「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

大きいもの 2014・05・09

2014-05-09 07:00:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日のつづき。

「情報化時代といって、情報量はふえるばかりだそうである。テレビ時代の子供は、テレビ以前の子供の、何百何十倍の情報を得ている。これからは情報を選択する時代というが、そんなことが可能だろうか
 いかにも、ベトナムの情報は多かった。けれども、全部同じものだった。たとえば、アメリカは一方で講和の談判をしながら、一方で北爆を再開した。天人ともに許さないと、三大新聞以下みな同じことを書いた。
 ここにあるのは情報の重複で、豊富ではない違う事実、違う意見を並べてくれなければ、選択はできない題と執筆者の名を見て、中身が察しられる本や記事なら、読まないことが許される女性週刊誌の醜聞は、その例であるたいていの男は広告だけ見て、中身を察する察したら読まない
 気違いではあるまいし、和平交渉を進めながら、北爆を再開するものはない。するにはするだけのわけがあろう。それでいて決裂しなかったのだから、あの北爆は成功だったかと疑ってもいいのに疑わない。疑う材料は提供されていない。天人ともに許さないとだけ提供されているから、それをウのみにするか、いやなら眉ツバだと思うよりほかない

 
(中略)

 私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである有利なものの上にあるのを疑うものである正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年のとき私は聞いたことがある
                                     〔『諸君!』昭和48年4月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)


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