「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

へゲモニー政党制  Long Good-bye 2021・11・08

2021-11-08 05:15:00 | Weblog


  今日の「 お気に入り 」は 、筆者が知っても何の役にも立たない「 ムダ知識 」 満載 のインターネット

  のフリー百科事典「 ウィキペディア 」日本語版から 、一般人には 、耳慣れない言葉「 ヘゲモニー政党制 」。

  昨日のつづき 。引用 、はじめ 。

  「 ヘゲモニー政党制( ヘゲモニーせいとうせい )とは 、形式的には 複数政党制 だが 、実際には

   特定の支配政党以外は 衛星政党 であり、真の 反対党 として存在できない制度


    ジョヴァンニ・サルトーリ が提唱した政党制の分類の一つ 。サルトーリ は政党の競合の有無を

   重視し 、ヘゲモニー政党制 と 一党制( 一党独裁 )を 非競合的体制 とした

    ヘゲモニー( Hegemonie )とは ドイツ語で「 主導権 」「 指導的立場 」を意味する語 である 。

    覇権政党制 とも 。

  概 要

    サルトーリ は 、従来は 一党制 や 一党支配制 と呼ばれていたものを 、一党制 ・ヘゲモニー政党制 ・

   一党優位政党制 の 3つ に分類した 。ヘゲモニー政党制 は 、形式的特徴により 一党制 から区別され、

   競合の有無によって 一党優位政党制 と区別される 。サルトーリ は 、野党が完全に禁止される時と 、

   そうでない時には 政治の様相 が違ってくるだろう と考え 、一党制 から ヘゲモニー政党制 を区別する 。

    また 、与党が選挙で連勝したことを 、競争が許されていない証拠 とみなす考え方に反対し 、

   一党優位政党制 から ヘゲモニー政党制 を区別する 。

    また サルトーリ は ヘゲモニー政党制 を 、イデオロギー指向 と プラグマティズム指向 という

   2つの異なるタイプに分類した


  

    一般的には 、ヘゲモニー政党 という言葉が 使われる場合( とくに独裁の形態として批判的に

   用いられる場合 )は 、イデオロギー指向型 のケース を指すことが多い 。両者が異なることに

   異議を唱える者はいないが 、プラグマティズム指向型 との用語は普及していない( こちらは

   包括政党 と表現されることが多い )。

  イデオロギー指向型

    社会主義国 - ポーランド 、旧東ドイツ など 、かつての「 東欧 」には 過去の経緯から 複数

   政党制 を採っている国が多くあった( 人民民主主義 )。これらの国では 衛星政党 にも国家の

   ポストが割り振られており( 例えば 旧東ドイツ では 衛星政党4党の党首は 国家評議会副議長

   となっていた )、宗教的・イデオロギー的に支配政党 である 共産主義政党 に馴染めない国民

   各層 を 間接的に体制内に取り込む効果 を有していた
。ただし 大抵は 憲法に 共産主義政党の

   指導権 が明記され
ていたり 、議会の選挙が形式的なものであったり と 、実態は 一党独裁制 と

   ほぼ変わらなかった
現在の 中華人民共和国 、および 朝鮮民主主義人民共和国 も 同様の

   体制にある


    開発独裁型国家 - スハルト政権時代のインドネシア 、朴正煕・全斗煥政権時代 の 韓国 、

   蔣介石・蔣経国政権 での 戒厳令下の中華民国( 台湾 )( 党国体制も参考 )、シンガポール

   など
、いわゆる「 開発独裁 」型国家 も野党が存在するものの 、選挙制度などが圧倒的に

   政権政党に有利 にできているため 、実態としては ヘゲモニー政党制 であるといえる



  プラグマティズム指向型

   1940年代から1990年代までのメキシコ における 制度的革命党 の 長期政権 。

   2001年からの ロシア 。統一ロシア による長期政権 。 」

  引用 、おわり 。

  今日も亦 、大変 、勉強になりました 。

  ( 筆者註: 「 ウィキペディア 」には 、ジョヴァンニ・サルトーリ( Giovanni Sartori 、1924 - 2017 )さん

        について 、数行の解説 が 載っています 。

        「 イタリアの政治学者 。専門は 比較政治学 。政党システムの研究で知られる 。

          経 歴

           フィレンツェ生まれ 。フィレンツェ大学で博士号取得 。1979年から1994年まで

           コロンビア大学で教鞭をとり 、退任後は 名誉教授 となった 。

           その後はイタリアに戻り 、著述を続けた 。2017年 、喉頭癌のためフィレンツェで死去 。 」)

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