「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

志おとろへし日は 2005・11・20

2005-11-20 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、三好達治(1900-1964)の詩集「一点鐘」から。


  志おとろへし日は


 こころざしおとろへし日は

 いかにせましな

 手にふるき筆をとりもち

 あたらしき紙をくりのべ

 とほき日のうたのひとふし

 情感のうせしなきがら

 したためつかつは誦しつ

 かかる日の日のくるるまで


 こころざしおとろへし日は

 いかにせましな

 冬の日の黄なるやちまた

 つつましく人住む小路

 ゆきゆきてふと海を見つ

 波のこゑひびかふ卓に

 甘からぬ酒をふふみつ

 かかる日の日のくるるまで


  河盛好蔵編「三好達治詩集」(新潮文庫)所収 
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2005・11・19

2005-11-19 06:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「明治のむかし荷風山人いわく―――吏は役に立たぬものなり。欲の深いものなり。賄賂を取りたがるものなり。責むるは野暮なり。いくら取替えても同じ事なり。」

 「大昔のことは資料が少なくて分らない。近い昔のことは、資料が多すぎて分らないというのは魯迅の言葉である。」

 「何ごとも満つれば欠くるのが世のならいである。」

 「男子は辺幅を飾らぬというのは、うわべはどうでもいい、中身だというほどのことである。」

 「昭和四十年私はNHKラジオの『青年の時間』に孝についての言葉をあげ、これらのうち知るものは手をあげてくれと言った。孝は百行の本、君には忠親には孝、孝行をしたいじぶんに親はなし、父の恩は山よりも高く母の恩は海よりも深し、身体髪膚これを父母に受く敢て毀傷せざるは孝の始めなり(以下略)。
 誰ひとり知るものはなかった。これによって戦後家庭で孝についての発言が絶無であることが分った。親は子に『お前たちの世話にはならないからね』と言って育てた。」

  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
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2005・11・18

2005-11-18 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「ボナールの友情論は私の数少ない愛読書の一つで、真の友情はあるかないか、追いかけて追いつめた名著である。

 ○真の友は友の役立つ機会に恵まれるのを喜ぶ。友が金を貸せと言うと進んで貸して、貸したことを忘れる。借りた方も忘れる。今度は反対に貸した方が借り手に回ると、むろん勇んで貸して二人は共に忘れる。

 ○男と女の間に友情は成りたつか。女は絶世の美人である。たいていの若者はあきらめてただの友に甘んじる。女はそれが不服で、ここにいるのは若い肉体を備えた女だと振舞って、つかのま男がその気になるとぽんとつき放してまたもとの友に返す。

 この本は右の如きを山ほど書いて、真の友情の有無を追いつめた一巻である。はたしてそれはあったか。」

  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)
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齢は勝手にとったのだ 白髪は知恵のしるしではない 老人のバカほどバカなものはない 2005・11・17

2005-11-17 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「『女は永遠に十七である』と私は書いたことがある。シワやシラガは勝手にふえる。いくらふえても内心は

 十七だからむろん不服である。

  男もまたそうである。永遠に齢をとらない。スポーツ選手を見よ、絶頂は十七、八だ。あとは持続すればいい

 ほうで急速に下り坂になる。肉体がそうなら精神もそうで、人は五歳にしてすでにその人である。」

 「『人生教師になるなかれ』と私は言ってやまないものである。齢をとると男女を問わず自動的に人に教える資格が

 生じると思う。齢は勝手にとったのだ、シラガは知恵のしるしではない、老人のバカほどバカなものはないと私は

 金言のありたけを並べるが、その誘惑にたえかねるのだろう、老人は教えたがる。」


  (山本夏彦著「死ぬの大好き」新潮社刊 所収)

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2005・11・16

2005-11-16 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「新聞は広告だけ見る。ことに週刊誌の広告を見ればこの一週間の出来ごとは分る。そんなもの読むまでもないことが分る。広告を見るのは職掌がらで、私は零細出版社の編集兼発行人であり執筆者であり、同時にその何ものでもないものである。
 私はこの世の中に対して第三者だからむろん自分の雑誌にも第三者である。第三者といえば聞えはいいがあかの他人である。自分に対して他人であるということはこの世の人ではないということで、少年のときから私はその自覚があった。」

 「人の値打は棺蓋うて定まるというが、蓋っても定まらない。死んでもなお影響力があって遠慮しなければならない人もあるし、遠慮会釈しないでいい人もある。」


 (山本夏彦著「生きている人と死んだ人」文春文庫 所収)
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木守り 2005・11・15

2005-11-15 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、三好達治(1900-1964)の詩集「百たびののち」から。

 残果

  友らみな梢を謝して
  市にはこばれ売られしが

  ひとりかしこに残りしを
  木守りといふ

  蒼天のふかきにありて
  紅の色冴えわたり

  肱張りて枯れし柿の木
  痩龍に晴を点ず

  木守りは
  木を守るなり

  鴉のとりも鵯どりも
  尊みてついばまずけり

  みぞれ待ち雪のふる待ち
  かくてほろぶる日をまつか

  知らずただしは
  寒風に今日を誇るか

   河盛好蔵編「三好達治詩集」(新潮文庫)所収
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2005・11・14

2005-11-14 06:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「テレビ局は相手が芸人だと居丈高になる傾向がある。役者や歌い手はもとよりプロ野球の選手にまで人格者を求めて、それに違背すると追放するぞとおどす。自分では気がついてないが、嫉妬が動機だと私はコラムに書いたが飛躍がありすぎて分らないといわれた。」

 「お察しの通り私は宝塚の女優もプロ野球の選手も芸人だとみている。いつぞや合計千万円のプレゼントを女のファンから貰って、それが会社の金だと分って女優が非難されたことがある。けれども年中贈物をもらってこそスターである。おぼえきれないから誰にでも礼を言う。おぼえているようではスターではない。それがごまかした金だなんて芸人の知ったことではない。
 芸人に昔も今もない。ホステスは芸者の子孫である。ただ何の芸もないだけである。それでいて馴染は馴染いろはいろなどと芸者の口まねをする。女を遊ばせてくれるのが真の客だなどという。片腹いたいが腹を立てるのはヤボということになっている。ヤボもイキも吉原以来のことばである。いまホステスは若いテレビのタレントを買う。買えないものはとりまく。タレントは勘定を払う気がない。ホステスが自分が払うものだと知らないとするとその勘定は宙に迷って、芸人のくせにきたないと言われる。
 だから昔の芸人は人の五倍十倍使った。人並に払ったのでは目だたない。五倍十倍払ってはじめてスターだといわれる。芸人の得る金は贔屓からもらったあぶく銭である。税金のかからない金である。額に汗してかせいだ堅気の金とは違うから貯金なんかしてはいけない。だから藤山寛美は芸人のかがみだといわれたのである。
 藤山はすでにはいった金はもとよりまだはいらない金まで使った。芸人に求められるのは一にも二にも芸であって他の何ものでもない。金も女も芸のこやしである。その芸人に修身が求められるのはサクセス・ストーリー(成功談)がなくなったからである。日本にはもう成功談がない。大企業の社長になっても月給二百万手どり百三十万そこそこである。妾はおろか自動車の運転手一人やとえない。五億円十億円の豪邸とやらを建てられるのは芸人だけである。昔は芸人を差別したが今はできないから、修身を強いて少しでも逸脱したら追放することにしたのである。その根底にあるのは嫉妬である。
 芸人にしかサクセスがない世の中は間違っている。なぜこんなことになったか、すべて税制のせいである。成功すれば八割九割の累進課税を奪う。今度少しばかりそれを改めると『金持優遇貧乏人いじめ』という。サクセスを妬むのは残念ながら一億国民なのである。」


  (山本夏彦著「生きている人と死んだ人」文春文庫 所収)
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岡目八目 2005・11・13

2005-11-13 06:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「チャンスというものは三回目にようやくつかまえられるものだと聞いたことがある。一回目はゆっくり目の前を通りすぎて行く。やりすごしてあれがチャンスだったかと気がつく。二度目は『今だ』とは思うものの臆して手を出さないうちに同じく通りすぎて行く。この二度の経験にこりて三度目にようやくつかまえる。それも才能のうちなのだそうである。」

 「幸運が三度姿をあらわすように不運もまた三度兆候を示すのである。それは見たくないから見ない、気がついても言わない、言っても聞かない、そして破局を迎えるのである。」

 「岡目八目といって当人には見えないことが他人には見える。」


  (山本夏彦著「生きている人と死んだ人」文春文庫 所収)
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平和なときの平和論 2005・11・12

2005-11-12 06:25:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「内村鑑三は『平和なときの平和論』と言いました。ずいぶん昔言った言葉ですが、いまだに生きて痛切ですから私は再三引用して、しまいには自分の言葉のような気がして失礼しています。これを聞いて何が分るかというと、平和なときに平和論を唱えるのは勇気がいるように見えますから皆さん言いますが実はちっともいりません。
 勇気は戦争になってから平和論を唱えるほうにいります。言えば袋だたきにされます、うしろに手が回ります。それでも言いはると牢屋にいれられます。
 このとき袋だたきにするのは、ほかでもないあの平和なときに平和論を唱えた者どもです。」


  (山本夏彦著「生きている人と死んだ人」文春文庫 所収)
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一茶 2005・11・11

2005-11-11 06:10:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、朝日新聞に掲載された大岡信さんの「折々のうた」の中で紹介された俳句の中から二句。

 御仏(みほとけ)の御鼻(おはな)の先へつらゝ哉

 田の雁(かり)や里の人数(にんず)はけふもへる  (小林一茶)

 一茶の四十八歳から五十一歳までの作品が多く収められた「七番日記」所収の句だそうです。
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