今日の「 お気に入り 」は 、今読み進めている
本の中から 、 備忘のため 、抜き書きした 文章 。
よく気の廻る几帳面な作家さん 、上巻で蒔かれ
た種を 、下巻で丁寧に拾ってゆく 大河ドラマ 。
夜明けの時刻が五時前になった 、春なのに肌寒
い雨の朝 。
引用はじめ 。
「 『 子どものころ先生に 、人間の一生は 、
一足とびに登るより 、一歩々々を大切にせよ 、
という意味のお言葉をいただきました 、尚功
館へ入学してまもなくだったと思います 』
『 そんなことがありましたかな 、いま考え
ると釈迦に説法という 』
『 いや 、そうではありません 、あのころ
私は出世をしたいという一心に凝り固まって
いたのです 』と云って主水正は声を低くした 、
『 ―― 但しそれは一身の栄達を望んだから
ではありません 、このことはまだ誰にも話し
ておりませんが 、八歳のとき私は 、胸を刺
されるような出来事を経験したのです 』
父に伴(つ)れられて 、大沼へ魚釣りにゆく
とき 、山内家と滝沢家のあいだにある道に
はいり 、堀に架かった無名の小橋を渡って
ゆくのが常であった 。八歳になった或る日 、
父といっしょにその道をゆくと 、無名の小
橋は毀(こわ)され 、あとかたもなく取り
払われていたうえ 、滝沢家の小者に 、こ
こは私有地であり 、邸内にある学問所の邪
魔になるから 、ここを通行することは禁ず
ると云われた 。
『 城下町に私有地というものはありません 』
主水正は呼吸をととのえてから云った 、『 ど
んなに名門であり重臣であっても 、その土地
は藩主から貸与されたものです 、当時の私は
そんなことは知りませんでした 、私が胸を刺
されたように感じたのは 、堀に架かっていた
小橋が 、毀され取り払われたということです 』
道とか橋などというものは 、子供には不動
なもの 、大地があり山川があるのと同様に 、
常にそこにあるものと信じて 、少しも疑わな
かった 。それがあとかたもなく打ち毀され 、
取り払われてしまったのだ 。
『 そのとき私は 、そういうことが平然と
おこなわれ 、それに対して誰ひとり抗議を
する者がいないことを知って 』と云って主
水正は苦笑いをした 、『 ―― いま思い返
すと恥ずかしくなりますが 、ぜがひでも尚
功館へ入学しよう 、そしてできることなら 、
こんな無理なことのできないような 、正し
い制度を確立しようと思ったのです 』
『 知らなかった 、少しも知らなかった 』
小出はおどろいたように首を振り 、深い溜
息をついた 、『 ―― 私は老耄して 、その
小橋のことはなんの記憶もないが 、もしも
知っていたら 、少しはお役に立つことがで
きたと思う 、いや 、いやそう云っては悪い 』
と小出は自分を恥じるように膝を撫でた 、
『 たとえ知っていても 、私にはどうするこ
ともできなかったでしょう 、しかしあなたの
お気持ちはよくわかります 、井戸勘助もこの
話を聞いたら 、あなたに辛く当るようなこと
はなかったでしょうがね 』
『 井戸先生は御健在ですか 』
『 三年まえに死にました 、酒も嗜(たしな)ま
ず 、養生には細心な男でしたが 、―― 三年
まえの十二月に 、卒中で死んでしまいました 』
主水正は膝の上に両手を置き 、黙って 、暫く
低頭した 。彼はまざまざと 、時の足音を聞く
ように思った 。小出方正は老い 、井戸勘助は
死んだ 。これらのほかにも 、老いたり死んだ
りした人は少なくないだろう 。時は休みなく
過ぎ去ってゆき 、人はその時の経過から逭(の
が)れられない 、王侯といえどもいつかは老い 、
そして死ぬのだ 。おれ自身も 、いつのまにか
三十七歳というとしになったのだからな 、と
主水正は思った 。 」
引用おわり 。