「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

趣味としての翻訳 Long Good-bye 2024・08・06

2024-08-06 06:08:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」

  最近読んだ 村上春樹さん ( 1949 -   ) の随筆「 村上

 朝日堂はいかにして鍛えられたか 」( 新潮文庫 )

 の中に 「 趣味としての翻訳 」というタイトルの小

 文がある 。

  引用はじめ 。

 「 最近趣味はなんですかと訊かれると 、『 そう
  だなあ 、翻訳かな ・・・ 』と答えるようにな
  った 。」

 「 はっきり言って 、僕は翻訳という行為自体が
  好きだからこそ 、こうやって飽きもせずえんえ
  んと翻訳を続けているのだ 。これを趣味と言わ
  ずして何と言うべきか ・・・。」

 「 僕は下訳を使ったことは一度もない 。」

 「 僕は個人的に 、もし下訳を使ったりしたら 、
  それは翻訳という作業のいちばんおいしい部分
  を逃していることになるのではないかと考えて
  いる 。翻訳でいちばんわくわくするのはなんと
  いっても 、横になっているものをまず最初に縦
  に起こし直すあの瞬間だからだ 。そのときに頭
  の中の言語システムが 、ぎゅっぎゅっと筋肉の
  ストレッチをする感覚がたまらなく心地よいの
  である 。そして翻訳された文章のリズムの瑞々
  しさは 、このしょっぱなのストレッチの中から
  生まれ出てくる 。この快感は 、おそらく実際
  に味わった人にしかわからないだろう 。
   僕は文章の書き方というものの多くを 、この
  ような作業から結果的に学んだ 。」

 「 自分の味付けをなるべく表に出さないように 、
  ぎりぎりのところまで地道に無色にテキストに
  身を寄せて 、その結果として突き当たりの地点
  で自然に『 ひと味 』が出るのなら 、それはそ
  れで立派なことである 。でも初めから独自の味
  付けを狙ったら 、それは翻訳者としてはやはり
  二流ではあるまいか 。翻訳の本当の面白さは 、
  優れたオーディオ装置がどこまでも自然音を追
  求するのと同じように 、細かな一語一語にいた
  るまでいかに原文に忠実に訳せるかということ
  に尽きる 。」

  引用おわり 。

  米国の女流作家が書いた「 原作 」への偏愛が嵩じて 、

 初めから独自の味付けを狙って 、自分の感想を「 翻訳

 テキスト 」に含めてしまった 日本のマルチタレント作

 家 を知っている 。「 翻訳者として失格 」と言われかね

 ない行為だが 、原作者と知己であったり 、翻訳権を得て

 の翻訳であると 、多少の逸脱 、味付けは 、原作者の

 解が得られると本人も編集者も思い込むらしい 。

  本人に「 暗黙のルール 」逸脱の自覚がない場合 、現代

 なら チェッカーとして AI の出番になるんだろうか

 下訳を使わない場合でも 、AIならぬ生身の人間は 、あり

 とあらゆる記憶にしばられるから 、オリジナリティのある

 翻訳 が出来るかどうかは 、つまるところ「 才能 」の問題

 なんだろうか 。オリジナリティ の境界線は あいまいになり

 つつある 。  

 

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