「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2005・11・14

2005-11-14 06:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から。

 「テレビ局は相手が芸人だと居丈高になる傾向がある。役者や歌い手はもとよりプロ野球の選手にまで人格者を求めて、それに違背すると追放するぞとおどす。自分では気がついてないが、嫉妬が動機だと私はコラムに書いたが飛躍がありすぎて分らないといわれた。」

 「お察しの通り私は宝塚の女優もプロ野球の選手も芸人だとみている。いつぞや合計千万円のプレゼントを女のファンから貰って、それが会社の金だと分って女優が非難されたことがある。けれども年中贈物をもらってこそスターである。おぼえきれないから誰にでも礼を言う。おぼえているようではスターではない。それがごまかした金だなんて芸人の知ったことではない。
 芸人に昔も今もない。ホステスは芸者の子孫である。ただ何の芸もないだけである。それでいて馴染は馴染いろはいろなどと芸者の口まねをする。女を遊ばせてくれるのが真の客だなどという。片腹いたいが腹を立てるのはヤボということになっている。ヤボもイキも吉原以来のことばである。いまホステスは若いテレビのタレントを買う。買えないものはとりまく。タレントは勘定を払う気がない。ホステスが自分が払うものだと知らないとするとその勘定は宙に迷って、芸人のくせにきたないと言われる。
 だから昔の芸人は人の五倍十倍使った。人並に払ったのでは目だたない。五倍十倍払ってはじめてスターだといわれる。芸人の得る金は贔屓からもらったあぶく銭である。税金のかからない金である。額に汗してかせいだ堅気の金とは違うから貯金なんかしてはいけない。だから藤山寛美は芸人のかがみだといわれたのである。
 藤山はすでにはいった金はもとよりまだはいらない金まで使った。芸人に求められるのは一にも二にも芸であって他の何ものでもない。金も女も芸のこやしである。その芸人に修身が求められるのはサクセス・ストーリー(成功談)がなくなったからである。日本にはもう成功談がない。大企業の社長になっても月給二百万手どり百三十万そこそこである。妾はおろか自動車の運転手一人やとえない。五億円十億円の豪邸とやらを建てられるのは芸人だけである。昔は芸人を差別したが今はできないから、修身を強いて少しでも逸脱したら追放することにしたのである。その根底にあるのは嫉妬である。
 芸人にしかサクセスがない世の中は間違っている。なぜこんなことになったか、すべて税制のせいである。成功すれば八割九割の累進課税を奪う。今度少しばかりそれを改めると『金持優遇貧乏人いじめ』という。サクセスを妬むのは残念ながら一億国民なのである。」


  (山本夏彦著「生きている人と死んだ人」文春文庫 所収)
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