今日の「 お気に入り 」は 、今読み進めている
本の中から 、 備忘のため 、抜き書きした 文章 。
引用はじめ 。
「 人間には報酬のために働く者が大多分だが 、 ( 「大多分」 という言葉は他で見ない )
報酬などは考えず 、褒められたり感謝された
りすることさえ求めずに 、能力いっぱいの仕事
をすることによろこびを感じている者もある 。
弥助は主水正のため 、おどろくほどこまやか
に気を使い 、働いてくれた 。しかしそれを
誇ろうとしたことは決してないし 、邸内で主
水正を見かけると 、さりげなく避けて 、話し
かけられることを嫌っているようであった 。 」
「 けれども 、弥助が本当に望んだのは 、それ
だけではなかったのではないか 。人間が世間
でくらしてゆくには 、自分の望みどおりの生
きかたができるとは限らない 。自分では好ま
ない 、嫌いなことでもやらなければならない
ことがあるだろう 。それが人間の生きるとい
うことだ 、―― そう思ったとき 、主水正は
森番小屋の大造の云ったことを思いだした 。
―― おらあ 、人間があんなに苦しんだ姿を
見たことがねえ 。
滝沢兵部だったという 。 」
「『 ・・・ 、人間が自分の好ましいように生き
られることは稀だし 、平安な一生に恵まれる
ことも極めて少ない 、・・・ 』 」
「『 ・・・ 、三井に限らず 、上方商人どもの
算盤の慥かさと 、ぬけめのなさには私もおど
ろいたくらいだ 、あれほどとは思わなかった
んでね 』
『 ぬけめがないとはどういうことです 』
『 かれらは百年先の算盤をはじいている 、こ
んにちのために努力すると同時に 、百年先の
ために必要なら 、出したくない金も出すし 、
頭を叩かれると知れば 、すぐに腰を跼(かが)
め頭をさげてみせる 、―― 舌を出しながらね 』
『 舌を出しながらですって 』
主水正は微笑した 、『 それは言葉です 、実
際に舌を出す出さないではなく 、心の中では
いつも舌を出しているということだ 、武家経
済が商人の資本力に支配されはじめてからずい
ぶん久しい 、どこの藩でもそれに気づいてい
るのだろうが 、いざとなれば武家権力で抑え
られる 、ということに頼っている 、その一例
が天明五年 、幕府から布令(ふれ)だされた非
常法だ 、もちろん知っているだろうが 、幕府
旗本たちに対する札差(ふださし)の貸金を帳消
しにするという法だ 、生産のない消費だけの
武家生活では 、経済的にゆきづまるのは当然
であるし 、それは商人どもがもっともよく知
っている 、もちろん武家でもそれには気づい
ているが 、御威光と権力が頼みになるあいだ
は 、気がついていながら 、気づくまいとして
自分をごまかしているだけだ 』
『 はあ 』と佐佐は頷いた 、『 なるほど 、
商人どもは舌を出すことでしょうな 』 」
引用おわり 。
五十五年前のあの頃は 、経済原論 や 資本論 読まずに 、
小説ばかり 読んでました 、でも 上に引用した文章など 、
経済の基本の基 、勉強になったもんです 。
( ´_ゝ`)
( ついでながらの
筆者註: ついでながら 、中国の古人の言葉二つ 、勉強に
なるなあ 。
・ 「 きじんてんゆう【 杞人天憂 】
無用の心配をすること 。 取り越し苦労のこと 。
『 杞人憂天 きじんゆうてん 』ともいい 、略して
『 杞憂 きゆう 』ともいう 。 『 杞 』は 、中国周
代の国名 。
杞の国に 、天地が崩れ堕ちて身の置き場が無く
なるのではないかと 、夜も眠れぬほど心配した
人がいた 。このことから 、無駄な心配 、取り
越し苦労のことを指して 杞憂 という 。」
・「 老子の格言で 、『 授人以魚 不如授人以漁 』
という言葉があります 。
『 飢えている人がいるときに 、魚を与えるか 、
魚の釣り方を教えるか 。』という話で 、
『 人に魚を与えれば一日で食べてしまうが 、
釣り方を教えれば一生食べていける 』という
考え方です 。」
以上ウィキ情報ほか 。)