仕事の道楽化

 仕事が道楽になることを目指しています。

本日の渓流釣りの釣果はこの魚・・・何と言う魚?

2021年06月30日 | ブログ
 本日の釣果はこの魚

 体長は30センチくらい、強烈な引きだった。



 釣ったのは、魚の形をした「ミノー」と回転するブレードの「スピナー」が合体したようなルアーである。



 「ヤマメだったら、かなり大物だなあ」と思いながらあげてみたのが、上の魚。

 残念ながらヤマメではなかった。

 はて?何と言う魚だろう?

 調べてみると、どうやら「ウグイ」らしい。

 ネット情報では、あまり「おいしい」とは言われてないようだ。

 せっかく釣り上げた魚である。

 ちゃんと食べてみたいと思った。

 

 結論、おいしかった。

 ヤマメよりも、少しぱさついていて、小骨が多いのが難点だが、十分おいしかった。

 きれいな川に住んでいたので、きっと魚臭さも無かったのだろう。

 食べてみて思ったのだが、この「ウグイ」という魚は、役よりもフライの方がおいしい気がする。

 その方がぱさつきをカバーできるだろうから。
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「手の治癒力に学ぶ」を読んでいたら「8秒間の抱きしめ」を思い出した

2021年06月29日 | 本と雑誌
 昨日は、「手の治癒力に学ぶ」について書いた。

 書いていて思い出したのだが、以前学級通信で「8秒間の抱きしめ」について書いたことがある。

 抱きしめること、触れ合うことの大切さについて書いた文である。

 

以下に紹介します。

 

8秒間の抱きしめ

あるお母さんから、次のような話を聞きました。



 私は、仕事でつらいことがあると、家に帰って我が子をギュッと抱きしめるのです。とても安らぎます。張りつめていた気持ちがフッと軽くなるのです。



 それ以来、私も毎日のように娘(小3)を抱きしめることにしています。確かに、とても安らぐのです。子どもから、パワーをもらったような感じがします。

 子どもを抱きしめるというのは、何も親だけにメリットがあるわけではないようです。子ども自身にとっても、良い影響があるそうです。



 七田眞氏は「赤ちゃんは天才!」という本の中で、次のように述べています。



子どもが頼んだことをしてくれたら、子どもを強く抱きしめ、次のようにささやいてあげましょう。

「ママを助けてくれてありがとう。ママは大助かりだわ。ママは、こんなに優しくて、素直で明るい子が大好きよ。」

そっと、優しく抱くのではだめです。ギューとです。そして、8秒間という時間を守ってください。

 これをすると子どもの心に、いっぺんに母親の愛情が伝わり、とたんに反抗的でなくなり、素直で明るい子に変わります。

 すると困った問題が全て解決してしまいます。子どもが明るく素直になり、「もっとお手伝いをする」と言います。

 ママに感謝されることを喜び、もっとママの喜ぶことをしようというやる気を育てるのです。

 8秒間の強い抱きしめで、子どものやる気、自立心が見事に育ちます。

下の子へのいじわる、友達へのいじわる、母親への反抗、やる気のなさ、おねしょや指しゃぶり等、困った問題がいっぺんに解決されて、自分が子どもの心を満たしてやらなかったことに気づかされます。

「赤ちゃんは天才!」七田眞 著(KKベストセラーズ)より





小学○年生というのは、親離れをしつつある年齢です。

「8秒間の抱きしめ」ができるかどうか分かりませんが、最後の時期かもしれません。(私は娘が大きくなっても、抱きしめようと思っています。)

 ただ抱きしめるだけでもいいと思います。きっと親子ともに生きる元気がわいてくるのではないでしょうか。





 今思えば、我が子を抱きしめながら、「幸福ホルモン」と呼ばれる「オキシトシン」が出ていたのだろうなあ。

 懐かしい。
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「手の治癒力」に学ぶ

2021年06月28日 | 本と雑誌
手の治癒力」を読んでいる。

 著者は、桜美林大学教授の山口創氏。

 手を当てたり、ハグをしたりすることで、癒やす効果があるそうだ。

 ふれあうことで、「絆ホルモン」とか「幸福ホルモン」と呼ばれる「オキシトシン」が分泌される。

 人と触れ合うことで、癒やし会うことかがある。

 親子でも触れ合うことが重要だそうな。



 逆に、触れ合うことが無かった場合、恐ろしいことが起きる。

 次のように述べている。


 触れない子育ての弊害

  13世紀のことだ。当時、人間は本能的に言葉をしゃべるものだと信じられていた。

 神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ2世(在位1220〜50)はその言語は何かを確かめるため、ある実験を行った。

 彼は50人の赤ちゃんと乳母たちを集め命令をした。

「赤ちゃんにおっぱいを飲ませ、おむつを換え、お風呂に入れ、寝かせなさい。ただし、一言も話しかけてはならない。抱いて可愛がることも禁じる」

  この実験の結果は、予想外のものだった。

 50人全員が、1歳の誕生日を迎えることなく亡くなったという。

 十分な栄養、清潔が保たれていたにもかかわらず、赤ちゃんは全員死んでしまったのだ。


 著者は、原因を次のように述べている。

 スキンシップが無いことのストレスによって成長ホルモンの分泌が止まってしまったことが大きな原因だったのだ。



 以前勤務していた学校では、「抱きしめる」という宿題が出ていた。

 1週間、全校児童が親から抱きしめてもらうという宿題である。(事情があってできない場合は、肩たたきでも可)

 子供からも親からも好評だった。

 この1週間は、その学校の親子には「オキシトシン」がたくさん出ていただろうなあ。
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海釣りの後は、「海の幸」を楽しむ。

2021年06月27日 | ブログ
 前回は、「宮崎県は、海での釣りも楽しめます。」を書いた。

 楽しめるのは、釣りだけではない。

 その後の食事もおいしい。

 この日釣れたのは、ハガツオ1、サバ1、アヤメカサゴ1、カイワリ(エバ)1と、かなり渋い釣果だった。

 しかし、これくらいの料理は楽しめる。(すべて自分で作りました!!)

 

 左奥は、ハガツオの刺身、右上はハガツオの刺身の炙り(皮目がうまいと聞いたので)。

 左側は、ハガツオの腹身の部分の焼き、右下は、アヤメカサゴの味噌汁(豆腐入り)、

 ご飯は、玄米ご飯





 左は、ハガツオの骨身に残った実をスプーンでこそげ取ったもの(結構取れます。)

 これをネギや大葉とあえて食べる。

 右は、 サバの刺身。新鮮なサバの刺身を食べられるのは釣り人の特権だろう。(アニサキスチェックもしました)

 あと、カイワリとアヤメカサゴの刺身も少し。

 家族が「おいしい」と言ってくれるのも嬉しい。
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宮崎県は、海での釣りも楽しめます。

2021年06月26日 | ブログ
 昨日は「人生初のヤマメ釣り」を書いた。

 宮崎県には、渓流釣りができる川がたくさんあると書いたが、海での釣りも盛んである。〈自分は、船での海つりをよく楽しんでいる〉。

 船に乗ってポイントまで向かう。



 ルアーで狙う。〈えさなし〉



 ハガツオが釣れました。



 こんな調子で、宮崎では、海での釣りも楽しめます。

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人生初のヤマメ釣り

2021年06月25日 | ブログ
 宮崎県には、渓流釣りができる川がたくさんある。

 ヤマメを狙って、近くの川に出かけた。

 のべ竿に毛針をつけて、流れが緩やかになっている深みにたらすと・・・。

 すぐにヒット。

 人生で初のヤマメをゲット。



 あまりにもすぐに釣れたので、こちらがびっくりした。

 1時間弱で3回のあたり。

 2匹をゲット。



 おいしくいただきました。

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とりとめのない話・・・子供のネット、SNS視聴時間を制限するには

2021年06月24日 | ブログ
 昨日は、「携帯、スマホは時間泥棒」というブログを書いた。

 なんとなく携帯を触っていると、あっという間に10分や20分は過ぎ去ってしまう。

 その「時間がもったいなかった」という後悔を何回も味わっているので、書いた。

 そんな後悔をしないための方法は、「携帯を触らない時間を意図的に作る」である。

 

 昨日は、書きながら思ったのだが、

 「やりたいこと、やるべき事がある人」に限定される後悔なのではないだろうか。

 特にやりたいことが無い人にとっては、携帯に時間を費やそうが、それは楽しいことなので、後悔はしないだろう。

 自分は、「やりたいこと、やるべき事」があるので、携帯の触りすぎは後悔につながる。

 

 携帯を触る以上に、もっと「やりたいと思うこと」がある自分は幸せなのかもしれない。



 ネットやSNSの視聴時間が長いことが、今の子供達の成長にとって害があるというようなことが言われている。

 結局、携帯以上に価値のあることを見いだせば、子供達も視聴時間が長くなることは無いのだろうなあ。



 以上、とりとめのない話でした。

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携帯、スマホは時間泥棒

2021年06月23日 | ブログ
 朝と寝る前1時間は、極力iPhone(携帯電話)を見ないことにしている。

 それ以外の時間も、あまり見ないことにしている。
 
 なぜか?
 
 それは、「時間泥棒」だからである。

朝起きたら、天気予報はチェックする。

 天気と気温をチェックする。

 その後は、携帯を置きっぱなしにして、触らないようにしている。

 もし、そのまま手に取っていたら、きっとほかのサイトやSNSのチェックをし始める。

 そうなったら、あっという間に時間がたってしまう。

 10分や20分などはあっという間である。

 置きっぱなしにするようになってから、朝晩の時間に余裕ができるようになった。

 これからも、携帯電話を触り始めたら、「時間が奪われる」という意識で付き合いたい。

 これを読んでいるみなさんも、携帯でネットやSNSを見て、時間をつぶしてしまい、「時間がもったいなかった!」という後悔をしたことがありませんか?

 私はよくあります。

 自分に言い聞かせるつもりで書いてます。
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管理職を薦めるメリット

2021年06月22日 | 学校経営
 昨日は、「管理職を薦める理由」というブログを書いた。

 そのほかにも、「管理職を薦めることのメリット」「こんな人には声はかけない」という考えも記しておきたい。

 「管理職を薦めることのメリット」は、人材育成である。

 声をかけるような人であれば、管理職の仕事が気になるようになる。

 管理職の仕事に注目するようになる。

 例えば、次である。

○ 教頭はどんな仕事をしているのか?

○ 教頭の今の発言の真意は何か?

○ 職員会議の司会や進行をどのように進めているか。

 場合によっては、校長の動きも気にするようになるだろう。


 このような視点で管理職の仕事を見ることができるようになることが、人材育成につながる。

 このような視点で仕事をするようになると、1学級担任という視点だけでは無く、管理職の視点ももてるようになる。

 学校全体を見た上で、自分の学年や学級の教育も考えることができるようになってくる。

 当然、学級担任としての仕事もレベルアップしてくる。
  



 そして、「こんな人には声はかけない」というのは、

 「学級担任の仕事を楽しんでいない人、意欲や能力に課題があり、改善しようとしていない人」である。

 また、逆に、「学級担任としての仕事を十分に楽しんでおり、職人気質を持って働いている人」である。

 いわゆるスペシャリストで、学級担任の仕事を極めて行くことに情熱を注いでいる人である。

 そういう人には、指導教諭やスーパーティーチャーの道を勧めることにしている。
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管理職を薦める理由

2021年06月21日 | 学校経営
 「この人は、ぜひ管理職になってほしい」

 「学校のリーダーとなって、今後活躍してほしい」

 そんな人が、どこの学校にもいるものだ。

 最近、そんな人(中堅の先生)に声をかけた。

 「今後、管理職試験を受けてみませんか?」

 すると、翌日、こんな答えが返ってきた。

 「昨日、言われて嬉しかったです。でも、どうして、管理職を薦められたのでしょうか?」

 それについて、答えたのが、次である。


 「それは、あなたが管理職として十分働ける力があるし、管理職の楽しさも味わえる方だと考えているからですよ。」

 そうなのだ。管理職として働けるであろう能力と意欲がある人にしか、声はかけない。

 教頭や校長というのは、教諭とは違った仕事をする。

 学級経営では無くて、学校経営である。

 人・金・物・人材・時間をマネジメントして、学校教育がうまくできるようにする仕事をすることになる。

 見える世界が違ってくる。交流する人の範囲も違ってくる。

 管理職でないと味わえない楽しさややり甲斐もあるのだ。


 能力と意欲がある人には、その楽しさややり甲斐も味わってほしい。

 そんなことを伝えた。


 じつは、人材育成を考える上で、「勧めることのメリット」がある。

 また、「こんな人には声はかけない」という自分の考えもある。

 長くなったので、明日のブログに続きます。

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「教え子みな吾が師なり」・・・徳永康起先生

2021年06月20日 | 修養
 「教え子みな吾が師なり」

 これは徳永康起先生が書かれた本の名前である。

 自分も「教え子みな吾が師」と思うときがある。

 特に、「うまくいかない」と思っている子に出会ったときほど思う。
  
 例えば、「跳び箱(開脚跳び)ができない」という子に出会ったとき、その子は自分にとって「師」となる。

 どうすればその子が跳べるようになるかを一生懸命に考える。

 試行錯誤してできるようになる方法を試す。

 そうすると、できるようになる。

 この一連の過程で、教師は様々な学びを得ることができる。

 その体験は、教師にとってかけがえのない学びとなる。

 そういう意味で、「教え子みな吾が師」と、自分も思う。

 
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「スパイスカレー」・・・イカとホウレン草の組み合わせも旨い

2021年06月19日 | 食・レシピ
 以前、カレーライスに関する次のブログを書いた。

  「スパイスカレー」なるものを作ってみたい・・・揃えるスパイスは3つだけ?

 「スパイスカレー」・・・確かに簡単でうまい

 今日はその続き

 カレーの素になる「グレイビー」があれば、いろいろな具材で楽しめる。


 今日は、イカとホウレン草



 これはおいしい組み合わせだと感じた。(香りから)

 食べてみると、確かにうまい。

 


 奥にあるのは、新生姜の甘酢漬け。これが、カレーにもよく合う。

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月刊誌「致知」7月号からの学び・・・滝田氏の瞑想体験に学ぶ

2021年06月18日 | 修養

本日も、昨日に続いて月刊誌「致知」7月号(特集テーマは「一灯破闇」)からの学びを書くことにする。

 自分は、最近「マインドフルネス」に毎朝取り組んでいる。

 これは、日本流に言えば、「瞑想」ということになるだろう。

 そんな自分が気になったのが、俳優であり、仏道修行や仏像彫刻にも取り組んでいるという滝田栄氏の言葉である。


 滝田氏は、インドで2年間仏道修行をしたという。

 そのときの話である。



 半年に一度、日本に戻ってCMなどの仕事をしていましたが、インドの生活はとても僕の性に合っていましたね。

 十時間を超える深い瞑想の中で空や大地とーつになる体験をしたり、キリストがやったような驚くべき奇跡を聖者から直接見せられたこともありました。

 堀澤先生は先ほど好相行のお話をされましたが、僕も深い瞑想の中で観音菩薩と出会うという体験を度々してきました。

 その時は僕だけではない、命あるものすべてがお母さんに抱きかかえられるような安心感、至福感を味わっていました。



ここでは、サラッとすごいことを言っている。

 「十時間を超える深い瞑想の中で空や大地とーつになる体験をした」


 「深い瞑想の中で観音菩薩と出会うという体験を度々してきました」


どちらもすごい体験である。

 普通の人は体験できない。

きっと、快いという言葉では言い表せないような神秘体験だったことだろう。

 味わえるものなら味わってみたい。

 
 そのような修行を2年間ほどしたところで、聖者から次のように言われる。

 「おまえはそろそろ日本に帰れ」

 「ここにいたらおまえの人生はあっという間に終わる。東京に帰れ。東京は日本で一番煩悩の渦巻いているところだから、その中で正しく生きることが一番の行だ。」

 「煩悩の渦巻くところで正しく生きる」ことこそが一番の行だというのならば、多くの人は一番の行をしていることになるのではないだろうか。



 滝田氏のような瞑想体験は、まだできない。しかし、煩悩の中で正しく生きることを目指す行ならば、自分もできそうな気がする。
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月刊誌「致知」7月号からの学び・・・若いときの働き方を細野氏と松本氏に学ぶ

2021年06月17日 | 修養
 本日も、昨日に続いて月刊誌「致知」7月号(特集テーマは「一灯破闇」)からの学びを書くことにする。

 自分は、仕事に生きがいを感じている方の働き方、特に若い頃の働き方に興味がある。

 今月号でも、若い頃にどんな働き方をしていたかが分かる記事があった。

 一人は、和菓子の「銀座あけぼの」社長の細野佳代氏である。


 徐々に仕事を覚えていくと、今度は「自分がつくったお菓子をお金を出して買ってくださる方がいる」ということに気がつき、どんどん仕事が面白くなり、もっとおいしくするためには、もっと効率を上げるためには、と創意工夫するようになりました。

 一番仕事にのめり込んでいた時は、朝六時から夜の十一時頃まで働いていたと思います(笑)。

 当時はバブル絶頂期、周りの友達はキラキラして楽しそうに遊ぶ中、私はずっと白衣を着ていました。

 ただ、羨ましいと思ったことはなく、どちらかというとそんなごとに気がつきもしないほど、仕事に熱中していました。

     p.97


 


 すごい方である。「朝六時から夜の十一時頃まで、仕事に熱中していた」という状態は、ある意味うらやましい。

 それだけ熱中できるものに出会えたというか、それだけ熱中できる仕事にしていったと言うことだから。

 

二人目は、大佛師の松本明慶氏である。

 若い頃の働き方について、次のように述べている。



 それからは全力投球どころか、[何で一日に二十四時間しかないのか!」と腹を立てたくなるほど寝食を忘れて没頭しました。

 ちょっとの時間も無駄にはできませんので、師匠のもとに通う電車内や帰宅後も常に仏像のことを考えていました。

 寝ないと怒られるため、夜遅くに抜け出し、鴨川の土手の街灯を頼りに彫り続けました。

       p.101





 すさまじいと言える働き方である。

 やけどしそうな情熱を持って仕事に取り組んでいる。

 松本氏はその時19歳。幸せな仕事との出会いだったと言える。

 仕事に没頭できる環境にあったお二人だからこそ、その後も仕事に対して情熱を注ぎ続けられている。



 今は、「働き方改革」を進めるということで、お二人のような働き方は許されないかもしれない。

 若い人が燃え尽きないようにするためには、働き方改革も必要かもしれないが、お二人のように、「仕事が楽しくてたまらない」「もっと仕事を通して学びたい」という若い人の邪魔はしないようにしたいと考えている。

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月刊誌「致知」7月号からの学び・・・コロナワクチンは接種すべきか

2021年06月16日 | 修養
 月刊誌「致知」7月号の特集テーマは「一灯破闇(いっとうはあん)」である。

 特集テーマに沿った記事には、多くの学びがあった。

 多くは、納得でき、学びの多い記事である。

 ただ、「本当にそうかな?」と感じる記事もある。



 それは、永田勝太郎氏の書いた「コロナワクチンは接種すべきか」である。

 永田氏は、国際全人医療研究所代表理事で、千代田国際クリニックの院長でもある。

 永田氏が述べる事実からは、永田氏の主張に疑問を持ってしまうのである。

 永田氏は、次のような事実があるという。



 新型コロナウィルスの正体がまだ十分判明しておらず、またワクチンの効果や人体への影響も未知数である現状

 ワクチンというのは通常、五、六年かけて入念に治験を繰り返し、効果と安全性が十分確認された上で初めて製品化されるものです。

 この常識からすると、現段階で新型コロナウイルスのワクチンが存在すること自体があり得ないことであり、完全なものでないことは否めません。

 実際にチリでは、早くから中国製ワクチンの接種を進めていたにも拘らず、感染が再び拡大しています。


 そうなのである。「新型コロナウィルスの正体がまだ十分判明しておらず」は、事実である。

 (ただし、WHOによると、「インフルエンザウイルスよりも毒性は低い」ということは分かっている。)


 そして、ワクチンについては、「現段階で新型コロナウイルスのワクチンが存在すること自体があり得ないことであり、完全なものでない」のも事実である。

 さらに、「チリでは、早くから中国製ワクチンの接種を進めていたにも拘らず、感染が再び拡大しています」も事実である。

 ワクチンの効果と安全性については、まだ確認されていない。

 これが事実である。

 この事実に対して、永田氏は、次のように主張する。



 それでも、速やかにワクチン接種を進めなければ社会は停滞し、人類は遠からず新型コロナウイルスに滅ぼされてしまうことになるでしょう。
 


 永田氏が述べる事実から、なぜ「ワクチン接種せよ」という主張になるのかが疑問である。

 「接種を進めよ。そうでなければ人類は滅ぼされる。」というのは本当なのだろうか?



 次の2点で賛成できない。

1 インフルエンザウイルスよりも毒性が低い新型コロナウイルスに、「滅ぼされる」とは思えない。

2 効果と安全性が十分確認されておらず、完全なものでないワクチンを接種してよいのか。


 はっきり言って、得体の知れないワクチンを接種するのは恐い。

 数日間や数ヶ月後の副反応も恐いが、もっと恐いのは、数年後、もしくは数十年後の副反応である。

 「効果と安全性を十分確認する」という通常の手続きなしで、接種が進められようとしている。

 世界では今、壮大な(そしてとても恐い)人体実験が行われている気がする。
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