今日の「お気に入り」。
「活字として紙の上に並んでいる詩歌にかぎらず、メロデイのついている歌でも、私はその文句を全部覚えているものは一つもない。小学校の校歌さえ覚えなかったのだから、推して知るべしである。もちろん、『君が代』とか『古池や――』とかは、知っている。これらは22ンガ4のように、自然に覚えてしまうから、例外である。
したがって、そらでその文句を口誦む詩歌というものは、私にとって有り得ない。
しかし、詩を読むのは好きである。詩といっても、明治以降現代にいたる新体詩で、一時期ずいぶん愛読した。大手拓次などという、シロウトのあまり知らない詩人の詩も読んだが、さてその『藍色の蟇』の一節を思い出そうとしてみても、駄目である。だが、最も愛読した萩原朔太郎か中原中也になれば、そのあちこちの二、三行が頭に浮んでくる。
朔太郎では、
『手ははがねとなり、
いんさんとして土地(つち)を掘る』
とか、
『腰から下のない病人の列があるいてゐる、
ふらりふらりと歩いてゐる』
とか、
『私はゆつたりとふほふくを取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた』
とかいうことになり、中也では、
『幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました』
とか、
『心置なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする』
とか、
『汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
……
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かわごろも)』
とか、さらにはあの有名な、
『ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ』
とかいうことになる。しかし、頭に出てくるのはそういう断片だけで、一つの詩全部ということになると、駄目である。
最近は、すこしは現代詩を含む詩を読むようになったが、戦後間もなくから長いあいだ殆ど詩に近付かなかった。その期間に印象に残った現代詩を一つだけ挙げておくことにしよう。
印象に残ったのは、一つにはその詩を読むことになったプロセスが、印象深かったためである。昭和二十九年、私は肺結核で清瀬病院に入院していた。丁度その七月に芥川賞をもらったので、その病院ではいささか有名となり、ときおり未知の人がベッドに訪れてくることがあった。
隣の病室にいるという青年がやってきて、雑談のあげく、最近詩集を出したから読んでみてくれ、という。私は億劫で、はなはだ乗気でなかったが、翌日渡された詩集を開いて、『おや』とおもった。本ものの詩なのである。本ものを見分ける規矩はなにか、といわれても困るが、ともかく『これは本ものだ』と私はおもったわけだ。文章を書く人間は露骨なもので、こういう際たちまち相手にたいする気持が違ってしまう。以来その青年(といっても、私も当時は青年であったが)と、友人になった。
その青年というのは、飯島耕一であり、その詩集は『他人の空』である。もちろん、当時、私はそういう名前は知らなかった。その詩集には、いま読み返してみても好い詩が並んでいるとおもえる。左に書き写すのは、『すべての戦いのおわり』と題する詩で、三つの詩が集って成立っているが、『砂の中には』『世界中のあわれな女たち』は省略する。
他人の空
鳥たちが帰つて来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を
上がつたり下つたりした。
それは途方に暮れているように見えた。
空は石を食つたように頭をかかえている。
物思いにふけつている。
もう流れ出すこともなかったので、
血は空に
他人のようにめぐつている。」
(吉行淳之介著「吉行淳之介随想集『なんのせいか』」大光社刊 所収)
「活字として紙の上に並んでいる詩歌にかぎらず、メロデイのついている歌でも、私はその文句を全部覚えているものは一つもない。小学校の校歌さえ覚えなかったのだから、推して知るべしである。もちろん、『君が代』とか『古池や――』とかは、知っている。これらは22ンガ4のように、自然に覚えてしまうから、例外である。
したがって、そらでその文句を口誦む詩歌というものは、私にとって有り得ない。
しかし、詩を読むのは好きである。詩といっても、明治以降現代にいたる新体詩で、一時期ずいぶん愛読した。大手拓次などという、シロウトのあまり知らない詩人の詩も読んだが、さてその『藍色の蟇』の一節を思い出そうとしてみても、駄目である。だが、最も愛読した萩原朔太郎か中原中也になれば、そのあちこちの二、三行が頭に浮んでくる。
朔太郎では、
『手ははがねとなり、
いんさんとして土地(つち)を掘る』
とか、
『腰から下のない病人の列があるいてゐる、
ふらりふらりと歩いてゐる』
とか、
『私はゆつたりとふほふくを取つて
おむれつ ふらいの類を喰べた』
とかいうことになり、中也では、
『幾時代かがありまして
茶色い戦争ありました』
とか、
『心置なく泣かれよと
年増婦(としま)の低い声もする』
とか、
『汚れつちまつた悲しみに
今日も小雪の降りかかる
……
汚れつちまつた悲しみは
たとへば狐の革裘(かわごろも)』
とか、さらにはあの有名な、
『ああ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ』
とかいうことになる。しかし、頭に出てくるのはそういう断片だけで、一つの詩全部ということになると、駄目である。
最近は、すこしは現代詩を含む詩を読むようになったが、戦後間もなくから長いあいだ殆ど詩に近付かなかった。その期間に印象に残った現代詩を一つだけ挙げておくことにしよう。
印象に残ったのは、一つにはその詩を読むことになったプロセスが、印象深かったためである。昭和二十九年、私は肺結核で清瀬病院に入院していた。丁度その七月に芥川賞をもらったので、その病院ではいささか有名となり、ときおり未知の人がベッドに訪れてくることがあった。
隣の病室にいるという青年がやってきて、雑談のあげく、最近詩集を出したから読んでみてくれ、という。私は億劫で、はなはだ乗気でなかったが、翌日渡された詩集を開いて、『おや』とおもった。本ものの詩なのである。本ものを見分ける規矩はなにか、といわれても困るが、ともかく『これは本ものだ』と私はおもったわけだ。文章を書く人間は露骨なもので、こういう際たちまち相手にたいする気持が違ってしまう。以来その青年(といっても、私も当時は青年であったが)と、友人になった。
その青年というのは、飯島耕一であり、その詩集は『他人の空』である。もちろん、当時、私はそういう名前は知らなかった。その詩集には、いま読み返してみても好い詩が並んでいるとおもえる。左に書き写すのは、『すべての戦いのおわり』と題する詩で、三つの詩が集って成立っているが、『砂の中には』『世界中のあわれな女たち』は省略する。
他人の空
鳥たちが帰つて来た。
地の黒い割れ目をついばんだ。
見慣れない屋根の上を
上がつたり下つたりした。
それは途方に暮れているように見えた。
空は石を食つたように頭をかかえている。
物思いにふけつている。
もう流れ出すこともなかったので、
血は空に
他人のようにめぐつている。」
(吉行淳之介著「吉行淳之介随想集『なんのせいか』」大光社刊 所収)