仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

教師力を高める手立て・・・「〇〇通信」を出す

2022年05月26日 | 教師修業

 今年はじめて生徒指導主事になった職員から「生徒指導通信」が出された。

 まず、この通信を出すという行為が素晴らしい。

 今は働き方改革でなるべく仕事を減らすという取り組みが行われているが、このような自分の校務分掌に係る通信を出すというのは、必ず勉強になる。

 私が尊敬している野口芳宏先生は、仕事能力の向上に関して、次のように述べている。

 

「経験は意図的に積み重ね、整理を加えなければ力はつかない。」

 

 この通信をまとめ、発行するという行為は、仕事に「整理を加える」ということに繋がる。

 場合によっては、通信に書くために、意図的に仕事を計画する場合もある。

 

 まさに「経験を意図的に積み重ね、整理を加え」ている。

 

 自分を振り返ってみると、授業研究通信を発行して整理を加えてきた。

 主に教育研究サークルに持っていくためにまとめたけれども(そこでも批判されながら鍛えられてきた)

 

 自分の仕事を文字にして残すことは、「整理を加える」ことになるので、力量を高めるには有効だと考えている。

 通信ではなくとも、このようなブログでもいいと思う。

 

 

 

 

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この3点に気をつければ、教育研究論文のレベルは上がる・・・その2

2022年01月27日 | 教師修業

 前回は「この3点に気をつければ、教育研究論文のレベルは上がる」を書いた。

 

 

 論文審査の際に、「講評」としてつけたのが次の文である。

 

 どの論文も、実践記録としては、優れていると思いました。しかし、研究論文ですので、以下の点に留意するとよいのではないかと感じました。

○ 研究主題、副題、研究内容、そして成果と課題までのつながりが明確な論文の評価が高くなります。(その点で惜しいと思われる論文がありました)

 

○ 研究は、教育活動の中から、特定の分野、対象を限定して、工夫を加え、成果を上げる取組ですので、研究主題、副題に使った言葉は、定義づけをする必要が出てくる場合があります。抽象的な言葉を使う場合は、特に必要となります。

 例えば、「主体的に学ぶ」「対話的で深い学び」「生き生きと」「考えを深め」などの言葉を使う際には、本研究ではどのような姿になることを目指すのかという定義づけをすることで、より一貫性のある、成果が明確になる研究論文になると考えます。

 

○ 研究の成果は、なるべく数値化して示すことにより、より説得力のある研究論文になります。数値化できない場合は、児童の変容が伝わるような資料やデータを示すことで、成果が具体的に伝わります。

 

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この3点に気をつければ、教育研究論文のレベルは上がる

2022年01月26日 | 教師修業

 以前、教育研究論文の審査をしたことがある。

 その際に学んだのは、実践記録との違いである。

 教育研究論文であるならば、気をつけるべき点がある。

 大きく言って次の3点ではないだろうか。

 

1 整合性

 研究主題、副題、研究内容、そして成果と課題までのつながりが明確な論文であること。「論文」であるため、主題から成果までの整合性が取れている必要がある。

 

2 定義づけ

 研究論文は、教育活動の一部分を切り取ってテーマを設定し、実践し、成果を明らかにする取組である。

 テーマを明らかにし、そのために何を工夫し、どのように実践し、どのような成果があったのかを具体的に述べなければならない。

 そのためには、曖昧な記述は避けるべきである。曖昧な記述をしていると、論がぼやける。

 特に、抽象的な言葉を主題に入れている場合は、定義づけをする必要がある。

 「主体的に取り組む」であれば、どのような姿が「主体的に取り組む」姿であるかを定義づけする必要がある。

 

3 成果の客観性

 取り組んだ成果が曖昧な論文が結構ある。どんな成果があったのかがぼやけている論文は、評価もぼやける。

 はっきり言って、評価のしようがない。

 成果は客観的に数字で記述する。または、児童の書いたものや行動などで、どんな変容があったのかを、読む者にわかりやすく訴える必要がある。

 

 以上を受けて、審査の際の講評として付け加えたのが、次の文章である。

 

 ・・・以下は次回のブログに続く。

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伝えておきたい指導のポイント・・・言葉を削る(「思います」の禁止)

2021年10月29日 | 教師修業
 昨日は、「伝えておきたい指導のポイント・・・話すときの立ち位置」を書いた。

 授業者の言葉だけでなく、会議の司会進行をしている人の言葉を切っていても、気になる言葉がある。

 それは、語尾の「~思います」である。

 一般の人が話すのはいいかもしれない。

 ただ、授業をしている人が話していると、違和感がある。

 (正直、ここまで書いたらきっと反発があるだろうと覚悟して書く。)

 語尾に「~思います」とつける人の授業は、大方はテンポが良いとは思えない。

 悪いわけではないかもしれない。

 しかし、良くはないことが予想される。

 授業者は、自分の言葉を極力削るように努力している。

 一つの言葉を削ることにより、ほんの少しテンポは良くなる。

 ほんの少しだけれども、テンポを良くするために、授業者は言葉を削る努力をする。

 テンポがいいなあと感じさせる授業では、無駄な言葉がない。

 授業の名人と言われる向山洋一氏、野口芳宏氏の授業録音を聞くと、無駄な言葉がない。

 全て必然性のある言葉で授業が作られている。

 教師修行においては、意味のない言葉は削るようにする。

 その言葉を削る努力のはじめに行うのが、語尾につける「~思います。」を言わないことである。

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伝えておきたい指導のポイント・・・話すときの立ち位置

2021年10月28日 | 教師修業
 若い教師にもぜひ伝えておきたい指導のポイントがある。

 思いついたときに書いておきたい。

 その一つ目は、次である。

 「太陽を背にして話さない」

 屋外で子供たちに向かって話をする場合がある。

 その際のポイントである。

 自分の背中側に太陽があると、子供たちは、まぶしい。

 教師を見て話を聞くことができなくなる。

 結局話がうまく伝わらない。

 伝えようという意識が強い人、聞き手の立場に立って話ができる人は、太陽を背にして話をしない。

 聞き手がまぶしそうな表情をしていることに気づき、すぐに教師の立ち位置を変えるはずである。
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若手を見て、「おっ、この人は伸びる!」と思えるのは、こんな人である

2021年07月15日 | 教師修業
 若手を見て、「おっ、この人は伸びる!」と思える場面がある。

 それは、「引き受ける」姿勢を見せたときである。

 例えば、教員ならば「研究授業を誰かがしないといけない」という時に、

 「私でよければやります。」

 と手を挙げる若手を見たときである。

 こういう若手は伸びる。

 また、何かの研究発表をしないといけないとき、誰かに「発表者になってくれないか?」と頼まれたとする。

 そういうときに、勇気を出して引き受ける人は伸びる。

 研究授業をするにしても、発表をするにしても、大変な勉強をしなければならない。

 ある意味、「余計な仕事」である。

 しかし、その勉強が自分の指導力を伸ばす。必ず伸ばす。

 働き改革があるからと言って、若いうちから研究授業や発表を拒んでいる人は、伸びない。

 結局のところ授業が面白くなくなっていくだろう。

 若いうちの研究授業や発表を拒み、指導力を伸ばせず、つまらなそうに仕事をするようになった人をたくさん見てきた。

 若いうちは「引き受ける」機会が多い人が伸びていく。



 「えっ?自分には力が無いので、そんな仕事はとてもできません。」という人もいる。

 それは間違いである。

 頼む方は、できない人には頼まない。

 できると思っているから頼むのである。

 その仕事をすることで、その若手は更に伸びるだろうと思って頼んでいる。

 それを断るのはもったいない。

 頼まれて引き受けた場合、周りのベテランは、必ずその人のバックアップをしてくれる。

 その若手は、更に伸びる。(バックアップをしてくれないようなベテランや組織には問題がある)

 「おっ、この人は伸びる!」と思わせるのは、「引き受ける」姿勢を見せる人である。
 
 修行期間にいる若い人は、勇気を持って引き受け、指導力を高め、経験を増やしてほしい。

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報告・連絡・相談がヘタな人の特徴はこれです。・・・ラベリングをしていない。

2021年03月04日 | 教師修業
 報告・連絡・相談、いわゆる「報・連・相」がヘタな人がいる。

 一番下手なのは、「報・連・相」をしない人であろう。

 これは論外である。


「報・連・相」をするのだけれども、ヘタな人がいる。

 それは、「話が長い」のである。

 説明文で言えば、「序論、本論、結論」のうち、本論を長々と話す。

 本論だけを聴かされる聴き手は、どんな内容なのかを考えながら聞かなければならない。



 少しましな人になると、結論を先に言う。

 結論を言ってから本論を話す。

 少しは話が短くなる。



 ただ、これだけでは足りない。

 

 「報・連・相」が上手な人は、「ラベリング」を使う。

 まずはじめに、何について話すのかというタイトルを告げるのである。
 
「明日の卒業式練習について連絡があります。」と言えば、

 聴き手は、「連絡ね」「聴くだけでいいんですね。何ですか?」となる。


 これが、
「明日の卒業式練習について提案があります。」と言えば、

 聴き手は、「提案?」「A案とB案を比べるのかな?」

 「聴いてOKかNGを出せばいいのかな?」と、考えながら聞くことになる。



 話し始める際に、報告か連絡か、相談か、それとも提案かを伝えるようにする。

 このように、ラベリングを使ってから話し始めることで、聴き手は心構えができる。

 そのあとで、結論を言う。

 さらに短く補足説明をする。

 補足説明というのは、「本論」の要点である。

 最後に、「ご不明な点や質問はがありますか?」と尋ねれば良い。




 「報・連・相」が上手な人は、次のような順に話す。

 1 ○○について「報告」があります。(タイトルを告げる)

 2 ○○は○○です。(結論を短く言う。)

 3 (結論についての補足説明をする)


 この順番で話してもらえると、聴き手はとても聞きやすい。
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教員としての仕事を楽しめる人と 楽しめない人の違いは この1点

2021年03月03日 | 教師修業
 先日、元同僚の算数科の授業を見る機会があった。

 実に楽しそうである。

 面積の導入の時間だったが、2つの四角形の広さを比べる学習だった。

 問題を提示したあと、子供達それぞれの意見を受け止め、授業を進めている。
 
 子供の反応を楽しんでいる。

 見ているこちらも楽しくなる授業だった。

 授業後に話をしたが、

 「授業をするのが面白いです。」

 「教員の仕事を楽しんでいます。」

 と、嬉しそうに話してくれた。



 教員の世界はこういう人ばかりではない。

 逆の立場の人もいるだろう。

 いや、逆の立場の方が多いかもしれない。

 


 何が2つに分けるのか?

 一番大きな要因は、「学んできたかどうか」だと考えている。

 学ぶとは、本を読むことである。優れた実践家の授業を見たり、話を聞いたりすることである。

 自分の授業を他人に見てもらい、アドバイスをもらうことである。

 自分の実践を記録にまとめることである。



 もちろん、学んでいても授業がうまくいかない時や学級がうまくいかない時はある。

 それでも、安定して仕事を楽しんでいる人は、学んでいる人である。

 授業を楽しんでいる先生は、やはり若い頃も今も学び続けている。

 ここで思い出すのが、鍵山秀三郎氏の言葉である。

 「骨惜しみをすると心が荒む」

 「骨惜しみをすると、手抜きをするようになります。手抜きをすると、愛着が湧かず心が荒みます。」


 教員としての学びを怠り、骨惜しみをすると、教員としての仕事に対しても愛着が湧かなくなるだろう。  



 「働き方改革を進めよ」という声が上がっている。

 自分の勤務校でも推進している。

 しかし、間違ってはいけないのは、働き方改革とは「無駄な仕事をしない」「本来学校がすべきでない仕事をしない」と言うことである。

 教員としての学びは決しておろそかにしてはいけないと考えている。

 そうしないと、教員としての楽しさ、喜びは味わえないだろう。
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チョークの持ち方は「鉛筆握り」ではない。

2020年12月11日 | 教師修業
 授業を見ていると、時々気になることがある。

 それは、教師のチョークの持ち方である。

 鉛筆握りはダメである。

 チョークにうまく力が伝えられない上に、嫌な音がしやすい。

 そう、あの「キーッ」という黒板をひっかくような音である。

 正しくは、親指の腹と中指の横側で挟み、人差し指の腹でチョークの先を押さえるようにして書く。

 と言っても、文字だけでは伝わらないなあ・・・。

 「チョークの持ち方」という言葉で検索してほしい。

 お手本になる画像やダメな画像がすぐに見つかるはずだ。
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「何で先生の仕事を選んだのですか?」と聞かれたときの答え

2020年12月09日 | 教師修業
 小学校の教員をしていると、何で先生の仕事を選んだのですか?と(ごくたまに)聞かれることがある。

 昔は、はっきりとは言えなかったが、最近は言えるようになった。

 何のために教員を選んだのか(教員をしているか)。

 一言で言うと、「幸せな人生を歩む力を育てる」ためである。

 自分が関われる子供達には、幸せになってほしい。

 たくさんの子供や大人を見てきたが、ほぼすべての人は、結局幸せになりたがっている。

 たくさんの保護者を見てきたが、結局何を望んでいるかというと、「我が子の幸せ」である。

 テストの結果や入試は、あくまでも手段である。

 では、どういう人が幸せになるのか、それは、

 望ましい生活習慣と基礎的な学力、そして基礎体力をつけた人である。

 望ましい生活習慣を具体的に言えば、挨拶と返事、早寝早起きである。

 基礎的な学力とは、読み書き計算と友達と学び合う力である。

 基礎体力は、体育の授業を楽しむことと立腰の姿勢を身に付けることである。

 そして、これらを身に付けることで、「やればできる」という自己肯定感も味わえる。



 小学校段階では、これらの知徳体の基礎を身に付けさせたい。 


 あとは、これらの知徳体の力を、利己(自分を利する)ためだけではなく、利他(他人を利する)ためにも使えるよう心がける。

 このような人が成長したら、きっと幸せな人生を歩めると信じている。

 

 「幸せな人生を歩める力を持った人を増やす」

 これが、何のために教員を選んだのか(教員をしているか)という問いに対する自分の答えである。

 (まじめに答えすぎたかなあ)
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キャリア教育とは何か・・・難しい用語を調べてみるシリーズ

2020年11月28日 | 教師修業
  キャリア教育とは、次のように定義されている。

 一人一人の社会的・職業的自立に向け,必要な基盤となる能力や態度を育てることを通して,キャリア発達を促す教育
(中央教育審議会「今後の学校におけるキャリア教育・職業教育の在り方について(答申)」(平成 23 年1月 31 日))

 ウーン、難しい。



このキャリア教育で育てようとするのは「基礎的・汎用的能力」である。

 「基礎的・汎用的能力」は、4つの能力に分かれている。

 「人間関係形成・社会形成能力」
 「自己理解・自己管理能力」
 「課題対応能力」
 「キャリアプランニング能力」

この4つの能力を、教科や道徳、特別活動の枠を超えて育てていこうとする取組である。

 「枠を超えて」という意味では、カリキュラムマネジメントも同じ考えである。


 4つの能力は、すべての教育活動と結びつけて育てることで効果が高まる。

 

 この4つの能力の中で、「キャリアプランニング能力」に関していえば、勤務校では次のようなことをしているなあ。


1 「キャリアパスポート」を導入して、目標設定や自分の学習の振り返りができるようにしている。

 ※ 「キャリアパスポート」は、目標設定と振り返り、学びの記録ができる資料である。


2 授業には、地域にいる専門家を外部指導者として招くように指導計画に設定している。


3 招いた外部指導者には、自分の仕事に対する誇りや喜び、を語ってもらうようにしている。
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働き方改革に関する不備・・・若手の仕事時間を奪ってはいけない

2020年10月16日 | 教師修業
 教育界でも働き方改革が進みつつある。

 働きやすい職場になることは大賛成である。

 効率的に働き、余暇の時間が増えるのは、教員が豊かな人生を送る上で大切だ。

 若手の教員希望者も増える。

 ただ、今の働き方改革には不備がある。

 それは、一律に労働時間を減らそうとしている点である。

 特に、若手の教員である。

 若手の教員の中で、「仕事をしたい。」「もっと教材研究や授業の準備をしたい。」という教員がいる。

 授業の面白さが分かりはじめ、学級経営にも力を入れたいという教員がいる。

 そういう教員でも、「45時間以上残業をしてはいけない。」「80時間以上などもってのほか」というように、制限している。


 仕事を覚え始めて、「もっと仕事をしたい」という若手教員の労働時間まで奪ってはいけない。(もちろん、「仕事をしたくない」という若手に無理をさせてはいけない)

 どんな仕事でも、腕が飛躍的に上がる時期がある。

 修行の時期というのがある。

 この時期を逃すと、上達は望めない。

 どの職業でも、レベルの高い仕事をしている人は、若い頃に、かなりの時間を仕事にあてている。

 例えば、次のような修行である。

 毎朝市場に足を運んで魚の旬や値段の変化などをノートに書き込み勉強し、週1回の休みの日は自費で魚を買っておろす練習を繰り返しました。

 さらに時間がある日は首都圏の名店と呼ばれる料理屋を食べ歩き、味の研究を重ねたのです。

 月刊「致知」令和2(2020)年11月号より


 これは、熟成鮨でミシュラン二つ星の店、すし㐂邑店主の木村康司氏の若い頃である。 
  
 若い頃に修行をしたからこそ、レベルの高い仕事ができ、大きなやり甲斐を持てる仕事ができるようになる。

 若い頃に学びたい、仕事をしたいという人の時間まで奪ってはいけない。
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転勤初日の挨拶

2020年04月02日 | 教師修業
 転勤初日に挨拶をする。

 10分もない時間の中で、15名くらいが挨拶をする。

 短い時間の中で、転勤先の職員の方々に挨拶する時間は少ない。

 今回は一人あたり15秒くらいが妥当だろうか。



 自己紹介というのは、相手にとって自分がどんなことができるかを伝える行動であると考えている。

 15秒でどんなアピールができるだろうか。

 平凡だが、次のような自己紹介をした。



 ○○小学校からきました、○○○○と申します。

 教頭職は、5年目となりました。

 子供達や先生方、保護者や地域の方々のお役に立てるよう精一杯頑張ります。

 よろしくお願いいたします。
 

 ウーン、やっぱり平凡だなあ。

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20代の修行期間の仕事はきついけれども、意味はある

2020年04月02日 | 教師修業
 朝、ネクタイを着けながら、ふと思い出した。

 そういえば、教職の仕事に就いてからの5年間くらいは、ネクタイを締める作業をしたことがなかった。

ネクタイを締めるのは買った後の1回だけ、あとは、ほどけないほどにゆるめて外し、ネクタイ掛けに掛けておく。

 次にネクタイを着けるときは、すぐに着けられる。

  なぜかというと、もったいなかったからである。時間が。

 あの頃は、風呂に浸かるという習慣もなかった気がする。殆どシャワーを浴びて、体を洗っておしまいである。

 ゆっくり湯船に浸かってリラックスする時間が、もったいなかった。(だから疲れがとれずに、よく風邪をひいていたのだろう)


 20代前半の頃は、睡眠時間を削ってトレーニングをしていた。

 その頃はトライアスロンをしていたので、5キロくらい走ってプールに行き、1500m泳いで、また走って家まで帰るような生活をしていた。


 帰ったら翌日の仕事の準備である。授業の準備をして、気がついたらもう夜中だった。

 そういえば、月に1回行く床屋さんで、寝なかった記憶が無い。

 どんな髪型にしてほしいかを伝えたら、すぐに寝ていた。



 今ではできない毎日を送っていた。

 トレーニングも仕事の準備も一生懸命にしていた。つたない仕事だったけれども、熱意はあった。

 熱意を持って過ごした20代の修行期間があったからこそ、今の50代の仕事は楽しめるのだろうと思う。

 20代の修行期間の仕事はきつかったけれども、意味はあったと思える。
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職員との離任式での挨拶文

2020年04月01日 | 教師修業
 転勤で職場を離れる場合、お世話になった職員の方々にも挨拶をする機会がある。

 職員との離任式がある。

 平凡だが、次のように挨拶をした。

 

 ○年前に、この職員室に入ったときは、とても緊張していました。

 ○○先生が、すぐに温かいコーヒーを入れてくださったのが、ついこの前のことのように思えます。

 あのコーヒーで、とてもリラックスできたのを覚えています。

 
 職員室に入ったときに、驚いたのが、その狭さです。

 先生方が30人近くいるのに、職員室は、普通教室よりも少し広いくらいです。

 通路を移動するときは、その狭さのために、しばしばカニ歩きのようなことをしなければなりません。

 転勤することになって、そのカニ歩きをしなくてすむと思うと、うれしいような・・・さびしいような・・・

 ・・・やっぱり嬉しいです(笑)

 
 そのように環境的には恵まれていないかもしれませんが、

 先生方は、いつも子供達のために少しでもいい指導をしようとして一生懸命でした。

 その熱意を持って指導に当たる姿は、いつも素晴らしいと思っていました。


 例えば、よりよい授業をしようとして活用されたのが、外部指導者(ゲストティーチャー)です。

 そのゲストティーチャーをお呼びした回数などは、市内でもトップだったと思います。

 そして、そのゲストティーチャーの方々も、子供達に良い指導ができたと言って喜んでくださいました。

 ゲストティーチャーの方々が、口を揃えて言っていたのが、

 「先生達の挨拶が気持ちよい」「良く挨拶をしてくださる」「温かく迎えてくださる」

 という言葉でした。

 
 子供達の挨拶が良くなってきた」と、地域の方々から言われるようになりました。

 それは、きっと先生方の挨拶の影響を受けていると思います。


 
 この○○小学校の一員として○年間過ごせたことは、私にとっても素晴らしい経験でした。

 本当に有り難うございました。
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