キッコーマンは11月1日、東京・有楽町に「キッコーマン ライブキッチン東京」をオープンした。店の中央には調理台があり、多彩なジャンルの有名シェフが、テレビ番組のようにMCと掛け合いながら調理を披露する。「しょうゆ」最大手の同社が、“和”にとどまらない新形態のレストランを展開するのはなぜか――。
入店した途端に広がる「レストラン離れ」した空間
キッコーマンは銀座駅にほど近い複合施設に直営店を出すにあたり「ライブキッチン」という名前を掲げた。どこが「ライブ」なのか。最大の特徴は全70席ある客席の中央に、調理台が特設されていることだ。
担当シェフ・料理人が月替わりで登場。MCと掛け合いながら調理を実演し、おいしさの秘訣を解説する。利用客は目の前にサーブされた料理を味わうだけでなく、目の前でテレビ番組の収録を鑑賞するような感覚で、料理ができあがるまでのプロセスを楽しめる。
調理台を映すカメラは2台あり、キッチンステージの横と個室の3箇所にモニターが設置されている。キッチンステージ両脇に設置されたモニターは、55インチで2台1組。シェフの姿だけではなく、手元の細かい動きまで見ることが可能だ。テーマは「食文化の国際交流」である。
10月25日に行われた記者発表会では、堀切功章社長が「和食、フレンチ、イタリアン、エスニック料理など、世界の食が融合した新しいコース料理、新しいおいしさを提供します」とコメントした。11月は和食「菊乃井」の村田吉弘氏、フレンチ「オテル・ドゥ・ミクニ」の三国清三氏、中華「トゥーランドット」の脇屋友詞氏の3人がコラボレーションするという。このうち脇屋氏は、テレビ番組『アイアンシェフ』(フジテレビ)にレギュラー出演していた「鉄人」のひとりだ。
食材は京都府とタイアップし、「鯛の昆布〆 三種の醤油」「京野菜と伊勢えびのビスク風」など、京都産食材にこだわったコースメニューを提供。価格は税込みで1万2000円だ。今後もさまざまなジャンルのシェフ・料理人や国内の各産地との「共演」を楽しめる。12月10日以降は三重県の食材、来年1月8日以降は北海道の食材を使ったメニューを展開する。
AI活用で「見て、聞いて、感じる」文化交流
同社が強調する、「食文化の国際交流」とは何なのか。臼井氏は「源流をたどれば江戸時代からしょうゆを通して日本の食文化を支えてきた当社が特に重要視している、経営の核になる理念」と語る。
これまで、大阪万博(1970年)や上海万博(2010年)、ミラノ万博(2015)などの機会を捉え、レストラン出店や和食の魅力を伝えるイベントの開催を通じて、さまざまな国・地域の食文化の「融合」を図ってきた。
そうした長い歴史の中で獲得した経験値や人脈をフルに活用して乗り出したのが、今回のライブキッチンだ。臼井氏は「食材や調味料の価値は、完成した料理を食べるだけではなく、できあがるまでのプロセスまで見て、聞いて、感じてもらうことで確実に伝わる」と強調する。
海外客もシェフの説明を聞けるよう、人工知能(AI)を使った同時翻訳システムを配備した。システムは富士通製。マイクで説明するシェフや料理人の言葉をAIが認識し、翻訳された言葉が客の手元のタブレット端末に表示される。英語だけでなく、フランス語や中国語など計20言語に対応。リアルタイムで説明を理解できるよう工夫した。
「シェフの方言まで翻訳できるか? これはAIにも経験を積んでもらわないといけませんね」(臼井氏)
これまでになかったからこそ、やってみないと分からない。実験的な取り組みだ。今後は、同キッチンでの「食体験」を国外からの旅行ツアーの中に組み込んだり、複合施設内に同居するホテルなどと連携して周知したりする試みにも着手し、さらなる集客を狙う。
「しょうゆ」海外展開 60余年の歴史
しょうゆ国内シェア3割の同社。海外進出は順調で、国内の食品メーカーとしてはかなりの「優等生」だ。2018年3月期決算によると、海外売上高比率は約6割に上る。さらに2019年3月期には、海外事業の営業利益が過去最高になると見込んでいる。現在、海外の製造拠点は7つ。「キッコーマン」ブランドのしょうゆは世界100カ国以上で販売されているという。
海外展開への皮切りとなった米国への本格進出は、実に1957年にさかのぼる。日本の伝統的な調味料であるしょうゆを「モノ」として売るだけではなく、家庭で「日常的に使われる調味料」にすることを目指した。そのために、現地の人々になじみがある食材と合わせて使ってもらう方法の提案、好まれる調理法の開発などに積極的に取り組んできた。
「照り焼き」を「テリヤキ」にするのに必要な時間は?
「例えば、今の若い世代に『てりやき』と言って連想するものを聞くと、『テリヤキバーガー』などと答える人も多くなりました。ただ、中高年以上の世代に聞けば、日本人ならまず『ブリの照り焼き』と答えるでしょうね」(臼井氏)
しょうゆが、焼き魚や煮物といった伝統的な和食だけでなく、欧米でポピュラーな肉料理にもマッチすることを浸透させる――。それ一つを取っても、一朝一夕に実現できることではない。
「新しい食文化が浸透するには、最低でも二世代はかかると言われています。調味料に関しては、非常に息の長いマーケティング戦略が必要とされるのです」(臼井氏)
2020年に照準 外需取り込みへ攻勢
そもそも、ライブキッチンの構想が生まれたのは3年前からだという。2020年に開催される東京オリンピック・パラリンピックに照準を合わせ、ようやく日の目を見たプロジェクトだ。「好機を最大限に生かしたい」(臼井氏)と意気込む。
翻って国内市場を見れば、長期的には少子高齢化に伴う人口減少という業界各社共通の「壁」にぶつかることになる。国内事業のみに頼っていては、持続的な発展に限界があることは想像に難くなく、同社の成長も他社の例に漏れず「海外」での成功にかかっている。
競合他社との海外シェア獲得争いも一層激しくなることが予想される中、攻勢を仕掛けるのに「2020年」を活用しない手はない。
あえて「和風」を押し出さない理由
ライブキッチンからは、日本文化を輸出するにあたってのアプローチの新しさも感じ取れた。内装や盛り付けに使う食器は、ところどころに和風のモチーフを意識しながらも、モダンでボーダーレスな雰囲気を演出している。フレンチやイタリアン、中華といった異なるジャンルの料理が出されても違和感がないようにするのが狙いだ。
「私たちのテーマは、あくまで融合。一方的に自分たちの文化を輸出するのではなく、多様な文化の境界が溶け合い、相乗効果を生むコラボレーションです」(臼井氏)
シェフ・料理人には「特別に当社の調味料をPRしてほしいとはお願いしていない」と臼井氏。だが、多国籍の食文化が響き合う料理を楽しんでもらうライブキッチンは、五感を通じて「グローバルスタンダード」としてのしょうゆを印象付けられる絶好のステージになることは間違いないだろう。
ちなみに、同店のシンボルとして使用されている新しいロゴは、伝統の「六角マーク」を思い起こさせる六つの点から成る。
「世界は五大陸に分かれますよね。それを結ぶ『六つ目』の点がキッコーマンでありたい。実はそんなメッセージも込められているんです」(臼井氏)
「モノを売る」ところから一見離れた新業態を通して「食文化を豊かにすること」を目指す同社。その効果は2020年以後、どのように表れてくるのだろうか。
加藤藍子(かとう・あいこ)
ライター・エディター
慶應義塾大学卒業後、全国紙記者、出版社などを経てライター・エディターとして独立。教育、子育て、働き方、ジェンダー、舞台芸術など幅広いテーマで取材している。