在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

イタリア コロナ ロックダウン状態の中で 徒然39 

2020-04-14 00:50:47 | もろもろ、つれづれ



イタリアは、今日も500人以上が亡くなり、新しい患者は1300人以上、ただし、入院患者は減少している。
それでも、軽症患者が多のが幸い、また、同じ施設内、家族内などでの感染はほぼ落ち着いただろうと思われるということから、とにかくピークは過ぎたと(一応)楽観視できる状態。
ただし、少しでも気を緩めると、また元の木阿弥、ということは、嫌という程強調されている。


さて、前回の記事で、日本では、陽性を判定された患者を受け付けない病院が出てきているようと書いたが、この件に関しては、イタリアとは医療体制が違うので、お詫びとともに訂正したい。

まさか、空いている時間を使って、こうやってブログを書こうなどどは思ってもいなかったので、コロナの最初の頃のことは、うる覚えのところもあるので申し訳ない。


イタリアは、病院とクリニック(プライベート総合病院)、そして、その中間がある。
そして、ローマに、全イタリアの感染症の中心となる感染症専門の病院が一つある。

割と早い時期には、熱のある(当時は熱が一番わかりやすい症状と思われていた)人は、全て、先にコロナ専用の電話番号に電話をしてから(日本と同じように話し中が多かった)、病院に行くか自宅待機かなどの指示を受けるということになっていた。

そして、その後、クリニックでは、熱のある人を絶対に受け付けてはいけない、という通達が出た。

クリニックの院内感染を防ぎ、全ての管理を感染症専門病院に集中させる政策である。


だから、日本でも、感染症に対応していない病院は拒否したほうが良いのだろうし、検査で陽性となった方たちが、しかるべきところにちゃんと運ばれるシステムがきちんと整うことを祈る。


イタリアにおける一番最初の(公式な)コロナの患者は、武漢からイタリアに観光に来た中国人のご夫妻で、1月の終わりにローマで発症したのだが、その時ちょうど、その感染症病院には仕事で行っていたため(その後も、何人か疑いのある人がいたため、実は頻繁に通った)、その頃のイタリアのコロナに対する医療体制は割とよく見ている。

その後、しばらくして、北イタリアで多発し、舞台が移ってしまった。

ところで、参考まで、その中国人夫妻は、重症ではなかったのだが、一時は集中治療室に入ることもあり、退院したのは、もうみんなが忘れかけた3月10日前後だったと思う。
中程度の症状で、退院までこれだけ時間がかかる、ということを実感した。


その頃の北イタリアの状況は悲惨で、あまりに多くのネガティヴな情報を入れすぎると辛くなるため(日本の震災の津波の映像がそうだった)、少し頭の中に入れる情報をブロックした。

今は、日本の状況の方が心配で、今度は、日本の情報を少しブロックしていかないといけない状況になってきたようである。


日本にいる、親族の一人が、濃厚接触者になってしまった。
こんな感じで、いつ、どこで、誰がどうやって感染するかわからない。
だから、どうか、一人一人が、このコロナの恐ろしさを理解して、気をつけていただきたいと遠くイタリアから祈っている。