学級担任をしていた頃、2ヶ月に1回くらい、百人一首の大会をしていた。
五色百人一首である。
帰る前に1試合だけしていた。
好きな子供達は、優勝目指して一生懸命覚えてくる。
大会当日、1位争いをしていた子が、決勝戦で負けた。
悔しくて大泣きしていた。
普段はおとなしく控えめな子だが、ぼろ泣きしている。
こちらまで泣きそうになった。
立派だったのは、優勝したこの表彰の時は、ちゃんと拍手をしていたことである。
勝った相手をたたえていた。
でも泣いていた。
その子が、家に帰り着く少し前のタイミングで、家に電話をしたところ、お母さんが出た。
お母さんに次のように言った。
〇〇さんは、百人一首の決勝で、負けてしまいました。
すごく悔しくて泣いていました。
でも、悔し泣きをするくらい、普段から優勝目指してがんばっていたからこその涙だと思います。
素晴らしい悔し泣きでした。
そして、泣きながらも、表彰の時は、自分に勝った〇〇さんに拍手をしていました。
それも素晴らしかったです。
次の大会では、きっと優勝すると思います。
もうすぐ、おうちに〇〇さんが帰ってくると思いますので、ほめていただけると有難いです。」
お母さんは、この電話を大変喜んで下さった。
(2ヶ月後の大会では、この子が優勝した。)
悔し涙の〇〇さんは、先日成人式を迎えた。
20才の同窓会に私は招待されたのだが、その席で、
「先生、覚えていますか? 百人一首大会で負けた後の電話は本当に嬉しかったです。今でも忘れません。」
と本人から聞いた。
担任としては、ちょっとした気遣いのつもりでの行動だったのだが、子供の心にはいつまでも残るものらしい。
ちょっとした行動や言葉に、心を配ろうと思った出来事だった。