「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

大きいもの 2014・05・11

2014-05-11 06:50:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

大きいものはいいものだというが、冗談だろうと、私は書いたことがある大きいものは悪いものだ大新聞、大銀行、大デパートと並べてみると分るみな大きくて、悪いものである」。

(中略)

「その大新聞は、大銀行、大会社、大デパート――およそ自分と同じく大きなものなら批評しない。新聞は銀行から途方もない金を借りている。もっと借りたい。まだ貸してはくれないが、いずれ貸してくれるかもしれない銀行のことは、書きたくない。大企業は新聞テレビのスポンサーだから、同じく書きたくない。

 欠陥車については、書いたというだろうが、あれも書きたくなかったのである。日産、トヨタ以下の実名をあげて書いたのは、アメリカの新聞である。それを翻訳して、某経済新聞が小さく転載した。ほかの新聞は安心して追従した。スポンサーが文句を言ったら、経済紙のせいにすればいい。経済紙はアメリカのせいにすればいい。
 自分に責任がないときまれば、センセーションは大きい方がいいから、新聞は大きくあつかった。しまいには、初めて書いたのは自分だと言い出す始末である。
 創価学会のときも同じである。あれは初めアカハタが書いた。三ヵ月間も書いたあとで、大新聞は恐る恐る、次いで居丈高に、しまいには一番槍は自分だと言いだした。
 創価学会の醜聞はながく世間を賑わした。読者は全く同じ非難が書いてあると予想して、果してそうであることに満足して学会の悪口を読んだのである。ご苦労だと思うが、読者は思わない。思わないと知って、新聞は同じことを書かせ、各界名士は勇んで書いたのである。
 このとき、創価学会を弁護する記事はない。書いて喜ばれないときまった記事を書く記者はない。各界名士というものは、いま全盛の説は何かと見定め、それしか言わないものである見定めてから言うのだから、当然あとからのくせに、自分がさきだと言いはってきかないものである。だから、悪口をいうときは、日本中が同じ悪口をいう口々に言うことを、『言論の自由』という。」


(中略)

 私は正義がいつも大きいものの上にあるのを怪しく思うものである有利なものの上にあるのを疑うものである正義はしばしば小さいものの方に、また不利なものの方にあると、弱年のとき私は聞いたことがある
                                     〔『諸君!』昭和48年4月号〕」

(山本夏彦著「とかくこの世はダメとムダ」講談社刊 所収)

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