「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

老兵は死なず Long Good-bye 2021・11・05

2021-11-05 05:55:00 | Weblog


   今日の「 お気に入り 」は 、「 マッカーサー演説 」。

   インターネットのフリー百科事典「 ウィキペディア 」日本語版 に掲載されている記事 の中から 、いくつか 、

  勝手に 、アット・ランダムに選んで 、以下に引用いたします 。


  「 アメリカ陸軍元帥 の ダグラス・マッカーサー が 1951年4月19日に合衆国議会合同会議にて行った 退任演説

   の際に『 老兵は死なず 、ただ消え去るのみ

   ( Old soldiers never die ; They just fade away )という形で引用した一節が広く知られる 。

  この演説を『 老兵は死なず 』演説 ( " Old Soldiers Never Die " speech )と呼ぶこともある 。


      I am closing my 52 years of military service . When I joined the Army ,

      even before the turn of the century , it was the fulfillment of all of

      my boyish hopes and dreams . The world has turned over many times since

      I took the oath on the plain at West Point , and the hopes and dreams

      have long since vanished , but I still remember the refrain of one of

      the most popular barrack ballads of that day which proclaimed most

      proudly that " old soldiers never die ; they just fade away ."

      And like the old soldier of that ballad , I now close my military

      career and just fade away , an old soldier who tried to do his duty

      as God gave him the light to see that duty .



      私は今 、52年にわたる軍務を終えようとしています 。今世紀に入る前に私が陸軍に

     入隊したとき 、それは私の少年時代の希望と夢が成就した瞬間でした 。私が ウェスト

     ポイント( 陸軍士官学校 )で兵士になる宣誓をして以来 、世界は何度も向きを変え 、

     希望や夢はずっと前に消え失せてしまいました 。しかし 、当時兵営で最も人気が高かっ

     たバラードの一節を今でも覚えています 。それは誇り高く 、こう歌い上げています 。

     『 老兵は死なず 。ただ消え去るのみ 』と 。そして このバラードの老兵のように 、

     私もいま 、私の軍歴を閉じ 、消え去ります 。神が光で照らしてくれた任務を果たそ

     うとした1人の老兵として 。


   このときのマッカーサーは功績を上げた将軍の凱旋帰国という形であったものの 、

  実際にはシビリアンコントロールを逸脱する動きが見られたという理由で解任されての

  帰国であった 。朝鮮戦争の最中 、マッカーサーは中国人民志願軍派遣への報復として 、

  原爆使用を含めた中華人民共和国への攻撃を主張したものの 、ハリー・S・トルーマン

  大統領によって拒否されていた 。解任について 、トルーマンは『 大統領の権限を尊重

  しないからこそ私は彼を解任したのである …… 彼が間抜けのろくでなしであるから解任

  したのではない 。確かに彼は間抜けのろくでなしだが 』

  ( I fired him because he wouldn’t respect the authority of the President …

   I didn’t fire him because he was a dumb son of a bitch , although he was .


  と述べた 。しかし、第二次世界大戦の英雄として名を知られ 、多くの国民に支持されて

  いたマッカーサーの解任は 、大いに物議を醸した 。退任演説の焦点は 、ドミノ理論を

  前提とした共産主義の脅威についてであった 。」


  「 後年 、この演説について尋ねられたトルーマンは 、『 馬鹿げた戯言以外の何でもない!

 ( nothing but a bunch of damn bullshit ! )』と述べた 。」



 「 派 生

  このフレーズをもじったジョークも流行した 。以下のようなものが知られる 。

  ・ 老プログラマーは死なず 、ただ新アドレスに分岐するのみ 。

   ( Old programmers never die, they just branch to a new address.

  ・ 老警官は死なず 、ただ言い逃れるのみ 。

   ( Old policemen never die, they just cop out.

  ・ 老飛行士は死なず 、ただ高度を上げるのみ 。

   ( Old pilots never die, they just go to a higher plane.

   1980年 、ABCの番組『 20/20 』にてバーバラ・ウォルターズのインタビューを受けた

  リチャード・ニクソン元大統領は 、マッカーサーの言葉を引用した後 、

  『 老政治家は大抵死ぬが 、決して消え去ることはない 』

   ( Old politicians usually die, but they never fade away. )と語った 。 」



   引用はここまで 。

   人生百年時代 、死にも 、消え去りもしない 老政治家が 大勢 いらっしゃいます 。経験も大事 。

   トランプさん の 他にも " a dumb son of a bitch " とか " a bunch of damn bullshit ! " なんて上品な

  表現をされる ホワイトハウスの住人 は いらしたんですね 。トルーマンさんは 、民主党員 、ニクソンさん 、

  トランプさんは 、共和党員 。所属政党に関わらず 、多用される アメリカン・スラング 。

  そう云や 、民主党員 の ジョー・バイデンさん も " This is a big fucking deal ! " なんて仰ったことが

  あるようで 。皆さん 、ヤンキー だもんね 、スラング 使うよね 。


   ついでに 、おまけに 、もう一つの「 記事 」の 冒頭の部分のみ 引用します。


   「 ダグラス・マッカーサー( Douglas McArthur 、1880年1月26日 - 1964年4月5日 )は 、

    アメリカの軍人 、陸軍元帥 。連合国軍最高司令官 、国連軍司令官 を務めた 。

    コーンパイプ と 服装規則違反の フィリピン軍帽 が トレードマーク であった
。」

   「 マッカーサー家は元々はスコットランド貴族の血筋で 、キャンベル氏族 の流れを汲み 、

    スコットランド独立戦争でロバート1世に与して広大な領土を得たが 、その後は領主

    同士の勢力争いに敗れ 、没落したと伝えられている 。1828年 、当時少年だった祖父の

    アーサー・マッカーサー・シニアは 家族に連れられてスコットランドからアメリカに

    移民し 、マッカーサー家 は アメリカ国民 となった 。

     父 アーサー・マッカーサー・ジュニアは 16歳のころに 南北戦争に従軍した 根っ

    からの軍人であり 、南北戦争が終わって一旦は除隊し 、祖父と同様に 法律の勉強を

    したが長続きせず 、1866年には 軍に再入隊している 。1875年に ニューオーリンズ

    のジャクソン兵舎に勤務時に 、ヴァージニア州ノーフォーク生まれで ボルチモアの

    富裕な綿花業者の娘であった メアリー・ピンクニー・ハーディ と結婚し 、1880年に

    軍人である父の任地であった アーカンソー州リトルロックの兵器庫の兵営 で マッカ

    ーサー家 の 三男 として ダグラス・マッカーサー が誕生した
この頃は西部開拓時代

    の末期で 、インディアンとの戦いのため 、西部地区のあちらこちらに軍の砦が築かれ

    ており 、マッカーサーが生まれて5ヶ月の時 、一家は ニューメキシコ州のウィンゲート

    砦 に向かうこととなったが 、その地で1883年に次男の マルコム が病死している 。マル

    コム の病死は 母メアリーに大きな衝撃を与え 、残る2人の息子 、特に 三男ダグラスを

    溺愛するようになった 。次いで フォート・セルデンの砦 に 父アーサー が転属となり 、

    家族も付いていった 。そのため ダグラス は 、幼少期のほとんどを軍の砦の中で生活

    することとなった 。

     その後も 一家は全国の任地を転々とするが 、1898年に 米西戦争 が始まると 父アー

    サー は 准将 となり 、スペインの植民地であったフィリピン に出征 、マッカーサー家

    とフィリピンの深い縁の始まりとなった 。戦争が終わり 、フィリピン が スペイン

    よりアメリカに割譲されると 、少将 に昇進し 師団長になっていた 父アーサー はその後

    に始まった 米比戦争 でも活躍し 、在フィリピンのアメリカ軍司令官 に 昇進した 。

     しかし 、1892年に 兄アーサー は アナポリス海軍兵学校に入学し 、1896年には海軍

    少尉として任官し 、弟ダグラス も ウェストポイント陸軍士官学校を目指し勉強中だった

    ことから 、家族はフィリピンに付いていかなかった 。

     なお 、ダグラス は幼少期 、母メアリー によって フランスの風習に倣い 、女子の格好

    をさせられていた 。このことの人格形成への悪影響を危惧した父によって 、陸軍士官学校

    に入学させられることになったとも言われている 。


     引用 、おわり 。

     まるで伝記作家が 書いたような 、ダグラス・マッカーサーさんの 、長い 、長ーい

    「 経 歴 」記事 、引用は 、84年の人生 の はじめの一歩 のみ です 。この先が 、何倍もあります 。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする