「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

ポリコレ Long Good-bye 2024・04・15

2024-04-15 05:55:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」 、今読み進めている本の

 中から 、 備忘のため 、抜き書きした文章 。

  引用はじめ 。

  「『 人間とはふしぎなものだ 』と主水正が云
  った 、『 悪人と善人とに分けることができ
  れば 、そして或る人間たちのすることが 、  
  善であるか悪意から出たものであるかはっき
  りすれば 、それに対処することはさしてむ
  ずかしくはない 、だが人間は善と悪を同時
  に持っているものだ 、善意だけの人間もな
  いし 、悪意だけの人間もない 、人間は不
  道徳なことも考えると同時に神聖なことも
  考えることができる 、そこにむずかしさと
  たのもしさがあるんだ 』
  『 これは驚いた 』と津田大五が云った 、
  『 なにを仰ろうというんですか 』 
   主水正はそっと溜息をつき 、遠い出来事
  を思いだそうとするような口ぶりで云った 、
  『 ずっと昔 、巳の年の騒動のときに 、
  先代の滝沢主殿どのがその裁きに当って 、
  ―― 正しいだけがいつも美しいとはいえ
  ない 、義であることが常に善ではない 、
  と云われたそうだ 』
   大五は徳利を取って見せた 、『 勝手に
  飲ませてもらいますよ 』
  『 六条図書とその一味は悪人でもなし 、
  悪事をたくらんでいるわけでもない 』と
  主水正は続けて 、穏やかに云った 、『 か
  れらはかれらなりに 、家中の弊風を除き 、
  政治を正(まさ)しくおこなおうとしたんだ 、
  それは紛れもない事実なんだ 、しかし残
  念ながら 、かれらが弊風と認めたものに 、
  かれら自身も縛られてしまった 、ひとこ
  とで云えば 、五人衆に代って上方資本の
  導入をやったことだ 、家臣に対する御借
  上げ金 、豪農 、富商に対する御用金 、
  新らしい銭札の発行など 、みな御新政の
  威力を示すための手段だった 、わが藩の
  ように物成りが豊かで 、泰平安穏な年月
  に慣れているところでは 、この手段はい
  ちおう効果的だ 、反抗するまえにまず畏
  縮してしまう 、打たれたことのない子供
  が打たれると 、拳を見ただけで怯えるよ
  うにだ 』
  『 けれどもその拳に嚙みつく子だってい
  ますよ 、たとえ相手が親であってもね 』
  『 打ったあと親は 、たいてい菓子でも
  やって打った理由を云い聞かせるだろう 、
  だからこそ打つことも 、ときに子どもの
  ため必要だと云えよう 』と主水正は続け
  て云った 、『 しかしまた 、打つことに
  慣れ打たれることに慣れる親子もある 、
  御新政はそのかたちに似てゆくようだ 、
  六条一味は権勢をにぎるために上方資本
  を入れた 、それは便法だったが 、いま
  はその上方資本にがっちりと縛りあげら
  れ 、長い年月にわたって綿密に計画し
  てきた政策を 、実行する自由さえ失っ
  てしまった 』
  『 それはどうですかね 』大五は湯呑で
  冷酒(ひやざけ)を啜りながら云った 、
  『 私には一味が 、綿密な計画などたて
  てはいなかった 、というふうに思えて
  きたんですがね 』」


  「『 かれらは滝沢氏一派の 、三代にわた
  る権勢を奪回しようとし 、周到にその
  計画が練られたことは事実だ 』と主水
  正が云い返した 、『 かれらは権勢の座
  を占めるために 、松二郎さま擁立とい
  う旗印をかかげ 、みごとにその望みを
  達した 、私が云いたかったのはここの
  ところだ 、私はかれらを私欲のために
  藩政転覆を計った一味であり 、武家道
  徳に反する悪人たちだと思った 、しか
  し違う 』
   主水正は眼をつむって 、そっと頭を
  左右に振った 、『 政権はにぎったが 、
  同時に資本力というものに縛られてし
  まい 、卍屋一派の思うまま 、云うま
  まにならざるを得なくなった 、寛政七
  年の大火と 、同じ年に幕府から命ぜら
  れた東照宮修築のため 、御恩借嘆願
  という事があった 、資金調達のために 、
  五人衆が上方の三家 、つまり鴻ノ池 、
  三井 、難波屋から借りたことにし 、
  実際は自分たちで調達したように拵えた
  件だ 』
  『 それはいつか聞きました 』
  『 私はまだ若かったので 、五人衆を憎
  み 、そんなに明白なからくりを見逃し
  ている重職の人たちを憎んだ 、いまは
  違う 、いまになって考えてみれば 、た
  とえ五人衆が私腹を肥やしたとしても 、
  その利得は領内にたくわえられていた 、
  それが現在はどうか 、領内からあがる
  農産業の利得は 、その大半を上方へ持ち
  去られてしまうのだ 』
   滝沢氏時代にあった重職と富商 、豪農
  たちとのくされ縁は 、現在おこなわれ
  ている御新政より 、はるかに藩家のおた
  めにもなり 、藩の財政の安泰を保つこと
  に役立っていた 、人も世間も簡単ではな
  い 、善意と悪意 、潔癖と汚濁 ,勇気と
  臆病 、貞節と不貞 、その他もろもろの
  相反するものの総合が人間の実体なんだ 、
  世の中はそういう人間の離合相剋(そうこ
  く)によって動いてゆくのだし 、眼の前
  にある状態だけで善悪の判断はできない
  おれは江戸へ来て三年 、国許ではまった
  く経験できないようなことをいろいろ経
  験し 、国許には類のない貧困や悲惨な出
  来事に接して 、人間には王者と罪人の区
  別もないことを知った 、と主水正は云っ
  た 。
  『 失礼ですがね 』と大五が苦笑いをし
  ながら遮った 、『 じつのところ私は 、
  三浦さんのそういう話は聞きたくない 、
  もっとはっきり云えば 、私には財政や
  経済のことはわからないし 、わかりたい
  とも思わない 、私はただ御新政という美
  名に隠れたきたならしい陰謀を叩き潰す
  こと 、悪人どもの追放と 、殿の安否を
  慥かめること以外にはなんの興味も心配
  もない 、ええ  、特にむずかしい話は
  ごめんです
  『 特にむずかしい話をしたつもりはな
  いんだがな 』
  『 気に障ったら勘弁して下さい 、私が
  第一に聞きたかったのは殿の御動静です 』」 

  ( 以下は 、主水正が 、下屋敷に幽閉されている
    藩主 昌治を救出すべく意を決して 、津田大五
   と庄田信吾を従えて 、下屋敷の臆病口の潜り戸
   から屋敷内に入っていく場面 。)
 

  「  主水正はもの悲しいような 、うらさびれた
  感じにおそわれた 。これは盗みのようなも
  のだ 、殿をここから救い出すことは 、おれ
  たちにとって正しい 。けれどもこれは六条
  一味の裏を掻くことになる 。不法に監禁さ
  れている殿を救い出し 、ゆがんだ御新政を
  改正することは 、領民ぜんたいに対する責
  任ともいえよう 。だが六条一味も不正をお
  こない 、私腹をこやすというだけでやった
  仕事ではないだろう 。かれらにはかれらの
  理想があるのだ 。将軍家がおのれの血のか
  よっている者を 、大名諸侯の中へ移し入れ
  ようとする 、それは昔から数えきれないほ
  どしばしば 、もちいられた策謀である 。
  それによって幕府がどれだけのものを掴み 、
  望んだような実効をどれほど得ることがで
  きたかどうか 。おそらく実際に役立った例
  は極めて稀であろうが 、少なくとも幕府に
  はそうすることが 、幕府の政体にとって必
  要だと思ったから 、そういう方法をとった
  のであろう 。六条一味はその幕府の権力を
  背景に 、長い年月にわたって隠忍してきた
  席を 、初めて自分たちのものにした 。そし
  てその席を確保しようとしているのである 。
  そのためにかれらは力と知恵のある限りを駆
  使している 。そのこと自体に悪はない 。御
  新政に多くの誤りはあるが 、誤りは現われた
  結果であって 、六条一味が私利私欲に溺れた
  ためではないだろう 。七万八千石の藩政が 、
  私利私欲でやってゆける筈はないからだ 。長
  い年月 、かれらは現在の席を待ち望んでいた 。
  かれらはその席に坐った 。それをいまおれた
  ちは転覆させようとしている 。これは紛れも
  なく盗みだ 、と主水正は思った 。

  引用おわり 。

 ( ´_ゝ`)フーン

 

  

  

   春爛漫 。

 

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青天の霹靂 Long Good-bye 2024・04・12

2024-04-12 05:41:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」 、今読み進めている本の

 中から 、 備忘のため 、抜き書きした 文章 。

  下巻の頭の方で 、藩を揺るがす三度の騒動の原因と

 なった 経緯 、事情が明らかにされ 、物語は いよいよ

 佳境に入っていく 。

  初めて読んだ十代のころは 、こうした大人の事情が 、

 全くと言っていいほど 、呑み込めなかったものだ 。

  引用はじめ 。

  「 主水正は肩にふりかかる落葉を払った 。
  三十一歳になった彼の顔は 、陽に焼けて 
  黒く 、眼尻に皺が刻まれ 、額にも三筋の
  皺がはっきり刻まれていた 。」

  「 人の生きかたに規矩(きく)はない 、ひと
  りひとりが 、それぞれの人生を堅く信じ 、
  そのほかにも生きる道があろうなどとは考
  えもせず 、満足して死を迎える者が大多
  分であろう。小出先生は小出先生なりに生
  きた 。それはむしろ祝福したいようなもの
  だ 。それに反しておれ自身はどうか 、お
  れはそうではない 、今日のおれはおれ自身
  が望んだものではない 。おれは殿にみいだ
  されたいとも思わなかったし 、三浦氏を再
  興し 、山根の娘を娶(めと)ろうとも望みは
  しなかった 。
   ―― いや 、これはおまえが選んだ道だぞ 、
  と云う声が耳の奥で聞えた 。尚功館へ入学
  したいと 、おれのところへ頼みに来たとき 、
  おまえの将来はきまったのだ 、誰がなにを
  したのでもない 、これはおまえが選び取っ
  た道だ 。
   谷宗岳の声だと主水正は気づいた 。そう
  だ 、こんなことになるとは思いもよらなか
  ったが 、慥かにこれはおれ自身の選んだ道
  だ 。両親を嫌い 、徒士組のみじめな生活
  からぬけ出ようとしたとき 、おれはこの道
  へ足を踏み入れたのだ 。なにごとが起ころ
  うと 、もう引き返すことはできない 。ど
  んなにもがいても 、この道から脇へそれる
  ことはできないのだ 。主水正はそう思い 、
  唇を噛んだ 。」

  「 相手はむずかしい人だ 、たやすくは会え
  ないだろうと思ったが 、滝沢邸ではまる
  で待ってでもいたかのように 、主水正を
  客間へとおし 、すぐに主殿があらわれた 。
  じかに二人だけで会うのは初めてである 。
  主殿はとし老いていた 。もう七十歳に近
  いのであろう 、もとは人並みより高かっ
  た背丈が 、ちぢんで低くなり 、すっかり
  しらがになった髪も薄く 、頬の肉がこけ
  て 、ぜんたいが枯れ乾いた古木のように 、
  しらじらと痩せていた 。」

 「 照誓院といわれる佐渡守昌吉のとき 、
  将軍家重が娘を昌吉の妻に与えた 。そ
  れは明祥院時子という婦人だったが 、
  すでに身ごもって三月(みつき)の躯(か
  らだ)であり 、将軍家の娘ではなく 、
  側室だということはわかっていた 。そ
  こで江戸と国許の老臣たちが合議のうえ 、
  佐渡守には側室をすすめ 、明祥院の生
  んだ子は 、病弱という名目で早くから
  しりぞけ 、十八歳で病死するまで表へ
  は出さなかった 。佐渡守の側室は一人
  の男子と 、二人の女子を生んだ 。その
  長男が佐渡守昌親であり 、十九歳にな
  ったとき 、すなわち明和四年 、将軍
  家治の娘が輿入れをして来た 。和姫と
  いう人だったが 、明祥院時子の場合と
  同じように 、将軍家の側室であり 、
  妊娠四カ月であった 。
  『 そのとき 、江戸老職の一部に公儀
  と通ずる者があって 、和姫さまの産ま
  れた若を 、正統に据えようと主張し 、
  反対する老職たちと激しく対立した 』
  と主殿は云った 、『 御家の血筋を守
  ろうとする者たちは 、事が公儀に伝わ
  るのを恐れ 、立ってその一派を除いた
  のだ 』
  『 それが巳の年のことでございますか 』
  『 天明五年乙巳(きのとみ)の年のことだ 』」

  「 亥(い)年のときはその三度めで 、飛騨守
  昌治に輿入れした松平氏の姫は 、やはり
  身ごもっていた 。巳の年のときもそうで
  あったが 、自分は江戸家老の津田兵庫ら
  と慎重に手を打って 、昌治には側室をす
  すめ 、松平氏の正室には近よらせなかっ
  た 。そして松二郎さまは正室和姫のお腹
  から出ると 、御幼少のころから実際に病
  弱だったため 、ずっと江戸中屋敷で育て
  た 。
  『 こういうやりかたは自然ではない 』
  と主殿は続けて云った 、『 私も若かっ
  たから 、お家の血統 、ということを必
  要以上に大切だと思いこんだ 、しかし
  それは誤りだった 、とし老いたいまに
  なってみればわかるが 、大切なのは血
  統ではなく人間だ 、―― こんなことを
  云うと若い者には訝(いぶか)しく思われ
  るかもしれないが 、妻の生んだ子がし
  んじつ自分の子であるかないかは 、ど
  んなに厳密に詮議をしてもわかるもので
  はない 、その真偽の判別は人間以上の
  問題であるし 、われわれ人間に与えら
  れた能力では 、血統の正否よりも 、
  生まれた子にどんな資質があるか 、そ
  の子をどこまですぐれた人間に育てあ
  げることができるか 、というところに
  現実の問題と責任があるのだ 』」

  引用おわり 。

 

   

  

  

  目つき悪いな 、君たちは 。

 

 

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うのはな Long Good-bye 2024・04・10

2024-04-10 05:33:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」 、今読み進めている本の

 中から 、 備忘のため 、抜き書き 。

  若いころ 、ペーパーバックの全集本まで買って読ん

 だ作家の本の一冊なのに 、初めて読む心地がすると

 ころが何箇所もある 。読む年齢によって こうも印象

 が違うものか と長嘆息 。

  引用はじめ 。

 「  主水正( もんどのしょう ) は夕食のあと 、茶
  を啜りながら庭の卯花 ( うのはな ) を見てい
  た 。それはこの家を新築するとき 、奥との庭
  を仕切るために作った袖垣で 、花が咲くまで
  卯花とは知らなかったのである 。濃くなった
  たそがれの 、青ずんだ薄暗がりの中に 、その
  花は白く 、ひっそりと咲いていた 。」

 「  わが領地は気候にも恵まれ 、地も肥えていて
  物成りが豊かだ 、七万八千石の表高より 、は
  るかに実収は多いということで 、幕府の国目付
  (くにめつけ)に睨まれている 、―― 老職ども
  はそう主張して 、新田の開拓につよく反対して
  きた 、だが 、その主張には他の理由が含まれ
  ている 、国目付に睨まれているのは事実かもし
  れないが 、決してそれだけではない 、恩借嘆
  願の件にあらわれているように 、御用商人ども
  の算盤が 、うしろからかれらを縛っているのだ 」

 「 藩に対して 、商人どもは常に貸方でなければ
  ならない 。御用の金品が定期に皆済されるだけ
  では 、それからあがる利は固定してしまう 。
  貸方の額が多く 、支払い決済が延びれば延びる
  ほど 、利率は高くなり 、金品の値付けも自由
  に操作ができる 。したがって 、藩の財政が豊
  かになることは 、商人どもにとってなにより好
  ましくないのだ 。」

 「 なにごとも穏便に 、公儀から睨まれないよう
  に 、すべて現状を変えないように 、そういう
  名分の盾をめぐらせて 、ぬくぬくと熟寝(うま
  い) をたのしんでいるかれら 。真実を蔽(おお)
  い隠し 、いつわりの平安にしがみついて 、自
  分大事とけんめいになっている重臣たちに 、
  その寝床がそれほど安全でないことを悟らせ
  るのだ 。」

 「 ―― 俗に東照公は 、百姓は死なぬ程度に生
  かしておけ 、と云われたそうだ 、と昌治は
  さらに云った 。もちろん根拠のない俗説だろ
  うが 、家康公の言葉の真偽には関係なく 、
  死なぬ程度に生きている者たちがいかに多い
  かということを 、自分で見廻ってみて初めて
  知った 、どうしてそんなことがあり得るのか 、
  農民は郡奉行 、町民は町奉行によって 、そ
  れぞれ保護をされ看視されている筈だ 、にも
  かかわらず 、こういう生活がみすごしにされ
  るのはなぜか 。 」

 「  原因は単純ではないだろう 。だが 、まずあ
  げなければならないのは 、現在の状態によっ
  て利得をする者が 、その状態を存続させよう
  とするところにある 、ということだ 。農 、
  産 、商業の根もとを握っている大地主 、五
  人衆といわれる大商人 、そして 、これらに
  支えられている藩の重臣たち 。かれらには現
  在の状態を保つことが 、おのれの安泰を保つ
  唯一のみちなのだ 。その均衡をやぶらなけれ
  ば 、なに一つ改善することはできないのだ 。」

 「  ―― その均衡をやぶる方法の第一が『 堰 』
  を造ることだ 、と昌治は云った 。三万坪の
  新田を拓いても 、たいした役には立たないか
  もしれない 。だが幾組かの百姓が 、自分の
  田を持つことのできるのは事実だ 、これまで
  貧しい小作人だった百姓のうち 、幾組かは自
  分の田を持つことができる 、これは不動だと
  みえる大地主たちのあいだに楔を打ち込むこと
  であり 、僅かではあるが 、かれらの力の均衡
  にひびを入れることになるだろう 。
   重臣たちや大地主 、五人衆たちの結束は固い 。
  なにか新しい事態が起こるとみれば 、派閥を
  越えて協力し 、現状を守るために立ち上がる
  だろう 。

 「 主水正は『 世間 』というもの 、そこに生き
  ている『 人間 』たちを知るようになった 。
  彼は 、江戸屋敷にいるあいだに 、多くの人と
  接し 、その生活をみてきた 。人生は単純では
  ないし 、人の生きかたも単純ではない 。善悪
  の評価でさえも正当であるよりも 、そうでな
  い場合のほうが多いし 、それを是正すること
  が殆んど不可能であることも知った 。
   江戸から帰って来たとき 、主水正はおとな
  になったと思った 。」

  引用おわり 。

  物語の上巻をやっと読み終えたところ 。下巻が愉しみ 。 

 ( ついでながらの

   筆者註:「 ウツギ( 空木・卯木 、学名: Deutzia crenata )は 、

       アジサイ科ウツギ属の落葉低木 。別名は ウノハナ

       日当たりのよい山野にふつうに見られる 。

       名 称
        和名のウツギの名は『 空木 』の意味で 、幹(茎)

       が中空であることからの命名であるとされる 。

       花は卯月(旧暦4月)に咲くことからウノハナ(卯の

       花)とも呼ばれる 。中国名は 、齒葉溲疏 。

       分布と生育環境

        日本と中国に分布し 、日本では 北海道南部 、本州 、

       四国 、九州に広く分布する 。 山野の路傍 、崖地 、

       林縁 、川の土堤 、人里など日当たりの良い場所にふ

       つうに自生し 、畑の生け垣にしたり 観賞用に庭に植

       えたりする 。」

       以上ウィキ情報 。

       見出しの写真は 、うのはな ではなく 、しょうきうつぎ 。 )

 

 

  

  

  

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べらぼう Long Good-bye 2024・04・06

2024-04-06 06:31:00 | Weblog

 

 今日の「 お気に入り 」も 、今読み進めている本の

 中から 、 備忘のため 、抜き書き 。話の本筋と関係

 するところ 、関係ないけど 、面白いと思ったところ

 は メモ しておく 。記憶が 間々 跳ぶ 。

  引用はじめ 。

  「 義であることがつねに善だとはいえない 、ま
  た 、正しいことだけが美しいとは限らない 、」

  「 人間はときに 、考えるより行動することのほ
  うが大切な場合もあるぞ 」

  「 実の生(な)る木も時がこなければ実は生らない 。
  苗が若木になり 、やがて花が咲き 、初生りを
  すると 、それから年ごとに生る実の数がふえて
  ゆく 。 」

  「 『 この藩には重臣を含めて 、名門と呼ば
  れるものが十二家あります 。もちろん 、
  御当家の三浦氏もその中にはいりますが 』
  と杉本は云った 、『 ―― これらは何十年
  もまえから 、五人衆といわれる御用商人と
  むすびつき 、かれらの贈賄によって肥え太
  り 、政治はそっちのけにして 、ただ権力や
  与党の奪いあい 、放埓な遊興や背徳行為に
  耽(ふけ)っているだけです 』」

  「 明くる年の二月 、本通り町の角地にある佐渡
  屋儀平の仮宅に 、四人の御用商人が集まった 。
  太田巻兵衛 、牡丹屋勇助 、越後屋藤兵衛 、桑
  島三右衛門らである 。―― あるじの佐渡屋は
  回米 、太田は紙類一切 、牡丹屋は諸道具と陶
  器 、越後屋は呉服類と糸綿 、桑島は金銀両替
  と 、それぞれが御用商の看板を許され 、五人
  衆といって 、領内全般に独占的な支配力をもっ
  ていた  」

  「『 泥だらけの手で握っているものを取り上げる
  には 、こちらの手も泥でよごさなければならな
  い 』と宗岳は続けた 、『 かれらを外側から叩
  くより 、内部に はいるほうが 、砦の脆いところ
  がわかるだろう 、よごれることを避けている限
  り 、よごれた手でにぎっているものを奪い返す
  ことはできないぞ 』 」

  「『 おまえは卵を孵(かえ)した 、ところが孵った
  のは鷲だったというようなものさ 、にわとりか
  あひるだと思ったら鷲だった 、苦労をするぞ 』
  『 飼いならせないということですか 』( 中略 )
  『 御用商人は鷲より 、飼いならしやすいん 
  じゃないか 、むろん 、こっちの肝の据えかた
  によるだろうがな 』
   主水正は 宗岳の忠告を 受け入れた 。 」

  「 『 蟹は横に這う 』と彼は呟いた 、『 まっす
  ぐにあるけと云うほうがむりだろうな 』」

  引用おわり 。

  現代のどこかの国の 、どこかの政官財界と 、話がとても

 似ているような 。そう言えば 、2025年の大河は 謙さん

 主演の 田沼意次 が主人公でしたっけ 。おカネを整える どう

 いう流れなんだろう 。その頃には 、処分を受けた人たちも 、

 処分を受けなかった人たちも 、何もなかったかのように 、

 みんな元気に復権してるんだろか 。

  めでたし 、めでたし 。

 ( ´_ゝ`)

 ( ついでながらの

  筆者註:「 『 べらぼう 〜蔦重栄華乃夢噺〜 』
       ( べらぼう つたじゅうえいがのゆめばなし )
       は 、2025年(令和7年)に放送予定の NHK大河
       ドラマ第64作 。蔦屋重三郎の生涯を描く 。
       脚本は森下佳子 。主演は 横浜流星 。

       田沼意次(たぬま おきつぐ)
        演:渡辺謙 

       以上ウィキ情報 。

       謙さんは主演じゃなく 、客寄せパンダでした 。)

 

 

    

      

          

 

   
ショウキウツギ( 鍾馗空木 )
Kolkwitzia amabilis
としても知られている : コルクウィッチア・アマビリス

ショウキウツギ( 鍾馗空木 )は 、アーチ状に広が
り 、ラッパ状の花を複数咲かせる低木です 。毛に覆わ
れた実を 、悪魔を追い払う髭の生えた神様『 鍾馗 』
の顎ひげになぞらえたことから 、ショウキウツギ と
いう和名がつきました 。 

 

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送りばばあ Long Good-bye 2024・04・04

2024-04-04 07:15:00 | Weblog

 

  今日の「 お気に入り 」は 、今読み進めている本の

 中から 、 備忘のため 、抜き書き 。話の本筋とは関

 係ないけど 、面白いと思ったところは メモ しておく 。

  引用はじめ 。

  「 ―― 人間にはいろいろな型といろいろな生き
  方がある 」

 「 ―― 私が少年のころだが 、材木奉行に永沢
  玄蕃という人がいた 、たいそう用心ぶかい性
  分で 、石の落ちてきそうな崖の下などは 、決
  してあるかない 、必ず遠廻りをして森番小屋
  を巡視したものだ 、食事なども生ま物は口に
  せず 、煮炊きした物以外は喰べなかった 、だ
  から落石でけがをしたこともないし食中毒にか
  かったこともなかった 、私も道でたびたび見
  かけたが 、骨太で固太りで 、小柄ではあるが
  精悍そうな 、殺されても死なないような人だ
  った 、それが森へ登る道で 、もっとも安全な
  場所だといわれる 、川岸のところで足を踏み
  外し 、流れにのまれて溺死してしまった 、そ
  のとき慥か四十歳にはなっていなかったと思う
  がね 」

  「 いってみれば 、もの事を避けてばかりいると 、
  その反対のほうに思わぬ災厄や陥穽が待ち構え
  ている 、という一つの例にはなるかもしれな
  い 、と小出方正は云った 。」

  「 この土地の古い伝説に『 送りばばあ 』という
  のがある 。夕暮どきに道をあるいていて 、ゆ
  だんをするとうしろに一人の老婆が付く 、腰の
  曲った白髪あたまの 、瘦せこけた老女で 、自
  然木(じねんぼく)の杖をついてい 、その杖で前
  をあるいている人間を自由に操る 。町へゆくつ
  もりの者が山へ迷いこんだり 、買物に出た者が
  石ころを持って帰ったりする 。それはみな『 送
  りばばあ 』に付かれたからであって 、いちどう
  しろへ付かれたら逃げようがない 。だから夕暮
  どきに出あるきをする場合には 、決してゆだん
  をしてはならない 、というのであった 。」

  引用おわり 。

  まだまだありそで 、愉しみだ 。

 

 

 

   

 

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