今日の「お気に入り」。
「生きていることは、汚れることだ、ということは生きているうちにしだいに分ってくる。その考えが決定的になったのは、戦争のときである。
汚れるのが厭ならば、生きることをやめなくてはならない。生きているのに、汚れていないつもりならば、それは鈍感である。
もっとも、汚れかたにもいろいろある。私として、あまり歓迎できない汚れかたもいろいろあるが、それについて話し出すと長くなるので、やめる。
汚れるのが厭ならば、死ぬより方法はない。子供の頃。はやくも餓死することになる。
旧制高校の頃……、矢鱈に悩む時期である。あるいは悩んでみせる。私は寮の日誌に、『ぼくは悩みがないことを、悩む』と書いて、その風潮をからかったことがある。といって、自分に悩みがなかったわけでもないのだが、友人たちの悩みを聞いていると、感心できないものが多かった。
『ぼくは、いま、食事のたびに悩んでいるんだ』
と言い出した男がある。
『牛も豚も魚も野菜も、みんな生命のあるものだ。そういうものを食べていいものか』
と、彼は悩むのである。
『なにを、いまさら』
と、私は思った。
そういう残酷を犯すこと、そういう汚れかたをすることが、生きてゆくことなので、二十年ちかく生きてきたくせに、なにをいまさら、と思ったわけである。
生きてゆくことにきめたならば、生きてゆくために便利なことは、どんどん受け容れたほうがよい。
食べるものにしても、なんでも喰べてしまったほうが便利である……。というのは『考え方』であって、それに実行がともなうようになったのは、これは戦争のおかげである。それから、その仕上げをしたのは、やっぱり、赤線のおかげだなあ。
であるから、高踏的に振舞っている人間は、みんなインチキだとしかおもえない。『純粋』とか『純潔』とか『純情』とかいう言葉くらい、嫌いなものはない。どれもこれも胡散くさいにおいを、ぷんぷんと放っている。」
(吉行淳之介著「吉行淳之介随想集『なんのせいか』」大光社刊 所収)
「生きていることは、汚れることだ、ということは生きているうちにしだいに分ってくる。その考えが決定的になったのは、戦争のときである。
汚れるのが厭ならば、生きることをやめなくてはならない。生きているのに、汚れていないつもりならば、それは鈍感である。
もっとも、汚れかたにもいろいろある。私として、あまり歓迎できない汚れかたもいろいろあるが、それについて話し出すと長くなるので、やめる。
汚れるのが厭ならば、死ぬより方法はない。子供の頃。はやくも餓死することになる。
旧制高校の頃……、矢鱈に悩む時期である。あるいは悩んでみせる。私は寮の日誌に、『ぼくは悩みがないことを、悩む』と書いて、その風潮をからかったことがある。といって、自分に悩みがなかったわけでもないのだが、友人たちの悩みを聞いていると、感心できないものが多かった。
『ぼくは、いま、食事のたびに悩んでいるんだ』
と言い出した男がある。
『牛も豚も魚も野菜も、みんな生命のあるものだ。そういうものを食べていいものか』
と、彼は悩むのである。
『なにを、いまさら』
と、私は思った。
そういう残酷を犯すこと、そういう汚れかたをすることが、生きてゆくことなので、二十年ちかく生きてきたくせに、なにをいまさら、と思ったわけである。
生きてゆくことにきめたならば、生きてゆくために便利なことは、どんどん受け容れたほうがよい。
食べるものにしても、なんでも喰べてしまったほうが便利である……。というのは『考え方』であって、それに実行がともなうようになったのは、これは戦争のおかげである。それから、その仕上げをしたのは、やっぱり、赤線のおかげだなあ。
であるから、高踏的に振舞っている人間は、みんなインチキだとしかおもえない。『純粋』とか『純潔』とか『純情』とかいう言葉くらい、嫌いなものはない。どれもこれも胡散くさいにおいを、ぷんぷんと放っている。」
(吉行淳之介著「吉行淳之介随想集『なんのせいか』」大光社刊 所収)
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