「○○(私のこと)は、やればできる。」
と母親から言われて育ってきた。
そのせいか、根拠のない自信が時々出てくる。
何があっても心の底では、「自分は、何か人の役に立てる仕事ができる。」「そんな人生を歩める。」・・・と、ずっと信じてこれた。
(言われると、根が素直なものだから信じてしまうのである。)
逆境のときでも、なぜか踏ん張れたのは、母親の言葉があったからだと思う。
そして、同級生や先輩からも、
「○○(私のこと)は、なんか人と違う。面白いことをしそう。」
「年を取っても、面白いことをしていそう。」
「人生を楽しみそうな人だよね。」
「なんだ、○○って優しいじゃん。」
・・・等々、ほめられたり、励まされたりしたことがある。
そんな言葉というのは、楽しいときも辛いときも自分の心の支えになっている。
そんな生きる支えになる言葉というのは、誰しもあるのではないだろうか。
今、通知票の所見を考えている。教え子の所見である。
自分が励まされたように、私も生きる上での支えになるような言葉を所見に書きたい。
もちろん、そんなすごい言葉を書けるほどの力は無い。
「生きる上での支えとなるような言葉を書く」これは、達成目標ではなく、方向目標である。
と母親から言われて育ってきた。
そのせいか、根拠のない自信が時々出てくる。
何があっても心の底では、「自分は、何か人の役に立てる仕事ができる。」「そんな人生を歩める。」・・・と、ずっと信じてこれた。
(言われると、根が素直なものだから信じてしまうのである。)
逆境のときでも、なぜか踏ん張れたのは、母親の言葉があったからだと思う。
そして、同級生や先輩からも、
「○○(私のこと)は、なんか人と違う。面白いことをしそう。」
「年を取っても、面白いことをしていそう。」
「人生を楽しみそうな人だよね。」
「なんだ、○○って優しいじゃん。」
・・・等々、ほめられたり、励まされたりしたことがある。
そんな言葉というのは、楽しいときも辛いときも自分の心の支えになっている。
そんな生きる支えになる言葉というのは、誰しもあるのではないだろうか。
今、通知票の所見を考えている。教え子の所見である。
自分が励まされたように、私も生きる上での支えになるような言葉を所見に書きたい。
もちろん、そんなすごい言葉を書けるほどの力は無い。
「生きる上での支えとなるような言葉を書く」これは、達成目標ではなく、方向目標である。