父にふさわしい言葉のように思えて来たのである。

 最後の文がカッコイイ。 

 

 「親分という言葉の意味をはっきりとは知らなかったが、それが何となく、庄八によりも父にふさわしい言葉のように思えて来たのである。」
 

 

 

 

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自分の耳に飛び込んできた曲(学校編)

2012年02月16日 | 音楽

 最近、自分の耳に飛び込んできた曲は、たくさんある。

 

 その中で、学校関係のものをピックアップすると次の通り。

 

 「OMOIYARIのうた」by藤田恵美

 いい歌です。こういう直球ど真ん中の歌がますます好きなってきました。

 

 

 

 「この地球のどこかで」

この曲は、合唱曲として聴いた。卒業式で歌う曲としてもいいかもしれない。

 

 そして、

「6さいのばらーど」

も楽しませてもらった。

 

 歌っているのは、「君をのせて」を歌っていた井上あずみ氏の娘さん、「ゆーゆ」である。

 

 民放ラジオで初めて聴いたが、面白い。かわいい。

 

 いま、NHK「みんなのうた」でも放映されているそうである。

 

 学級懇談の導入などで聴いてもらいたい。

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「いい子供が育つ」都道府県ランキング

2012年02月15日 | ブログ

 



 昔から、宮崎からはいい子供が育っていると感じていた。



 それがデータでも明らかにされたことがある。(少し古い情報ですみません)



 



 それが、



 「いい子どもが育つ」都道府県ランキング



 



である。



 



 



 



文部科学省「平成19年度全国学力・学習状況調査」の分析による結果である。



 



 分析したのは、岐阜県の共立総合研究所である。



 



 



 よく読むと、宮崎ではいい子供が育っていることが分かる。



 



 トップは宮崎県だった。



 



 



 分析の視点は、学級懇談での話題にもできそうである。



 



 



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授業記録のビデオ撮影はどこからするのがよいか

2012年02月14日 | 教師修業

 自分の授業を録音したり録画したりすることが時々ある。

 自分の指導を振り返ることができる。

 

 その際、ビデオカメラはどこに設置すべきか?

 

 自分は、教室南側、真ん中当たりからとるのがいいと考えていた。

 

 南側からとるのは、逆光防止のためである。

 

 真ん中当たりからとるのは、教師も子供の表情も撮れるからである。 

 

 先日、志水廣先生とその話題になった。

 

 数え切れないほど多くの授業を撮影されている志水先生によると、やはり教室南側、真ん中当たりがよいとのことだった。

 

 もう一つ理由があった。

 

 あまりにも教室の前でとると、「板書が分かりにくい」とのことであった。

 

 志水先生も

「ビデオ撮影は難しいよね。」

 

 と言うことだった。

 

 

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優れた指導者に出会うことで、エレベーターに乗るように高みに行ける

2012年02月13日 | 教師修業

 一昨日は、志水廣先生の算数の講座があった。

 

 いつも思うのだが、自分で努力して力をつけようとするのは、階段を一歩一歩登っていくような感じである。

 それに対して、優れた指導者に教えてもらうのは、エレベーターでグッと引き上げてもらうような感じである。

 

 両方の修行が大事だろうと思う。

 

 時々は、優れた方に出会い、引き上げてもらうのがよい。

 

 特に学びになったのは、志水先生の「優しさ」である。 

 

 自分ならバツをつけそうな場面でも、認めているところである。

 

 私のように「違います。残念。」とは言わない。

 

 「そうだよねえ。」

 と認めてから切り返す。

 

 その優しさが自分には足りない。 

 

 

 

 優しく接しても、結果として、志水先生のやり方で、子供は意欲が高いままゴールに近づいていく。 

 

 「優しく接してもゴールにはたどり着けるのだ。」

 

 自分だけの努力では、階段を登るだけの努力では、こういう気づきを得るまでに、何年もかかるだろう。

 

 講座に参加して本当によかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

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有益な情報を下さる方々

2012年02月12日 | 教師修業

 他校の情報や、自分の学校の状況を把握するのにとても有益な情報を下さる方がいる。

 

 それは、教材を販売して下さる業者の方々である。

 

 「業者の方におたずねする」

 

 というのは、有効だと考えている。 

 

 例えば、

「仕事で回っているこのあたりの地区で、一番子ども達の挨拶がよくできているというのはどこの学校ですか?」

 

「○○小学校はすごいです。どの子も私に挨拶をします。先生方もとても明るく挨拶をしますよ。」

 

 

 

「掃除がきちんと出来ている学校はどこでしょうか。」

 

 もちろん、世間話の中で聞く。いろいろと教えて下さるものである。

 

 例えば、次のような話もした。

 

 「ここらの学校で、一番寒さが厳しい学校はどこでしょうか?」

 

 「やはり、○○小学校ですね。」・・・自分の学校だった。

 

 

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スマートフォンをまだ使っていない理由

2012年02月10日 | 人生観

 スマートフォンを使ってみたいなあと思いつつ、まだ携帯電話を使っている。

 

 いまだにスマートフォンを使わない理由は、

「時間が奪われそうだから」

 

 である。

 

 新しく機械を購入すると、必ず操作方法がなじむまでに時間がかかる。 

 特に情報機器の場合、自分に合った操作ができるまでに時間がかかる。

 

 ただでさえ時間いっぱい働いてる。空いた時間をスマートフォンに捧げるほどの余裕がない。

 

 

 

 

 ゆとりある時間は、自分の仕事に、家族のために使いたいと思う。

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作文に書きたいことは、本当はたくさんあるのだ

2012年02月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 子供に作文指導をするとき、子供が困る場合がある。

 

 困る原因の殆どは、

 

「書くことがない」

 

 である。

 

 実は、それは事実ではない。

 

 作文に書きたいことはたくさんあるはずだ。なぜなら、こちらが少しヒントを与えれば、どんどん書いていくからである。

 

 日常生活の些細な出来事でも、心を動かされるときはとても多い。

 

 なぜ「書くことがない」と感じるのか? 

 

 それは、心動かされたときのことを忘れているからである。 

 

 思い出せば、書きたいことはたくさんあふれてくる。 

 

 大人でもそうである。

 

 本当は、書きたくなるような出来事が日々起こっている。 

 

 ただ、それが書くときに思い出せないだけである。 

 

 書きたいときに思い出せない。だからなかなか書けない。

 

 

 ・・・今の私がそうである。

 

 昼間に

「これを書こう!」

と思っていたのに忘れてしまった。

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