「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2014・05・22

2014-05-22 14:15:00 | Weblog


今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日の続き。

「清岡の大河小説の主人公は一人ではない。藤田嗣治夫妻、薩摩治郎八、岡鹿之助、金子光晴夫妻、松尾邦之助以下一九三〇年代にパリにいた群像が主人公で、なかでも金子光晴森三千代夫妻に多く筆を費している。
 この金子光晴の夫人三千代と土方は東京にいる間恋仲だったのである。互に未練はあったが三千代は土方を去って夫妻は放浪の末パリにたどりついたのである。そのころ私はパリ日本人クラブの秘書の手伝いをしていた。やがてパリ近郊のメゾン・ラフィットのちっぽけなヴィラで武林家に同居する。ひまだけあって金のない時は寄席と映画館に行っていた。
 昭和六年はサイレント映画がトーキーに変るときであること日本と同じで、おかげで私は日本では見られないバレンチノの『血と砂』、アンナ・メイ・ウォンという支那人の女優でハリウッドのスターを知った。アンドレ・ボージェ、ジャン・ミューラはフランスでは大スターだが日本では誰も知らない男優たちだと知った。
 ロラン・ドルジュレスという流行作家の『木の十字架』はレマルクの『西部戦線異状なし』のまねだなとすぐ分った。マネの世の中なのはどこの国も同じだなと知ったのはいいが、映画のまんなかで雄弁で名高いもと外務大臣アリスティッド・ブリアンが出てきて、平和演説を延々とするのには驚いた。おかげで西洋のエロカンス(雄弁術)を見る機会を得たのはよかったが長すぎる。みんなドイツ人が悪いのだなんて、そんなことはあるまいと東洋の一豎子(いちじゅし)(小僧)には見てとれるのに、満場の共感湧くが如しである。ヒトラーもこうした弁舌を振ったのだろう。興行師というものはフランスも日本も同じだなと思った。
                                                  〔『諸君!』平成十一年十一月号〕」

(山本夏彦著「最後の波の音」文春文庫 所収)

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