運動会で何を見るか・・・その1「バトンパスは、右手から右手はだめ」
運動会では、子ども達の懸命な姿を見ることができる。それが楽しい。ビリでも、(ビリだからこそ)懸命に走っている姿を見ると涙が出てくる。(自分の子どもの頃を連想してしまうから)
ただ、小学校の教員をしているため、それ以外のいろいろと余計なところまで見てしまう。いや、見えてしまう。
例えば、リレーである。最近は、全員リレーをしている学校も多い。みんなの努力次第で結果が変わるので、子ども同士のつながりを深めるにはとてもよいことである。
しかし、体育の指導が好きな自分にとっては、リレーのある姿が気になってしまう。
それは、バトンパスである。リレーの楽しさの1つは、スピードを落とさずに次走者にバトンをつなぐところにある。
その楽しさを味わわせていないことが、すぐに分かるポイントがある。
それは、バトンパスの場面である。
指導をしていなければ、多くの場合、「右手から右手」へのバトンパスをする。
バトンを右手に持ち、次走者の右手にバトンを渡す。指導していなければそうなる。右手の方がバトンをもちやすいからである。
このバトンパスをしていると、必ず次のうちどちらかの現象が現れる。
① 失速しながらバトンを渡す
当然であろう。自分の走っているコースと相手が走るコースが重なる。次走者にぶつからないように、スピードを落とさないとバトンを渡せない。
② リレーゾーンをはみ出して失格
スピードに乗った状態でバトンパスをしようとすると、バトンパスが難しくなる。バトンパスができないままリレーゾーンをはみ出して失格になりやすい。
自分は、「次走者を追い抜くようなバトンパスをしなさい。」「できれば、もっているバトンを次走者の手に押しつけて、自分のスピードを次走者に渡すバトンパスをしなさい」
と指導していた。そうすると、多くの場合、「左手に持ったバトンを次走者の右手に渡す。もらったバトンは左手に持ち替える。」
という動きになる。
ごちゃごちゃと書いて分かりにくくなってしまった。
要するに、リレーの楽しさの1つは、バトンパスのスムーズさである。そのためには、次走者を追い抜くようなバトンパスが必要である。それができている学級、、学校は素晴らしい。指導者の力量がかなり高いと思う。
右手に持ったバトンを次走者の右手に渡すようなバトンパスの仕方では、リレーの楽しさの半分くらいを味わえていないと思う。