「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・10・02

2013-10-02 07:20:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、久世光彦さん(1935-2006)のエッセー「母の聖地」より。

「子供のころの記憶の中で、母はいつも台所に立っていた。朝見る母も、昼の母も、西日にシルエットになった夕暮れの母も、思い出すのは白い割烹着(かっぽうぎ)をつけて火や水を使う母の後ろ姿である。母は私に背で語り、背で叱り、背で泣いた。だから母の声には、いつだって水道の水の音や、七輪でお湯が滾(たぎ)る音や、茶碗の触れ合う音が混じっていたものだ。それくらい、昔の母は台所に長い時間立っていた。
 昭和十年代の台所というと、湿った土間や、汲み上げポンプや、煤(すす)だらけの竈(かまど)を想う人もいるらしいが、東京の住宅街では、そのころもう都市ガスや水道もあったし、電気ではなかったが冷蔵庫だってあった。つまり、いまとさほど違った風景ではなかった。台所はいつも湯気で煙っていた。母の後ろ姿は、そのぼんやりした空気の中を、ガス台から流しへ、流しから食器棚へ、そして時に漬物の瓶(かめ)がおいてある裏庭へ、さして急ぐ風もなく、けれどほとんど一ヶ所に留まることなく、動いていた。いいことがあった日には、下手な鼻唄を唄いながら、気が重い日は黙ったまま、狭い台所の隅から隅まで動いているようであった。西へ向いた湯気に曇った窓ガラスが、母にはいちばんよく似合っていた。窓に向ってしばらく包丁の手を休め、母が着物の襟元をふと直しているのを、子供のころ何度も見た憶えがある。あの窓ガラスには、きっと悲しい日の母の涙も映っていたのだろう。」

(久世光彦著「むかし卓袱台があったころ」ちくま文庫 所収)





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