「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・10・23

2013-10-23 07:10:00 | Weblog
今日の「お気に入り」。

「生きていることは、汚れることだ、ということは生きているうちにしだいに分ってくる。その考えが決定的になったのは、戦争のときである。
 汚れるのが厭ならば、生きることをやめなくてはならない。生きているのに、汚れていないつもりならば、それは鈍感である。
 もっとも、汚れかたにもいろいろある。私として、あまり歓迎できない汚れかたもいろいろあるが、それについて話し出すと長くなるので、やめる。
 汚れるのが厭ならば、死ぬより方法はない。子供の頃。はやくも餓死することになる。
 旧制高校の頃……、矢鱈に悩む時期である。あるいは悩んでみせる。私は寮の日誌に、『ぼくは悩みがないことを、悩む』と書いて、その風潮をからかったことがある。といって、自分に悩みがなかったわけでもないのだが、友人たちの悩みを聞いていると、感心できないものが多かった。
『ぼくは、いま、食事のたびに悩んでいるんだ』
 と言い出した男がある。
『牛も豚も魚も野菜も、みんな生命のあるものだ。そういうものを食べていいものか』
 と、彼は悩むのである。
『なにを、いまさら』
 と、私は思った。
 そういう残酷を犯すこと、そういう汚れかたをすることが、生きてゆくことなので、二十年ちかく生きてきたくせに、なにをいまさら、と思ったわけである。
 生きてゆくことにきめたならば、生きてゆくために便利なことは、どんどん受け容れたほうがよい。
 食べるものにしても、なんでも喰べてしまったほうが便利である……。というのは『考え方』であって、それに実行がともなうようになったのは、これは戦争のおかげである。それから、その仕上げをしたのは、やっぱり、赤線のおかげだなあ。
 であるから、高踏的に振舞っている人間は、みんなインチキだとしかおもえない。『純粋』とか『純潔』とか『純情』とかいう言葉くらい、嫌いなものはない。どれもこれも胡散くさいにおいを、ぷんぷんと放っている。」

(吉行淳之介著「吉行淳之介随想集『なんのせいか』」大光社刊 所収)


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